加藤一二三

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 加藤一二三 九段
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四段昇段時の加藤(1954年)
名前 加藤一二三
生年月日 (1940-01-01) 1940年1月1日(78歳)
プロ入り年月日 1954年8月1日(14歳)
引退年月日 2017年6月20日(77歳)
棋士番号 64
出身地 福岡県嘉麻市[1]
師匠 剱持松二九段
段位 九段
戦績
タイトル獲得合計 8期
一般棋戦優勝回数 23回
通算成績 1,324勝1,180敗(0.529)
タイトル戦の持将棋1
順位戦クラス 名人・A級通算36期
2018年3月3日現在

加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年1月1日 - )は将棋棋士

実力制6人目の名人剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。2017年6月20日に現役を引退した。福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - )。

戦前生まれの名人経験者最後の存命者である。神武以来じんむこのかたの天才」[2][注釈 1]「1分将棋の神様」[3]の異名を持つ。

略歴[編集]

最高齢現役(2017年6月20日引退)、最高齢勝利、最高齢対局、現役勤続年数、通算対局数、通算敗戦数は歴代1位であり、1950年代1960年代1970年代1980年代1990年代2000年代の各年代で順位戦最高峰A級に在籍したことがある唯一の棋士である[注釈 2]。14歳7か月で当時の史上最年少棋士(62年後の2016年に藤井聡太が更新)・史上初の中学生棋士となった。デビューから4年連続で順位戦で昇級し、18歳でA級八段という記録は60年近く経った今もなお破られていない[注釈 3]

19世紀20世紀21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した、史上唯一の棋士でもある[注釈 4]

また、加藤自らを除く、全ての実力制名人と対局経験がある[注釈 5]

大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖を相手に、それぞれ100回以上対局している(百番指し)。

人物[編集]

1940年1月1日、福岡県嘉穂郡稲築村(現・嘉麻市)で生まれた。カトリック教徒であり、1986年に聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章している。紫綬褒章受章(2000年)[7][8]。嘉麻市名誉市民(2016年)[9][10]

京都府立木津高等学校卒業[4][11][12]早稲田大学第二文学部中退[9][13]。「一二三」という名前の由来は「日(紀元千六百年)に生まれた男」[14]。青年棋士時代、他の棋士からの愛称は「一二三」の「一」にちなむ「ピンさん」であり、加藤はこの愛称を気に入っていた[15]。中年時代のあだなは「ベア(熊)」[16]。2017年現在、幅広い層から「ひふみん」の愛称で親しまれている[17]。また自身の洗礼名にちなんだ「パウロ先生」という愛称もある[18]

戦績[編集]

神武以来の天才[編集]

1951年に、南口繁一門下・3級で関西奨励会入り[注釈 6]。1954年8月1日付で当時の史上最年少棋士(14歳7か月)史上初の中学生棋士[注釈 7] となる[19]。加藤の最年少棋士記録は、2016年に14歳2か月で四段に昇段した藤井聡太が更新するまで、62年にわたり維持された[19]。ただし、加藤の回想によると、自身がプロ入りした時の反響はさほどではなかったという[20]

1954年4月1日、順位戦C級1組への昇級により、15歳3か月で五段昇段[21]。この最年少五段記録は藤井聡太も更新できなかった[21]。1955年11月22日、15歳10か月の時に第1回六、五、四段戦で優勝した[22]。これは2018年に藤井聡太が更新するまで最年少棋戦優勝記録であった[22][23]

1957年1月24日、高松宮賞争奪選手権戦で優勝する。17歳0か月での優勝は「新人棋戦を除く公式棋戦」における当時の最年少優勝記録であった[24] [注釈 8]。さらに、順位戦ではデビューから4年連続昇級して18歳でA級八段となる偉業を成し遂げ、「神武以来(じんむこのかた)の天才[注釈 1]と呼ばれ、朝日新聞の1面コラム「天声人語」で取り上げられるなど[25]、大きな反響があった[20][注釈 9]

A級順位戦の1年目は負け越したが、2年目(1959年度)で第19期名人戦(1960年)の挑戦権を得、20歳でタイトル初挑戦。七番勝負は大山康晴名人に1勝4敗で敗れた。名人挑戦権を獲得した頃、1960年2月1日には、朝日新聞朝刊の新聞漫画「サザエさん」で、活躍する若者の代表として、力士大鵬幸喜(加藤より1学年下)と共に「しょうぎの加藤八段」として言及された[25]

タイトル戦での大山・中原との対決[編集]

1960年代は、上記の名人戦を含めタイトル戦に7回登場したが、相手はいずれも大山であった。当時は大山の全盛期であり、毎年全部ないしはほとんどのタイトルを大山が占めていた。しかし、6度目のタイトル挑戦となった1968年度の第7期十段戦において、大山十段(名人を含む四冠)をフルセットの接戦の末に破り、プロ15年目にして、ついに初のタイトル獲得を果たした。

1970年代から1982年にかけては、一転して中原誠との対決の時代となる(将棋界が「大山時代」から「中原時代」に移行したことも意味する)。 中原との対戦成績は一時1勝19敗という大差であったが、加藤本人は特に苦手意識はなかったという。この期間、タイトル戦に14回登場したがそのうち中原との対決は9回にも上った。当初は1973年度の名人戦、および、1976年度・1977年度の十段戦で、中原の前に3回連続で敗退した。ところが、1977年度の第3期棋王戦では前年に大内延介から奪った棋王位を、中原五冠王を相手に3-0のストレートで防衛し六冠独占を阻止した。1978年度の王将戦では中原から王将位を奪取し、(直後に棋王戦で米長邦雄に敗れるまでの束の間ではあるが)自身初の二冠王となった。1980年度の十段戦では中原から4-1で奪取、翌年度も米長を相手に防衛を果たしている。

名人獲得とその後のタイトル戦[編集]

3度目の挑戦となった1982年の第40期名人戦では、中原に挑戦し4勝3敗・1持将棋・2千日手(実質十番勝負)という名人戦史上に残る空前の名勝負の末、初挑戦から苦節22年、念願の名人位を初めて手中にした[注釈 10]。また、十段と合わせ自身2度目の二冠制覇でもあった。

中原とのタイトル戦での対決は、中原が5回、加藤が4回獲得という結果であり、全盛期の中原に対して大善戦した[注釈 11]。1983年以降、両者はタイトル戦で相まみえることはなかった。

その後は、1984年度の第25期王位戦高橋道雄から奪取するが翌年に高橋に奪回され、以降はタイトル戦の舞台に登場していない。一般棋戦の優勝は1993年度のNHK杯将棋トーナメントが最後である。なお、この優勝により、1950年代1960年代1970年代1980年代1990年代の各年代で一般棋戦優勝を達成。5つの十年紀での一般棋戦優勝は、中原誠・谷川浩司らを上回る史上1位の記録である。

順位戦[編集]

A級在籍期数(名人在位を含む)は通算36期であり、大山が44期、中原が29期であることを考えれば、非常に多いことがわかる。しかし、大山と中原が初のA級からの連続在籍であるのに対し、加藤の場合はA級とB級1組の間の往復がある。A級への復帰を決めたB級1組順位戦の期は、第16期(1961年度)、第21期(1966年度)、第23期(1968年度)、第51期(1992年度)の4回(= 4往復)である。このうち最初の3往復は、A級陥落から1期での即復帰である。

この結果、第62期(2003年度)で名人位経験者として史上初めてB級2組に陥落が決定(後に丸山忠久も達成)、以降は順位戦における成績が下り坂となった。 第65期(2006年度)は最終戦までB級1組昇級争いに絡んだが、第66期 - 第67期(2007年度 - 2008年度)に棋士人生で初となる降級点を2年連続で喫し、C級1組へ降級する。加藤が順位戦のC級1組に在籍するのは、プロデビューから2年目の1955年度以来、53期・54年ぶりである。

第68期 - 第70期(2009年 - 2011年度)は、C級1組順位戦において降級点を回避。この結果、2016年度まで順位戦在籍(現役続行)可能となった。だが、第71期(2012年度)以降は降級点を喫し続け、第72期(2013年度)順位戦でC級2組への降級が決定した。プロデビュー年度の1954年度以来、59期・60年ぶりに在籍したC級2組でも第73期 - 第74期(2014年度 - 2015年度)と連続して降級点を喫した。この間、第71期(2012年度)及び第74期(2015年度)では全敗を喫した(名人経験者の順位戦全敗は非常に珍しい)。

名人経験者として順位戦のB級2組・C級1組・C級2組に陥落したのは史上初である。また、2015年度には順位戦を含め全棋戦で負け0勝20敗(2014年度の岡崎洋六段戦から年度を2つまたぎ、2016年5月の中村修戦まで23連敗[注釈 12])となり、A級経験者の年度全敗は、2013年の田丸昇九段(当時はフリークラス在籍で0勝10敗)以来である。

4桁勝敗[編集]

1989年8月21日、大山に次いで史上2人目の通算1,000勝(特別将棋栄誉賞)を達成。さらに勝ち星を重ね、2001年には史上3人目の通算1,200勝達成。棋士会において、自身が九段昇段後の1,000勝を達成したことを示し、(タイトル称号の「十段」ではなく)段位としての「十段」の新設を提案した。

2011年11月1日、史上3人目の1,300勝を達成[26]。2012年7月26日、通算勝数歴代2位の中原誠に並ぶ1,308勝を達成[27]。2013年2月15日、東京・将棋会館で行われた王将戦1次予選で藤森哲也四段に勝ったため、公式戦通算成績が1,309勝(1,098敗)となり、通算勝数が歴代単独2位になった[28]

一方、2007年8月22日の朝日杯将棋オープン戦予選、戸辺誠(当時四段)との対局において、史上初の通算1,000敗を記録する(1,261勝1,000敗[29])。これは、加藤のキャリアの長さもさることながら、トーナメント戦(1敗すれば終わり)以外の対局、すなわち、タイトル戦の番勝負や挑戦者決定リーグ戦に数多く登場したことをも表す。なお、本人はテレビでこの話題に触れられた際、「150局くらいは逆転負けでした」と述べている。なお、同日時点での通算敗数の史上2位は有吉道夫九段の955敗(1,061勝)であり、その後、有吉も通算1,000敗を記録した。2013年3月12日の第71期名人戦・順位戦C級1組10回戦、阿部健治郎五段との対局において、通算1,100敗を記録した(1,309勝1,100敗[30]).

現役最晩年[編集]

2015年3月11日の棋王戦予選3回戦で増田康宏(当時17歳4ヶ月)と対局し勝利。75歳の加藤との年齢差58歳は、年長棋士側から見た史上最多年齢差勝利となった。この勝利の後、上記の2015年度全敗を含む23連敗のトンネルに入る。

2016年度の第30期竜王戦6組ランキング戦の初戦(2016年12月24日)では、加藤が持っていた史上最年少棋士記録(14歳7か月)を62年ぶりに更新し、14歳2か月でプロ棋士(四段)となった藤井聡太のデビュー戦の相手となった(結果は110手で藤井の勝ち)[31]。これは公式戦で最も離れた年齢差(62歳6か月)の対局となった[31][32]

また、加藤は19世紀(村上真一野村慶虎の2名[33])、20世紀(その他多数)、21世紀(藤井聡太[34])の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した記録を樹立した[31][35][36]。藤井聡太(2002年生まれ)は21世紀生まれの最初の棋士である[34]。そして、2014年(藤井聡太がプロ棋士になる2年前)の時点で、19世紀生まれの棋士との対局経験がある現役棋士は加藤のみであった[37]。 よって、加藤のこの記録は史上唯一のものとなる。

2017年1月3日に丸田祐三が持っていた最高齢現役棋士記録(77歳+1日)を、1月12日に同じく丸田が持っていた最高齢対局記録(76歳11ヶ月)を、それぞれ更新した[38]。一方で順位戦C級2組では、3回戦で八代弥(当時22歳5ヶ月)に勝利したものの、他の対局で敗戦が続き、8回戦終了時点で1勝7敗の成績(1回戦は抜け番)。この時点で、加藤が降級点を回避できる条件は、残りの2局を加藤が連勝し、同時点で2勝しかしていない棋士のうち7人が全敗をすることだった。1月19日、当該7人の1人である竹内雄悟佐藤慎一に勝利したことで、降級点回避条件を満たせなくなり、フリークラス規定による加藤の引退が決定した[39]。名人経験者が規定で引退することになったのは史上初であった。これには、加藤本人の「名人経験者が降級したからといって、フリークラス宣言する理由も無ければ、途中で引退表明する理由も無い。」との自論(持論)からである[40]

引退が決定した翌日の1月20日の第88期棋聖戦二次予選・対飯島栄治戦(この時点の飯島は、順位戦B級1組・竜王戦2組の強豪棋士)にて、結果としては現役最後となる勝ち星を挙げ、大きな注目を集めた[41][42]。加藤はこの勝利によって丸田祐三が持っていた最高齢勝利記録(76歳11ケ月)を更新(77歳0ケ月)した[42][43]。そして、同年2月8日には同じく棋聖戦二次予選で佐藤天彦名人と対戦したが、現役の名人と引退直前の棋士が対局するのは極めて稀なことであった[44]。この対戦により、加藤は自身を除く実力制の全名人経験者と対戦することとなった[6][注釈 13]

同年6月20日の竜王戦6組昇級者決定戦で高野智史に敗れ、加藤はこの日をもって現役引退となった[45]

20日の対戦直後は、引き留める連盟幹部や記者を振り払うようにして、無言でタクシーに乗り込み、会館を後にした。このことについて、翌日のインタビューでは、まずは家族に感謝の言葉を述べたかったためと語っている。その後、加藤はツイッターを通じて、「天職である将棋に、生涯を懸け全身全霊を傾け打ち込むことができました。幸せな棋士人生をありがとうございました」とコメントした[46]

6月30日に、東京・将棋会館で引退に際しての記者会見を行った[47]。記者会見に参加した報道機関は、40社・100名に及んだ [17]

1954年8月1日に四段となってからの現役勤続年数(62年10ケ月)は、大山康晴(1940年四段 - 1992年に順位戦A級在籍のまま死去[注釈 14])、内藤國雄(1958年四段 - 2015年引退)、有吉道夫(1955年四段 - 2010年引退)、丸田祐三(戦争によるブランクもあり、1946年に27歳で四段 - 1996年引退)、関根茂(1953年四段 - 2002年引退)らを抑えて歴代1位である。

現役引退後[編集]

2017年6月23日に仙台白百合女子大学客員教授に就任[48][49][50]。加藤の次女が同大学の教員という縁があった[50]。客員教授としての初仕事は、同年10月29日、同大学の学園祭での「私の学生時代」をテーマとするトークショーであった[51]

2017年7月1日にワタナベエンターテインメントとマネジメント契約を結んだ[52]。引退する5年ほど前からバラエティ番組に出演していたが、引退後はメディア出演が増えている[53]

2017年11月2日に胆石性急性胆嚢炎と診断され、同日に手術を受けた[54]

棋風[編集]

半世紀にわたる棋士人生を通して居飛車党を貫き、数々の定跡の発展に貢献してきた。また、よいと思った戦型はひたすら採用し続ける傾向にある。羽生善治は「作戦が立てやすいことは立てやすいが、100%同じ戦法で来るとなると不気味でもある。一つの戦法を突き詰めていくのも一つの生き方だし、一局一局が確実に次への知識になる。悪いことばかりでもないようだが、作戦が読まれて相手の研究にはまる危険性を考えると現実にそういう人はほとんどいない。だが加藤先生は全然恐れておられないようだ」と書いている(羽生善治「羽生善治 好機の視点」小学館文庫、初出は月刊将棋マガジン)。

特に「加藤棒銀」と呼ばれるほど棒銀戦法の採用率が高いことが有名で、四間飛車に対して居飛車穴熊が流行してもなお、棒銀で挑み続けている。また、相居飛車の一つである角換わりの将棋においても、棒銀を採用する傾向にある(一般的には棒銀よりも腰掛け銀を採用する棋士が多い)。また、矢倉▲3七銀戦法や、中飛車に対する袖飛車からの急戦は「加藤流」と呼ばれ、多くの棋士が採用している。

振り飛車戦の居飛車では、特に大山康晴との戦いの経験を生かして作り上げた居飛車舟囲い急戦の各種の定跡において、加藤の創案が多い。対三間飛車急戦も、加藤の創案した仕掛けが多い。基本的に振り飛車には急戦で立ち向かうが、1980年に居飛車穴熊を主に対大山戦で数局ほど採用したことがある。

ひねり飛車横歩取り3三桂のような空中戦も得意としており、後者は一時期後手番でも採用したことがある。さらにその後は、後手番では矢倉中飛車を多用した。

一流として必要なことを「行き詰まりの打開」と答えている。30代の時に行き詰まりを経験したが、「精神的な力を得て」それを克服することでその後に繋がったという。

長考派・1分将棋の神様
常に最善手を探すタイプのため、序盤から長考することが多い。1968年十段戦第4局で、一手に7時間費やした事は特に有名な事例である(休憩時間も含む)。長考するため終盤では持ち時間がなくなり、秒読みに追い込まれることが多い。しかし、そこからがまた強く、「秒読みの神様」あるいは「1分将棋の神様」の異名を持つ[注釈 15]。ただし、本人はクリスチャンであることから「神様」と呼ばれることは不本意であり、「達人」もしくは「名手」と呼んでもらいたいと語っている[55]。その強さは早指しの棋戦でも発揮され、NHK杯戦では羽生、大山に次いで歴代3位の優勝7回を誇り、他の早指し棋戦(早指し選手権戦日本シリーズ早指し王位決定戦)でも数々の優勝をしている。ただしNHK杯戦においては、1993年の優勝以来、決勝の舞台に登場していない。もっとも、1993年当時53歳での優勝は大山には及ばないものの、早指し戦としては際だった年長記録である。
好きな駒は銀
駒の中では「銀将」が好きだと述べている。前述のように棒銀戦法の使い手であり「銀は営業部長」と評している。鋭角的でどんどん前に出るから、うまくいけば良くなり、会社で言えば、営業部長で改革して業績を拡大するイメージがあるからとのこと[56]

エピソード[編集]

加藤は将棋の内容以外のエピソードが多々ある。たとえば、2006年5月より「BIGLOBEストリーム」の「将棋ニュースプラス」では「ザ・加藤一二三伝説」が配信されている。また、2007年刊行の著書『一二三の玉手箱』(毎日コミュニケーションズ刊)において、加藤自身が逸話のいくつかについて解説を加えている。

対局での流儀[編集]

  • 右手で取った駒を左手に持ち替え、それを駒台に載せる前に動かす駒を右手で盤にビシッと打ち付けるのが加藤の独特のスタイルである。
  • 対局中、勝負所で駒を持つ手に力が入り、駒音がひときわ高くなることで知られる[57][58]。しかし、駒を割ったことは一度もない[59]
    • ただし、対局中に盤が自然に割れたことがあった[58][59]愛知県蒲郡市の「銀波荘」で行われた1967年の第16期王将戦第3局(大山康晴王将に加藤が挑戦。加藤はそれまで王将戦で大山に6連敗していた)での出来事[58][59]。対局が2日目に入り、加藤が考慮していると、突如として加藤の右側の香車が跳ね上がった[58][59]。驚いた加藤が盤面に目をやると、将棋盤の乾燥が不十分であったのか、盤に亀裂が入っていた[58][59]。直ちに将棋盤を交換して対局が続行され、加藤は快勝した[58][59]
  • 対局に臨む際は、ネクタイを長く結ぶ(立ち上がると、ネクタイの先端がベルトより20㎝ほど下になる程度[60])。 偶然ネクタイを長く結んで対局に向かった際、普段以上に澄んだ心持ちで集中して臨むことができ、快勝したため、以降、ネクタイを長く結ぶのが対局時の流儀になった。[61]
  • 対局時の食事については、エピソードが多い。
    • 昼食と夕食で、同じメニューの出前を頼むのは対局中に食事のことで迷うより、あらかじめ注文するものを決めておきたいから[60]
    • 東京・将棋会館での対局では、鰻重が長期間にわたって定番である。天ぷら定食や鍋焼きうどんも好物だが、天ぷら定食は注文しても届かないことが重なり、鍋焼きうどんは冷めるまで待たないと食べられないので、「確実に届き、すぐに食べられる」鰻重に落ち着いた。[60]
    • 基本的に「一度決めたメニューをなかなか変えない」主義のため、鰻重の前は天ぷら定食が定番だった時期が7年ほど続いた[62]
    • 2013年頃、一時鰻重を注文しなくなった時期がある[63]。 本人曰く「医者から脂っこいものを控えるように言われている」とのことで、当時は「ざるそばと冷やしトマト」がお気に入りだった[64][65] 。また勝又清和によれば「昼はコンビニかスーパーでサンドイッチや果物を買う」ことが多かった[66] 。2014年の秋頃から、再び鰻重を注文するようになった。
    • 関西将棋会館での対局では、鰻重ではなく「鍋焼きうどんとおにぎり6個」が定番であると答えている[67]。加藤は、2016年10月に千田翔太Twitterで教示されるまで「関西将棋会館では鰻重の出前がない」と長年に渡って思いこんでいた[68]
    • 東京・将棋会館での2015年2月12日の対局(順位戦C級2組、対 三枚堂達也)で、夕食に、カキフライ定食とチキンカツ定食の2つを注文して話題となった[67][69][70]
  • 対局中に相手の背後に立って盤面を見る癖がある[71][注釈 16]。このためニコニコ生放送では、盤面を先後逆転させて表示する機能を「ひふみんアイ」と名づけ、棋戦の生中継で使用している[72]
  • 甘いものが好きで、対局中に板チョコをばりばりと食べる(特に明治製菓のものを好む)。NHK BS2で放送された「大逆転将棋2007」における米長との「はさみ将棋名人戦・最終章・陣屋決戦」でも、通常の対局のときのように持参してきた板チョコを対局中に食べ始め(同時にVTRにコミカルなBGMが流れ始め)、スタジオでVTRを見ていた出演者達の笑いを誘った。米長は「そのチョコレートちょっともらえる?」と申し出て、加藤から分けてもらって食べた。また、カマンベールチーズも好物である。
  • NHK杯戦で優勝した際、優勝セレモニーの祝辞で当時の日本将棋連盟会長・二上達也九段に、「アマチュアの人が(加藤の対局中の奇行を)真似すると困るのでマナーに気を付けてほしい」と言われた。もっとも二上は著書で、そのようなしぐさは本人が形勢の容易でないと思っているときに出るもので、対局相手にとっては良い兆候だったと述べている[73]
  • 箱根の温泉旅館「天成園」での対局時に人工の滝の音が耳障りであったため、滝を止めさせた[74]。また天童では庭の水車を止めさせた。なお、羽生がタイトル戦で地方を回った際、加藤が滝を止めたと聞いた場所で羽生も滝を止めたと、羽生は加藤に語っている。また羽生は、加藤が過去5回は滝を止めた話を人から聞いたとのことだが、加藤の記憶にあるのは前述の2回である[56]

キリスト教徒として[編集]

  • 1970年12月25日に下井草カトリック教会で洗礼を受けた[75]
  • 1971年10月にバチカンでおこなわれたマキシミリアノ・コルベ列福式に参列。列福式の前後にはヨーロッパ各地を訪れた(初の外国旅行)[76]。1982年10月10日におこなわれたコルベの列聖式にも参列し、コルベの出身地・ポーランドも訪れた[76]
  • 1986年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を授与された。「有事の際には馬に乗って駆けつけなければならない」と将棋観戦記者である東公平に語ったのは、湾岸戦争の話をしていた時であった[77]
  • 自戦記などを書くとき、必ずと言っていいほどキリスト教のことに触れる。「キリスト教について」という章名を入れることまである。「将棋世界」誌で自戦記を連載した際も、毎回必ず冒頭にキリスト教の話題を持ち出した。
  • 対局中の望ましい態度として、「元気いっぱい、明るい気持ちで、前向きに積極的に、快活で、勇気を持っていること(ひるんだり、弱気になったり、落ち込んだりするのは良くない)」が大事であり、いい状態を持続させるために祈ったり歌を歌ったりする[56]
  • 麹町の聖イグナチオ教会で、同教会で挙式するカップルを対象とした「結婚講座」の講師を夫人と共に務めている[78][79]。2018年に35年目を迎えた[79]

トラブル[編集]

  • 当初は南口繁一九段門下であったが、南口が1995年に死去すると、その3年後の1998年剱持松二八段門下に変わった(変えた)。加藤は剱持と以前から懇意にしており、また、剱持の師匠である荒巻三之九段(1993年に死去)と加藤は家族ぐるみの付き合いであった。南口については「私が奨励会に入る時の師弟関係は親が勝手に決めた名目上のことで、私は師匠から一切世話にならなかった。私の師弟関係は無効であるにも関わらず、あたかも関係があったかのように扱われて、不名誉な思いをしてきた。また妻や妻の親戚の人達に長年にわたり不名誉で不快な思いをさせてきた。」との旨を述べている[80]。なお、1934年生まれの剱持は加藤より年長であるが、プロ入り(四段昇段)は1956年であり、加藤より遅い。
  • 第13期銀河戦阿部隆戦(2005年5月26日放映)の終盤で、桂馬を成らずで動かし、いったん指を離したが、直後に持ち直して成りに指し直してしまった。当初は対局者阿部の指摘で、9回目の考慮時間の60秒を経過し、10回目を使って指したとみなし、考慮時間が減らされただけで勝敗の記録自体は加藤の勝ちのまま変更はなかった。後日、視聴者から「待った」ではないかとの指摘があり理事会で検討した結果「待った」の反則と確認された[81]。加藤への処分として対局料没収の上、罰金が科せられ次期の銀河戦は出場停止になった[82]銀河戦の項参照)。
  • 将棋会館の暖房は音がして気が散るため、電気ストーブを好んでいる。ある日、対局相手も寒くないようにとストーブを相手に向けて配置したところ、嫌がらせと誤解されてしまい「顔が熱くなるからやめてください」と言われたため、位置を是正したことがある[56][83]
  • 記録係の置いた将棋盤の位置を変えようとして、先に着席していた相手と揉めたことがある。加藤はくじ引きを提案したが、相手が反対したため、手合係の仲介により先輩である加藤の顔を立てる案が提案され、また加藤が将棋盤の位置にこだわる理由(部屋の中央に置いた方が安定し、お互いに気持ちよい)を説明をした結果、相手は納得し、変えた位置で対局することになった。しかし今度は加藤が「対局場に入った場合は四段も名人も関係ない真剣勝負の場であるから、後輩が先輩の顔を立てるのは不本意であり、お互いに我慢をするのは良くない」としてくじ引きを行い、結局当初の位置に落ち着いた[56]
  • 棋聖戦で相手棋士からの申し入れにより、理事会から空咳(咳払い)をしないように指導されたことがある。なお、空咳をするときは絶好調であり、また空咳は体の中に溜まったストレスを体の外に出すという心理が働いていたと述べている[56]
  • 2008年12月、加藤が自宅マンションそばで野良猫を餌付けしたため、糞尿をまき散らされるなどの被害を受けたとして、マンションの他の住人や管理組合から、餌やり中止と慰謝料など約645万円の賠償を求める訴訟を起こされた[84]
2010年5月13日、東京地裁立川支部は、(1)マンション敷地内での餌付けを中止すること、(2)慰謝料204万円を支払うこと、を加藤に命じる判決を出した[85][86]。なお、判決によると、加藤の餌付けによって一時は18匹にまで増えた野良猫は、加藤が野良猫に不妊手術・去勢手術を受けさせたことで、4匹にまで減少していた[86]
判決当初、加藤は下記のように語り、控訴する意向を示していた[86]
猫に長く生きてもらいたいと思ってした行動なのに、理解できない。 — 加藤一二三、[86]
しかし、判決から13日後の5月26日に、加藤は下記のように語り、控訴を断念することを明らかにした[87]
判決文を読み直してみると、私の取り組みに対して一定の評価をしており、大きな不満は抱いていない。慰謝料は払うが、今後も敷地外での餌やりは続けていきたい。 — 加藤一二三、[87]

その他[編集]

  • 中学3年生で棋士になり、中学校を休みがちだった加藤に授業のノートを届けてくれた同級生の女子と、成人後に結婚した[88][注釈 17]。加藤は引退に際しての記者会見(2017年6月30日)で次のように語った[88]
長年にわたって私とともに魂を燃やし、ともに歩んでくれた妻に深い感謝の気持ちを表したい。 — 加藤一二三、[88]
  • 昭和50年代のトップアマ棋士との駒落ち将棋に強く、昭和の真剣師小池重明にも角落ちで勝利している。金銀の使い方のうまさから下手泣かせとして知られた。
  • 1997年スーパーファミコン用ソフト「加藤一二三九段 将棋倶楽部」(ヘクト)が発売された。
  • 1998年11月6日の対土佐浩司戦(棋聖戦)から1999年10月2日の対丸山忠久戦(A級順位戦)にかけて、21連敗した。トップ棋士であるはずのA級棋士が21連敗したことは、河口俊彦「新対局日誌」(「将棋世界」誌に連載)などで話題にされた。
  • 2012年第25期竜王戦(渡辺-丸山)第1局2日目、ニコニコ生放送で解説を務めた際、初手からの丁寧な解説中に丸山が投了、解説が現局面に追いつかないまま対局が終了するという異例の事態となった。多くの昔話を交えながら解説する加藤のスタイルと、封じ手が88手目という1日目からの早い進行、そして14時頃という竜王戦史上最も早い終局時刻が重なったことによって起きた珍事であった。なおこの回のニコニコ生放送は、13時の解説開始から間もなく終局を迎えたこともあり、対局終了後30分間の休憩を挟んで、視聴者からのメールに答えるという趣旨で16時過ぎまで放送が続行された。
  • 2014年の第3回電王戦(ツツカナ - 森下卓九段)第4局の解説で、森下の勝勢を主張していたが、熱弁しているうちに指し手の先後が分からなくなり、最後に「ですから、ツツカナさんの圧勝です」と言ってしまった(結果はツツカナの勝利)。
  • 70代になっても相変わらずの大食漢である。それゆえに肥満体型であり、2016年現在は体重が100kgを超えてしまっている[90]。本人もダイエットの必要性を意識してはいるものの「エアロバイクに耐荷重オーバーで乗れない」といった問題があり、なかなか実行に移せないことを語っている[91]
  • 2016年11月20日開催されたSKE48の「みんなが主役!SKE48 59人のソロコンサート〜未来のセンターは誰だ?〜」の鎌田菜月のパートにてゲスト出演して、アイドル力(歌、ダンス、リアクション芸)対決を行ない、鎌田菜月に見事勝利した。その際、応援のために観客が振るサイリウムのカラーは水色と決定した。
  • 2017年5月26日、NHKあさイチ」に生出演し、約40年前の1980年 - 81年に放映されたアニメニルスのふしぎな旅』への感動を熱く語り、クライマックスとなるシーンを口頭で精密に描写した[92]。加藤はこの作品を50回は視聴したという[92]。司会の有働由美子アナウンサーは「鮮明に覚えてらっしゃる」と加藤の記憶力に驚嘆した[92]

昇段履歴[編集]

  • 1951年(11歳) 3級(奨励会入会)
  • 1952年(12歳) 初段
  • 1954年8月1日(14歳) 四段(プロ入り、史上初の中学生棋士)
  • 1955年4月1日(15歳) 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1956年4月1日(16歳) 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1957年4月1日(17歳) 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1958年4月1日(18歳) 八段(順位戦A級昇級)
  • 1973年11月3日(33歳) 九段(九段昇格規定 30点)
  • 2017年6月20日(77歳) 引退(順位戦C級2組からの降級、フリークラス規定)

主な成績[編集]

通算成績
対局数2,505(歴代1位)、1,324勝(歴代3位)、1,180敗(歴代1位)、タイトル戦の持将棋1。[17]

タイトル[編集]

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇
竜王 七番勝負
10-12月
名人 七番勝負
4-6月
82(第40期) 4 1期
十段 七番勝負
(終了棋戦)
68(第7期), 80-81 7 3期 2
棋聖 五番勝負
6-7月
2
王位 七番勝負
7-9月
84(第25期) 3 1期
王座 五番勝負
9-10月
棋王 五番勝負
2-3月
76(第2期)-77 3 2期 2
王将 七番勝負
1-3月
78(第28期) 5 1期
登場回数合計24、 獲得合計8期歴代9位タイ

一般棋戦優勝[編集]

優勝合計23回

将棋大賞[編集]

  • 第 4回(1976年度) 最多勝利賞・連勝賞・技能賞
  • 第 5回(1977年度) 殊勲賞
  • 第 6回(1978年度) 殊勲賞
  • 第 8回(1980年度) 殊勲賞
  • 第 9回(1981年度) 最優秀棋士賞・連勝賞
  • 第12回(1984年度) 最多勝利賞・最多対局賞
  • 第29回(2001年度) 東京将棋記者会賞
  • 第44回(2016年度) 特別賞・升田幸三賞特別賞「棒銀をはじめとする数々の新工夫」

記録[編集]

  • 最高齢現役(77歳5か月)
  • 最高齢勝利(77歳0か月、2017年1月20日対飯島栄治戦)
  • 最高齢対局(77歳5か月、2017年6月20日対高野智史戦)
  • 年長者側の最多年齢差勝利(58歳5か月、2015年3月11日・対増田康宏(17歳4か月)戦)
  • 最多年齢差対局(62歳6か月、2016年12月24日・対藤井聡太(14歳5か月)戦)
  • 最長現役勤続年数(62年10か月)
  • 最多対局数(2,505局)
  • 最多敗戦数(1,180敗)
  • 最年少五段(15歳3か月)
  • 最年少A級(18歳)
  • 最年少名人挑戦(20歳)
  • 順位戦デビューからの4期連続昇級(加藤の他には中原誠のみ)
  • A級順位戦最多勝利(149勝)
  • A級順位戦最多対局(313局)
  • 順位戦最多出場[93](62期)
  • 19世紀生まれ・20世紀生まれ・21世紀生まれの棋士と公式戦で対局(史上唯一)
  • 62歳A級(大山康晴に次ぐ史上2位)
  • 名人・A級通算在位36期(大山に次ぐ史上2位)
珍記録
  • 最年少A級陥落(21歳)
  • 最多A級昇級・B級1組降級(5回)
  • 最年少A級返り咲き(22歳。A級昇級年少記録全体で見ても、自身の18歳、谷川浩司の19歳に次ぎ3位)

タイトル戦全成績[編集]

年度 タイトル 勝敗 相手 備考
1960 名人 ○●●●千● 大山康晴
1961 王将 ●●● 大山康晴 指し込み
1963 王位 ○●○●●● 大山康晴
1966 王将 ●●○●● 大山康晴
1967 王将 ●●○●○● 大山康晴
1968 十段 ●●○○●○○ 大山康晴 奪取
1969 十段 ●●○○千●千● 大山康晴 失冠
1973 名人 ●●●● 中原誠
1976 十段 ●○千●●○○● 中原誠
1976 棋王 ○○○ 大内延介 奪取
1977 十段 ○●○●●○● 中原誠
1977 棋王 ○○○ 中原誠 防衛、中原の六冠独占を阻止
1978 王将 ●○○○○ 中原誠 奪取、束の間の二冠王
1978 棋王 ●●○○● 米長邦雄 失冠
1979 棋聖・前 ●○●● 中原誠
1979 王将 ●●○●○● 大山康晴 失冠
1980 十段 ○●○○○ 中原誠 奪取
1981 十段 ●○●○○○ 米長邦雄 防衛
1981 棋聖・後 ●●● 二上達也
1982 名人 持●○●○千○●千○ 中原誠 奪取、「十番勝負」、二冠王
1982 十段 ●○●○●● 中原誠 失冠
1983 名人 ●●●○○● 谷川浩司 失冠
1984 王位 ○●●○●○○ 高橋道雄 奪取
1985 王位 ●●●● 高橋道雄 失冠

順位戦在籍記録[編集]

名人・A級 - 36期

期(年度) クラス 在位
第9期(1954年度) C2 1
第10期(1955年度) C1 1
第11期(1956年度) B2 1
第12期(1957年度) B1 1
第13期(1958年度) - 第15期(1960年度) A 3
第16期(1961年度) B1 1
第17期(1962年度) - 第20期(1965年度) A 4
第21期(1966年度) B1 1
第22期(1967年度) A 1
第23期(1968年度) B1 1
第24期(1969年度) - 第30期(1976年度) A 8
第31期 - 第35期(存在せず)[注釈 18] - -
第36期(1978年度) - 第40期(1981年度) A 4
第41期(1982年度) 名人 1
第42期(1983年度) - 第47期(1988年度) A 6
第48期(1989年度) - 第51期(1992年度) B1 4
第52期(1993年度) - 第60期(2001年度) A 9
第61期(2002年度) - 第62期(2003年度) B1 2
第63期(2004年度) - 第67期(2008年度) B2 5
第68期(2009年度) - 第72期(2013年度) C1 5
第73期(2014年度) - 第75期(2016年度) C2 3

主な対戦相手との勝敗[編集]

30局以上指した棋士との勝敗を以下に示す。

対戦相手 対局 タイトル戦
升田幸三 39 22 17
大山康晴 124 46 78 獲得1 敗退7
加藤博二 38 29 9
丸田祐三 50 28 22
灘蓮照 30 18 12
二上達也 94 45 49 獲得0 敗退1
山田道美 43 24 19
有吉道夫 56 31 25
内藤國雄 59 32 27
米長邦雄 104 41 63 獲得1 敗退1
大内延介 42 27 15 獲得1 敗退0
中原誠 109 41 67 獲得4 敗退5
桐山清澄 49 26 23
勝浦修 37 21 16
森雞二 46 30 16
青野照市 32 21 11
谷川浩司 46 16 30 獲得0 敗退1
高橋道雄 32 13 19 獲得1 敗退1
以下、参考(30局未満)
塚田正夫 28 21 7
羽生善治 20 6 14
佐藤康光 12 3 9
森内俊之 17 5 12
丸山忠久 13 3 10
渡辺明 1 1 0
佐藤天彦 2 0 2
藤井聡太 1 0 1

※中原との対局数は、タイトル戦での持将棋1局を含む。

将棋タイトル獲得記録
順位 獲得回数 棋士名
1位 99期 羽生善治 *
2位 80期 大山康晴
3位 64期 中原誠
4位 27期 谷川浩司 *
5位 20期 渡辺明 * 
6位 19期 米長邦雄 
7位 13期 佐藤康光 *
8位 12期 森内俊之 *
9位タイ 8期 木村義雄 | 加藤一二三 
*は現役棋士

その他表彰[編集]

著書[編集]

  • 『加藤詰将棋200題』金園社 1966
  • 『振飛車破り』大泉書店 1968
  • 『棒銀の闘い』大泉書店 1968
  • 『矢倉の闘い』大泉書店 1968
  • 『矢倉囲いの新戦法』金園社 1969
  • 『力戦振飛車』大泉書店 1970
  • 『中終盤の闘い 初段をめざす将棋シリーズ』大泉書店 1971
  • 『将棋の初歩入門』大泉書店 1972
  • 『振飛車破り. 続』大泉書店 1973
  • 『加藤一二三実戦集 わが熱闘、珠玉の40局』大泉書店 1975
  • 『逆転の将棋 秘密の受け・攻め・読み・捌き』青春出版社 プレイブックス 1976
  • 『将棋実力養成次の一手』第1-4集 西東社 1975-1976
  • 『将棋実力養成詰め将棋100選』西東社 1976
  • 『将棋の基本 わかりやすい 入門から初段まで』ナツメ社 1976
  • 『寄せと詰めの秘訣 詰将棋・次の一手付き』コルベ出版 1976
  • 『加藤(九段)の詰将棋』高橋書店 1977
  • 『加藤の詰将棋傑作選』日本文芸社 1977
  • 『将棋勝ち方戦法』西東社 1977
  • 『初心者の詰将棋』日本文芸社 1978
  • 『ジュニア版将棋入門』ナツメ社 1978
  • 『楽しい将棋入門』主婦の友社 1978
  • 『棒銀の戦法』主婦の友社 1978
  • 『やさしい将棋入門』西東社 1978
  • 『いちばん早く強くなる将棋』広済堂出版 1979
  • 『加藤一二三実戦集』永岡書店 1979
  • 『将棋・あなたの実力は? 次の一手-あなたはどう指すか』ナツメ社 1979
  • 『将棋・入門から実戦まで どう戦えば勝てるか』ナツメ社 1979
  • 『実戦に役立つ将棋実力テスト』ナツメ社 1979
  • 日本将棋大系 14 坂田三吉神田辰之助筑摩書房 1979
  • 『加藤一二三実戦名局集 対矢倉戦の勝局譜』永岡書店 1980
  • 『現代振飛車破り』新星出版社 1980
  • 『プロの矢倉3七銀』大泉書店 1980
  • 『プロの矢倉3七桂』大泉書店 1980
  • 『現代将棋名局集 5 加藤一二三名局集』筑摩書房 1981
  • 『中学・高校生の将棋問題集 10級〜3級』成美堂出版 1981
  • 『次の一手最強の手筋 勝つ手は常に一つだ』創元社 1981
  • 『プロの中飛車破り』大泉書店 1981
  • 『プロの四間飛車破り』大泉書店 1981
  • 『中学・高校生の将棋 入門編』成美堂出版 1982
  • 『プロの三間飛車破り』大泉書店 1982
  • 『加藤一二三の将棋の勝ち方 必勝・矢倉戦法のすべて』ナツメ社 1983
  • 『加藤一二三の将棋の指し方 身につけたい基本の手筋と戦法』ナツメ社 1983
  • 『加藤一二三の将棋の手ほどき』文研出版 1983
  • 『加藤の勝つ次の一手 あなたの実力何段?何級?』日本将棋連盟 1984
  • 『加藤一二三の将棋の戦い方 基本戦法と必ず勝つ手筋・寄せ』ナツメ社 1984
  • 『加藤一二三のつめ将棋全百科 初級編』小学館 コロタン文庫 1984
  • 『加藤流矢倉+中飛車破り』筑摩書房 1985 
  • 『入門シリーズ③ 将棋入門 加藤一二三監修』(1989年、西東社、ISBN 4-7916-0563-2
  • 『楽しむ詰将棋』(1992年、光文社文庫
  • 『加藤流 振り飛車撃破』(2003年、毎日コミュニケーションズ
  • 『加藤流 最新棒銀の極意』(2003年、毎日コミュニケーションズ)
  • 『加藤流 最強三間飛車撃破』(2004年、毎日コミュニケーションズ)
  • 『加藤の振り飛車破り決定版(2005年、日本将棋連盟)
  • 『一二三の玉手箱』(2007年、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-2277-2
  • 『老いと勝負と信仰と』(2011年、ワニブックスISBN 4-8470-6035-0
  • 『将棋名人血風録 奇人・変人・超人』(2012年、角川oneテーマ21ISBN 4-0411-0241-3
  • 『脳が活性化する!大人がもう一度はじめる将棋入門』産経新聞出版 2013
    • 新装版『ひふみんの将棋入門』同 2017
  • 『羽生善治論 「天才」とは何か』(2013年、角川oneテーマ21、ISBN 4-0411-0455-6
  • 『負けて強くなる 通算1100敗から学んだ直感精読の心得』宝島社新書 2014
  • 『加藤一二三の5手詰め』創元社 2015 
  • 『加藤一二三名局集』日本将棋連盟 2015
  • 『無敵棒銀 - 加藤流熱血道場』木本書店 2015 ISBN 4-9048-0815-0
  • 『加藤一二三の3手詰め 詰将棋202題』創元社 2016
  • 『求道心 誰も語れない将棋天才列伝』SB新書 2016
  • 『天才棋士 加藤一二三 挑み続ける人生』日本実業出版社 2017
  • 『鬼才伝説-私の将棋風雲録』中央公論新社 2018

編著[編集]

  • 『ユリイカ 詩と批評 特集加藤一二三 棋士という人生』青土社、2017年7月号

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ほかゲスト出演多数

ウェブテレビ[編集]

ウェブラジオ[編集]

CM[編集]

ゲームソフト[編集]

  • 加藤一二三 九段 将棋心技流(1997年、ヘクト) ※スーパーファミコン用ソフト
  • ひふみんRUN すすめ!棒銀一直線(2018年、ポケット)  ※AndroidiOS対応アプリ[98]
  • ひふみんの将棋道場(仮称)(2018年発売予定、ポケット) ※Nintendo Switch用ソフト

作品[編集]

配信楽曲[編集]

  • 「ひふみんアイ」(2017年9月22日、FUJI TELEVISION) - 大天才ひふみん名義[99][100]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b 「神武以来(じんむこのかた)」とは「(初代天皇神武天皇が即位して)我が国始まって以来の」または「他に例がないほど非常に優れた」という意味で、神武景気に沸く1955年の流行語。
  2. ^ 他には大山康晴が1940年代から1990年代までA級在籍。6つの十年紀でのA級在籍はこの二人のみ。
  3. ^ 加藤の62年後に棋士となった藤井聡太が、加藤が保持していた最年少記録を次々に更新しているが、「18歳でA級八段」の記録は、藤井にも更新不可能である[2]。加藤は2017年に藤井と会った時にそのことを話し、藤井は、その場で指を折って年数を数えてから頷いたという[2]
  4. ^ 根拠は「現役最晩年」セクション内の記述を参照。
  5. ^ 加藤が引退した2017年6月20日までの、木村義雄 - 佐藤天彦の12名。名人 (将棋)#実力制歴代名人を参照。うち、木村義雄は加藤が四段になる前の1952年に引退したが、1953年12月に奨励会三段時代の加藤と角落ちでの特別対局(京都新聞主催)[4]、1958年にA級八段になった加藤と平手での特別対局(静岡新聞主催)[5]を行っている。[6]
  6. ^ 京都府相楽郡木津町(現・木津川市)在住であった南口の内弟子となり、高校を卒業するまで木津町で過ごした。[4]
  7. ^ 加藤がプロになったのは中学3年のときで、谷川浩司は中学2年でプロになっているが、加藤は14歳7か月、谷川が14歳8か月のため、加藤の方が若い。
  8. ^ 加藤のこの記録は、藤井聡太が、2018年2月17日に15歳6か月で第11回朝日杯将棋オープン戦(「新人棋戦以外の公式棋戦」に該当)で優勝したことで更新された。
  9. ^ A級への昇級・八段への昇段を決めたのは1958年2月27日、京都府立木津高等学校3年在学中[11]。当時の規定により、八段への昇段は翌年度初日の1958年4月1日付であった。
  10. ^ 谷川浩司は、この名人戦最終局の解説会(東京・将棋会館)で解説役を務めていた。谷川の夢は中原名人に勝って名人位に就くことであった。谷川は当時の心境について「加藤先生には申し訳ないが、中原先生に名人のままでいてもらわなければ困ると思った。(解説役を務める立場なのに)加藤先生の勝ちとなったときには呆然とした。」との旨を語っている(別冊宝島380「将棋王手飛車読本」)。翌年、谷川がA級1年目で加藤名人への挑戦権を得て、‘中原名人’ではなく加藤名人から名人位を初奪取することとなる。中原と谷川はその後名人戦を二度戦って中原の2勝1敗。いずれも挑戦した側が名人位を奪取した。
  11. ^ 中原との対局が最も多かった棋士といえば米長邦雄であるが、中原の全盛期にあたるこの期間(1970年代 - 1982年)に関して言えば、中原を相手にして米長がタイトルを獲得した回数は3回のみである。
  12. ^ 偶然だが、連敗後の初勝利は、その中村修の弟子にあたる上村亘四段である。
  13. ^ ただし、この2人の対戦は初めてではなく、佐藤の名人就位前に対戦経験がある[44]
  14. ^ 順位戦A級に在籍していた大山は、仮に健康問題がなく、かつ規定で引退することになるまで現役を続けていれば、少なくとも2001年3月末まで現役を続けることが可能であった。その場合、現役勤続60年超を記録する。
  15. ^ ただし、中原誠は、「加藤さんが『1分将棋の神様』『秒読みに強い』とは言っても、随分、手を間違えている。むしろ、1分将棋・秒読みに強いと感じさせるのは羽生世代だ。」と述べている。(別冊宝島380「将棋王手飛車読本」)
  16. ^ 対局相手の背後に立って盤面を見る癖は石田和雄らにもあるが、将棋界では加藤のそれが最も有名。
  17. ^ 加藤が同級生と結婚したことを書いた「ツイート”. みた八 @mitahachi (2017年6月26日). 2017年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月3日閲覧。」に対して、加藤自身がツィッターで言及した[89]
  18. ^ 順位戦#順位戦の記録」を参照。

出典[編集]

  1. ^ 棋士データベース 九段 加藤一二三”. 日本将棋連盟. 2017年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月31日閲覧。
  2. ^ a b c 加藤一二三「インタビュー 芸術としての将棋 - "神武以来の天才"の軌跡」、『ユリイカ』(2017年7月号)、青土社 pp. 46-63
  3. ^ 「interview 信念を貫き通した棋士人生60年」『マイナビムック 将棋世界スペシャルno.4 加藤一二三』、マイナビ、2013年、p.36-49
  4. ^ a b c 加藤九段のエネルギー、他の棋士を圧倒 京都の元弟弟子”. 京都新聞 (2017年6月21日). 2017年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月21日閲覧。
  5. ^ 加藤一二三 『将棋名人血風録』 角川書店(角川oneテーマ21)、2012年、74頁。 
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]