羽島山昌乃武

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羽嶋山 昌乃武
基礎情報
四股名 山内 昌乃武 → 羽嶋山 昌乃武 → 羽嶌山 昌乃武 → 羽嶋山 昌乃武 → 岐阜錦 昌乃武 → 羽嶋山 昌乃武
本名 山内 昌乃武
愛称 櫓山[1]
生年月日 (1922-04-23) 1922年4月23日
没年月日 (2011-06-13) 2011年6月13日(89歳没)
出身 岐阜県羽島郡桑原村(現・同県羽島市
身長 176cm
体重 120kg
BMI 38.74
所属部屋 出羽海部屋
得意技 左四つ、櫓投げ、上手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 西張出関脇
生涯戦歴 375勝349敗76休(61場所)
幕内戦歴 307勝315敗69休(48場所)
優勝 十両優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵 1939年5月場所
入幕 1945年6月場所
引退 1959年5月場所
引退後 年寄・松ヶ根
備考
金星5個(東富士2個、羽黒山1個、鏡里2個)
2014年3月7日現在

羽嶋山 昌乃武(はじまやま まさのぶ、1922年(大正11年)4月23日 - 2011年(平成23年)6月13日)は、岐阜県羽島郡桑原村(現・羽島市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は山内 昌乃武(やまうち まさのぶ)。身長176cm、体重120kg。最高位は西張出関脇(1956年(昭和31年)3月場所)。得意手は左四つ、櫓投げ、上手投げ。

一時期「羽島山」、「岐阜錦」を名乗った。

来歴・人物[編集]

17歳の時に出羽海部屋へ入門し、1939年(昭和14年)5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名でもある「山内」。以来順調に出世し、1945年(昭和20年)6月場所で新入幕を果たした(その間、初名の「山内」から「羽嶋山」→「羽島山」と2度四股名を変えた。入幕後、更に「岐阜錦」へ改名)。

「岐阜錦」を名乗っていた時期は、負傷が続き大負けして下位に落ちていた。四股名を従前の「羽嶋山」に戻した1949年(昭和24年)5月場所では13勝2敗という好成績を残し[1]、同部屋の大関・増位山との優勝決定戦に出場。決定戦には敗れて優勝同点に終わったものの、生涯唯一の三賞となった敢闘賞を受賞している。

腕力が強く櫓投げの大技を得意とし、稽古場で栃錦を振り回すほどの強力ぶり、腰が重い事から将来の大関と期待されていた。だが両膝関節を負傷し、特に左膝の状態は深刻で、左右3cm以上の横ずれがある程であったため自転車のチューブを使って常に固定しなければならなかった。しかし、上手投げや出し投げを巧みに使う取り口に変え、37歳まで相撲を取り続けた[1]。取り口の豪快さとは裏腹の枯れた土俵態度で古武士の風格をたたえており、人気があった。

現役晩年は幕尻近くまで番付を落とし、1959年(昭和34年)5月場所を最後に引退

引退後は年寄松ヶ根を襲名し、出羽海部屋付きの親方として後進を指導する傍ら、審判委員を長く務めた。1987年(昭和62年)4月、停年退職。

2011年(平成23年)6月13日午後8時38分、心筋梗塞のため東京都港区内の病院で亡くなった[2]。89歳没。

主な戦績[編集]

  • 通算成績:375勝349敗76休 勝率.518
  • 幕内成績:307勝315敗69休 勝率.494
  • 現役在位:61場所
  • 幕内在位:48場所
  • 三役在位:5場所(関脇1場所、小結4場所)
  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:1回(1949年5月場所)
  • 金星:5個(東富士2個、羽黒山1個、鏡里2個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回 (1945年11月場所)

場所別成績[編集]

羽嶋山 昌乃武
春場所 夏場所 秋場所
1939年
(昭和14年)
x (前相撲) x
1940年
(昭和15年)
東序ノ口21枚目
6–2 
西序二段30枚目
6–2 
x
1941年
(昭和16年)
東三段目53枚目
5–3 
東三段目17枚目
4–4 
x
1942年
(昭和17年)
東三段目16枚目
5–3 
東幕下28枚目
6–2 
x
1943年
(昭和18年)
東幕下11枚目
6–2 
東十両13枚目
4–4–7 
x
1944年
(昭和19年)
東幕下筆頭
6–2 
西十両6枚目
6–4 
西十両2枚目
6–4 
1945年
(昭和20年)
x 東前頭15枚目
1–6 
東十両3枚目
優勝
8–2
1946年
(昭和21年)
x 国技館修理
のため中止
東前頭12枚目
8–5 
1947年
(昭和22年)
x 西前頭5枚目
4–6 
西前頭5枚目
7–4 
1948年
(昭和23年)
x 東前頭筆頭
4–7 
西前頭5枚目
3–8 
1949年
(昭和24年)
西前頭11枚目
4–9 
西前頭17枚目
13–2[3]
西前頭4枚目
9–6
1950年
(昭和25年)
東小結
4–11 
西前頭4枚目
9–6 
東前頭筆頭
休場
0–0–15
1951年
(昭和26年)
東前頭9枚目
9–6 
西前頭6枚目
7–8 
西前頭6枚目
6–4–5[4]
1952年
(昭和27年)
西前頭4枚目
7–8 
東前頭5枚目
4–7–4[5] 
東前頭11枚目
休場
0–0–15
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1953年
(昭和28年)
西前頭18枚目
7–8 
西前頭19枚目
7–8 
東前頭20枚目
10–5 
x 東前頭13枚目
11–4 
x
1954年
(昭和29年)
東前頭4枚目
7–8
東前頭5枚目
9–6
西前頭筆頭
8–7 
x 西張出小結
6–9 
x
1955年
(昭和30年)
東前頭2枚目
8–7 
東前頭2枚目
7–8
東前頭3枚目
10–5 
x 東前頭筆頭
8–7 
x
1956年
(昭和31年)
東小結
9–6 
西張出関脇
7–8 
東張出小結
7–8 
x 西前頭筆頭
休場
0–0–15
x
1957年
(昭和32年)
東前頭9枚目
4–11 
西前頭13枚目
8–7 
東前頭12枚目
8–7 
x 西前頭9枚目
10–5 
西前頭2枚目
6–9 
1958年
(昭和33年)
東前頭4枚目
6–9 
東前頭7枚目
7–8 
東前頭8枚目
7–8 
東前頭9枚目
9–6 
東前頭5枚目
5–10 
西前頭9枚目
8–7 
1959年
(昭和34年)
東前頭8枚目
8–7 
西前頭6枚目
1–9–5[6] 
東前頭19枚目
引退
0–5–10[7]
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 山内 昌乃武(やまうち まさのぶ):1940年1月場所→1942年1月場所
  • 羽嶋山 昌乃武(はじまやま -):1942年5月場所→1944年11月場所、1946年11月場所→1948年5月場所、1949年5月場所→1959年5月場所
  • 羽嶌山 昌乃武(はじまやま -):1945年6月場所→1946年11月場所
  • 岐阜錦 昌乃武(ぎふにしき -):1948年10月場所→1949年1月場所

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p26
  2. ^ 雑誌『相撲』、ベースボール・マガジン社刊、2013年(平成25年)9月5日発売
  3. ^ 増位山と優勝決定戦
  4. ^ 左膝関節捻挫により10日目から途中休場
  5. ^ 慢性両膝関節捻挫により11日目から途中休場
  6. ^ 腎臓炎により10日目から途中休場
  7. ^ 両膝関節障害により5日目から途中休場