出羽疾風龍二
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基礎情報 | ||||
四股名 | 出羽疾風 龍二 | |||
本名 | 鈴木 竜一 | |||
愛称 | スズやん | |||
生年月日 | 1989年1月31日(29歳) | |||
出身 | 愛知県岡崎市 | |||
身長 | 176cm | |||
体重 | 128kg | |||
BMI | 41.32 | |||
所属部屋 | 出羽海部屋 | |||
得意技 | 左前ミツ、寄り、投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東幕下2枚目 | |||
最高位 | 東十両9枚目 | |||
生涯戦歴 | 326勝300敗3休(84場所) | |||
優勝 | 幕下優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2004年3月場所 | |||
趣味 | スポーツ全般(特に格闘技観戦) | |||
備考 | ||||
2018年3月25日現在 |
出羽疾風 龍二(でわはやて りゅうじ、1989年1月31日 - )は、愛知県岡崎市出身で出羽海部屋所属の現役大相撲力士。身長176cm、体重128kg。本名は鈴木 竜一(すずき りゅういち)。最高位は東十両9枚目(2016年5月場所)。好物はオムライス、趣味はスポーツ全般(特に格闘技観戦)。[1]
来歴[編集]
2人兄弟の弟として生まれた。岡崎市立六ツ美北部小学校3年次から岡崎市立六ツ美北中学校卒業まで野球に親しんでいた。守備位置は主に左翼手。ボクシング観戦を趣味としていた兄の影響を受けて格闘技に興味を抱き、父親が好角家だったため、中学校3年の修学旅行の際に自由行動で出羽海部屋の稽古を見学。一番下の力士になら勝てるのではないかと思い、当時の出羽海(関脇・鷲羽山)に入門を希望した。2003年8月に体験入門で初めて廻しを占めたところ全く勝つことは出来なかったが、意志は固く入門への決意は揺らぐことなく、2004年3月場所に鈴の海の四股名で初土俵を迎えた。同期生には豊真将、木村山、磋牙司、里山、大岩戸らがいる。[2]部屋付きの中立(元小結・小城錦)から「親方衆にアドバイスされたことを、自分なりの解釈でやろうとしている。」と評される有望株であり[3]、稽古と研究の成果として前ミツ相撲での寄りや投げで白星を多く上げる形で表われている。早い相撲を取れという先代師匠の思いが籠っている「出羽疾風」の四股名の通りに相手の懐に素早く飛び込んで攻める部分もあり、本人も「先代のように、小さくても動き回って相手を翻弄する相撲を取りたい。どんどん上を見て頑張りたい」と自覚するところを語ったことがある。[4]2006年7月場所から2011年1月場所まで出羽疾風竜一の四股名で土俵に上がり、2011年5月技量審査場所からは下の名前を龍二に改名。改名した2011年5月場所に西三段目4枚目だった番付は同年9月場所に自己最高位の西幕下19枚目まで上昇し、以降幕下から落ちる事無く2013年9月場所には東幕下5枚目まで番付を上げ、関取昇進が期待される地位まで近づいた。
2014年3月に通信教育でNHK学園高校を卒業した。[5]同年5月場所は西幕下11枚目の地位で5勝2敗の成績を挙げて翌7月場所は最高位を西幕下4枚目まで上げる。この場所は4勝3敗の勝ち越しを収めるも、場所後の十両昇進は番付上位の幕下力士4人にさらわれた。その次の9月場所は東幕下2枚目まで最高位を更新し、この場所も4勝3敗とすると、場所後の番付編成会議で新十両昇進が決定した。出羽海部屋からは普天王が2010年に幕下へ落ちて関取が不在となって以来、4年ぶりの関取復活となった。[6]新十両会見では辞めたくなるたびに母親に電話すると「つらかったら、いつでも帰っておいで」と言う声にかえって耐える気力が湧き出たことなどを話した。[7]この年の2月に部屋を継承した11代出羽海(幕内・小城乃花)が育てた初の関取でもる。愛知県からの新十両は、2010年11月場所の明瀬山以来戦後25人目。しかしこの場所の2日目には栃飛龍戦で突き落としに敗れた際に足首を負傷し、3日目より途中休場。[8]全治2週間の診断が下った怪我であったが、6日目から再出場。[9]結果として場所を5勝8敗2休で終えた(うち1敗は不戦敗)。幕下に陥落した2015年1月場所も負け越したが、続く3月場所では東幕下13枚目で7戦全勝とし、自身初の各段優勝となる幕下優勝。翌5月場所では十両に復帰し、[10]自己最高位を更新する東十両12枚目の地位についた。この場所の3日目から3日間、母親が上京して観戦したが場所成績は4勝11敗と振るわず幕下へ戻ることとなった。[11]入れ替わりで弟弟子の御嶽海が十両、そして幕内へと上がっていく中で3場所の幕下暮らしとなったが、幕内に定着して母を東京に呼んで2人で暮らすことを目標として奮起。[12]同年11月場所を東幕下4枚目で4勝3敗とすると、十両下位の成績不振者が多かったこともあり、2016年1月場所で十両に復帰することになった。[13]この場所では8勝7敗で、関取として初めての勝ち越しを決めた。3月場所も勝ち越して自己最高位を東十両9枚目まで更新するが、5月場所から4場所連続負け越して2017年1月場所は東幕下17枚目まで後退、この場所は5勝2敗で5場所ぶりの勝ち越し。3月場所では6番目を終わって5勝1敗の好成績であり、13日目に組まれた7番目の阿炎(阿炎は6連勝だったが星違いで組まれた)戦に勝てば、自身も含めた6勝1敗8人による優勝決定戦になるところだったが、敗れてしまい幕下優勝はならなかった。2018年1月場所は西幕下13枚目の地位で6勝1敗であったが、幕下で1場所6勝以上を挙げたのは2015年3月場所(上述)以来。前廻しを引いての攻めが鋭く、本人は「場所に入ったら体がよく動いてくれた。今場所はあまり緊張せず、自分の相撲を取ることができた」と納得していた[14]。
主な成績[編集]
2018年3月場所終了現在
- 通算成績:326勝300敗3休(86場所)
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(2015年3月場所)
場所別成績[編集]
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2004年 (平成16年) |
x | (前相撲) | 西 序ノ口 #30 5–2 |
東 序二段 #111 2–5 |
西 序ノ口 #7 4–3 |
西 序二段 #98 4–3 |
2005年 (平成17年) |
西 序二段 #71 2–5 |
西 序二段 #104 5–2 |
西 序二段 #51 3–4 |
東 序二段 #71 3–4 |
西 序二段 #94 5–2 |
東 序二段 #51 2–5 |
2006年 (平成18年) |
東 序二段 #86 6–1 |
東 序二段 #10 3–4 |
西 序二段 #34 2–5 |
西 序二段 #67 3–4 |
西 序二段 #91 5–2 |
西 序二段 #47 5–2 |
2007年 (平成19年) |
東 序二段 #9 5–2 |
東 三段目 #78 3–4 |
東 三段目 #95 4–3 |
西 三段目 #74 4–3 |
東 三段目 #55 3–4 |
東 三段目 #73 3–4 |
2008年 (平成20年) |
東 三段目 #84 3–4 |
東 三段目 #97 6–1 |
西 三段目 #36 3–4 |
東 三段目 #53 4–3 |
西 三段目 #37 5–2 |
東 三段目 #8 5–2 |
2009年 (平成21年) |
西 幕下 #50 2–5 |
東 三段目 #14 5–2 |
西 幕下 #50 1–6 |
東 三段目 #26 4–3 |
西 三段目 #13 3–4 |
西 三段目 #26 4–3 |
2010年 (平成22年) |
西 三段目 #15 4–3 |
西 三段目 #5 2–5 |
東 三段目 #29 4–3 |
西 三段目 #16 5–2 |
西 幕下 #50 3–4 |
東 三段目 #1 3–4 |
2011年 (平成23年) |
西 三段目 #17 4–3 |
八百長問題 により中止 |
西 三段目 #4 5–2 |
西 幕下 #33 5–2 |
西 幕下 #19 3–4 |
西 幕下 #24 4–3 |
2012年 (平成24年) |
西 幕下 #20 2–4–1 |
西 幕下 #34 4–3 |
東 幕下 #30 3–4 |
東 幕下 #36 3–4 |
西 幕下 #46 3–4 |
西 幕下 #57 4–3 |
2013年 (平成25年) |
西 幕下 #48 6–1 |
東 幕下 #20 5–2 |
西 幕下 #9 4–3 |
西 幕下 #7 4–3 |
東 幕下 #5 2–5 |
西 幕下 #14 4–3 |
2014年 (平成26年) |
西 幕下 #10 3–4 |
西 幕下 #15 4–3 |
西 幕下 #11 5–2 |
西 幕下 #4 4–3 |
東 幕下 #2 4–3 |
東 十両 #14 5–8–2[15] |
2015年 (平成27年) |
西 幕下 #3 2–5 |
東 幕下 #13 優勝 7–0 |
東 十両 #12 4–11 |
西 幕下 #4 4–3 |
東 幕下 #1 3–4 |
東 幕下 #4 4–3 |
2016年 (平成28年) |
西 十両 #14 8–7 |
東 十両 #13 9–6 |
東 十両 #9 7–8 |
東 十両 #11 3–12 |
東 幕下 #5 2–5 |
東 幕下 #12 3–4 |
2017年 (平成29年) |
東 幕下 #17 5–2 |
西 幕下 #10 5–2 |
東 幕下 #7 3–4 |
東 幕下 #13 4–3 |
東 幕下 #11 4–3 |
西 幕下 #9 3–4 |
2018年 (平成30年) |
西 幕下 #13 6–1 |
東 幕下 #2 3–4 |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴[編集]
- 鈴の海 竜一(すずのうみ りゅういち)2004年3月場所 - 2006年5月場所
- 出羽疾風 竜一(でわはやて りゅういち)2006年7月場所 - 2011年1月場所
- 出羽疾風 龍二(でわはやて りゅうじ)2011年5月技量審査場所 -
脚注[編集]
- ^ 出羽海部屋ホームページ
- ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年11月号(九州場所展望号) 36頁
- ^ 『相撲』2012年1月号50頁 明日の関取を探せ
- ^ 出羽疾風「長かった」=名門部屋に関取復活-大相撲新十両 時事通信 2014/10/01-17:19
- ^ イースト・プレス刊 『NHK G-Media 大相撲ジャーナル』 2014年6月号(夏場所展望号) 112頁
- ^ 新十両の出羽疾風、母に支えられた10年 日刊スポーツ 2014年10月1日(2014年10月1日閲覧)
- ^ 新十両の出羽疾風、母に支えられた10年 nikkansports.com 2014年10月1日17時47分
- ^ 出羽疾風が休場 足首を負傷 nikkansports.com 2014年11月11日11時4分
- ^ 十両出羽疾風が再出場 九州場所6日目から[リンク切れ] 中日新聞 2014年11月13日 17時15分
- ^ 春場所、幕下は出羽疾風が優勝 三段目は千代の国が制す Archived 2015年4月2日, at the Wayback Machine. 東京新聞 2015年3月20日(2015年3月20日閲覧)
- ^ 『相撲』2015年6月号73ページ
- ^ 【新風力士】出羽疾風 母と暮らすため幕下Vから幕内目指す Sponichi Annex 2015年3月21日 08:00
- ^ 剣翔、千代翔馬が新十両昇進 再十両は千代の国、出羽疾風 SANSPO.COM 2015年11月25日(2015年11月25日閲覧)
- ^ 『相撲』2018年3月号 p.75
- ^ 左足関節捻挫により3日目より途中休場。6日目から再出場。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 出羽疾風(でわはやて) - 出羽海部屋公式サイト
- 出羽疾風 龍二 - 日本相撲協会
- 出羽疾風 龍二 - 相撲レファレンス
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東 | 番付 | 西 | ||||||
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横綱 |
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三役 | ||||||||
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大関 |
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関脇 |
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逸ノ城 | 小結 | 千代大龍 | ||||||
平幕 | ||||||||
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幕内前頭 |
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十両 | ||||||||
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十枚目 |
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関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||||||||
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