加藤一二三
| 加藤一二三 九段 | |
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四段昇段時の加藤(1954年) | |
| 名前 | 加藤一二三 |
| 生年月日 | 1940年1月1日(79歳) |
| プロ入り年月日 | 1954年8月1日(14歳) |
| 引退年月日 | 2017年6月20日(77歳) |
| 棋士番号 | 64 |
| 出身地 | 福岡県嘉麻市[1] |
| 師匠 | 剱持松二九段 |
| 段位 | 九段 |
| 戦績 | |
| タイトル獲得合計 | 8期 |
| 一般棋戦優勝回数 | 23回 |
| 通算成績 |
1,324勝1,180敗(0.529) タイトル戦の持将棋1 |
| 順位戦クラス | 名人・A級通算36期 |
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2018年3月3日現在 | |
この表について
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加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年1月1日 - )は将棋棋士。
実力制6人目の名人。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。2017年6月20日に現役を引退した。福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - )。
戦前生まれの名人経験者最後の存命者である。「
目次
略歴[編集]
最高齢現役(2017年6月20日引退)、最高齢勝利、最高齢対局、現役勤続年数、通算対局数、通算敗戦数は歴代1位であり、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代の各年代で順位戦最高峰A級に在籍したことがある唯一の棋士である[注釈 2]。14歳7か月で当時の史上最年少棋士(62年後の2016年に藤井聡太が更新)・史上初の中学生棋士となった。
順位戦デビュー(C級2組)からA級まで4年連続でのストレート昇級を果たし[注釈 3]、最年少A級昇級記録(18歳3か月)を保持している[5]。加藤の62年後に棋士となった藤井聡太が、加藤が保持していた最年少記録を次々に更新しているが、「18歳3か月でA級昇級」の記録は藤井にも更新不可能である[6][注釈 4]。加藤は2016年10月にプロデビュー直後の藤井と対談したが[7][注釈 5]、加藤がそのことを話すと[2]、藤井はその場で指を折って年数を数えてから頷いたとのこと[2]。
19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した、史上唯一の棋士でもある[注釈 6]。
また、加藤自らを除く、全ての実力制名人と対局経験がある[注釈 7]。
大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖を相手に、それぞれ100回以上対局している(百番指し)。
人物[編集]
1940年1月1日、福岡県嘉穂郡稲築村(現・嘉麻市)で生まれた。カトリック信者であり、1986年にローマ教皇庁から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章している[12]。紫綬褒章(2000年春[12])[13]。嘉麻市名誉市民(2016年)[14][15]。旭日小綬章(2018年春[16])[17]。
京都府立木津高等学校卒業[9][18][19]、早稲田大学第二文学部中退[14][20]。「一二三」という名前の由来は「一月一日(紀元二千六百年)に生まれた三男」[21]。青年棋士時代、他の棋士からの愛称は「一二三」の「一」にちなむ「ピンさん」であり、加藤はこの愛称を気に入っていた[22]。中年時代のあだなは「ベア(熊)」[23]。2017年現在、幅広い層から「ひふみん」の愛称で親しまれている[24]。また自身の洗礼名にちなんだ「パウロ先生」という愛称もある[25]。
戦績[編集]
神武以来の天才[編集]
1951年[注釈 8]、大阪市の日本将棋連盟関西本部で板谷四郎に飛香落ちで指導対局を受けている時に升田幸三に棋才を見出された[26]。たまたま通りかかった升田は、加藤と板谷の対局を小一時間ほども見つづけ、終局後に以下の言葉を発した[26]。
後年の加藤は、升田から受けた恩義を次のように振り返っている[27]。
同年9月[28]、南口繁一門下[28]、3級で[12]、関西奨励会入り[28][注釈 9]。奨励会入会試験で試験官を務めた奨励会員は有吉道夫であり、加藤は勝利した[29]。
田丸昇は、加藤の奨励会入りの経緯について、小学6年生の夏休みに京都の親類を父と共に訪ねた加藤が京都の将棋大会に参加し、審判長を務めていた南口の指導対局を受け、2枚落ちで2連勝し、加藤の棋才に感嘆した南口から棋士を目指すよう勧められたもの、と述べている[28]。
奨励会時代の加藤は、関西本部で升田幸三に誘われ、良く将棋を指した[26]。升田は棋才を認めていた加藤に自らの研究をぶつけていたのだが[注釈 10]、木村義雄・大山康晴・塚田正夫と並ぶ当時の最強棋士である升田と平手で指しても、加藤は簡単には負けなかったという[26]。
内藤國雄は、加藤が四段に昇段する半年ほど前に関西奨励会に6級で入会した[30]。2018年現在、内藤は関西奨励会時代の加藤を直に知る数少ない人物である[注釈 11]。内藤は、『将棋世界』2018年9月号の加藤引退記念特集に寄せたエッセイで次のように述べている[30]。
加藤は、1954年8月1日付で四段に昇段し、当時の史上最年少棋士(14歳7か月)・史上初の中学生棋士[注釈 12] となった[33]。加藤の最年少棋士記録は、2016年に14歳2か月で四段に昇段した藤井聡太が更新するまで、62年にわたり維持された[33]。ただし、加藤の回想によると、自身がプロ入りした時の反響はさほどではなかったという[34]。
1955年4月1日、順位戦C級1組への昇級により、15歳3か月で五段昇段[35]。この最年少五段記録は藤井聡太も更新できなかった[35]。1955年11月22日、15歳10か月の時に第1回六、五、四段戦で優勝した[36]。これは2018年に藤井聡太が更新するまで最年少棋戦優勝記録であった[36][37]。
1957年1月24日、高松宮賞争奪選手権戦で優勝する。17歳0か月での優勝は「新人棋戦を除く公式棋戦」における当時の最年少優勝記録であった[38] [注釈 13]。さらに、順位戦ではデビュー(C級2組)から4年連続でストレート昇級し[4][注釈 3]、1958年4月1日付で[12]、18歳3か月[5]でA級八段となる偉業を成し遂げ、「神武以来(じんむこのかた)の天才」[注釈 1][要検証]と呼ばれ、朝日新聞の1面コラム「天声人語」で取り上げられるなど[39]、大きな反響があった[34][注釈 14]。
A級順位戦の1年目は負け越したが、2年目(1959年度)で第19期名人戦(1960年)の挑戦権を得、20歳でタイトル初挑戦。七番勝負は大山康晴名人に1勝4敗で敗れた。名人挑戦権を獲得した頃、1960年2月1日には、朝日新聞朝刊の新聞漫画「サザエさん」で、活躍する若者の代表として、力士の大鵬幸喜(加藤より1学年下)と共に「しょうぎの加藤八段」として言及された[39]。
タイトル戦での大山・中原との対決[編集]
1960年代は、上記の名人戦を含めタイトル戦に7回登場したが、相手はいずれも大山であった。当時は大山の全盛期であり、毎年全部ないしはほとんどのタイトルを大山が占めていた。しかし、6度目のタイトル挑戦となった1968年度の第7期十段戦において、大山十段(名人を含む四冠)をフルセットの接戦の末に破り、プロ15年目にして、ついに初のタイトル獲得を果たした。
1970年代から1982年にかけては、一転して中原誠との対決の時代となる(将棋界が「大山時代」から「中原時代」に移行したことも意味する)。 中原との対戦成績は一時1勝19敗という大差であったが、加藤本人は特に苦手意識はなかったという。この期間、タイトル戦に14回登場したがそのうち中原との対決は9回にも上った。当初は1973年度の名人戦、および、1976年度・1977年度の十段戦で、中原の前に3回連続で敗退した。ところが、1977年度の第3期棋王戦では前年に大内延介から奪った棋王位を、中原五冠王を相手に3-0のストレートで防衛し六冠独占を阻止した。1978年度の王将戦では中原から王将位を奪取し、(直後に棋王戦で米長邦雄に敗れるまでの束の間ではあるが)自身初の二冠王となった。1980年度の十段戦では中原から4-1で奪取、翌年度も米長を相手に防衛を果たしている。
名人獲得とその後のタイトル戦[編集]
3度目の挑戦となった1982年の第40期名人戦では、中原に挑戦し4勝3敗・1持将棋・2千日手(実質十番勝負)という名人戦史上に残る空前の名勝負の末、初挑戦から苦節22年、念願の名人位を初めて手中にした[注釈 15]。また、十段と合わせ自身2度目の二冠制覇でもあった。
中原とのタイトル戦での対決は、中原が5回、加藤が4回獲得という結果であり、全盛期の中原に対して大善戦した[注釈 16]。1983年以降、両者はタイトル戦で相まみえることはなかった。
その後は、1984年度の第25期王位戦で高橋道雄から奪取するが翌年に高橋に奪回され、以降はタイトル戦の舞台に登場していない。一般棋戦の優勝は1993年度のNHK杯将棋トーナメントが最後である。なお、この優勝により、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代の各年代で一般棋戦優勝を達成。5つの十年紀での一般棋戦優勝は、中原誠・谷川浩司らを上回る史上1位の記録である。
順位戦[編集]
A級在籍期数(名人在位を含む)は通算36期であり、大山が44期、中原が29期であることを考えれば、非常に多いことがわかる。しかし、大山と中原が初のA級からの連続在籍であるのに対し、加藤の場合はA級とB級1組の間の往復がある。A級への復帰を決めたB級1組順位戦の期は、第16期(1961年度)、第21期(1966年度)、第23期(1968年度)、第51期(1992年度)の4回(= 4往復)である。このうち最初の3往復は、A級陥落から1期での即復帰である。
第62期(2003年度)に、名人位経験者として史上初めてB級2組に陥落が決定(同様に丸山忠久も)、以降は順位戦における成績が下り坂となった。 第65期(2006年度)は最終戦までB級1組昇級争いに絡んだが、第66期 - 第67期(2007年度 - 2008年度)に棋士人生で初となる降級点を2年連続で喫し、C級1組へ降級する。加藤が順位戦のC級1組に在籍するのは、プロデビューから2年目の1955年度以来、53期・54年ぶりである。
第68期 - 第70期(2009年 - 2011年度)は、C級1組順位戦において降級点を回避。この結果、2016年度まで順位戦在籍(現役続行)可能となった。だが、第71期(2012年度)以降は降級点を喫し続け、第72期(2013年度)順位戦でC級2組への降級が決定した。プロデビュー年度の1954年度以来、59期・60年ぶりに在籍したC級2組でも第73期 - 第74期(2014年度 - 2015年度)と連続して降級点を喫した。この間、第71期(2012年度)及び第74期(2015年度)では全敗を喫した(名人経験者の順位戦全敗は非常に珍しい)。
名人経験者として順位戦のB級2組・C級1組・C級2組に陥落したのは史上初である。また、2015年度には順位戦を含め全棋戦で負け0勝20敗(2014年度の岡崎洋六段戦から年度を2つまたぎ、2016年5月の中村修戦まで23連敗[注釈 17])となり、A級経験者の年度全敗は、2013年の田丸昇九段(当時はフリークラス在籍で0勝10敗)以来である。
4桁勝敗[編集]
1989年8月21日、大山に次いで史上2人目の通算1,000勝(特別将棋栄誉賞)を達成。さらに勝ち星を重ね、2001年には史上3人目の通算1,200勝達成。棋士会において、自身が九段昇段後の1,000勝を達成したことを示し、(タイトル称号の「十段」ではなく)段位としての「十段」の新設を提案した。
2011年11月1日、史上3人目の1,300勝を達成[41]。2012年7月26日、通算勝数歴代2位の中原誠に並ぶ1,308勝を達成[42]。2013年2月15日、東京・将棋会館で行われた王将戦1次予選で藤森哲也四段に勝ったため、公式戦通算成績が1,309勝(1,098敗)となり、通算勝数が歴代単独2位になった[43]。
一方、2007年8月22日の朝日杯将棋オープン戦予選、戸辺誠(当時四段)との対局において、史上初の通算1,000敗を記録する(1,261勝1,000敗))[44]。これは、加藤のキャリアの長さもさることながら、トーナメント戦(1敗すれば終わり)以外の対局、すなわち、タイトル戦の番勝負や挑戦者決定リーグ戦に数多く登場したことをも表す。なお、本人はテレビでこの話題に触れられた際、「150局くらいは逆転負けでした」と述べている。なお、同日時点での通算敗数の史上2位は有吉道夫九段の955敗(1,061勝)であり、その後、有吉も通算1,000敗を記録した。2013年3月12日の第71期名人戦・順位戦C級1組10回戦、阿部健治郎五段との対局において、通算1,100敗を記録した(1,309勝1,100敗)[45]。
現役最晩年[編集]
2015年3月11日の棋王戦予選3回戦で増田康宏(当時17歳4か月)と対局し勝利。75歳の加藤との年齢差58歳は、年長棋士側から見た史上最多年齢差勝利となった。この勝利の後、上記の2015年度全敗を含む23連敗を喫す。
2016年度の第30期竜王戦6組ランキング戦の初戦(2016年12月24日)では、加藤が持っていた史上最年少棋士記録(14歳7か月)を62年ぶりに更新し、14歳2か月でプロ棋士(四段)となった藤井聡太のデビュー戦の相手となった(結果は110手で藤井の勝ち)[46]。これは公式戦で最も離れた年齢差(62歳6か月)の対局となった[46][47]。
また、加藤は19世紀(村上真一と野村慶虎の2名[48])、20世紀(その他多数)、21世紀(藤井聡太[49])の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した記録を樹立した[46][50][51]。藤井聡太(2002年生まれ)は21世紀生まれの最初の棋士である[49]。そして、2014年(藤井聡太がプロ棋士になる2年前)の時点で、19世紀生まれの棋士との対局経験がある現役棋士は加藤のみであった[52]。よって、加藤のこの記録は史上唯一のものとなる。
2017年1月3日に丸田祐三が持っていた最高齢現役棋士記録(77歳+1日)を、1月12日に同じく丸田が持っていた最高齢対局記録(76歳11か月)を、それぞれ更新した[53]。一方で順位戦C級2組では、3回戦で八代弥(当時22歳5か月)に勝利したものの、他の対局で敗戦が続き、8回戦終了時点で1勝7敗の成績(1回戦は抜け番)。この時点で、加藤が降級点を回避できる条件は、残りの2局を加藤が連勝し、同時点で2勝しかしていない棋士のうち7人が全敗をすることだった。1月19日、当該7人の1人である竹内雄悟が佐藤慎一に勝利したことで、降級点回避条件を満たせなくなり、フリークラス規定による加藤の引退が決定した[54]。
名人経験者が規定で引退することになったのは史上初であった。加藤は、将棋界の制度によって引退したのは仕方ないが、引退の時点で気力・体力ともに衰えていず、公式戦対局への情熱を失っていなかったので、そうした制度がなければずっと戦い続けていただろう、と述べている[55]。また、名人位に就いたこともある自分が、その35年後にC級2組にまで下がり、規定で引退することになるまで現役を続けたのは、「77歳でC級2組に在籍していても、名人以外のタイトルは獲得できる」ことに大きな可能性を感じていた、棋士の世界では最後までチャンスがあるのだ、と述べている[56]。
引退が決定した翌日の1月20日の第88期棋聖戦二次予選・対飯島栄治戦(この時点の飯島は、順位戦B級1組・竜王戦2組の強豪棋士)にて、結果としては現役最後となる勝ち星を挙げ、大きな注目を集めた[57][58]。加藤はこの勝利によって丸田祐三が持っていた最高齢勝利記録(76歳11か月)を更新(77歳0か月)した[58][59]。そして、同年2月8日には同じく棋聖戦二次予選で佐藤天彦名人と対戦したが、現役の名人と引退直前の棋士が対局するのは極めて稀なことであった[60]。この対戦により、加藤は自身を除く実力制の全名人経験者と対戦することとなった[11][注釈 18]。
同年6月20日の竜王戦6組昇級者決定戦で高野智史に敗れ、加藤はこの日をもって現役引退となった[61]。加藤は、事前に連盟を通じて各報道機関に「この日は記者会見はしない。後日に行う」と通知していた[62]。この日の対局で、加藤が敗勢となり引退が決定的になった時点で、長年にわたり苦楽を共にした妻に会って引退のことを告げるのを最優先したい、と考えた加藤は、投了する少し前にタクシーを呼んでおき、投了すると直ちに帰宅した[62]。報道陣が集まっていたが、加藤は無言であった[63]。
その後、加藤は、Twitterで将棋界を支えるスポンサー、将棋ファンに直接に語りかけた[62]。
6月30日に、東京・将棋会館で引退に際しての記者会見を行った[65]。記者会見に参加した報道機関は、40社・100名に及んだ [24]。
1954年8月1日に四段となってから、2017年6月20日に引退するまでの現役勤続年数(62年10か月)は歴代1位であり[66]、大山康晴(1940年四段 - 1992年に順位戦A級在籍のまま死去[注釈 19])、内藤國雄(1958年四段 - 2015年引退)、有吉道夫(1955年四段 - 2010年引退)、丸田祐三(戦争によるブランクもあり、1946年に27歳で四段 - 1996年引退)、関根茂(1953年四段 - 2002年引退)らを抑えている。
62年10か月の間の通算対局数は2,214局に及ぶが、不戦敗したことは一度もなかった[67]。
現役引退後[編集]
2017年6月23日に仙台白百合女子大学客員教授に就任[68][69][70]。加藤の次女が同大学の教員という縁があった[70]。客員教授としての初仕事は、同年10月29日、同大学の学園祭での「私の学生時代」をテーマとするトークショーであった[71]。
2017年7月1日にワタナベエンターテインメントとマネジメント契約を結んだ[72]。引退する5年ほど前からバラエティ番組に出演していたが[73]、引退後はメディア出演が増えている[13][73][74]。
2017年11月2日に胆石性急性胆嚢炎と診断され、同日に手術を受けた[75]。
棋風[編集]
半世紀にわたる棋士人生を通して居飛車党を貫き、数々の定跡の発展に貢献してきた。また、よいと思った戦型はひたすら採用し続ける傾向にある。羽生善治は「作戦が立てやすいことは立てやすいが、100%同じ戦法で来るとなると不気味でもある。一つの戦法を突き詰めていくのも一つの生き方だし、一局一局が確実に次への知識になる。悪いことばかりでもないようだが、作戦が読まれて相手の研究にはまる危険性を考えると現実にそういう人はほとんどいない。だが加藤先生は全然恐れておられないようだ」と書いている(羽生善治「羽生善治 好機の視点」小学館文庫、初出は月刊将棋マガジン)。
特に「加藤棒銀」と呼ばれるほど棒銀戦法の採用率が高いことが有名で、四間飛車に対して居飛車穴熊が流行してもなお、棒銀で挑み続けている。また、相居飛車の一つである角換わりの将棋においても、棒銀を採用する傾向にある(一般的には棒銀よりも腰掛け銀を採用する棋士が多い)。また、矢倉▲3七銀戦法や、中飛車に対する袖飛車からの急戦は「加藤流」と呼ばれ、多くの棋士が採用している。
対振り飛車戦の居飛車では、特に大山康晴との戦いの経験を生かして作り上げた居飛車舟囲い急戦の各種の定跡において、加藤の創案が多い。対三間飛車急戦も、加藤の創案した仕掛けが多い。基本的に振り飛車には急戦で立ち向かうが、1980年に居飛車穴熊を主に対大山戦で数局ほど採用したことがある。
ひねり飛車や横歩取り3三桂のような空中戦も得意としており、後者は一時期後手番でも採用したことがある。さらにその後は、後手番では矢倉中飛車を多用した。
一流として必要なことを「行き詰まりの打開」と答えている。30代の時に行き詰まりを経験したが、「精神的な力を得て」それを克服することでその後に繋がったという。
- 長考派・1分将棋の神様
- 常に最善手を探すタイプのため、長考を厭わなかった。1968年の第7期十段戦第4局(大山康晴に挑戦)で、一手に7時間を費やした事は特に有名である[注釈 20][76]。長考するため終盤では持ち時間がなくなり、秒読みに追い込まれることが多かった。しかし、そこからがまた強く「1分将棋の神様」と呼ばれた[3]。
- 河口俊彦は、2003年(当時の加藤は63歳、順位戦B級1組)に上梓した『大山康晴の晩節』で、その頃の加藤を以下のように評している[77]。
- 一方で中原誠は「加藤さんが『1分将棋の神様』『秒読みに強い』とは言っても、随分、手を間違えている。むしろ、1分将棋・秒読みに強いと感じさせるのは羽生世代だ。」と述べている[78]。
- 加藤の強さは早指し棋戦でも発揮され、NHK杯戦では羽生善治、大山康晴に次いで歴代3位の優勝7回を誇り、他の早指し棋戦(早指し選手権戦、日本シリーズ、早指し王位決定戦)でも多くの優勝を重ねた。
- なお加藤自身は、後述するキリスト教の信仰との関係もあり「神様と言う言葉は大切なものであって、将棋の芸のすばらしさを表現するにはいくらでも適切なものがある」として「1分将棋の神様」という呼称を嫌っている。代わりに「達人」もしくは「名手」と呼んでほしいと語っている[79]。
- 好きな駒は銀
- 駒の中では「銀将」が好きだと述べている。前述のように棒銀戦法の使い手であり「銀は営業部長」と評している。鋭角的でどんどん前に出るから、うまくいけば良くなり、会社で言えば、営業部長で改革して業績を拡大するイメージがあるからとのこと[80]。
エピソード[編集]
対局での流儀[編集]
- 対局中、勝負所で駒を持つ手に力が入り、駒音がひときわ高くなることで知られる[81][82]。しかし、駒を割ったことは一度もない[83]。
- 加藤には漆アレルギーがある[84]。そのため、加藤が大棋士となってからは、連盟東京本部[85]では「加藤専用の駒」を用意し、加藤が2017年に引退するまで、少なくとも35年以上にわたって使われていた[84]。逆算すると、1980年ごろには既に用意されていたことになる。
- 対局に臨む際は、ネクタイを長く結ぶ(立ち上がると、ネクタイの先端がベルトより20㎝ほど下になる程度[86])[87]。 偶然ネクタイを長く結んで対局に向かった際、普段以上に澄んだ心持ちで集中して臨むことができ、快勝したため、以降、ネクタイを長く結ぶのが対局時の流儀になった[87]。
- 1978年度の第28期王将戦で中原誠王将に挑戦した際に、3勝1敗で迎えた第5局で、思わしい指し手が見つからず長考に沈んでいた[88]。その間に中原が席を外した時、ふと思いついた加藤は、中原が座っていた場所から盤面を見て、絶妙手を発見して勝利し、通算成績を4勝1敗として、4度目の挑戦で王将位を初めて奪取した[88]。加藤は、反対側から盤面を見なければ、その手は発見できなかったと述べている[88]。それ以来、時には対局相手の側から盤面を見るようになった[86][注釈 21]。ニコニコ生放送(ドワンゴ)では、加藤のこの習慣にちなみ、中継中に天井カメラから映す盤面を上下反対に表示することを「ひふみんアイ」と名づけ[注釈 22]、棋戦の生中継で使用している[89]。ドワンゴは、自社が主催する第3期叡王戦・決勝七番勝負の生中継(2018年4月 - 6月)では、スタジオ解説に使う大盤に回転軸を設け、物理的に上下反転できる構造とした[90]。
- タイトル戦の番勝負では、対局を行う旅館やホテルで、前日に両対局者と立会人が「検分」を行う[91]。加藤は、検分の際に対局する部屋のそばに人工の滝があるのに気づき、対局中にその音が精神集中の妨げにならないよう、その場で依頼して滝を止めて貰ったことが数回ある[92]。また、加藤はタイトル戦で宿泊する部屋にも気を配っており、国道沿い、あるいは川沿いの部屋に案内され、より静かな部屋に替えてもらったことが三回あり、三回とも勝利した[92]。真夜中に騒音で目が覚めてしまってからでは、仮に部屋を替えて貰えたとしても既に手遅れであり、寝不足の状態で対局することになる[92]。対局中に人工の滝の音で集中を乱されてしまってからでも同様に既に手遅れである[92]。対局室の環境・宿泊室の環境に気を配り、必要なら事前に手を打って後顧の憂いを絶つべし、というのが加藤の考えであった[92]。
- 1993年度のNHK杯決勝戦で佐藤康光竜王を下して7回目の優勝を飾った際、対局後の打ち上げの席で、日本将棋連盟会長であり、決勝戦の解説者でもあった二上達也が、加藤の対局中の空咳について苦言を呈した[93]。すると、NHKの担当者が即座に「画面の動きが少ない将棋番組において、加藤先生のように様々なパフォーマンスを見せ、視聴者を飽きさせない先生は貴重です」という旨を答えて弁護してくれた[93]。また当時はA級棋士であった加藤は、NHK杯で予選を免除され、毎期出場していた。終局後の感想戦で沈黙を作らないように、加藤は積極的に話すよう心がけていた[93]。NHKに「加藤九段は喋りすぎ。若手棋士が委縮する」という旨の投書があったが、NHKの担当者は意に介さず、加藤を支持してくれた[93]。
- 対局時の食事についてはエピソードが多い。
- 昼食と夕食で、同じメニューの出前を頼むのは対局中に食事のことで迷うより、あらかじめ注文するものを決めておきたいから[86]。
- 東京・将棋会館での対局では、鰻重が長期間にわたって定番であった[86]。天ぷら定食や鍋焼きうどんも好物だが、天ぷら定食は注文しても届かないことが重なり、鍋焼きうどんは冷めるまで待たないと食べられないので、「確実に届き、すぐに食べられる」鰻重に落ち着いた[86]。
- 2013年頃、一時鰻重を注文しなくなった時期がある[94]。 本人曰く「医者から脂っこいものを控えるように言われている」とのことで、当時は「ざるそばと冷やしトマト」がお気に入りだった[95] [96]。また勝又清和によれば「昼はコンビニかスーパーでサンドイッチや果物を買う」ことが多かった[97] 。2014年の秋頃から、再び鰻重を注文するようになった。
- 加藤は2017年6月20日に引退したが、2016年10月に行われた藤井聡太との対談で[注釈 5]、「大阪では鰻のメニューがないので」、関西将棋会館での対局の時は「鍋焼きうどんと、おにぎりを6つ」頼むのをずっと続けている、と述べた[8]。
- 東京・将棋会館での2015年2月12日の対局(順位戦C級2組、対 三枚堂達也)での夕食にカキフライ定食とグリルチキン定食の2つを注文し[8]、対局していた三枚堂を驚愕させ[98]、前述した加藤との対談で詳細を聞いた藤井聡太をも驚愕させた[8]。加藤はこの件について、カキフライ定食は軽いのでグリルチキン定食を埋め合わせに頼んだ、ライスを少し残した他は完食した、と述べている[8]。
- 鰻重が定番になる前に、昼食・夕食もラーメンが定番の時代があった[92]。ラーメン一杯だけで他に何も追加せず、それで夜戦に突入して腹が減ることもなく、快調に指して良く勝っていたため、「ラーメン時代」は20代後半からかなり長く続いたという[92]。
- 対局中のおやつとしてチョコレートやカマンベールチーズを好み、対局時に持参して良く食べていた[92][注釈 23]。
キリスト教徒として[編集]
- 1970年12月25日に下井草カトリック教会で洗礼を受けた[99]。
- 1971年10月にバチカンでおこなわれたマキシミリアノ・コルベの列福式に参列。列福式の前後にはヨーロッパ各地を訪れた(初の外国旅行)[100]。1982年10月10日におこなわれたコルベの列聖式にも参列し、コルベの出身地・ポーランドも訪れた[100]。
- 1986年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を授与された。「有事の際には馬に乗って駆けつけなければならない」と将棋観戦記者である東公平に語ったのは、湾岸戦争の話をしていた時であった[101]。
- 麹町の聖イグナチオ教会で、同教会で挙式するカップルを対象とした「結婚講座」の講師を夫人と共に務めている[102][103]。2018年に35年目を迎えた[103]。
師匠を逆破門[編集]
加藤は南口繁一九段門下であったが、南口が1995年に死去すると、その3年後の1998年に剱持松二八段門下となった[104]。加藤は剱持と以前から懇意にしており、また、剱持の師匠である荒巻三之九段(1993年に死去)と加藤は家族ぐるみの付き合いであった。
加藤は、南口との関係について「私が奨励会に入る時の師弟関係は親が勝手に決めた名目上のことで、私は師匠から一切世話にならなかった。私の師弟関係は無効であるにも関わらず、あたかも関係があったかのように扱われて、不名誉な思いをしてきた。また妻や妻の親戚の人達に長年にわたり不名誉で不快な思いをさせてきた。」との旨を述べた[105]。
河口俊彦は、日本がまだ貧しかった昭和20年代・30年代の将棋界では、師匠にとっても内弟子の衣食住の面倒を見るのは大変なことであり、内弟子が稼いだ稽古料を師匠が召し上げるのが当たり前であったが、内弟子時代の扱いについて師匠に不満を持っていた棋士が多かったのは事実と述べる[104]。しかし、加藤については、南口が内弟子の加藤をあまりにも大事にするので、逆に南口の家族が不平を言っていたという挿話を伝え、加藤が南口に恨みを持つような経緯があったとは考えにくい、と評する[104][注釈 24]。
1934年生まれの剱持は1940年生まれの加藤より年長である。しかし剱持の四段昇段が1956年であるのに対し、加藤の四段昇段は2年早い1954年であり「棋士としては、弟子(加藤)が師匠(剱持)より先輩」となる[104]。
トラブル[編集]
- 第13期銀河戦での阿部隆との対局(2009年5月26日放映)で「待った」の反則をした[107]。なお本局は加藤の勝ちとなっていた[107]。後日、日本将棋連盟は、理事会審議の結果として「(1)当該対局での加藤の勝ちはそのままとし、加藤は第13期銀河戦での次の対局を行う」「(2)加藤には、罰金、および第14期銀河戦出場停止の、2つの処分を科す」ことを発表した[107]。
- 神谷広志には、対局の際に苦言を呈されたことが3回あった[108][109]
- 将棋会館の暖房は音がして気が散るため、加藤は電気ストーブを好んでいた[108]。神谷との対局の際、神谷も寒くないようにとストーブを相手に向けて配置したところ、嫌がらせと誤解されてしまい「顔が熱くなるからやめてください」と言われた[108]。
- 対局の前に、記録係が将棋盤を置くなど対局のしつらえをするが、神谷との対局の際、加藤は盤の位置が気に入らずに盤を動かそうとした[108]。すると神谷がそれに異を唱えた。加藤と神谷は「くじ引きで勝った方の意見に従う」とし、神谷がくじ引きで勝ち、将棋盤を動かさずにそのまま対局することになった[108]。
- 神谷との対局の際、加藤が盤上の駒の位置を指先で直すと、神谷が「私の駒に触らないで下さい」と抗議した[108]。加藤は、将棋の駒は取ったり取られたりするものなので「自分の駒、相手の駒」という概念はないだろうと考えたという[108]。
- 2008年12月、加藤が自宅マンションそばで野良猫を餌付けしたため、糞尿をまき散らされるなどの被害を受けたとして、マンションの他の住人や管理組合から、餌やり中止と慰謝料など約645万円の賠償を求める訴訟を起こされた[110]。
- 2010年5月13日、東京地裁立川支部は、(1)マンション敷地内での餌付けを中止すること、(2)慰謝料204万円を支払うこと、を加藤に命じる判決を出した[111][112]。なお、判決によると、加藤の餌付けによって一時は18匹にまで増えた野良猫は、加藤が野良猫に不妊手術・去勢手術を受けさせたことで、4匹にまで減少していた[112]。
猫に長く生きてもらいたいと思ってした行動なのに、理解できない。 — 加藤一二三、[112]
- しかし、判決から13日後の5月26日に、加藤は下記のように語り、控訴を断念することを明らかにした[113]。
判決文を読み直してみると、私の取り組みに対して一定の評価をしており、大きな不満は抱いていない。慰謝料は払うが、今後も敷地外での餌やりは続けていきたい。 — 加藤一二三、[113]
- なお、この事件についてマスコミで報道されている最中、日本将棋連盟が年に一度開催する棋士総会で、前述のように加藤との対局中に何度もトラブルがあった神谷広志がわざわざ加藤の所に来て、「猫への餌やりの件、いろいろ報道されていますが、私は加藤先生を支持します」という旨を言って励ましてくれた[108]。
その他[編集]
- 中学3年生で棋士になり、学校を頻繁に休まざるを得なかった加藤に、授業のノートを届けてくれた中学校の同級生の女子を妻に迎えた[114][注釈 25]。結婚したのは、1960年1月15日、同い年である二人の成人式の当日のことであった[116]。仲人は、加藤と厚い信頼関係にあった升田幸三が務めた[117]。
- 加藤は引退に際しての記者会見(2017年6月30日)で下記のように語り、妻への謝意を表した[114]。
長年にわたって私とともに魂を燃やし、ともに歩んでくれた妻に深い感謝の気持ちを表したい。 — 加藤一二三、[114]
- 70代になっても相変わらずの大食漢である。それゆえに肥満体型であり、2016年現在は体重が100kgを超えてしまっている[118]。本人もダイエットの必要性を意識してはいるものの「エアロバイクに耐荷重オーバーで乗れない」といった問題があり、なかなか実行に移せないことを語っている[119]。
- 2017年5月26日、NHK「あさイチ」に生出演し、約40年前の1980年 - 81年に放映されたアニメ『ニルスのふしぎな旅』への感動を熱く語り、クライマックスとなるシーンを口頭で精密に描写した[120]。加藤はこの作品を50回は視聴したという[120]。司会の有働由美子アナウンサーは「鮮明に覚えてらっしゃる」と加藤の記憶力に驚嘆した[120]。
昇段履歴[編集]
- 1951年(11歳) 3級(奨励会入会)
- 1952年(12歳) 初段
- 1954年8月1日(14歳) 四段(プロ入り、史上初の中学生棋士)
- 1955年4月1日(15歳) 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1956年4月1日(16歳) 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1957年4月1日(17歳) 七段(順位戦B級1組昇級)
- 1958年4月1日(18歳) 八段(順位戦A級昇級)
- 1973年11月3日(33歳) 九段(九段昇格規定 30点)
- 2017年6月20日(77歳) 引退(順位戦C級2組からの降級、フリークラス規定)
主な成績[編集]
- 通算成績
タイトル[編集]
他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照
| タイトル | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 備考 |
| 竜王 | - | 0 | - | - | |
| 名人 | 82(第40期) | 4 | 1期 | 1 | |
| 叡王 | - | - | - | - | (加藤現役時は非タイトル戦) |
| 王位 | 84(第25期) | 3 | 1期 | 1 | |
| 王座 | - | 0 | - | - | (非タイトル戦時代の優勝1回) |
| 棋王 | 76(第2期)-77 | 3 | 2期 | 2 | |
| 王将 | 78(第28期) | 5 | 1期 | 1 | |
| 棋聖 | - | 2 | - | - | |
| 旧タイトル | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 備考 |
| 九段 | - | 0 | - | - | |
| 十段 | 68(第7期), 80-81 | 7 | 3期 | 2 | |
| 登場回数合計24、 獲得合計8期(歴代9位タイ) | |||||
一般棋戦優勝[編集]
- 王座戦(非タイトル戦時代) 1回(1962年度=第10回)
- NHK杯将棋トーナメント 7回(1960年度=第10回、1966、1971、1973、1976、1981、1993年度)
- 早指し将棋選手権 3回(1977年度後期=第10回、1981年度=第15回、1990年度=第24回)
- JT将棋日本シリーズ 2回(1983年度=第4回、1987年度)
- 天王戦 1回(1985年度=第1回)
- 名将戦 1回(1982年度=第9期)
- 高松宮賞争奪選手権戦 3回(1956年度=第1回、1964年度、1966年度高松宮賞受賞)
- 日本一杯争奪戦 2回(1958年度=第2回、1960年度)
- 六、五、四段戦 1回(1955年度=第1回)
- 早指し王位決定戦 1回(1959年度=第6回)
- その他優勝 1回
- 優勝合計23回
将棋大賞[編集]
- 第 4回(1976年度) 最多勝利賞・連勝賞・技能賞
- 第 5回(1977年度) 殊勲賞
- 第 6回(1978年度) 殊勲賞
- 第 8回(1980年度) 殊勲賞
- 第 9回(1981年度) 最優秀棋士賞・連勝賞
- 第12回(1984年度) 最多勝利賞・最多対局賞
- 第29回(2001年度) 東京将棋記者会賞
- 第44回(2016年度) 特別賞・升田幸三賞特別賞「棒銀をはじめとする数々の新工夫」
記録[編集]
- 最高齢現役(77歳5か月)
- 最高齢勝利(77歳0か月、2017年1月20日対飯島栄治戦)
- 最高齢対局(77歳5か月、2017年6月20日対高野智史戦)
- 年長者側の最多年齢差勝利(58歳5か月、2015年3月11日・対増田康宏(17歳4か月)戦)
- 最多年齢差対局(62歳6か月、2016年12月24日・対藤井聡太(14歳5か月)戦)
- 最長現役勤続年数(62年10か月)
- 最多対局数(2,505局)
- 最多敗戦数(1,180敗)
- 最年少五段(15歳3か月)
- 最年少八段(18歳3か月)[40]
- 最年少A級(18歳3か月)
- 最年少名人挑戦(20歳)
- 順位戦デビューからA級まで、4期連続で最短昇級(加藤の他には中原誠のみ)[4]
- A級順位戦最多勝利(149勝)
- A級順位戦最多対局(313局)
- 順位戦最多出場[121](62期)
- 19世紀生まれ・20世紀生まれ・21世紀生まれの棋士と公式戦で対局(史上唯一)
- 62歳A級(大山康晴に次ぐ史上2位)
- 名人・A級通算在位36期(大山康晴に次ぐ史上2位)[66]
- 珍記録
- 最年少A級陥落(21歳)
- 最多A級昇級・B級1組降級(5回)
- 最年少A級返り咲き(22歳。A級昇級年少記録全体で見ても、自身の18歳、谷川浩司の19歳に次ぎ3位)
タイトル戦全成績[編集]
| 年度 | タイトル | 勝敗 | 相手 | 備考 | |
| 1960 | 名人 | 敗 | ○●●●千● | 大山康晴 | |
| 1961 | 王将 | 敗 | ●●● | 大山康晴 | 指し込み |
| 1963 | 王位 | 敗 | ○●○●●● | 大山康晴 | |
| 1966 | 王将 | 敗 | ●●○●● | 大山康晴 | |
| 1967 | 王将 | 敗 | ●●○●○● | 大山康晴 | |
| 1968 | 十段 | 勝 | ●●○○●○○ | 大山康晴 | 奪取 |
| 1969 | 十段 | 敗 | ●●○○千●千● | 大山康晴 | 失冠 |
| 1973 | 名人 | 敗 | ●●●● | 中原誠 | |
| 1976 | 十段 | 敗 | ●○千●●○○● | 中原誠 | |
| 1976 | 棋王 | 勝 | ○○○ | 大内延介 | 奪取 |
| 1977 | 十段 | 敗 | ○●○●●○● | 中原誠 | |
| 1977 | 棋王 | 勝 | ○○○ | 中原誠 | 防衛、中原の六冠独占を阻止 |
| 1978 | 王将 | 勝 | ●○○○○ | 中原誠 | 奪取、束の間の二冠王 |
| 1978 | 棋王 | 敗 | ●●○○● | 米長邦雄 | 失冠 |
| 1979 | 棋聖・前 | 敗 | ●○●● | 中原誠 | |
| 1979 | 王将 | 敗 | ●●○●○● | 大山康晴 | 失冠 |
| 1980 | 十段 | 勝 | ○●○○○ | 中原誠 | 奪取 |
| 1981 | 十段 | 勝 | ●○●○○○ | 米長邦雄 | 防衛 |
| 1981 | 棋聖・後 | 敗 | ●●● | 二上達也 | |
| 1982 | 名人 | 勝 | 持●○●○千○●千○ | 中原誠 | 奪取、「十番勝負」、二冠王 |
| 1982 | 十段 | 敗 | ●○●○●● | 中原誠 | 失冠 |
| 1983 | 名人 | 敗 | ●●●○○● | 谷川浩司 | 失冠 |
| 1984 | 王位 | 勝 | ○●●○●○○ | 高橋道雄 | 奪取 |
| 1985 | 王位 | 敗 | ●●●● | 高橋道雄 | 失冠 |
順位戦在籍記録[編集]
名人・A級 - 36期
| 期(年度) | クラス | 在位 |
| 第9期(1954年度) | C2 | 1 |
| 第10期(1955年度) | C1 | 1 |
| 第11期(1956年度) | B2 | 1 |
| 第12期(1957年度) | B1 | 1 |
| 第13期(1958年度) - 第15期(1960年度) | A | 3 |
| 第16期(1961年度) | B1 | 1 |
| 第17期(1962年度) - 第20期(1965年度) | A | 4 |
| 第21期(1966年度) | B1 | 1 |
| 第22期(1967年度) | A | 1 |
| 第23期(1968年度) | B1 | 1 |
| 第24期(1969年度) - 第30期(1976年度) | A | 8 |
| 第31期 - 第35期(存在せず)[注釈 26] | - | - |
| 第36期(1978年度) - 第40期(1981年度) | A | 4 |
| 第41期(1982年度) | 名人 | 1 |
| 第42期(1983年度) - 第47期(1988年度) | A | 6 |
| 第48期(1989年度) - 第51期(1992年度) | B1 | 4 |
| 第52期(1993年度) - 第60期(2001年度) | A | 9 |
| 第61期(2002年度) - 第62期(2003年度) | B1 | 2 |
| 第63期(2004年度) - 第67期(2008年度) | B2 | 5 |
| 第68期(2009年度) - 第72期(2013年度) | C1 | 5 |
| 第73期(2014年度) - 第75期(2016年度) | C2 | 3 |
主な対戦相手との勝敗[編集]
30局以上指した棋士との勝敗を以下に示す。大山、中原、米長の3人は加藤の最大のライバルでもあった。
| 対戦相手 | 対局 | 勝 | 敗 | タイトル戦 |
| 升田幸三 | 39 | 22 | 17 | |
| 大山康晴 | 124 | 46 | 78 | 獲得1 敗退7 |
| 加藤博二 | 38 | 29 | 9 | |
| 丸田祐三 | 50 | 28 | 22 | |
| 灘蓮照 | 30 | 18 | 12 | |
| 二上達也 | 94 | 45 | 49 | 獲得0 敗退1 |
| 山田道美 | 43 | 24 | 19 | |
| 有吉道夫 | 56 | 31 | 25 | |
| 内藤國雄 | 59 | 32 | 27 | |
| 米長邦雄 | 104 | 41 | 63 | 獲得1 敗退1 |
| 大内延介 | 42 | 27 | 15 | 獲得1 敗退0 |
| 中原誠 | 109 | 41 | 67 | 獲得4 敗退5 |
| 桐山清澄 | 49 | 26 | 23 | |
| 勝浦修 | 37 | 21 | 16 | |
| 森雞二 | 46 | 30 | 16 | |
| 青野照市 | 32 | 21 | 11 | |
| 谷川浩司 | 46 | 16 | 30 | 獲得0 敗退1 |
| 高橋道雄 | 32 | 13 | 19 | 獲得1 敗退1 |
| 以下、参考(30局未満) | ||||
| 塚田正夫 | 28 | 21 | 7 | |
| 羽生善治 | 20 | 6 | 14 | |
| 佐藤康光 | 12 | 3 | 9 | |
| 森内俊之 | 17 | 5 | 12 | |
| 丸山忠久 | 13 | 3 | 10 | |
| 渡辺明 | 1 | 1 | 0 | |
| 佐藤天彦 | 2 | 0 | 2 | |
| 藤井聡太 | 1 | 0 | 1 | |
※中原との対局数は、タイトル戦での持将棋1局を含む。
| 将棋タイトル獲得記録 | ||
|---|---|---|
| 順位 | 獲得回数 | 棋士名 |
| 1位 | 99期 | 羽生善治 * |
| 2位 | 80期 | 大山康晴 |
| 3位 | 64期 | 中原誠 |
| 4位 | 27期 | 谷川浩司 * |
| 5位 | 20期 | 渡辺明 * |
| 6位 | 19期 | 米長邦雄 |
| 7位 | 13期 | 佐藤康光 * |
| 8位 | 12期 | 森内俊之 * |
| 9位タイ | 8期 | 木村義雄 | 加藤一二三 |
| *は現役棋士 | ||
その他表彰[編集]
- 1977年 - 将棋栄誉賞(通算六百勝達成)
- 1978年 - 現役勤続25年
- 1982年 - 将棋栄誉敢闘賞(通算八百勝達成)
- 1986年 - 聖シルベストロ教皇騎士団勲章
- 1989年- 特別将棋栄誉賞(通算千勝達成)
- 1993年 - 現役勤続40年
- 2000年春 - 紫綬褒章
- 2001年 - 通算千二百勝達成
- 2003年 - 現役勤続50年
- 2012年 - 第71回西日本文化賞[122]
- 2014年 - 現役勤続60年[123]
- 2016年 - 嘉麻市名誉市民
- 2017年 - ユーキャン新語・流行語大賞トップテン「ひふみん」[124]、 平成29年度ゆうもあ大賞 [125]、日本PR大賞 パーソン・オブ・ザ・イヤー[126]
- 2018年春 - 旭日小綬章
著書[編集]
- 『加藤詰将棋200題』金園社 1966
- 『振飛車破り』大泉書店 1968
- 『棒銀の闘い』大泉書店 1968
- 『矢倉の闘い』大泉書店 1968
- 『矢倉囲いの新戦法』金園社 1969
- 『力戦振飛車』大泉書店 1970
- 『中終盤の闘い 初段をめざす将棋シリーズ』大泉書店 1971
- 『将棋の初歩入門』大泉書店 1972
- 『振飛車破り. 続』大泉書店 1973
- 『加藤一二三実戦集 わが熱闘、珠玉の40局』大泉書店 1975
- 『逆転の将棋 秘密の受け・攻め・読み・捌き』青春出版社 プレイブックス 1976
- 『将棋実力養成次の一手』第1-4集 西東社 1975-1976
- 『将棋実力養成詰め将棋100選』西東社 1976
- 『将棋の基本 わかりやすい 入門から初段まで』ナツメ社 1976
- 『寄せと詰めの秘訣 詰将棋・次の一手付き』コルベ出版 1976
- 『加藤(九段)の詰将棋』高橋書店 1977
- 『加藤の詰将棋傑作選』日本文芸社 1977
- 『将棋勝ち方戦法』西東社 1977
- 『初心者の詰将棋』日本文芸社 1978
- 『ジュニア版将棋入門』ナツメ社 1978
- 『楽しい将棋入門』主婦の友社 1978
- 『棒銀の戦法』主婦の友社 1978
- 『やさしい将棋入門』西東社 1978
- 『いちばん早く強くなる将棋』広済堂出版 1979
- 『加藤一二三実戦集』永岡書店 1979
- 『将棋・あなたの実力は? 次の一手-あなたはどう指すか』ナツメ社 1979
- 『将棋・入門から実戦まで どう戦えば勝てるか』ナツメ社 1979
- 『実戦に役立つ将棋実力テスト』ナツメ社 1979
- 『日本将棋大系 14 坂田三吉・神田辰之助』筑摩書房 1979
- 『加藤一二三実戦名局集 対矢倉戦の勝局譜』永岡書店 1980
- 『現代振飛車破り』新星出版社 1980
- 『プロの矢倉3七銀』大泉書店 1980
- 『プロの矢倉3七桂』大泉書店 1980
- 『現代将棋名局集 5 加藤一二三名局集』筑摩書房 1981
- 『中学・高校生の将棋問題集 10級〜3級』成美堂出版 1981
- 『次の一手最強の手筋 勝つ手は常に一つだ』創元社 1981
- 『プロの中飛車破り』大泉書店 1981
- 『プロの四間飛車破り』大泉書店 1981
- 『中学・高校生の将棋 入門編』成美堂出版 1982
- 『プロの三間飛車破り』大泉書店 1982
- 『加藤一二三の将棋の勝ち方 必勝・矢倉戦法のすべて』ナツメ社 1983
- 『加藤一二三の将棋の指し方 身につけたい基本の手筋と戦法』ナツメ社 1983
- 『加藤一二三の将棋の手ほどき』文研出版 1983
- 『加藤の勝つ次の一手 あなたの実力何段?何級?』日本将棋連盟 1984
- 『加藤一二三の将棋の戦い方 基本戦法と必ず勝つ手筋・寄せ』ナツメ社 1984
- 『加藤一二三のつめ将棋全百科 初級編』小学館 コロタン文庫 1984
- 『加藤流矢倉+中飛車破り』筑摩書房 1985
- 『入門シリーズ③ 将棋入門 加藤一二三監修』(1989年、西東社、ISBN 4-7916-0563-2)
- 『楽しむ詰将棋』(1992年、光文社文庫)
- 『加藤流 振り飛車撃破』(2003年、毎日コミュニケーションズ)
- 『加藤流 最新棒銀の極意』(2003年、毎日コミュニケーションズ)
- 『加藤流 最強三間飛車撃破』(2004年、毎日コミュニケーションズ)
- 『加藤の振り飛車破り決定版(2005年、日本将棋連盟)
- 『一二三の玉手箱』(2007年、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-2277-2)
- 『老いと勝負と信仰と』(2011年、ワニブックス、ISBN 4-8470-6035-0)
- 『将棋名人血風録 奇人・変人・超人』(2012年、角川oneテーマ21、ISBN 4-0411-0241-3)
- 『脳が活性化する!大人がもう一度はじめる将棋入門』産経新聞出版 2013
- 新装版『ひふみんの将棋入門』同 2017
- 『羽生善治論 「天才」とは何か』(2013年、角川oneテーマ21、ISBN 4-0411-0455-6)
- 『負けて強くなる 通算1100敗から学んだ直感精読の心得』宝島社新書 2014
- 『加藤一二三の5手詰め』創元社 2015
- 『加藤一二三名局集』日本将棋連盟 2015
- 『無敵棒銀 - 加藤流熱血道場』木本書店 2015 ISBN 4-9048-0815-0
- 『加藤一二三の3手詰め 詰将棋202題』創元社 2016
- 『求道心 誰も語れない将棋天才列伝』SB新書 2016
- 『天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生』日本実業出版社 2017
- 『鬼才伝説-私の将棋風雲録』中央公論新社 2018
編著[編集]
- 『ユリイカ 詩と批評 特集加藤一二三 棋士という人生』青土社、2017年7月号
出演[編集]
テレビ番組[編集]
- 将棋講座 加藤一二三の大勝負この一手(2005年4月 - 9月、NHK教育)
- アウト×デラックス(2012年 - 、フジテレビ) ※準レギュラー(不定期出演)
- スッキリ!!(2017年6月21日・6月27日・7月3日・7月25日、日本テレビ) - 引退後初のテレビ出演。MCの加藤浩次、近藤春菜から花束が贈呈される。
- ETV特集-加藤一二三という男ありけり(2017年、NHK Eテレ)
- 第68回NHK紅白歌合戦(2017年12月31日、NHK) - 審査員[127]
ほかゲスト出演多数
アニメ[編集]
- レイトンミステリー探偵社(2018年4月30日、フジテレビ)コンピューター役
- ゴー!ゴー!キッチン戦隊クックルン(2018年10月15日~10月18日[128]、NHK Eテレ)加藤一二三(本人)役
ウェブテレビ[編集]
- NonStop ひふみん(2017年5月19日・6月2日、FRESH! by CyberAgent) - 進行は山口恵梨子
ウェブラジオ[編集]
CM[編集]
- 佐鳴予備校(2016年9月 - )
- 白泉社『3月のライオン』(2017年9月 - )
- 日本郵便「年賀状印刷」 (2017年10月 - )- 相葉雅紀と共演
- NTTドコモ
- 3月のライオン(2017年)- 将棋を題材とした漫画とそのメディア展開
ゲームソフト[編集]
- 加藤一二三 九段 将棋心技流(1997年、ヘクト) ※スーパーファミコン用ソフト
- ひふみんRUN すすめ!棒銀一直線(2018年、ポケット) ※Android・iOS対応アプリ[129]
- 加藤一二三九段監修 ひふみんの将棋道場(2018年12月20日発売予定、ポケット) ※Nintendo Switch用ソフト
作品[編集]
配信楽曲[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ a b 「神武以来(じんむこのかた)」とは「(初代天皇神武天皇が即位して)我が国始まって以来の」または「他に例がないほど非常に優れた」という意味で、神武景気に沸く1955年の流行語。
- ^ 他には大山康晴が1940年代から1990年代までA級在籍。6つの十年紀でのA級在籍はこの二人のみ。
- ^ a b 2018年現在、順位戦デビュー(C級2組)からA級まで4年連続でストレート昇級したのは、加藤と中原誠の2例のみ[4]。
- ^ 藤井聡太がC級2組からA級まで最短で昇級したとしても、A級昇級時に18歳8か月となる[5]。よって加藤の最年少A級昇級記録「18歳3か月」を抜くことができない。
- ^ a b 2016年10月1日に藤井聡太がプロデビューした直後、加藤は読売新聞の企画で藤井と対談し、2017年10月17日付の読売新聞朝刊に掲載された[7]。さらに『将棋世界』(日本将棋連盟)2017年3月号に「完全版」として新聞紙面に掲載できなかった分も含めて再度掲載された[8]。
- ^ 根拠は「現役最晩年」セクション内の記述を参照。
- ^ 加藤が引退した2017年6月20日までの、木村義雄 - 佐藤天彦の12名。名人 (将棋)#実力制歴代名人を参照。うち、木村義雄は加藤が四段になる前の1952年に引退したが、1953年12月に奨励会三段時代の加藤と角落ちでの特別対局(京都新聞主催)[9]、1958年にA級八段になった加藤と平手での特別対局(静岡新聞主催)[10]を行っている。[11]
- ^ 出典には「小学6年生の時」とあり、1951年に奨励会に3級で入会するよりも前の出来事として記述されている。加藤が小学6年生であったのは、1951年4月 - 1952年3月。
- ^ 京都府相楽郡木津町(現・木津川市)在住であった南口の内弟子となり、高校を卒業するまで木津町で過ごした[9]。
- ^ 2018年現在、升田と加藤が行ったような、棋士や奨励会員による「一対一の研究会」は「VS(ブイエス)」と呼ばれる。
- ^ 2018年現在、加藤の奨励会入会の試験官を務めた有吉道夫も健在である[31]。加藤は、有吉と内藤と自らの3名(3名とも通算1,000勝を達成)を「同期の桜」と表現している[32]。
- ^ 加藤がプロになったのは中学3年のときで、谷川浩司は中学2年でプロになっているが、加藤は14歳7か月、谷川が14歳8か月のため、加藤の方が若い。
- ^ 加藤のこの記録は、藤井聡太が、2018年2月17日に15歳6か月で第11回朝日杯将棋オープン戦(「新人棋戦以外の公式棋戦」に該当)で優勝したことで更新された。
- ^ A級への昇級・八段への昇段を決めたのは1958年2月27日、京都府立木津高等学校3年在学中(18歳1か月)[18]。当時の規定により、八段への昇段は翌年度初日の1958年4月1日付(18歳3か月[40])であった。
- ^ 谷川浩司は、この名人戦最終局の解説会(東京・将棋会館)で解説役を務めていた。谷川の夢は中原名人に勝って名人位に就くことであった。谷川は当時の心境について「加藤先生には申し訳ないが、中原先生に名人のままでいてもらわなければ困ると思った。(解説役を務める立場なのに)加藤先生の勝ちとなったときには呆然とした。」との旨を語っている(別冊宝島380「将棋王手飛車読本」)。翌年、谷川がA級1年目で加藤名人への挑戦権を得て、‘中原名人’ではなく加藤名人から名人位を初奪取することとなる。中原と谷川はその後名人戦を二度戦って中原の2勝1敗。いずれも挑戦した側が名人位を奪取した。
- ^ 中原との対局が最も多かった棋士といえば米長邦雄であるが、中原の全盛期にあたるこの期間(1970年代 - 1982年)に関して言えば、中原を相手にして米長がタイトルを獲得した回数は3回のみである。
- ^ 偶然だが、連敗後の初勝利は、その中村修の弟子にあたる上村亘四段である。
- ^ ただし、この2人の対戦は初めてではなく、佐藤の名人就位前に対戦経験がある[60]。
- ^ 順位戦A級に在籍していた大山は、仮に健康問題がなく、かつ規定で引退することになるまで現役を続けていれば、少なくとも2001年3月末まで現役を続けることが可能であった。その場合、現役勤続60年超を記録する。
- ^ 1日目は大山の手番で終わったが、大山の封じ手が何かは自明であり、加藤はそれに対する応手をひたすら考え続けた[76]。2日目の対局開始時、開封された大山の封じ手は加藤の予想通りであり、加藤は次の手を指すまでに1時間55分を費やし、ついに最善手を導いた[76]。1日目が終わった後に考え続けた時間が5時間、棋譜の上での、この一手の加藤の消費時間が1時間55分、計7時間という計算。
- ^ 石田和雄や藤井聡太なども、対局相手の側から盤面を見ることがあり、対局相手が席を外している時であれば、対局マナー上も問題ない。
- ^ 将棋界では、盤面を示す際には先手を下、後手を上に表示するのが原則である。ある局面を説明する都合などで、上下を反対に表示する際は、「便宜上、先後を逆にしている」旨を明示する。
- ^ タイトル戦番勝負、一般棋戦決勝戦のような特別の対局では、主催社から「おやつ」が提供され、他にも所望すれば出してくれる。通常の対局では「おやつ」は自分で用意する。
- ^ 南口繁一・九段は、弟子である森信雄が村山聖を弟子にしようとして関西棋界の実力者であった灘蓮照九段の逆鱗に触れた際に、森の依頼に応えて灘と話し合い、1年遅れという条件はついたものの、村山の森門下での奨励会入りを実現させている[106]。南口の人柄や事績について、ネガティブな逸話は特に伝わらない。
- ^ 加藤が同級生と結婚したことを書いた「“ツイート”. みた八 @mitahachi (2017年6月26日). 2017年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月3日閲覧。」に対して、加藤自身がツィッターで言及した[115]。
- ^ 「順位戦#順位戦の記録」を参照。
出典[編集]
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参考文献[編集]
- 大崎善生 『聖の青春』 講談社(講談社文庫)、2002年。
- 加藤治郎(監修) 『[写真で見る]将棋昭和史』 毎日コミュニケーションズ、1987年。
- 加藤一二三 『負けて強くなる』 宝島社(宝島社新書)、2014年。
- 加藤一二三 『天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生』 日本実業出版社、2017年。
- 加藤一二三 『鬼才伝説 私の将棋風雲録』 中央公論新社、2018年。
- 河口俊彦 『大山康晴の晩節』 飛鳥新社、2003年。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 加藤一二三オフィシャルブログ - Ameba Blog
- 加藤一二三 (@hifumikato) - Twitter
- 日本将棋連盟プロフィール
- ニャンとも言えない一二三伝説 - ニコニコ公式ブロマガ
- 加藤一二三インタビュー - ニューヨーカーマガジン
- 加藤一二三|ワタナベエンターテインメント
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