飛天龍貴信

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飛天龍 貴信 Sumo pictogram.svg
Hitenryu 2011 Sep.JPG
基礎情報
四股名 持丸 → 桃持丸 → 挑持丸 → 豊丸 → 持丸 → 飛天龍
本名 持丸 貴信
生年月日 (1984-06-16) 1984年6月16日(33歳)
出身 福岡県福岡市南区
身長 188cm
体重 188kg
BMI 46.12
所属部屋 立浪部屋
得意技 なまくら四つ・がぶり寄り
成績
現在の番付 西三段目18枚目
最高位 十両13枚目
生涯戦歴 386勝356敗24休(108場所)
データ
初土俵 2000年3月場所
備考
2018年4月30日現在

飛天龍 貴信(ひてんりゅう たかのぶ、1984年6月16日 - )は、福岡県福岡市南区出身の現役大相撲力士。本名は持丸 貴信(もちまる たかのぶ)。身長188センチ、188キロ、血液型A型、立浪部屋所属。最高位は東十両13枚目(2011年7月場所)。

来歴[編集]

中学生時代は地元の福岡市内で九州場所が開催されるたびに立浪(当時は準年寄)から毎日の如く呼び掛けを受け、この熱意に動かされて入門を決意。同期生に若乃島史也や希帆ノ海がいる。幕下で足踏みするが八百長大量引退もあり2011年5月の技量審査場所で東幕下10枚目で4勝3敗で十両に昇進[1]。新十両の場所は中盤まで6勝4敗だったがその後5連敗して負け越したものの残留。しかし翌場所も負け越し幕下に陥落する。2012年7月の4番相撲で左肩腱板断裂の大怪我をして以降休場を続け、2013年3月場所で復帰した時には序二段まで落ちていた。復帰場所は3番相撲で川下に敗れてしまい6勝1敗だったが、この場所は序二段で全勝者がいなかったため、6勝1敗9人によるトーナメント方式の優勝決定戦に進出。1回戦で玉皇に勝ち、2回戦(進出者5人)はくじ運良く不戦勝、3人による巴戦形式で行われた決勝戦に駒を進めたが、後輩の鬼怒ノ浪に敗れ序二段優勝とはならなかった。同年9月場所で東三段目16枚目の地位で6勝の好成績をあげたため、ご当所場所の翌11月場所には幕下に復帰した。しばらくは幕下と三段目の往復が続いて2015年3月場所には幕下で7戦全敗を喫して翌5月場所は三段目に陥落以降は勝ち越しを続け11月場所には3年余り以来の幕下15枚目以内に復帰する。[2]

エピソード[編集]

  • 「飛天龍」の四股名は同部屋の35代木村庄之助が命名した[3]
  • 2017年3月場所に同部屋に入門した上戸は、当初プロレスラー志願で同年1月にノアの練習生テストを受けたが落ち、LINEで知り合った飛天龍に誘われて角界入りしたという[4]

略歴[編集]

  • 初土俵:2000年3月場所
  • 序ノ口:2000年5月場所
  • 序二段:2000年7月場所
  • 三段目:2002年1月場所
  • 幕下:2004年7月場所
  • 十両:2011年7月場所

通算成績[編集]

2018年3月場所終了現在

  • 通算成績:386勝356敗24休(108場所)
  • 十両成績:11勝19敗(2場所)

場所別成績[編集]

  

飛天龍貴信
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2000年
(平成12年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #26
4–3 
東 序二段 #143
4–3 
西 序二段 #112
2–5 
東 序ノ口 #4
4–3 
2001年
(平成13年)
西 序二段 #102
3–4 
東 序二段 #116
5–2 
西 序二段 #73
3–4 
東 序二段 #85
5–2 
西 序二段 #44
3–4 
西 序二段 #61
6–1 
2002年
(平成14年)
西 三段目 #92
5–2 
西 三段目 #58
2–5 
西 三段目 #85
3–4 
西 三段目 #96
5–2 
西 三段目 #61
4–3 
東 三段目 #46
3–4 
2003年
(平成15年)
西 三段目 #61
4–3 
東 三段目 #46
5–2 
東 三段目 #22
2–5 
西 三段目 #47
5–2 
西 三段目 #19
3–4 
西 三段目 #32
3–4 
2004年
(平成16年)
東 三段目 #43
5–2 
西 三段目 #17
2–5 
東 三段目 #39
6–1 
西 幕下 #53
2–5 
東 三段目 #16
4–3 
西 三段目 #5
4–3 
2005年
(平成17年)
東 幕下 #57
4–3 
西 幕下 #48
4–3 
西 幕下 #39
4–3 
西 幕下 #30
4–3 
東 幕下 #24
4–3 
西 幕下 #18
2–5 
2006年
(平成18年)
西 幕下 #34
5–2 
東 幕下 #24
3–4 
東 幕下 #32
5–2 
西 幕下 #21
3–4 
西 幕下 #30
3–4 
東 幕下 #37
2–4–1 
2007年
(平成19年)
東 三段目 #1
5–2 
西 幕下 #42
4–3 
東 幕下 #37
4–3 
東 幕下 #29
3–4 
東 幕下 #38
5–2 
西 幕下 #24
3–4 
2008年
(平成20年)
西 幕下 #33
2–5 
西 幕下 #50
3–4 
東 三段目 #2
5–2 
西 幕下 #42
6–1 
西 幕下 #16
5–2 
西 幕下 #6
3–4 
2009年
(平成21年)
西 幕下 #12
4–3 
東 幕下 #10
4–3 
西 幕下 #3
2–5 
東 幕下 #11
3–4 
西 幕下 #18
4–3 
東 幕下 #13
4–3 
2010年
(平成22年)
東 幕下 #12
2–5 
東 幕下 #22
3–4 
西 幕下 #28
5–2 
東 幕下 #21
6–1 
東 幕下 #5
2–5 
西 幕下 #12
5–2 
2011年
(平成23年)
東 幕下 #4
3–5 
八百長問題
により中止
東 幕下 #10
4–3 
東 十両 #13
6–9 
西 十両 #14
5–10 
西 幕下 #5
3–4 
2012年
(平成24年)
西 幕下 #8
5–2 
東 幕下 #3
2–5 
西 幕下 #11
3–4 
東 幕下 #14
1–4–2 
東 幕下 #35
休場
0–0–7
西 三段目 #15
休場
0–0–7
2013年
(平成25年)
東 三段目 #76
休場
0–0–7
東 序二段 #36
6–1 
西 三段目 #69
5–2 
西 三段目 #39
5–2 
東 三段目 #16
6–1 
西 幕下 #39
2–5 
2014年
(平成26年)
東 幕下 #53
6–1 
西 幕下 #26
2–5 
西 幕下 #44
2–5 
西 三段目 #5
3–4 
西 三段目 #18
4–3 
東 三段目 #7
5–2 
2015年
(平成27年)
西 幕下 #45
4–3 
西 幕下 #36
0–7 
西 三段目 #14
5–2 
西 幕下 #50
6–1 
西 幕下 #23
5–2 
東 幕下 #10
0–7 
2016年
(平成28年)
西 幕下 #45
3–4 
西 幕下 #54
4–3 
西 幕下 #44
2–5 
東 三段目 #4
3–4 
東 三段目 #20
5–2 
西 幕下 #57
3–4 
2017年
(平成29年)
東 三段目 #6
2–5 
東 三段目 #30
4–3 
東 三段目 #15
5–2 
西 幕下 #51
2–5 
東 三段目 #17
5–2 
東 幕下 #55
2–5 
2018年
(平成30年)
東 三段目 #19
3–4 
東 三段目 #33
4–3 
西 三段目 #18
 
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 持丸 貴信(もちまる たかのぶ)2000年3月場所-2000年9月場所、2007年1月場所-2011年5月場所
  • 桃持丸 聖童(ちょうじまる せいどう)2000年11月場所[5]
  • 挑持丸 聖童(ちょうじまる せいどう)2001年1月場所-2004年7月場所
  • 豊丸 貴信(ゆたかまる たかのぶ)2004年9月場所-2006年11月場所
  • 飛天龍 貴信(ひてんりゅう たかのぶ)2011年7月場所-

脚注[編集]

  1. ^ 時事ドットコム:十両昇進力士=大相撲番付編成会議(2011年5月25日閲覧)
  2. ^ 『相撲』2015年6月号98ページ
  3. ^ 飛天龍、木村庄之助が名付け親に/大相撲 サンケイスポーツ(2011年5月25日閲覧)
  4. ^ 週刊ポスト2017年4月28日号
  5. ^ 本来は「挑持丸」の予定だったが番付表上では「桃持丸」と誤記。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]