大佛次郎

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大佛 次郎
(おさらぎ じろう)
Jiro Osaragi 1925.jpg
大佛次郎(1925年)
ペンネーム 由比 浜人
阪下 五郎
安里 礼次郎
流山 龍太郎
八木 春泥
白馬亭 去来
須田 紋太郎
浪子 燕青
元野 黙阿弥
瓢亭 白馬
清本 北洲
田村 宏
三並 喜太郎
吉岡 大策
赤松 繁俊
高橋 益吉
浄明寺 三郎
赤城 和夫
誕生 1897年10月9日
日本の旗 日本神奈川県横浜市英町
死没 (1973-04-30) 1973年4月30日(満75歳没)
職業 小説家ノンフィクション作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 学士法学
最終学歴 東京帝国大学法学部政治学科
活動期間 1924年 - 1973年
ジャンル 小説
ノンフィクション
主題 日本の近代化
代表作 鞍馬天狗』(1924年 - 1965年)
赤穂浪士』(1929年)
『帰郷』(1949年)
パリ燃ゆ』(1964年、ノンフィクション)
天皇の世紀』(1969年 - 1973年、ノンフィクション)
主な受賞歴 日本芸術院賞(1950年)
文化勲章(1964年)
朝日文化賞(1965年)
デビュー作 『一高ロマンス』
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大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年明治30年)10月9日 - 1973年昭和48年)4月30日[1]は、日本作家。神奈川県出身、本名は野尻 清彦(のじり きよひこ)[2]。『鞍馬天狗』シリーズの作者として有名な他、歴史小説、ノンフィクション、さらには新作歌舞伎[3]童話などまでを幅広く手がけた。作家の野尻抱影(正英)は兄。

生涯[編集]

生い立ち[編集]

神奈川県横浜市英町(現中区 (横浜市))に生まれた。道成寺の山門の再建や本堂の修復などを手がけた宮大工・仁兵衛の子孫にあたる。父政助は1850年(嘉永3年)5月27日、紀伊国日高郡藤井村(現和歌山県御坊市藤田町)で源兵衛の長男として生まれ、19歳の時に明治維新を経験して「狭いふるさとを出て、広い世界で活躍したい」と、和歌山市の倉田塾(吹上神社の神主・倉田績の家塾)に入り、その後日本郵船に入社、勤勉実直な人だった。[4][5]清彦が生まれた時は単身赴任で宮城県石巻支店に勤務しており、その後四日市に移った。『文芸倶楽部』に狂歌を投書して入選するなど文芸趣味の持ち主でもあった。

横浜市立太田尋常小学校に入学後、二人の兄が東京の大学に通うために、数か月で東京に転居し、津久戸小学校に転校。『少年世界』に「二つの種子」と題する作文を投書し、『少年傑作集』(1908年)に掲載された。1909年に父が定年退職して一緒に住むことになり、白金に転居、白金小に転校。 東京府立一中時代の1912年に兄正英が結婚し、その親戚付き合いで伊藤一隆の子供たちなどとも親しくなった。外交官を目指して一高の仏法課入学、寄宿寮に入り、野球水泳に熱中し、歴史と演劇に関心を持ち、知遇のあった博文館の竹貫佳水が雑誌『中学世界』の主筆になった縁で、1916年に一高の寮生活をルポルタージュ風にまとめた小説「一高ロマンス」を連載して1917年に出版。

東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大学では東大教授吉野作造が右翼団体浪人会と対決した浪人会事件では吉野の応援に駆けつけた。また有島武郎の「草の葉会」に出席したり、『中央美術』誌に翻訳を寄稿。本代のかさむのに窮し、兄抱影が編集長となっていた研究社の雑誌『中学生』に、海外の伝奇小説の抄訳や、野球小説の創作を掲載した。仲間と劇団「テアトル・デ・ビジュウ」を結成、畑中蓼坡による民衆座の公演「青い鳥」にも協力・参加し、これに光の精役で出演していた吾妻光(本名・原田酉子)と、1921年2月に学生結婚する。同年にはロマン・ロラン『先駆者』を翻訳して出版、また菅忠雄らと同人誌『潜在』結成。卒業後、菅忠雄の紹介で鎌倉高等女学校(現・鎌倉女学院高等学校)教師となった。1922年に外務省条約局嘱託となり[6]、翻訳の仕事に就く。博文館の鈴木徳太郎の知遇を得て『新趣味』誌にサバチニ、ゴーグら海外の大衆小説の翻訳・翻案小説を書いた。

時代小説作家デビュー[編集]

1923年に鎌倉高等女学校を退職するが、関東大震災の影響で『新趣味』も廃刊になり、娯楽雑誌『ポケット』誌に移った鈴木徳太郎から時代小説の依頼を受け、ポーの「ウィリアム・ウィルソン」からヒントを得た『隼の源次』を発表。この時に初めて、当時鎌倉市長谷大仏の裏手に住んでいたことに由来する「大佛次郎」のペンネームを使い、以後これが彼の主なペンネームとなった。続いてゴーグ「夜の恐怖」の舞台を幕末に移した「鬼面の老女」を掲載して評価を受け、これに登場する鞍馬天狗という怪人を主人公とする連続もの「幕末秘史 快傑鞍馬天狗」を執筆する。[7] 1927年(昭和2年)には少年向けの鞍馬天狗もの『角兵衛獅子』を発表。以後1959年発表の『深川物語』『西海道中記』、1965年の『新・鞍馬天狗 地獄太平記』まで、長短47篇が書き継がれた。また1927年に東京日日新聞に連載した『赤穂浪士』は、虚無的な剣客堀田隼人という架空の人物の目を通して、元禄時代や執筆当時の世相と体制への批判的な視点を持ち込んだことで画期的なものと言われ[8]、単行本化されて数ヶ月で60版を重ねる人気となった[9]。この『赤穂浪士』で1928年に文芸家協会より渡辺賞を贈られ、また沢田正二郎により新国劇で上演された。

ノンフィクションと戦後[編集]

1930年には、フランス第三共和政を題材にしたノンフィクション『ドレフュス事件』を発表。1931年から横浜のホテルニューグランドを仕事場とし、『白い姉』、横浜を舞台にした『霧笛』などの現代小説を発表。1933年に書いたロシアのテロリスト・カリャーエフによるセルゲイ大公暗殺事件を描いた「詩人」は、日本におけるテロリズム批判の姿勢を表していたが、検閲により大幅に削除されて『改造』に掲載された。カメラに凝り、鎌倉写友会を結成。1935年に芥川賞直木賞が創設されると、直木賞選考委員となる。1938年に日本文学振興会が創設されると評議員に就任。1940年には文藝春秋社の報道班員として中国宜昌戦線に赴き、また文芸銃後運動講師として満州朝鮮にも渡った。1943年末から44年初めまで、同盟通信社の嘱託として南方マレースマトラなど東南アジア各地を訪問した[10][11]。その後は日記をつけ始め、また朝日新聞連載の後藤又兵衛の一代記『乞食大将』(1945年に用紙不足のため中絶)、『少年倶楽部』連載の『楠木正成』の執筆を続けた。[10]。1942年に大政翼賛会の支部である鎌倉文化聯盟が結成されると、久米正雄の依頼で文学部長に就任。1945年に設立された鎌倉文庫にも協力した。

戦後8月19日に玉音放送の感想「英霊に詫びる」の第1回を朝日新聞に掲載(第2回以降は宍倉恒常、吉川英治中村直勝)。次いで東久邇宮内閣の参与に招聘され、「新文明建設」という役割を与えられて、復興のための強い意欲を持って準備を始め、治安維持法の廃止、世論調査所の設置、スポーツの振興などを提言するが、内閣は1ヶ月半で総辞職してしまう。1946年に、戦前寄稿していて愛読者でもあった雑誌『苦楽』を復刊させ、人気となるが、戦後の用紙割当てに絡む出版不況のあおりで経営は悪化し、自身の原稿料も運営に充てていたが、1949年に廃刊した。1946年には研究社の『学生』の主筆となり、1949年まで「鎌倉通信」を連載する。

1948年に発表した『帰郷』で日本芸術院賞受賞。1951年に初の戯曲『楊貴妃』を書き、尾上菊五郎劇団によって歌舞伎座で上演、1952年からは市川海老蔵(十一世團十郎)のための戯曲「若き日の信長」などを執筆。

晩年[編集]

1954年に胃潰瘍で入院、手術。1956年には喉頭癌の疑いで手術し、これを機に禁煙する。1960年から日本芸術院会員。1961年神奈川文化賞受賞、また1961年にフランスに渡りパリ・コミューン調査を行い、『パリ燃ゆ』執筆開始。1962年に第1回科学者京都会議に出席、湯川秀樹らと核実験停止、軍縮、平和運動に加わった。1964年文化勲章、1965年朝日文化賞受賞。1967年に明治100年を記念した朝日新聞の企画で、朝日新聞に『天皇の世紀』連載開始。

大佛次郎記念館(横浜市)

1968年明治100年記念芸術祭特別公演として『三姉妹』が上演される。1969年に劇作活動により菊池寛賞受賞、『モラエス全集』によりポルトガル文化勲章受賞。

1972年5月に国立がんセンター病院に入院。病床でも『天皇の世紀』執筆を続けたが、1973年4月25日に連載1555回をもって休載。これが絶筆となり、同年4月30日に転移性肝臓癌により、国立がんセンター病院で死去。鎌倉扇ヶ谷寿福寺に葬られた。この1973年に、業績を記念して朝日新聞社により「大佛次郎賞」が創設された。河盛好蔵は1950年の『文學界』で大佛と対談したことを元に、『天皇の世紀』は、「幕末、明治、大正、昭和のどの時代もよく知っているから、それを通じた大河小説を書いてみたい」と話していたもので、「この大作には小説家大佛次郎の全才能が動員されている」と述べている[12]。長兄抱影の娘政子を大佛の養女にしている。

1978年に、横浜市の港の見える丘公園に大佛次郎記念館が開館された。また鎌倉の邸宅は、週末だけ 大佛茶廊[13][14]として一部公開されている。

2001年平成13年)には評論を対象にした「大佛次郎論壇賞」が新設された。

人物[編集]

ホテルニューグランドの屋上で(昭和初期)

猫好き[編集]

を生涯の伴侶と言うほど、大の猫好きだった。猫を題材とした多くのエッセイや、小説、童話を残しており、『赤穂浪士』に登場する上杉家家老千坂兵部も猫好きの設定にしている。童話「スイッチョねこ」は「珍しく(他人から依頼されて)書いたものではなく(自発的に)生まれたものだった」といい、「私の一代の傑作」と評価をくだしている[15]

野良猫を含め面倒を見てきた猫の数は500匹を下らないという。猫を5匹までにすることや、猫に対して贅沢をさせないことを遺言で残したが、残された夫人も夫の影響で猫好きになっており、遺言は守られなかった。夫人が亡くなった後、残された猫たちは、大の猫好きお手伝いさんによって貰われていったという。

鎌倉を愛す[編集]

鎌倉をこよなく愛した。宅地開発ブームが鎌倉に押し寄せ、1964年(昭和39年)には鎌倉の聖域である鶴岡八幡宮裏山・通称御谷までが開発されそうになった時、地元の住民と一緒に、古都としての景観と自然を守ろう運動を起こした。そして、全国的な運動を展開し、小林秀雄今日出海永井龍男鈴木大拙中村光夫川端康成横山隆一伊東深水鏑木清方などのそうそうたる著名文化人と幅広い市民の協力を得ることが出来た。この中から、鎌倉の貴重な自然と歴史的環境は市民自らの手で守らなければならないという機運が生まれ、財団法人鎌倉風致保存会が1964年(昭和39年)12月に誕生した。その設立発起人となり、また、初代理事に就任し、風致保存会の設立に大きな貢献をした。鎌倉風致保存会の精神的母体となった英国のナショナル・トラストの日本への紹介者ともなった。

1966年(昭和41年)には、これをきっかけに超党派の議員立法によって「古都保存法」が制定され、同年6月に御谷山林1.5ヘクタールの買収に成功。このことで、鎌倉風致保存会は日本のナショナル・トラスト第1号といわれるようになった。

本好きが嵩じて作家に[編集]

一高時代に書いた「一高ロマンス」で、生まれて初めて原稿料五十円を貰った。以後学生時代から各誌に小文を書くようになるが、そのほとんどは本代に消えたという。一学期分の食費を貰ったら、丸善で手当たり次第欲しい本を買って、本棚に目一杯に並べてしまい、一月もしないうちに使い切ってしまうという始末だった。そのため本を古本屋に売ったり、雑誌に小文や翻訳、果ては時事解説まで載せて生活をつないだという。読むために購入するほか、稀少本や豪華本を蒐集することを趣味としている側面もあった。後に「丸善に払う為に私は原稿を書き始めたのである」(『私の履歴書』)と回想している。

作品[編集]

1956年

小説[編集]

  • 『一高ロマンス』東亜堂書房 1917年(野尻草雄名義)
  • 鞍馬天狗』1924–65年(詳細は『鞍馬天狗 (小説)』の項参照。)
  • 『捕物綺談 幻の義賊』博文館 1926年(流山龍太郎名義)
  • 『江戸奇談 春宵和尚奇縁』博文館 1926年
  • 照る日くもる日』 渾大防書房 1927年
  • 『神風剣俠陣』博文館 1927年(流山龍太郎名義)
  • 赤穂浪士』 1929年
  • からす組』改造社 1929年
  • 『幽霊船伝奇』先進社 1929年 
  • 『ごろつき船』改造社 1929年 のち徳間文庫  
  • 『かげらふ噺』先進社 1930年
  • 『怪談その他』天人社 1930年
  • 『由比正雪』改造社 1930年
  • 『軍事探偵篇』天人社 1930年
  • 『水船地獄』天人社 1930年
  • 『日蓮』先進社 1931年 のち徳間文庫 
  • 『白い姉』改造社 1932年 
  • 『日本人オイン』羽石光志絵 講談社 1932年 
  • 鼠小僧次郎吉』新潮社 1932年 のち徳間文庫 
  • 『ふらんす人形』新潮社 1932年
  • 『曠野の果 颱風圏』非凡閣 1933年
  • 『山を守る兄弟』改造社 1933年
  • 『霧笛』新潮社 1933年 のち角川文庫、徳間文庫  
  • 『夜の真珠』岡倉書房 1934年
  • 『安政の大獄』改造社 1935年 のち徳間文庫 
  • 『樹氷』新小説社 1935年
  • 『異風黒白記』昭和長篇小説全集 新潮社、1935年 
  • 『手紙の女』竹村書房 1935年
  • 『水戸黄門』中央公論社 1935年 のち徳間文庫 
  • 『天狗騒動』維新歴史小説全集 第4巻 改造社 1936年
  • 『大楠公』改造社 1936年、「大楠公楠木正成」徳間文庫  
  • 『大久保彦左衛門』博文館 1936年 のち徳間文庫 
  • 『海の女』新潮社 1937年
  • 雪崩』新潮社 1937年 
  • 『逢魔の辻』新潮社 1938年
  • 『日本の星之助』大日本雄辯會講談社 1938年
  • 『花火の街』青木書店 1938年
  • 『花紋』実業之日本社 1939年
  • 『薔薇の騎士』中央公論社 1939年
  • 『熱風』鱒書房コバルト叢書 1940年
  • 『夕焼富士』博文館 1940年
  • 『水晶山の冒険』興亜書房 1940年
  • 『源九郎義経』興亜書房 1940年
  • 『海の子供達』グリコ株式会社 1940年
  • 『いきている秀頼・灰燼』非凡閣 1940年
  • 『美女桜』博文館 1940年
  • 『その人』博文館、1941年 「その人 最後の旗本」徳間文庫 
  • 『雲雀は空に』博文館 1941年
  • 『氷の階段』中央公論社 1941年
  • 『阿片戦争』モダン日本社 1942年 のち角川文庫 
  • 『氷の花』六興商会出版部 1942年
  • 『明るい仲間』杉山書店 1942年
  • 『働く雪ちゃん』泰光堂 1942年
  • 『冬の太陽』杉山書店 1942年
  • 『鴎」八紘社杉山書店 1943年
  • 『死よりも強し 小説』八紘社杉山書店 1944年
  • 『みくまり物語』白林書房 1944年
  • 『宗十郎頭巾』実業之日本社 1945年
  • 『源実朝』六興出版社 1946年 のち徳間文庫 
  • 『海の男』斎藤五百枝絵 尚文館 1947年
  • 『乞食大将』苦楽社 1947年 「乞食大将後藤又兵衛」徳間文庫 - 1952年に市川右太衛門主演で映画化 
  • 『真夏の夜の夢』丹頂書房 1947年
  • 『裸体』竹書房 1947年
  • 『幻燈』角川文庫、1947年
  • 『海賊船伝奇』東光出版社 1948年
  • 『黒潮』毎日新聞社 1948年
  • 『氷の階段』万里閣 1948年
  • 『春雨の琴』東和社 1949年
  • 『春雨の雫』東和社 1949年
  • 帰郷』苦楽社 1949年 のち新潮文庫ほか。日本芸術院賞受賞
  • 『新樹』苦楽社 1949年
  • 宗方姉妹』朝日新聞社 1950年 のち角川文庫、新潮文庫 
  • 『初恋』東和社 1950年
  • 『冬の紳士』新潮社 1951年 のち講談社文庫大衆文学館 
  • おぼろ駕籠』中央公論社 1951年 のち徳間文庫
  • 『丹前屏風』啓明社 1951年 のち光風社書店
  • 『激流』文藝春秋新社 1953年 のち徳間文庫。若き日渋沢栄一をえがく
  • 『旅路』朝日新聞社 1953年 のち角川文庫、新潮文庫   
  • 『四十八人目の男』河出新書 1955年 のち徳間文庫、中公文庫  
  • 『逢魔の辻』1955年 河出新書 のち徳間文庫 
  • 『風船』新潮社 1955年 のち文庫、角川文庫  
  • 『まぼろし峠』同光社 1955年
  • ゆうれい船』朝日新聞社 1956年
  • 『薩摩飛脚』同光社 1956年 のち徳間文庫
  • 『浅妻舟』光風社 1957年
  • 『おかしな奴』光風社 1957年  
  • 『橋』毎日新聞社 1958年
  • 『冬あたたか』光風社 1959年
  • 『桜子』新潮社 1960年 「桜子 湖上の姫」徳間文庫 
  • 『孔雀長屋』光風社 1960年
  • 『虹の橋』光風社 1961年
  • 『その人』光風社 1961年(1941刊同題書とは別)
  • 『お化け旗本』光風社 1962年
  • 『花の咲く家』光風社 1962年
  • 『炎の柱』毎日新聞社 1962年 「炎の柱織田信長」徳間文庫 - ※1959年に「若き日の信長」で市川雷蔵による主演で映画化   
  • 『月の人』新潮社 1964年 「月の人豊臣秀頼」徳間文庫 
  • 『赤屋敷の女』朝日新聞社 1967年
  • 『道化師』光風社書店 1967年
  • 『人美しき』日本文華社・文華新書 小説選集 1967年
  • 『夕顔小路』毎日新聞社 1967年
  • 『鞍馬の火祭』光風社書店 1972年

戯曲[編集]

  • 『楊貴妃』1951年
  • 『若き日の信長』1952年 
  • 『若き日の信長 戯曲集』朝日新聞社 1953年 朝日文化手帖
  • 『築山殿始末』1953年
  • 『江戸の夕映え』1953年
  • 『霧笛』1956年
  • 『魔界の道真』1957年
  • 『大仏炎上』1960年
  • 三姉妹』1968年(1967年 大河ドラマ原作)
  • 『戦国の人々』1971年

児童文学[編集]

  • 『狼隊の少年』湯川弘文社 1936年 選抜少年少女読物文庫
  • 『赤穂義士』博文館 1940年
  • 『花丸小鳥丸』[16]中央公論社 1941年
  • 『楠木正成』講談社 1943年
  • 『山本五十六元帥』有岡一郎絵 學藝社 1944年
  • 『薩英戦争』笠松紫浪絵 北光書房 1944年
  • 『父をたずねて』落合登絵 中央公論社 1952年
  • 『スイッチョねこ』朝倉摂絵 講談社 1971年

ノンフィクション[編集]

  • 『ドレフュス事件』天人社 1930年、朝日選書 1970年 
  • 『ブウランジェ将軍の悲劇』改造社 1936年
  • 『詩人』苦楽社 1946年(「地霊」を併録)角川文庫 1956年 
  • 『パナマ事件』朝日新聞社 1960年
    • 『詩人・地霊・パナマ事件』朝日選書 1976年 
  • 『パリ燃ゆ』朝日新聞社(全3巻) 1964年、新装版2008。朝日選書(全4巻) 1975。パリ・コミューンを描く
    • 以上は『大佛次郎ノンフィクション全集』(全5巻)、朝日文庫〈大佛次郎ノンフィクション文庫〉(全9巻)で再刊。
  • 天皇の世紀』(遺作・未完) 朝日新聞社 1969–73年。朝日文庫。文春文庫 2010年

翻訳[編集]

随筆・日記・評論[編集]

  • 『瞑想画家 アマン・ジャン』日本芸術学院 1923年(野尻清彦名義)
  • 『鎌倉通信 若い人達に』研究社出版 1949年
  • 『日附のある文章』創元社 1951年
  • 『水に書く 随筆』新潮社 1959年
  • 『砂の上に』光風社 1964年
  • 『私の履歴書 23』日本経済新聞社 1965年
  • 『石の言葉 随筆集』光風社書店 1966年 
  • 『義経の周囲』朝日新聞社 1966年 のち徳間文庫 
  • 『今日の雪 随筆集』光風社書店 1970年
  • 『都そだち 大佛次郎随筆集』毎日新聞社 1972年、限定本
  • 『冬の花』光風社書店、1973年
  • 『猫のいる日々』六興出版、1978年 のち徳間文庫 
  • 『屋根の花 大佛次郎随筆集』六興出版 1980年
  • 『大佛次郎敗戦日記』草思社、1995年、「終戦日記」文春文庫 2007年
  • 福島行一編『十五代将軍の猫 大佛次郎随筆集』 五月書房 1996年 
  • 『旅の誘い 大佛次郎随筆集』講談社文芸文庫 2002年

作品集[編集]

  • 『大佛次郎作品集』全7巻 文藝春秋新社 1951年
  • 『大佛次郎時代小説選集』全10巻 同光社磯部書房 1952年
  • 『大佛次郎少年少女のための作品集』全6巻 講談社 1967年
  • 『大佛次郎時代小説自選集』全15巻 読売新聞社 1969年
  • 『大佛次郎ノンフィクション全集』全5巻 朝日新聞社 1971年
  • 『大佛次郎自選集 現代小説』全10巻 朝日新聞社 1972-73年 
  • 『大佛次郎随筆全集』全4巻 朝日新聞社 1973年
  • 『大佛次郎時代小説全集』全24巻 朝日新聞社 1975年
  • 『戦国の人々 大佛次郎戯曲全集』朝日新聞社 1977年
  • 『大佛次郎エッセイ・セレクション』全3巻 小学館 1996年
  • 『大佛次郎セレクション』全18巻 未知谷 2007-09年 村上光彦編  
  • 『鞍馬天狗傑作選』全3巻 文藝春秋 2007年、別巻『鞍馬天狗読本』 大佛次郎記念館編 2008年

出典[編集]

  1. ^ 新字体では大仏 次郎
  2. ^ 大佛次郎記念館 (2013), リーフレット『大佛次郎記念館』(中面)大佛次郎略年譜 
  3. ^ 新作歌舞伎とは、戦後作られた歌舞伎狂言をさす。明治期~戦前に作られた新歌舞伎とは区別される。
  4. ^ 大村
  5. ^ 御坊ゆかりの先人たち 大佛次郎
  6. ^ 鈴木, 俊裕 『横浜文学散歩』 門土社総合出版、1989年、10-14頁。ISBN 4-89561-097-7
  7. ^ 八木昇『大衆文芸館』白川書院 1978年
  8. ^ 縄田一男、永田哲朗『図説 時代小説のヒーローたち』河出書房新社 2000年
  9. ^ 尾崎秀樹『殺しの美学』1985年 旺文社
  10. ^ a b 尾崎秀樹『大衆文学五十年』講談社 1969年
  11. ^ 大村
  12. ^ 東京新聞』1973年5月1日
  13. ^ http://www.1938.jp/osaragi/
  14. ^ 三木卓『鎌倉日記』かまくら春秋社 2002年 p.215-219
  15. ^ 「わが小説 - スイッチョ猫」(1962年、『猫のいる日々』所収)
  16. ^ マーク・トウェインの『王子と乞食』を基にした作品。1899年巌谷小波らにより『乞食王子』の邦題で文武堂から、1927年村岡花子により『王子と乞食』の邦題で平凡社から翻訳が出たが、この作品は岩波版普及版の5年後に出たので「なんらかの関係」があると考えられる(渡辺利雄『アメリカ文学に触発された日本の小説』研究社2014年)pp.79-102。

伝記研究[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]