若ノ海周治
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基礎情報 | ||||
四股名 | 南秋山 → 若ノ海 周治 → 荒岩 周治 → 荒岩 亀之助 → 若ノ海 正照 → 若ノ海 照正 → 若ノ海 正照 | |||
本名 | 鎌田 周治 | |||
生年月日 | 1931年2月2日[1] | |||
没年月日 | 1999年5月3日(68歳没) | |||
出身 | 秋田県南秋田郡井川町 | |||
身長 | 169cm | |||
体重 | 114kg | |||
BMI | 39.91 | |||
所属部屋 | 芝田山部屋(のちに花籠部屋) | |||
得意技 | 左四つ、掛け投げ、内掛け、出し投げ、渡し込み | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東小結 | |||
生涯戦歴 | 482勝451敗1分21休(67場所) | |||
幕内戦歴 | 335勝368敗1分16休(48場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 幕下優勝1回 |
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賞 | 敢闘賞2回 技能賞1回 |
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データ | ||||
初土俵 | 1949年10月場所[1] | |||
入幕 | 1955年3月場所[1] | |||
引退 | 1963年11月場所[1] | |||
引退後 | 年寄・音羽山 | |||
備考 | ||||
金星6個(鏡里2個、栃錦2個、吉葉山1個、朝潮1個) | ||||
2013年9月9日現在 |
若ノ海 周治(わかのうみ しゅうじ、1931年2月2日 - 1999年5月3日)は、秋田県南秋田郡井川町出身で花籠部屋に(入門時は二所ノ関部屋、その後師匠の独立により転籍)所属していた大相撲力士。最高位は東小結(1960年3月場所)。本名は鎌田 周治(かまた しゅうじ)。現役時代の体格は169cm、114kg。得意手は左四つ、掛け投げ、内掛け、出し投げ、渡し込み。引退後は年寄として、後進の指導に尽力した[1]。
来歴[編集]
1949年10月場所、二所ノ関部屋から初土俵をふむ。大ノ海久光の内弟子であったので、大ノ海が引退して芝田山部屋(のちに花籠部屋に名称変更する)を興すと、兄弟子の若乃花とともに移籍した[1]。移籍したばかりの1952年9月場所には13勝2敗の好成績で幕下優勝をかざり、部屋の出発に花を添えた。
若乃花の猛稽古の相手をして実力を増し、1955年3月場所に新入幕、11勝4敗の好成績でいきなり敢闘賞を受賞すると、翌場所も11勝4敗の好成績で2場所連続で敢闘賞を受賞し、初めて上位に進出した1955年9月場所では4勝11敗と大きく負け越したが、横綱・吉葉山を初顔で破って初金星を挙げている。その後も幕内上位に定着し、1959年11月場所では12勝を挙げて技能賞を獲得している[1]。特に大関・松登には圧倒的に強く、通算で9勝3敗と大きく勝ち越しており、松登が大関にいた頃は1957年11月場所の一度の対戦のみだが下手捻りで勝利しており、松登が大関を陥落した後は顔が合う度にカモにしていた。また横綱・朝潮にも4勝8敗、横綱・鏡里には2勝3敗と健闘している。170cmにも満たない小兵力士であったが、懐に深く入っての掛け投げを得意とした[1]。幕内上位で12勝3敗の好成績を挙げたり、小結で勝ち越していながら最高位は小結にとどまったが、長く幕内で活躍し、花籠部屋のその後の興隆に貢献した。
1963年11月場所限りで引退し、その後は年寄・音羽山として後進の指導に努め、停年まで日本相撲協会に在籍した。なお、1957年1月場所から1958年3月場所まで荒岩を名乗っていた。
1999年5月3日、逝去。68歳没。
主な成績[編集]
- 通算成績:482勝451敗1分21休 勝率.517
- 幕内成績:335勝368敗1分16休 勝率.477
- 現役在位:67場所
- 幕内在位:48場所[1]
- 三役在位:3場所(小結3場所)
- 三賞:3回
- 敢闘賞:2回 (1955年3月場所、1955年5月場所)
- 技能賞:1回 (1959年11月場所)
- 金星:6個(鏡里2個、栃錦2個、吉葉山1個、朝潮1個)
- 各段優勝
- 十両優勝:1回 (1954年5月場所)
- 幕下優勝:1回 (1952年9月場所)
場所別成績[編集]
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1949年 (昭和24年) |
x | x | x | x | x | 東 番付外 3–3 |
1950年 (昭和25年) |
西 序ノ口 #5 12–3 |
x | 西 序二段 #4 7–8 |
x | 東 序二段 #5 9–6 |
x |
1951年 (昭和26年) |
東 三段目 #34 7–8 |
x | 西 三段目 #34 11–4 |
x | 東 三段目 #6 3–7–5 |
x |
1952年 (昭和27年) |
東 三段目 #25 5–3 |
x | 東 三段目 #11 6–2 |
x | 東 幕下 #33 優勝 13–2 |
x |
1953年 (昭和28年) |
東 幕下 #13 10–5 |
東 幕下 #4 5–3 |
西 幕下 #2 4–4 |
x | 西 幕下 #1 5–3 |
x |
1954年 (昭和29年) |
西 十両 #21 9–6 |
西 十両 #13 10–5 |
東 十両 #7 優勝 13–2 |
x | 西 十両 #2 7–8 |
x |
1955年 (昭和30年) |
東 十両 #3 11–4 |
西 前頭 #17 11–4 敢 |
東 前頭 #11 11–4 敢 |
x | 西 前頭 #3 4–11 ★ |
x |
1956年 (昭和31年) |
西 前頭 #8 9–6 |
東 前頭 #3 5–10 |
西 前頭 #7 4–11 |
x | 西 前頭 #15 10–5 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西 前頭 #4 6–9 ★ |
西 前頭 #7 5–7–3[2] |
西 前頭 #10 8–7 |
x | 西 前頭 #7 11–4 |
西 小結 5–10 |
1958年 (昭和33年) |
西 前頭 #3 5–8–2[3] ★ |
西 前頭 #6 6–9 |
西 前頭 #9 6–9 |
西 前頭 #14 10–5 |
西 前頭 #9 9–6 |
西 前頭 #5 7–8 |
1959年 (昭和34年) |
西 前頭 #6 9–6 ★ |
東 前頭 #3 7–6–2[4] |
西 前頭 #3 5–10 |
東 前頭 #7 6–9 |
東 前頭 #10 10–5 |
西 前頭 #2 12–3 技★ |
1960年 (昭和35年) |
東 張出小結 8–7 |
東 小結 6–9 |
西 前頭 #3 7–8 |
西 前頭 #4 7–8 |
東 前頭 #3 9–6 |
東 前頭 #1 5–10 ★ |
1961年 (昭和36年) |
東 前頭 #5 6–9 |
東 前頭 #7 4–11 |
西 前頭 #12 9–6 |
西 前頭 #8 8–7 |
東 前頭 #5 4–11 |
西 前頭 #11 7–8 |
1962年 (昭和37年) |
西 前頭 #12 8–7 |
西 前頭 #11 7–6–2[5] |
東 前頭 #9 6–9 |
西 前頭 #12 8–7 |
西 前頭 #8 9–6 |
西 前頭 #2 6–9 |
1963年 (昭和38年) |
西 前頭 #5 5–10 |
東 前頭 #8 8–7 |
東 前頭 #5 4–11 |
西 前頭 #10 9–6 |
西 前頭 #4 2–12 (引分1) |
西 前頭 #13 引退 2–6–7[6] |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名暦[編集]
- 南秋山(なんしゅうざん) 1948年10月場所-1951年1月場所
- 若ノ海 周治(わかのうみ しゅうじ) 1951年5月場所-1956年9月場所
- 荒岩 周治(あらいわ-) 1957年1月場所
- 荒岩 亀之助(-かめのすけ) 1957年3月場所-1958年3月場所
- 若ノ海 正照(-まさてる) 1958年5月場所-1958年9月場所
- 若ノ海 照正(-てるまさ) 1958年11月場所
- 若ノ海 正照(-まさてる) 1959年1月場所-1963年11月場所
年寄変遷[編集]
- 音羽山 竜宝 (1963年11月-1996年2月)