二瀬山勝語

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二瀬山 勝語 Sumo pictogram.svg
Futaseyama 1955 Scan10007.JPG
基礎情報
四股名 二瀬山 勝語
本名 楠田 文雄
愛称 張り手の…
生年月日 1921年8月7日
没年月日 (1975-10-14) 1975年10月14日(54歳没)
出身 大阪府東成郡
(現:大阪府大阪市東成区
身長 169cm
体重 108kg
BMI 37.81
所属部屋 朝日山部屋
得意技 突っ張り、左四つ、寄り、張り手
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭2枚目
生涯戦歴 311勝354敗3休(53場所)
幕内戦歴 187勝224敗3休(28場所)
データ
初土俵 1938年5月場所(前相撲)
入幕 1948年10月場所
引退 1958年5月場所
備考
金星3個(千代の山2個、東富士1個)
2013年7月28日現在

二瀬山 勝語(ふたせやま しょうご、1921年8月7日 - 1975年10月14日)は、大阪府東成郡(現:大阪府大阪市東成区)出身の元大相撲力士。本名は楠田 文雄(くすだ ふみお)。

来歴[編集]

1921年8月7日大阪府東成郡(現:大阪府大阪市東成区)で生まれる。同郷だった鉄甲宗五郎の弟の世話によって朝日山部屋へ入門、1938年5月場所で初土俵を踏んだ。大きな勝ち越しが無くスピード出世とは行かないものの、地道な努力で1944年1月場所では東幕下21枚目まで番付を上げ、この場所を5勝3敗と勝ち越した。しかし、第二次世界大戦による戦局悪化によって兵役へ取られ、の海兵団へ入営した。しかし、呉は相撲が盛んだったことと体格が水兵と大して変わらないことから毎日稽古に駆り出され、ここでの猛稽古がのちに長く幕内を務める力量へ繋がる。1946年11月場所において西幕下2枚目格番付外で復帰、1947年6月場所で新十両昇進、1948年10月場所で新入幕を果たした。

小兵だが上位力士が相手でも容赦なく張り手を繰り出す、闘志を全面に出す取り口で、1952年1月場所では鏡里喜代治を張り手一発で破ったほどだった(鏡里は胡座で座ったまま暫く動けなかったと伝わる)[1]。このように張り手こそが二瀬山最大の武器と思われがちだが、重心の低さを生かした左四つからの吊り出しうっちゃりも上手かったという。しかし十両では、土俵で塩を取りに行く際に腕をぐるぐる回したり、首を左右に振ったり、足首を爪先立ちして捻ったりと動作に落ち着きが無かった。

1953年1月場所では初日に鏡里喜代治を破ったほか(この場所で優勝した鏡里にとって唯一の黒星だった)、同場所4日目には羽黒山政司と対戦した際に、口の中へ入った羽黒山の親指をとっさに噛んで骨折させてしまった(結果は羽黒山の勝利)[1]。同場所5日目には東富士欽壹と対戦して勝利し、8勝7敗と勝ち越したものの三賞受賞は見送られ、最終的に引退まで受賞できなかった。横綱・大関を倒す力量はあったが、なかなか幕内上位では勝ち越せなかった。1951年1月場所では千秋楽に8日目から7連勝して7勝7敗の栃錦清隆と対戦し、二度の水入りが入る大相撲を演じた。結果出し投げで敗れはしたものの、後年になって「力士生活の中で一番の思い出が、栃錦との一番だ」と語っている。吉井山に強く、10戦して全勝している。

1958年5月場所を最後に現役を引退し、年寄・大鳴戸を襲名と同時に独立して部屋を創立させた。しかし創立直後に師匠・朝日山が急逝したことを受けて、二つの部屋を合併して「新・朝日山部屋」を誕生させた。年寄としては先代・朝日山から引き継いだ高鐵山孝之進を関脇まで昇進させたほか、大鳴戸としての直弟子である若二瀬唯之を小結へ、沖縄県出身の初の幕内力士である琉王[2]1974年にはトンガ王国から6人の弟子を入門させて話題になるなど、個性的な力士を多数育成した[1]

1975年10月14日に死去、54歳没。部屋は弟子の若二瀬が継承した。 [3]

主な成績[編集]

  • 通算成績:311勝354敗3休 勝率.468
  • 幕内成績:187勝224敗3休 勝率.455
  • 通算在位:53場所
  • 幕内在位:28場所
  • 金星:3個(千代の山2個、東富士1個)
二瀬山 勝語
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1938年
(昭和13年)
x x (前相撲) x x x
1939年
(昭和14年)
(前相撲) x 西序ノ口3枚目
3–5 
x x x
1940年
(昭和15年)
東序二段76枚目
4–4 
x 西序二段52枚目
6–2 
x x x
1941年
(昭和16年)
東序二段9枚目
5–3 
x 東三段目31枚目
4–4 
x x x
1942年
(昭和17年)
西三段目20枚目
6–2 
x 西幕下35枚目
3–5 
x x x
1943年
(昭和18年)
西幕下44枚目
4–4 
x 東幕下36枚目
5–3 
x x x
1944年
(昭和19年)
東幕下21枚目
5–3 
x x x x x
1945年
(昭和20年)
x x x x x x
1946年
(昭和21年)
x x x x x 西幕下2枚目
5–2 
1947年
(昭和22年)
x x 西十両8枚目
5–5 
x x 東十両5枚目
6–5 
1948年
(昭和23年)
x x 西十両3枚目
7–4 
x 東前頭21枚目
6–5 
x
1949年
(昭和24年)
西前頭16枚目
7–6 
x 西前頭13枚目
6–9 
x 東前頭16枚目
9–6 
x
1950年
(昭和25年)
西前頭10枚目
7–8 
x 東前頭11枚目
5–10 
x 東前頭16枚目
9–6 
x
1951年
(昭和26年)
西前頭11枚目
5–10 
x 西前頭15枚目
8–7 
x 東前頭10枚目
10–5 
x
1952年
(昭和27年)
西前頭2枚目
5–10 
x 東前頭6枚目
6–9
x 東前頭9枚目
9–6 
x
1953年
(昭和28年)
西前頭4枚目
8–7
西前頭2枚目
4–11
西前頭6枚目
5–10 
x 東前頭10枚目
7–8 
x
1954年
(昭和29年)
東前頭12枚目
8–7 
西前頭11枚目
11–4 
東前頭4枚目
2–13 
x 東前頭12枚目
5–10 
x
1955年
(昭和30年)
東前頭19枚目
10–5 
東前頭13枚目
10–5 
西前頭7枚目
5–10 
x 東前頭13枚目
8–7 
x
1956年
(昭和31年)
西前頭11枚目
6–9 
西前頭14枚目
3–9–3[4] 
西張出前頭
3–12[5] 
x 西十両6枚目
4–11 
x
1957年
(昭和32年)
西十両13枚目
6–9 
東十両16枚目
8–7 
東十両14枚目
9–6 
x 西十両8枚目
6–9 
西十両12枚目
7–8 
1958年
(昭和33年)
東十両15枚目
7–8 
東十両16枚目
6–9 
西十両21枚目
引退
3–12–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

関連項目[編集]

 出典 [編集]

  1. ^ a b c 『大相撲ジャーナル』2017年6月号108頁
  2. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p77
  3. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709
  4. ^ 右膝関節打撲により3日目から途中休場、7日目から再出場
  5. ^ 21枚目格

外部リンク[編集]