坂東彌十郎
ばんどう やじゅうろう 坂東 彌十郎 | |
屋号 | 大和屋 |
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定紋 | 三つ大 ![]() |
生年月日 | 1956年5月10日(64歳) |
本名 | 本間寿男 |
襲名歴 | 1. 坂東彌十郎 |
俳名 | 酔寿 |
出身地 | 東京都 |
父 | 坂東好太郎 |
母 | 飯塚敏子 |
兄弟 | 二代目坂東吉彌 |
子 | 坂東新悟 |
坂東 彌十郎(ばんどう やじゅうろう、1956年〈昭和31年〉5月10日 - )は、日本の歌舞伎役者。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。本名は本間 寿男(ほんま ひさお)。松竹エンタテイメント所属で、俳優として映像作品にも出演している。
兄は関西歌舞伎の脇役で活躍した二代目坂東吉彌。長男は坂東新悟。
来歴[編集]
坂東好太郎の三男として東京に生まれる。千代田区立麹町小学校を卒業後、暁星中学校に入学。幼少の頃より背が高くサンマというニックネームもあった。また学芸会など演劇に熱心であった。
映画俳優に転じたあと昭和37年(1962年)に歌舞伎俳優に戻った父は伯父の八代目坂東三津五郎・十四代目守田勘彌に稽古をつけてもらっており、テープ係として同行していたという[1]。
「どうしても歌舞伎役者になりたい」と望み[2]、八代目三津五郎一門に入門。昭和48年(1973年)5月、歌舞伎座『奴道成寺』の所化観念坊で坂東弥十郎[3]を名乗って初舞台を踏んだ。しかし昭和50年(1975年)1月に三津五郎がフグに中って不慮の死を遂げ、十四代目守田勘彌の門に移るが、2か月後にはその勘彌も急死。
後ろ盾を失くすかたちとなり、役がつかなくなったため、実家に戻って父のもとで一般演劇にも出演していた。父は亡くなる前に三代目市川猿之助に彌十郎を託し、門下に移ったという[2]。
昭和53年(1978年)『五大力恋緘』(五大力)の男芸者、『人情噺文七元結』(文七元結)の鳶の頭で名題昇進。
以降は猿之助一座で立役、敵役、老役と幅広い役柄をこなし、平成10年(1998年)に真山青果賞奨励賞を受賞する。三代目猿之助演出のオペラ「コックドール」(1984年)等で演出助手を務め、坂東玉三郎の「夕鶴」(1997年)の演出も手がけた[4]。しかし澤瀉屋の助手としてではなく、自らもっと海外でやってみたいとの思いが芽生えたことから一門を離れた。その後、同世代の十八代目中村勘三郎による「平成中村座」に参加。平成15年(2003年)には中村座ニューヨーク公演『夏祭浪花鑑』「鳥居前」「三婦内」の三婦が好評を得ている。平成26年(2014年)には長男と自主公演「やごの会」を立ち上げ、平成28年(2016年)にはフランス、スイス、スペインの3ヵ国をめぐるヨーロッパ公演も行っている。
受賞歴[編集]
- 昭和59年(1984年) - 歌舞伎座優秀賞
- 平成10年(1998年) - 歌舞伎座賞、真山青果賞奨励賞
- 平成13年(2001年) - 重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる[5]。
人物・逸話[編集]
- 梨園一の長身 (183cm) で、その偉丈夫な押し出しを使った力強い芸風を持つ。
- 趣味は海外旅行で、とりわけヨーロッパ方面の旅を好んでいる。語学も英語、仏語に堪能で、歌舞伎の海外紹介に積極的で国際性豊かな歌舞伎役者を目指している。
- 酔寿(すいす)という俳号を持つ俳人でもあり、折に触れて自作の俳句を専門誌などに発表することもある[6]。
- 同世代の十八世中村勘三郎とは少年期より交友があり、生前の勘三郎の企画に名を連ねることも多かった。
- 猿翁(三代目猿之助)に自主公演「やごの会」ヨーロッパ公演の報告に行った際に「やっとだね」と声をかけられた。実は猿翁は彌十郎を気にかけ、一門を離れた後もテレビなどで出演している番組は必ず見ていたことを周囲から聞かされたという[2]。
主な出演[編集]
テレビドラマ[編集]
- 暴れん坊将軍II 第176話「決戦前夜の仮祝言!」(1986年、ANB / 東映) - 津田将監 役
- 暴れん坊将軍III 第17話「ちゃんにとどけ! 江戸ばやし」(1988年、ANB / 東映) - 萬屋仁兵衛 役
- 水戸黄門 (TBS / C.A.L)
- 髪結い伊三次 最終話「約束」(1999年6月23日、フジテレビ) - 助松 役
- DRAMA COMPLEX / 河井継之助 駆け抜けた蒼龍(2005年、NTV / 松竹) - 牧野市左衛門 役
- MIU404 第5話(2020年7月24日、TBS) - 喜多 役
- 鎌倉殿の13人(2022年、NHK大河ドラマ) - 北条時政 役
映画[編集]
- 書かれた顔(1996年、坂東玉三郎を追ったドキュメンタリー)
- シネマ歌舞伎「歌舞伎NEXT 阿弖流為(アテルイ)」 (2016年) - 藤原稀継 役
- 審判(2018年) - 殴る男 役(特別出演)[7]
脚注[編集]
- ^ “彌十郎、「歌舞伎夜話」で語った思い出の数々|歌舞伎美人” (日本語). 歌舞伎美人. 2020年12月30日閲覧。
- ^ a b c “第14回 坂東彌十郎(歌舞伎俳優) 脇役に人生あり。与えられたお役に真摯に向かい、より高みを目指す|大人未来 オトナが語る大人未来のメディアサイト”. 大人未来 オトナが語る大人未来のメディアサイト. 2020年12月30日閲覧。
- ^ 平成19年(2007年)1月、表記を「彌十郎」と改める。
- ^ “坂東 彌十郎 プロフィール|松竹エンタテインメント”. www.shochiku-enta.co.jp. 2020年12月30日閲覧。
- ^ “会員一覧 | 伝統歌舞伎保存会”. www.kabuki.or.jp. 2020年10月30日閲覧。
- ^ “彌十郎『四谷怪談忠臣蔵』泉岳寺で成功祈願” (日本語) (HTML) (プレスリリース), 歌舞伎総合サイト『歌舞伎美人』, (2010年3月11日) 2017年10月19日閲覧。
- ^ “The Trial 審判 | A John Williams Film”. shinpan-film.com. 2020年12月29日閲覧。
外部リンク[編集]
- 坂東彌十郎・坂東新悟 公式サイト
- 坂東彌十郎(@yajurobando) - Twitter
- 坂東彌十郎 オフィシャルブログ - Ameba
- 松竹エンタテイメントによるプロフィール