鞍馬天狗 (小説)

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鞍馬天狗』(くらまてんぐ)は、大佛次郎の時代小説シリーズであり、作中で主人公が名乗る剣士の名である。

幾度も映画化・テレビ化がされ、特に46本にのぼる嵐寛寿郎主演の映画は、鞍馬天狗像を決定づけるものとなった。本項では小説に加え、映画化・テレビドラマ化された作品についても解説する。

概要[編集]

1924年大正13年)、娯楽雑誌『ポケット』に第1作「鬼面の老女」を発表して以来、1965年昭和40年)の「地獄太平記」まで、長編・短編計47作が発表された。

幕末を舞台に「鞍馬天狗」を名乗る神出鬼没の勤王志士が、幕藩方の新撰組の行く手を阻んで縦横に活躍をするさまを描いた、戦前の大衆小説の代表的作品である。

舞台は主に京都大坂が中心となっているが、作品によっては江戸横浜、果ては松前といった、遠方の地を舞台としたものもある。生麦事件蛤御門の変といった歴史上の事件を背景とした作品もあり、また戦後発表された作品には、時代背景を明治維新後としたものもある。

個々の作品の間には明確な関連性が見られない。例外的に、初期の『ポケット』誌に連載された短編は大枠で繋がりをもったあらすじ展開となっており、また第二次世界大戦中に発表された3編の長編のうち、1945年(昭和20年)の「鞍馬天狗破れず」は1943年(昭和18年)の『天狗倒し』の続編となっている。

人物像[編集]

主人公は、普段は倉田典膳(くらた でんぜん)を名乗っているが、本名ではない。また作品によっては館岡弥吉郎(たておか やきちろう)、海野雄吉(うんの ゆうきち)と名乗っているものもある。その素性は謎が多く、天狗党の生き残りではないかと言われたこともあるが、確証はない。

容姿は、「身長五尺五寸ぐらい。中肉にして白皙(はくせき=色白)、鼻筋とおり、目もと清(すず)し。」と描写されている(「角兵衛獅子」)。アラカンの映画版のように覆面をする描写はない。

日本の将来に思いをめぐらす勤王志士だが、討幕派でいて幕府方を代表する勝海舟と繋がりがあったり、新撰組近藤勇とも奇妙な交友関係をもつ(原作で天狗が近藤と一対一の対決をするのは「角兵衛獅子」1作のみ)。また維新後は新政府に対して否定的な側面を見せており、権力の批判者であることを貫いている。

剣は一刀流の凄腕。時には短筒も使う。

鞍馬天狗と関わる人物[編集]

角兵衛獅子の杉作
鞍馬天狗を小父さんと慕う少年。
黒姫の吉兵衛
元盗賊で鞍馬天狗の右腕的存在。
近藤勇
新撰組筆頭。勤王志士である鞍馬天狗とたびたび衝突する。

作品一覧[編集]

以下表中、短編と長編は福島行一の種別法による。

作品名 種別 掲載誌紙 掲載年
きめんの ろうじょ
鬼面の老女
短編 ポケット 011924年(大正13年)
ぎんきせる
銀煙管
短編 ポケット 021924年(大正13年)
じょろうぐも
女郎蜘蛛
短編 ポケット 031924年(大正13年)
にょにんじごく
女人地獄
短編 ポケット 041924年(大正13年)
かげぼうし
影法師
短編 ポケット 051924年(大正13年)
いれずみ
刺青
短編 ポケット 061924年(大正13年)
かずらしたじ
鬘下地
短編 ポケット 071924年(大正13年)
かおりの ひみつ
香りの秘密
短編 ポケット 081924年(大正13年)
ごようとう いぶん
御用盗異聞
長編 ポケット 091924年(大正13年)
ことりを かう ぶし
小鳥を飼う武士
長編 ポケット 101926年(大正15年)
かくべえ じし
角兵衛獅子
長編 少年倶楽部 111927年 - 1928年(昭和2年 - 3年)
くらまてんぐ よじん
鞍馬天狗余燼
長編 週刊朝日 121927年 - 1928年(昭和2年 - 3年)
けんきょう せんこう じん
剣俠閃光陣
長編 文藝倶楽部 131928年(昭和3年)
さんがくとう きだん
山岳党奇談
長編 少年倶楽部 141928年 - 1930年(昭和3年 - 5年)
せいどうき
青銅鬼
長編 少年倶楽部 151931年(昭和6年)
てんぐ かいじょう
天狗廻状
長編 報知新聞 161931年 - 1932年(昭和6年 - 7年)
じごくの もん
地獄の門
長編 講談倶楽部 171934年(昭和9年)
えどにっき
江戸日記
長編 新愛知新聞福岡日日新聞ほか 181934年 - 1935年(昭和9年 - 10年)
そうじゅうろう ずきん
宗十郎頭巾
短編 講談倶楽部 191935年(昭和10年)
ゆきの きららざか
雪の雲母坂
短編 講談倶楽部 201935年(昭和10年)
ごぞんじ くらまてんぐ
御存知鞍馬天狗
長編 オール讀物 211936年 - 1937年(昭和11年 - 12年)
ばくまつ きょうゆう ものがたり
幕末俠勇物語
短編 少年倶楽部 221936年(昭和11年)
えどの ゆうばえ
江戸の夕映
短編 週刊朝日 231940年(昭和15年)
さつまの ししゃ
薩摩の使者
短編 週刊朝日 241941年(昭和16年)
さいごく どうちゅうき
西国道中記
短編 週刊朝日 251941年(昭和16年)
てんぐ だおし
天狗倒し
長編 週刊朝日 261943年(昭和18年)
くらまの ひまつり
鞍馬の火祭り
長編 毎日新聞 271944年(昭和19年)
くらまてんぐ やぶれず
鞍馬天狗敗れず
長編 東奥日報佐賀新聞ほか 271945年(昭和20年)
しん とうきょう えず
新東京絵図
長編 苦楽 281947年 - 1948年(昭和22年 - 23年)
こうばい はくばい
紅梅白梅
短編 少年クラブ 291950年(昭和25年)
かいどうき
海道記
短編 オール讀物 301951年(昭和26年)
ひろいあげた おんな
拾い上げた女
短編 オール讀物 311951年(昭和26年)
よどの かわぶね
淀の川船
短編 オール讀物 321951年(昭和26年)
かぜと ともに
風とともに
短編 オール讀物 331951年(昭和26年)
いちやの できごと
一夜の出来事
短編 オール讀物 341952年(昭和27年)
せいめん やしゃ
青面夜叉
長編 サンデー毎日 351952年 - 1953年(昭和27年 - 28年)
かりの たより
雁のたより
長編 サンデー毎日 361953年(昭和28年)
もみじやま そう
紅葉山荘
短編 オール讀物 371954年(昭和29年)
ゆうだちの ぶし
夕立の武士
長編 サンデー毎日 381954年 - 1955年(昭和29年 - 30年)
よるの きゃく
夜の客
長編 サンデー毎日 391955年(昭和30年)
かげの ごとく
影の如く
長編 サンデー毎日 401955年 - 1956年(昭和30年 - 31年)
じょろうぐも
女郎蜘蛛
長編 サンデー毎日 411957年(昭和32年)
ふかがわ ものがたり
深川物語
長編 家の光 421957年 - 1959年(昭和32年 - 34年)
てんぐが でた
天狗が出た
短編 日本経済新聞 431958年(昭和33年)
くろい てがた
黒い手形
長編 週刊明星 441958年(昭和33年)
せいかい どうちゅうき
西海道中記
長編 週刊明星 451958年 - 1959年(昭和33年 - 34年)
じごく たいへいき
地獄太平記
長編 河北新報ほか 461965年(昭和40年)

映画版[編集]

『鞍馬天狗』の映画版は、1924年(大正13年)の實川延笑主演の『女人地獄』に始まり、1965年(昭和40年)の市川雷蔵主演の『新 鞍馬天狗 五条坂の決闘』まで、延べ60本近く製作され、天狗は様々な俳優が演じてきた。特に原作からは『角兵衛獅子』、『天狗廻状』が多く映画化されている。

なかでも最も有名なのがアラカンこと嵐寛寿郎(マキノ時代は嵐長三郎名義)主演による『鞍馬天狗』シリーズであり、製作本数は46本と最大である。アラカンが打ち立てた「頭巾をかぶった覆面のヒーローが善を勧めて悪を懲らしめる」という構図は、後代の『月光仮面』や『仮面ライダー』などの「仮面ヒーロー物」の先駆けとなった。

しかし、戦前撮られた『鞍馬天狗』には紛失・消失してしまい、現在では観られないものが多々ある。

嵐寛寿郎と鞍馬天狗[編集]

『御存知鞍馬天狗 宗十郎頭巾』(1936年、新興キネマ)。「黒い宗十郎頭巾紋付の黒羽織姿」という、このお馴染みのイメージは、嵐寛寿郎が創作した姿であり、原作者の大佛はこれを快く思っていなかった。

1927年(昭和2年)、封建的な舞台の世界に愛想を尽かし、大阪の青年歌舞伎を脱退した嵐和歌大夫(嵐寛寿郎)は、京都の活動写真制作会社「マキノ・プロダクション」に映画俳優「嵐長三郎」として入社した。

長三郎はここでマキノ省三監督から「このなかからやりたい役を選べ」と雑誌『少年倶楽部』昭和2年3月号を渡される。長三郎は『角兵衛獅子』を読み、「鞍馬天狗をやりたい」と伝えたことにより、『鞍馬天狗余聞・角兵衛獅子』で映画デビューを果たすこととなって、同時にはまり役となった。

翌1928年(昭和3年)、長三郎はマキノを脱退して「嵐寛寿郎」(アラカン)と名乗り、以来、「鞍馬天狗」はアラカン自身の立ち上げた「嵐寛寿郎プロダクション」の代表的主演キャラクターとなった。寛プロ解散の後は、東亜キネマ新興キネマ日活新東宝宝塚映画東映京都と各社を股に掛け、シリーズ主演を続行。アラカン扮する鞍馬天狗が敵を次々と斬り倒すその壮快なチャンバラ劇は長きに渡り大衆を魅了し続けた。アラカン自身によると、戦前から戦後にわたり、主演した『鞍馬天狗』映画は前後編含め総計46本にのぼるという。

アラカンはこの小説の映画化にあたって、「覆面の怪剣士」という独特のスタイルを創り上げた。この創意工夫はアラカンの自信に裏付けられたものだった。

「小説の挿絵が先やない。映画の方が元祖だ。娯楽作品と一口に大したもんやないと差別して言いますけど、人気とるのは並大抵ではおへん、努力も工夫もしてますのや。刀だけ振り回してスタアになれるものやおまへんのやで[1]。」

「チャンバラこそ時代劇映画の真髄である」と考える「剣戟スタア」のアラカンにとって、映画の「鞍馬天狗」はアラカンのオリジナルであり、自身の代表的キャラクターだった。戦前戦後にわたり、何度も経済的な苦境に立たされた際も、颯爽鞍馬天狗の登場する新作映画はその都度大当たりして、アラカンを助けてくれた。アラカンの『鞍馬天狗』映画は映画評論界からは無視され「B級品」として一段低く扱われ続けたが、常に庶民に支えられていた。

アラカンは1950年(昭和25年)にGHQの「チャンバラ禁止令」が解かれると、立て続けに松竹と新東宝でシリーズを再開。1953年(昭和28年)、新東宝の『青銅鬼』では親友の大河内傳次郎と組んで本格的なチャンバラ死闘を演じ、チャンバラ禁止令の欝憤を晴らした。「やはり立ち回りだ。天狗はそれで人気が落ちなかった」。

大佛次郎との確執[編集]

この1953年、アラカンは東映京都でも萩原遼監督で『疾走雲母坂』、『危うし!鞍馬天狗』を撮ったが、ここで日本文藝家協会から思わぬ「待った」がかかった。1953年10月20日の封切りを前に、「無断映画化である、上映を中止せよ」と抗議してきたのである。アラカンにとってこれはまさに青天の霹靂だった。

アラカンの『鞍馬天狗』は、戦前・戦後を通じて庶民の間で大人気のシリーズだった。しかし、この状況に不満を抱いていた人物がいた。他ならぬ原作者・大佛次郎である。東宝の渾大坊五郎はもと寛プロの制作部長で、アラカンとは古い付き合いだったが、この渾大坊が大佛の代理人として、強引にねじ込んできた。

大佛は「第一に著作権無視である」、「第二に原作を勝手に書き変えて題名だけ盗んでいる」、「第三に映画の鞍馬天狗は人を斬りすぎて、原作者の意図に反している」等の理由を挙げて非難し、アラカンが演じる『鞍馬天狗』の制作中止を要求。アラカンは直接談判を考えたが、映画界の裏事情を考えて会社同士の話し合いに任せた。結局、東映京都ではあと一本『逆襲!鞍馬天狗』を撮って終わり、続いて宝塚映画で二本撮ってほしいとの要求となった。宝塚映画は東宝の子会社であり、ようするに東宝が『鞍馬天狗』が欲しかったのである。

翌1954年(昭和29年)、アラカンは宝塚で四本『鞍馬天狗』を撮ったが、しばらく大佛の抗議でシリーズが止まってしまう。

一方、大佛は自ら「天狗ぷろだくしょん」を設立してプロデューサーに就任し、同年より東宝で『次郎長三国志』シリーズの清水次郎長役で知られる小堀明男の主演による『新鞍馬天狗』シリーズの制作を開始し、同年10月に『新鞍馬天狗 第一話 天狗出現』を封切。この作品には「アラカンの鞍馬天狗なら5本は撮れる」と言われた程の潤沢な資金が投入され、以降のシリーズ作品でもそうであったと言われる。

この『新鞍馬天狗』は原作者自ら手掛ける映画作品として、当初こそ話題にはなった。が、実際に完成した作品は、小堀の天狗姿とチャンバラシーンが常にアラカンと比較され酷評ばかりで、また大佛の人選による配役にも無理があり(例えば、30代前半の青年剣士として描かれるべき近藤勇に当時50代で老け役も演じていた志村喬を起用する、など)、さらにクライマックスでは天狗が拳銃を構え大儀を唱えるだけで敵が戦うことなく退散してしまう、といった具合に、大衆が好む時代劇の骨法や様式をまるで無視したものであった。さすがにこうした作品が成功する道理はなく、興行面で不振を極め、「日本映画史に残る大失敗作」「大佛が作家としての自身のキャリアに自ら疵を付けた」と酷評される悲惨な結果に終わった。また、巻き添えとなる形で、天狗役を演じた小堀にとっても俳優キャリアの疵となってしまった。

大佛プロデュース・小堀主演の『新鞍馬天狗』シリーズの興行成績は惨憺たるもので、作を重ねる毎に映画館サイドからの大佛に対する不満の声だけが増えていった。結局「大駄作」という評を覆す事には程遠く、全10作を予定するも、1955年(昭和30年)6月公開の第3作『新鞍馬天狗 夕立の武士』を最後に打ち切りとなる。

この『新鞍馬天狗』で3度も煮え湯を飲まされる格好になった映画館サイドは、その「損失補填」を理由に大佛にアラカンの鞍馬天狗の復活を強硬に要求した。自らプロデュースした作品で与えた損失が原因であるだけにさすがの大佛もこれは呑まざるを得なかった。

1956年(昭和31年)、これを受けて宝塚映画での、アラカン版『鞍馬天狗』が再開。しかし、『御用盗異変』、『疾風!鞍馬天狗』を並木鏡太郎監督で撮ったところで、ついにシリーズ打ち止めとなってしまった。

「はいな、大佛先生が許さんと「天狗プロダクション」つくらはって御自分で製作する。寛寿郎のものやない、「正統の鞍馬天狗」だと。ワテは泣きました。ほんまに泣きましたで。これが大佛先生の真意かと疑いました。そら原作者の眼から見たら随分と不満もあるやろ、せやけど天狗ワテが創った。これをゆうたらあかん、しかし小説が売れた理由の一つはワテや、ワテの立ち回りや。あの覆面かて工夫をしたのはワテや。

昭和2年のデビューから、天狗三十年、それをものともいわせずとりあげよるんだ。はいな、役者虫けらや。これ胸に溜まっていたことでおます、言わせてほしい。故人になった方を中傷するのやおへん、渾大坊五郎はんも先日(インタビュー時から)亡くならはった。せやけどはっきりさせておきたい。これが日本の映画界や。銭儲けのためやったら役者一匹モノの数やない。大佛先生、乗せられたんやと思います。三年間に十本撮る契約を東宝と結んだ。主演が小堀明男、ゆうたら悪いがアラカンの比やおまへん。とどのつまり、十本の予定が三本撮って後が続かない。それでまたぞろワテにお鉢が回ってきた。へえ、31年に撮ったのはその穴埋めだ。

松島トモ子の杉作役で『御用盗異変』、『疾風!鞍馬天狗』。客は来ましたが評判良くなかった。「話の筋立てが雑で、これでは少年ファンも拍子抜けがする」と書かれた。あとのほうに、大河内はんがつきあって、天狗初めて負けます。この立ち回りは大変な話題になりました。だがもうあかん、「代打」やったらもう演らんほうがええ。オシマイやとワテは諦めました[2]。」

ただでさえ反骨漢のアラカンは、「天狗も歳をとりました」という名言を残してさっさと天狗役を降りてしまい、アラカンの鞍馬天狗は打ち止めとなった。

その後、宝塚映画で鞍馬天狗の映画は制作されることなく、東映京都『鞍馬天狗』で東千代之介大映京都『新・鞍馬天狗』で市川雷蔵が天狗を演じたものの、千代之介は単発、雷蔵も2作で終了といずれも長続きしなかった。

鞍馬天狗を演じた映画俳優[編集]

  1. 實川延松(1924年)
  2. 尾上松之助(1925年)
  3. 嵐長三郎嵐寛寿郎(1927年-1956年)
  4. 市川百々之助(1930年)
  5. 坂東好太郎(1932年)
  6. 斯波快輔(1933年)
  7. 榎本健一(1939年)
  8. 杉山昌三九(1941年)
  9. 酒井猛(1944年)
  10. 島田正吾(1953年)
  11. 小堀明男(1954年-1955年)
  12. 東千代之介(1956年-1959年)
  13. 市川雷蔵(1965年)

作品一覧(映画)[編集]

   無声映画    カラー映画
映画 公開日 製作/配給 監督 鞍馬天狗
女人地獄 1924年(大正13年)12月25日 帝国キネマ(小阪撮影所) 長尾史録 実川延笑
鞍馬天狗 前篇(第一篇) 1925年(大正14年)8月31日 日活京都撮影所第一部 高橋康寿 尾上松之助
鞍馬天狗 中篇(第二篇) 1925年(大正14年)9月10日 日活(大将軍撮影所 高橋康寿[3] 尾上松之助
鞍馬天狗 後篇(第三篇) 1925年(大正14年)9月17日 日活(大将軍撮影所) 高橋康寿[4] 尾上松之助
鞍馬天狗 第四篇 1925年(大正14年)12月18日 日活(大将軍撮影所) 波多野安正 尾上松之助
鞍馬天狗 第五篇 1925年(大正14年)12月25日 日活(大将軍撮影所) 高橋寿康 尾上松之助
鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子 1927年(昭和2年)4月29日 マキノ・プロダクション御室撮影所 曽根純三 嵐長三郎(嵐寛寿郎
鞍馬天狗異聞 続・角兵衛獅子 1927年(昭和2年)8月12日 マキノ・プロダクション(御室撮影所) 曽根純三 嵐長三郎(嵐寛寿郎)
鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子功名帖 1928年(昭和3年)2月10日 マキノ・プロダクション(御室撮影所) 曽根純三 嵐長三郎(嵐寛寿郎)
鞍馬天狗 1928年(昭和3年)7月12日 嵐寛寿郎プロダクション/聨明映画 山口哲平 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 恐怖時代 1928年(昭和3年)11月30日 嵐寛寿郎プロダクション/マキノ・プロ 山口哲平 嵐寛寿郎
鞍馬天狗
(鞍馬天狗 山嶽党奇談)
1929年(昭和4年)7月13日 東亜キネマ(京都撮影所) 橋本松男 嵐寛寿郎
続・鞍馬天狗 電光篇 1930年(昭和5年)7月13日 東亜キネマ(京都撮影所) 後藤岱山 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 山嶽党奇譚 1930年(昭和5年) 帝国キネマ 森本登良男 市川百々之助
鞍馬天狗 解決篇 1931年(昭和6年)9月1日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 山口哲平 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 颱風の巻 1932年(昭和7年)6月24日 松竹キネマ京都撮影所 二川文太郎 坂東好太郎
天狗廻状 前篇 1932年(昭和7年)11月17日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 山中貞雄 嵐寛寿郎
天狗廻状 後篇 1932年(昭和7年)12月15日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 並木鏡太郎 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 地獄の門 1934年(昭和9年)1月14日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 吉田信三 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 第一篇 絨り首暗躍篇 1934年(昭和9年)12月31日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 曾根千晴 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 第二篇 丁字屋敷活殺篇 1935年(昭和10年)1月5日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 曾根千晴 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 第三篇 影義隊乱刃篇 1935年(昭和10年)1月15日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 曾根千晴 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 江戸日記 前篇 1935年(昭和10年)10月3日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 山本松男 嵐寛寿郎
御存知鞍馬天狗 宗十郎頭巾 1936年(昭和11年)10月1日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 仁科熊彦 嵐寛寿郎
御存知鞍馬天狗 千両小判 1937年(昭和12年)7月29日 嵐寛寿郎プロダクション/新興キネマ 仁科熊彦 嵐寛寿郎
鞍馬天狗
(鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻)
1938年(昭和13年)3月15日 日活(京都撮影所) マキノ正博
松田定次
嵐寛寿郎
鞍馬天狗 龍攘虎搏の巻 1938年(昭和13年)11月1日 日活(京都撮影所) 松田定次 嵐寛寿郎
エノケンの鞍馬天狗 1939年(昭和14年)5月21日 東宝映画東京撮影所 近藤勝彦 榎本健一
鞍馬天狗 江戸日記 1939年(昭和14年)7月1日 日活(京都撮影所) 松田定次 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 恐怖篇
(鞍馬天狗 復讐篇)
1939年(昭和14年)8月3日 日活(京都撮影所) 松田定次 嵐寛寿郎
天狗廻状
(天狗廻状 魔刃の巻)
1939年(昭和14年)12月29日 日活(京都撮影所 田崎浩一 嵐寛寿郎
続天狗廻状
(続天狗廻状 刃影の巻)
1940年(昭和15年)2月1日 日活(京都撮影所) 田崎浩一 嵐寛寿郎
鞍馬天狗捕はる 1940年(昭和15年)6月30日 日活(京都撮影所) 丸根賛太郎 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 第一話 雨中の騎士 1941年(昭和16年)5月15日 大都映画 白井戦太郎 杉山昌三九
鞍馬天狗 第二話 銀河の美女 1941年(昭和16年)5月29日 大都映画 山口哲平 杉山昌三九
鞍馬天狗 薩摩の密使 1941年(昭和16年)7月14日 日活(京都撮影所) 菅沼完二 嵐寛寿郎
鞍馬天狗
(鞍馬天狗横浜に現る)
(横浜に現はれた鞍馬天狗)
(鞍馬天狗 黄金地獄)
1942年(昭和18年)10月29日 大映(京都第一撮影所) 伊藤大輔 嵐寛寿郎
天狗倒し 1944年(昭和19年)2月10日 松竹太奏撮影所 井上金太郎 酒井猛
鞍馬天狗 大江戸異変
(角兵衛少年と天狗騒動)
1950年(昭和25年)8月13日 綜芸プロダクション/新東宝 並木鏡太郎 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 角兵衛獅子 1951年(昭和26年)7月12日 松竹(京都撮影所 大曾根辰夫 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 鞍馬の火祭 1951年(昭和26年)10月12日 松竹(京都撮影所) 大曾根辰夫 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 天狗廻状 1952年(昭和27年)3月27日 松竹(京都撮影所) 大曾根辰夫 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 一騎討ち 1952年(昭和27年)9月25日 東映京都撮影所 萩原遼 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 青銅鬼 1952年(昭和27年)12月29日 新東宝=綜芸プロダクション/新東宝 並木鏡太郎 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 疾風雲母坂 1953年(昭和28年)2月12日 東映(京都撮影所) 萩原遼 嵐寛寿郎
鞍馬天狗と勝海舟 1953年(昭和28年)8月5日 新東宝 池田富保 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 青面夜叉 1953年(昭和28年)9月22日 松竹(京都撮影所) 野村芳太郎 島田正吾
危うし!鞍馬天狗 1953年(昭和28年)10月20日 東映(京都撮影所) 萩原遼 嵐寛寿郎
逆襲!鞍馬天狗 1953年(昭和28年)12月15日 東映(京都撮影所) 萩原遼 嵐寛寿郎
鞍馬天狗斬り込む 1953年(昭和28年)12月29日 宝塚映画/東宝 安達伸生 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 疾風八百八町 1954年(昭和29年)7月21日 宝塚映画/東宝 志村敏夫 嵐寛寿郎
新鞍馬天狗 第一話 天狗出現 1954年(昭和29年)10月6日 東宝 青柳信雄 小堀明男
新鞍馬天狗 第二話 東寺の決闘 1954年(昭和29年)11月10日 東宝 青柳信雄 小堀明男
新鞍馬天狗 夕立の武士 1955年(昭和30年)6月14日 東宝 杉江敏男 小堀明男
鞍馬天狗 御用盗異変 1956年(昭和31年)3月13日 宝塚映画/東宝 並木鏡太郎 嵐寛寿郎
疾風!鞍馬天狗 1956年(昭和31年)6月8日 宝塚映画/東宝 並木鏡太郎 嵐寛寿郎
鞍馬天狗 第一話 白馬の密使 1956年(昭和31年)11月14日 東映(京都撮影所) 内出好吉 東千代之介
鞍馬天狗 角兵衛獅子 1957年(昭和32年)4月23日 東映(京都撮影所) 河野寿一 東千代之介
鞍馬天狗 御用盗異聞 1957年(昭和32年)5月12日 東映(京都撮影所) 河野寿一 東千代之介
鞍馬天狗 1959年(昭和34年)2月4日 東映(京都撮影所) マキノ雅弘 東千代之介
新鞍馬天狗 1965年(昭和40年)9月18日 大映京都撮影所 安田公義 市川雷蔵
新鞍馬天狗 五条坂の決闘 1965年(昭和40年)11月27日 大映(京都撮影所) 黒田義之 市川雷蔵

テレビドラマ[編集]

本作を原作としたテレビドラマも幾度となく放映された。

テレビドラマで鞍馬天狗を演じた俳優は以下の通りである。

  1. 十代目 市川高麗蔵(1956年、一時代役として花柳寛[5]
  2. 嵐寛寿郎(1959年)
  3. 三木のり平(1959年) → 頓馬天狗
  4. 三代目 市川團子(1960年)
  5. 中村竹弥(1963年)
  6. 大瀬康一(1967年)
  7. 高橋英樹(1969年) → 鞍馬天狗 (1969年のテレビドラマ)
  8. 竹脇無我(1974年) → 鞍馬天狗 (1974年のテレビドラマ)
  9. 草刈正雄(1981年)
  10. 桂三枝(現・六代目桂文枝)(1983年)
  11. 中井貴一(1989年)
  12. 目黒祐樹(1990年) → 鞍馬天狗 (1990年のテレビドラマ)
  13. 松平健(2001年)
  14. 二世 野村萬斎(2008年) → 鞍馬天狗 (2008年のテレビドラマ)

作品一覧(テレビドラマ)[編集]

パロディ・オマージュ[編集]

テレビ番組
  • 頓馬天狗』(1959年(昭和34年)9月5日 - 1960年(昭和35年)12月24日、よみうりテレビ
    大村崑主演の「頓馬天狗」が近藤勇造率いる「珍選組」と渡り合う、コメディ舞台劇。
  • 009!!大あばれ、とんま天狗』(1965年(昭和40年)10月2日 - 1966年(昭和41年)6月25日、よみうりテレビ)
    『頓馬天狗』の続編。
漫画
  • 『どんぐり天狗』(光文社少年』、1953年(昭和28年)3月号 - 1959年(昭和34年)3月号)
    うしおそうじ作。内容はアラカン版の「鞍馬天狗」に準じているが、覆面も羽織も白づくめというキャラクターである。
  • 『天駆』(2001年 - 2002年 小学館『ビッグコミック』連載、単行本全4巻)
    森秀樹作。本作の倉田はお庭番の最精鋭にして徳川家の影の守護者であった「鬼刃番」出身で、日本再生のためにかつての仲間である「鬼刃番」と死闘を展開するというオリジナル設定。
  • 『鞍馬天狗』(2011年 - 2012年 リイド社コミック乱ツインズ』連載)
    外薗昌也作。鞍馬天狗/倉田典善の正体は謀殺され、そして謎の秘密結社の秘薬でよみがえった芹沢鴨で、勤皇も佐幕もなくただ新撰組への復讐のために戦う「人の心を捨てた鬼」となったという、オカルト色の強いオリジナル異色作。

参考文献[編集]

  • 福島行一『大佛次郎 上巻』 草思社
  • 川西政明『鞍馬天狗』 岩波新書
  • 小川和也『鞍馬天狗とは何者か 大佛次郎の戦中と戦後』 藤原書店
  • 竹中労『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』 白川書院、徳間文庫、ちくま文庫

脚注[編集]

  1. ^ 『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』「天狗、打ち止め」(竹中労、白川書院)
  2. ^ 『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』「天狗、打ち止め」(竹中労、白川書院)
  3. ^ 日活のデータベースによる。波多野安正と記載されている資料もあり。
  4. ^ 日活のデータベースによる。波多野安正と記載されている資料もあり。
  5. ^ 花柳芳次郎(5代目)『舞の道 花柳芳次郎自伝』阪急コミュニケーションズ、2007年。ISBN 978-4-484-07208-1,河村常雄 『河村常雄の家元探訪 』読売新聞、2007年11月5日。

関連項目[編集]