若杉山豊一

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若杉山 豊一 Sumo pictogram.svg
Wakasugiyama Toyoichi 1959 Scan10015.JPG
基礎情報
四股名 熊本 豊一→若杉山 豊一
本名 熊本 豊一
生年月日 1933年1月24日
没年月日 (1999-11-04) 1999年11月4日(66歳没)
出身 福岡県糟屋郡志免町
身長 177cm
体重 120kg
BMI 38.30
所属部屋 時津風部屋
得意技 右四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭筆頭
生涯戦歴 496勝495敗4休 (77場所)
幕内戦歴 128勝187敗 (21場所)
優勝 十両優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵 1953年3月場所
入幕 1959年3月場所
引退 1967年5月場所
引退後 商社勤務→相撲料理店経営  
備考
金星1個(栃ノ海1個)
2013年8月23日現在

若杉山 豊一(わかすぎやま とよいち、本名:熊本 豊一(くまもと とよいち)、1933年1月24日-1999年11月4日)は、1950年代から1960年代にかけて活躍した大相撲力士である。福岡県糟屋郡志免町出身。時津風部屋に所属していた。最高位は西前頭筆頭(1965年3月場所)。現役時代の体格は177cm、120kg。得意手は右四つ、寄り[1][2]

来歴[編集]

福岡県立山田高校在学中は相撲部で主将を務め、高校卒業後は炭鉱に就職した。しかし、母校の所在地である福岡県山田市(現・嘉麻市)出身の十両剣龍(後の関脇巨砲の実父)のスカウトを受け、1953年3月場所に於いて時津風部屋より初土俵を踏んだ[2]

初土俵は20歳と遅かったが、高校時代の経験と地力を生かし、右差し手を返し、投げを打ちながら寄るという盤石の右四つの型を武器に少しずつ着実に番付を上げていった[2]

1959年3月場所での新入幕以降の約2年半は主に幕内と十両を往復し、1961年9月場所からは3年以上十両に停滞していた[2]

しかし、1965年1月場所で3度目の入幕を果たすといきなり12勝3敗と、13勝2敗で優勝した大関佐田の山に次ぐ好成績を挙げて生涯唯一の三賞となる敢闘賞を受賞した。翌場所では、一気に前頭筆頭まで番付を上げ、横綱や大関との対戦も経験した。同場所の6日目には横綱・栃ノ海を寄り切って、生涯唯一の金星を挙げている[2]

その後は再び幕内中下位に戻り、1966年11月場所を最後に幕内から遠ざかった。間もなく関取の地位からも陥落し、幕下8枚目に在位した1967年5月場所を以って、34歳で廃業した[2]

廃業後は「豊商事」という商社に暫くの間勤務し、退社後は、郷里・糟屋郡志免町で相撲料理の店を営んだという[2]

1999年11月4日、肺水腫により逝去。享年66。

略歴[編集]

  • 1953年…時津風部屋に入門し、この年の3月場所で初土俵を踏む。
  • 1953年5月場所…本名でもある「熊本」の四股名で、序二段に付く。
  • 1954年5月場所…「熊本」から「若杉山」へ改名。
  • 1958年3月場所…十両に昇進。
  • 1959年1月場所…東十両8枚目の地位で、12勝3敗と大勝ちし、十両優勝を遂げる。
  • 1959年3月場所…新入幕。
  • 1965年1月場所…3度目の入幕で12勝3敗と好成績を残し、優勝争いにも参加。優勝は逸したが、生涯唯一の三賞(敢闘賞)を受賞する。
  • 1965年3月場所…自己最高位となる西前頭筆頭に昇進するも、5勝10敗と大きく負け越す。6日目、栃ノ海を破り、生涯唯一の金星を獲得。
  • 1967年3月場所…関取として迎えた最後の本場所。十両下位で4勝11敗と大敗し、次場所での幕下落ちが確定する。
  • 1967年5月場所…東幕下8枚目に在って1勝6敗という成績に終わり、場所後に廃業を表明。

主な成績・記録[編集]

  • 通算成績:496勝495敗4休 勝率.501
  • 幕内成績:128勝187敗 勝率.406 
  • 現役在位:76場所
  • 幕内在位:21場所 
  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:1回(1965年1月場所)
  • 金星:1個(栃ノ海1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1959年1月場所)

場所別成績[編集]

                         
若杉山 豊一
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1953年
(昭和28年)
x 新序
3–0 
東序二段26枚目
7–1 
x 東三段目58枚目
6–2 
x
1954年
(昭和29年)
東三段目40枚目
4–4 
東三段目32枚目
4–4 
東三段目28枚目
6–2 
x 東三段目8枚目
4–4 
x
1955年
(昭和30年)
東三段目3枚目
3–5 
西三段目6枚目
3–5 
西三段目8枚目
4–4 
x 東三段目3枚目
7–1 
x
1956年
(昭和31年)
西幕下45枚目
6–2 
東幕下32枚目
4–4 
西幕下31枚目
4–4 
x 西幕下31枚目
3–5 
x
1957年
(昭和32年)
西幕下35枚目
5–3 
西幕下26枚目
6–2 
西幕下13枚目
6–2 
x 西幕下3枚目
3–5 
西幕下6枚目
6–2 
1958年
(昭和33年)
東幕下3枚目
6–2 
東十両23枚目
10–5 
東十両17枚目
10–5 
東十両10枚目
9–6 
東十両7枚目
9–6 
西十両3枚目
5–10 
1959年
(昭和34年)
東十両8枚目
優勝
12–3
東前頭20枚目
8–7 
西前頭17枚目
7–8 
東前頭18枚目
10–5 
西前頭11枚目
5–10 
東前頭15枚目
3–12 
1960年
(昭和35年)
東十両5枚目
6–9 
東十両7枚目
10–5 
西十両筆頭
9–6 
東前頭14枚目
8–7 
西前頭8枚目
5–10 
西前頭13枚目
8–7 
1961年
(昭和36年)
西前頭10枚目
7–8 
西前頭10枚目
7–8 
西前頭10枚目
5–10 
西前頭14枚目
6–9 
西十両2枚目
7–8 
東十両4枚目
6–9 
1962年
(昭和37年)
西十両8枚目
6–9 
東十両11枚目
7–4–4 
西十両12枚目
7–8 
西十両13枚目
9–6 
西十両9枚目
9–6 
東十両4枚目
9–6 
1963年
(昭和38年)
東十両筆頭
5–10 
東十両6枚目
10–5 
東十両3枚目
7–8 
東十両4枚目
5–10 
西十両9枚目
6–9 
東十両12枚目
6–9 
1964年
(昭和39年)
西十両16枚目
9–6 
西十両7枚目
9–6 
西十両5枚目
7–8 
東十両7枚目
8–7 
東十両5枚目
10–5 
東十両2枚目
10–5 
1965年
(昭和40年)
西前頭13枚目
12–3
西前頭筆頭
5–10
西前頭4枚目
2–13 
西前頭11枚目
9–6 
西前頭7枚目
5–10 
東前頭12枚目
8–7 
1966年
(昭和41年)
東前頭11枚目
2–13 
西十両3枚目
8–7 
西十両2枚目
9–6 
東前頭15枚目
4–11 
西十両2枚目
10–5 
西前頭13枚目
2–13 
1967年
(昭和42年)
西十両6枚目
4–11 
西十両14枚目
4–11 
東幕下8枚目
引退
1–6–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 熊本 豊一(くまもと とよいち、1953年5月場所-1954年3月場所)
  • 若杉山 豊一(わかすぎやま -、1954年5月場所-1967年5月場所)

関連項目[編集]

参考文献[編集]

出典[編集]

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  1. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
  2. ^ a b c d e f g ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p26