梅若六郎 (56世)
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うめわか みのる 梅若 実 | |
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生誕 | (1948-02-16) 1948年2月16日(75歳) |
国籍 | ![]() |
別名 | 梅若玄祥 梅若紀彰 梅若善政 |
職業 | 観世流シテ方能楽師 梅若六郎家当主 |
著名な実績 | 人間国宝保持者 紫綬褒章受章 日本芸術院会員 |
五十六世 梅若 六郎(ごじゅうろくせい うめわか ろくろう、1948年(昭和23年)2月16日 - )は、観世流シテ方能楽師。梅若六郎家当代、重要無形文化財保持者(人間国宝)、日本芸術院会員。1988年(昭和63年)五十六世梅若六郎を襲名。2009年(平成21年)二世梅若玄祥へ改名。2018年(平成30年)2月16日、四世梅若実を襲名[1]。
現代を代表するシテ方の一人として知られ、数多くの賞を受賞している。また新作能に意欲的に取り組んでいることでも知られ、これまでに瀬戸内寂聴原作『夢浮橋』、美内すずえ原作『紅天女』(くれないてんにょ)、堂本正樹作『空海』、山本東次郎作『伽羅沙』(がらしゃ)・『大坂城』、馬場あき子作『額田王』、ミハイル・マルマリノス演出『ネキア』、村上元三作『覚鑁』などを初演している。
三世藤間勘祖との間の子に八世藤間勘十郎がいる。妻の梅若和子は、マドラス (企業)創業者一族の娘で[2]、慶應義塾大学法学部卒業後、英国ケンブリッジ大学に留学[3]、梅若インターナショナル代表兼日本伝統文化交流協会会長を務める。
略歴[編集]
- 1948年、五十五世梅若六郎の次男として生まれる。本名・梅若善政。祖父は二代梅若実。曽祖父は明治三名人の一人、初代梅若実。 父、祖父に師事。
- 初舞台は3歳で「鞍馬天狗」の子方。
- 初シテは6歳で「猩々」。
- 1979年、観世流梅若六郎家当主を継承。
- 1988年五十六世梅若六郎を襲名。財団法人梅若会理事長、能楽協会常務理事。
- 1980年 芸術祭優秀賞
- 1987年 芸術選奨文部大臣賞受賞
- 1996年 観世寿夫記念法政大学能楽賞
- 1999年 読売演劇大賞優秀賞・芸術院賞
- 2006年 紫綬褒章受章。
- 2007年 日本芸術院会員となる。
- 2009年1月8日、二世梅若玄祥へ改名。
- 2014年 重要無形文化財保持者(人間国宝)となる。
- 2016年 東京都中野区名誉区民
- 2018年2月16日、 四代梅若実を襲名。
- 2019年 フランス芸術文化勲章シュバリエ受章[4]。
逸話[編集]
- 梅若家の祖は橘諸兄と伝わる[5]。
- 元は「梅津」姓であったが、37世景久が後土御門天皇から「若」の字を賜った[5]。
- 初世梅若玄祥は40世梅若九郎右衛門氏盛である[5]。
- 梅若家の菩提寺は曹洞宗曹源寺である[5]。
- 影響を受けた人物として観世寿夫を挙げている[6]。
- 多田富雄作の新作能「一石仙人」を石川県立音楽堂で公演した際には、オリヴィエ・メシアン作のオルガン曲を使っている[6]。
著書[編集]
- 『まことの花』世界文化社 2003年
外部リンク[編集]
脚注[編集]
- ^ 四世梅若実を襲名 能楽師の梅若玄祥さん日本経済新聞2018年2月17日
- ^ サントリー鳥井・佐治家系図近現代・系図ワールド
- ^ 『観世』38号、檜書店, 1971
- ^ 能楽・野村萬氏ら、フランス芸術文化勲章日本経済新聞
- ^ a b c d 梅原猛・観世清和監『能を読む2 世阿弥 神と修羅と恋』
- ^ a b 笠井賢一編『花供養』
関連項目[編集]
日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |