少年倶楽部

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少年倶楽部
(せうねんくらぶ、しょうねんくらぶ)
Shōnen Club April 1929.jpg
1929年4月号
愛称・略称 少倶(せうく)
ジャンル 小説・詩・漫画・時事・投稿など
読者対象 小学生・中学生
刊行頻度 月刊と臨時増刊
発売国 日本の旗 日本
定価 50銭 - 60銭(1935年前後)
出版社 講談社
編集長 加藤謙一・須藤憲三ほか
刊行期間 1914年 - 1962年
発行部数 約75万部(1936年
姉妹誌 少女倶楽部、幼年倶楽部

少年倶楽部(せうねんくらぶ、しょうねんくらぶ)は、1914年大正3年)に大日本雄弁会(現・講談社)が創刊し、敗戦後の1946年少年クラブと改名して1962年昭和37年)まで、611冊刊行された月刊少年雑誌である。

なお、これ以外の『少年倶楽部』には、『北隆館』が1897年に、『少年倶楽部社』が1908年に、『大文社』が1911年に創刊して、いずれも短期に終わった三誌があった[1]

歴史[編集]

小学校後半から中学校前半の少年を対象として、1914年11月に創刊した。先発には、博文館の『少年世界』(1895年創刊)、時事新報社の『少年』(1903年創刊)、実業之日本社の『日本少年』(1906年創刊)などがあり、『日本少年』が売れていた。創刊期の少年倶楽部の発行部数約2万に対し[2]、日本少年は20万部に届いていた[3]

1921年、加藤謙一が編集長となる(就任は10月号から)。1925年、看板の挿絵画家高畠華宵を失い、部数が4割減少する危機に見舞われた[4]が、講談社社長野間清治の「雑誌は活字で売るものだから、よい読み物を書く作家を捜せ」というアドバイスにより、佐藤紅緑を皮切りに吉川英治高垣眸大佛次郎ら一流大衆作家の少年向け長編小説を揃えることで多くの読者の獲得に成功、大きく部数を伸ばした[5]

普通号は菊判で、その頃は320ページ前後に成長していた。正月や夏の臨時増刊には、四六倍判B5判もあった。1924年からの十年余、斎藤五百枝が、表紙を描いた。

1933年、須藤憲三が編集長になってからも一本調子に、1936年の75万部まで伸びて[6]ダントツになったのには、漫画と組み立て付録[7]の人気もあった。

田河水泡の『のらくろ』を1931年から、島田啓三の『冒険ダン吉』を1933年から、中島菊夫の『日の丸旗之助[8]を1935年から載せた。1932年からは、巻頭に『漫画愉快文庫』の色刷り32ページを据えた。

付録は、初期は双六・別冊・絵図・絵巻などだったが、1931年からペーパークラフトの素材の彩色厚紙を付け始め、ドルニエ Do X名古屋城戦艦三笠エンパイヤステートビル万里の長城など、鋏も糊も使わない差し込み式なので、工作が楽だった。エンパイヤステートビルは高さ1.5mだった。これらの設計をした中村星果は、のちの1956年、日本児童文芸家協会の児童文化功労者に選ばれた[9]

1937年、日中戦争が始まった。軍事関係の記事は、陸軍省海軍省が事前に検閲した。翌年、商工省が出版社に用紙の節約を求めて付録は減り、1941年1月で終わった。用紙の割り当てを受けるには、時局迎合の記事を載せねばならなかった。以前の400ページが1943年新年号は208ページに、1945年には無色の32ページにまで痩せ、そして8冊しか出せなかった。発行部数も20万部を切った。終戦直後の1945年8・9月合併号には、終戦の詔書が振り仮名つきで掲載された[10]

1945年10月号では、表紙のみながら多色刷りによる発行を再開[10]。翌年の1946年4月、誌名を『少年クラブ』と変え、戦争迎合記事を書かされた責任を取る形で編集部員が交替し、56ページの薄さから再出発して、1953年には346ページにまで復活した。

高垣眸・佐々木邦・大佛次郎・南洋一郎・江戸川乱歩らが引き続き書き、棟田博北條誠富沢有為男山川惣治手塚治虫馬場のぼるらが登場したが、戦前の看板の『熱血痛快』長編はもう迎えられなかった。

1949年頃からプロ野球、1955年頃からプロレス、1956年頃から漫画と、誌面が世相を追って世を挙げた漫画ブームに飲み込まれるように、講談社の週刊少年マガジンと合併する体裁で、1962年12月に49年の歴史を閉じた。

主な記事と掲載年月[編集]

以下の行末の『→』印の後ろは、復刻版を示し、その "名作1"、"文庫” などは、復刻の項の、各行末の符号に対応する。

長編小説[編集]

  • 高垣眸作、山口将吉郎画:龍神丸(1925.4 - 1925.12)→ "文庫”
  • 吉川英治作、山口将吉郎画:『神州天馬侠』(1925.5 - 1928.12)→ "名作1"
  • 高垣眸作、伊藤彦造画:『豹の眼』(1927.1 - 1927.12)→ "名作熱"、"文庫”
  • 大佛次郎作、伊藤彦造画:『角兵衛獅子』(1927.3 - 1928.5)→ "名作1"、"文庫”
  • 佐藤紅緑作、斎藤五百枝画:『あゝ玉杯に花うけて』(1927.5 - 1928.4)→ "名作1"、"文庫”
  • 佐々木邦作、河目悌二画:『苦心の学友』(1927.10 - 1929.12)→ "名作1"、"文庫”
  • 大佛次郎作、斎藤五百枝画:『山岳党奇談』(1928.7 - 1930.12)→ "文庫”
  • 佐藤紅緑作、斎藤五百枝画:『少年讃歌』(1929.4 - 1930.7)→ "文庫”
  • 山中峯太郎作、樺島勝一画:『敵中横断三百里』(1930.4 - 1930.9)→ "名作2"、"文庫”
  • 佐々木邦作、本田庄太郎画:『村の少年団』(1930.4 - 1932.5)→ "文庫”
  • 山中峯太郎作、樺島勝一画:『亜細亜の曙』(1931.1 - 1932.7)→ "名作2"、"文庫”
  • 佐藤紅緑作、斎藤五百枝画:『少年連盟』(1931.8 - 1932.6)→ "文庫”
  • 野村胡堂作、嶺田弘画:『地底の都』(1932.1 - 12)→ "文庫”
  • 南洋一郎作、鈴木御水、樺島勝一画:『吼える密林』(1932.4 - 1932.12)→ "名作2"、"文庫”
  • 山中峯太郎作、樺島勝一画:『大東の鉄人』(1932.8 - 1933.12)→ "名作熱"、"文庫”
  • 佐々木邦作、河目悌二画:『トム君・サム君』(1933.1 - 1933.12)→ "文庫
  • 森下雨村作、嶺田弘画:『謎の暗号』(1933.1、2)→ "文庫”
  • 平田晋作作、村上松次郎画:『昭和遊撃隊』(1934.1 - 1934.12)→ "名作2"
  • 高垣眸作、伊藤幾久造画:『快傑黒頭巾』(1935.1 - 1935.12)→ "名作2"、"文庫”
  • 平田晋策作、村上松次郎画:新戦艦高千穂(1935.7 - 1936.3)→ "名作熱"
  • 佐藤紅緑作、嶺田弘画:『黒将軍快々譚』(1935.11、12。1937.1 - 12)→ "文庫”
  • 高垣眸作、伊藤幾久造画:『まぼろし城』(1936.1 - 1936.4)→ "名作熱"、"文庫”
  • 江戸川乱歩作、小林秀恒画:『怪人二十面相』(1936.1 - 1936.12)→ "名作2"、"文庫”
  • 南洋一郎作、梁川剛一画:『魔界の宝』(1936.4 - 1931.12)→ "名作熱"、"文庫”
  • 江戸川乱歩作、梁川剛一画:『少年探偵団』(1937.1 - 1923.12)→ "名作熱"、"文庫”
  • 佐々木邦作、河目悌二画:『出世倶楽部』(1937.1 - 1937.12)→ "文庫”
  • 南洋一郎作、樺島勝一画:『緑の無人島』(1937.1 - 1937.12)→ "文庫”
  • 海野十三作、樺島勝一画:『浮かぶ飛行島』(1938.1 - 12)→ "名作熱"、"文庫”
  • 海野十三作、樺島勝一画:『太平洋魔城』(1939.1 - 1939.12)→ "文庫”
  • 須川邦彦作、北宏二画:『無人島に生きる十六人』(1941.10 - 1942.10)→ "名作2"
  • 横溝正史作、富永謙太郎画:『大迷宮』(1951.1 - 1951.12)→ "文庫”
  • 横溝正史作、富永謙太郎画:『金色の魔術師』(1952.1 - 1952.12)→ "文庫”
  • 横溝正史作、伊勢田邦彦画:『大宝窟』(1953.1 - 1953.12)→ "文庫”

漫画[編集]

復刻[編集]

  • 加藤謙一編:『少年倶楽部名作選1 長編小説集』、講談社(1966)(符号:"名作1")
  • 加藤謙一編:『少年倶楽部名作選2 長編・中編小説集』、講談社(1966)(符号:"名作2")
  • 加藤謙一編:『少年倶楽部名作選3 短編・少年詩』、講談社(1966)(符号:"名作3")
  • 加藤謙一編:『少年倶楽部名作選 熱血痛快小説集』、講談社(1969)(符号:"名作熱")
  • 加藤謙一編:『少年倶楽部名作選 面白づくし知恵くらべ珠玉全集』、講談社(1968)
  • 加藤謙一編:『少年倶楽部名作選 絵画編』、講談社(1967)
  • 『少年倶楽部複製版』1930.1 - 1933.12、講談社(1970 - 1975)
  • 『少年倶楽部文庫』全20冊、講談社(1975 - 1976)(符号:"文庫")

関連項目[編集]

  • ビッグ・リトル・ブック - 少年倶楽部とほぼ同時代に、アメリカで創刊・発売されていた少年向けの雑誌。少年倶楽部同様、挿絵付きの冒険小説・SF小説を中心とした構成となっていた。
  • 講談社少年部 - 講談社が日本全国から集め、毎年30倍近い競争率で採用の後、修養教育を施しながら労働させた社員見習い児童勤務部署。ただでさえ、講談社が雑誌少年倶楽部などを通じて当時の児童たちの憧れの人気出版企業であったばかりでなく、家庭の経済的事情で中学への進学が適わないことが珍しくなかった時代に、三食付きの全寮制で剣道や勉強も学べ、月5円の給料が支給され、やがては大卒社員と一緒に正社員、いわゆるサラリーマン採用の途も開かれている夢のような民間企業主催制度として、羨望の的だった。
  • どりこの

参考文献[編集]

  • 尾崎秀樹『思い出の少年倶楽部時代』、講談社、1997年、ISBN 9784062071598
  • 加藤謙一『少年倶楽部時代 編集長の回想』講談社、1968年
  • 加藤丈夫『漫画少年物語』都市出版、2002年
  • 須藤憲三編:『少年倶楽部年表』(加藤謙一編『少年倶楽部名作選 熱血痛快小説集』、講談社、1969年所収)
  • 『少年倶楽部・少年クラブ総目次』全3巻、ゆまに書房、2008年、ISBN 9784843327760

脚注[編集]

  1. ^ 『児童文学辞典』、東京書籍(1988)p.382
  2. ^ 高橋康雄:『夢の王国 懐しの少年倶楽部時代』p.262
  3. ^ 『児童文学辞典』、東京書籍(1988)p.566
  4. ^ 加藤丈夫『漫画少年物語』(都市出版、2002年)によると、人気を背景に高畠の言い値で決められていた画料の引き下げ交渉に加藤謙一らが赴いたところ、寄稿の取りやめで応じられた結果という(同書pp.118 - 119)
  5. ^ 『漫画少年物語』pp.120 - 123
  6. ^ 岩崎郁郎:『「少年倶楽部」と読者たち』、刀水書房(1988)p.9
  7. ^ 『少年倶楽部付録録一覧』(尾崎秀樹:『思い出の少年倶楽部時代』、講談社(1997)のp.242 - p.257
  8. ^ 日の丸旗之助 - マンガ図書館Z(外部リンク)
  9. ^ 児童文化功労者
  10. ^ a b 山中恒「戦時下の婦人・児童雑誌」『週刊朝日百科 日本の歴史117 ジャーナリズムと大衆文化』(朝日新聞社、1988年)
  11. ^ ふしぎな国のプッチャー - マンガ図書館Z(外部リンク)

外部リンク[編集]