将棋のタイトル在位者一覧
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将棋のタイトル在位者一覧(しょうぎのタイトルざいいしゃいちらん)は、将棋の棋戦タイトル在位者の一覧であり、1937年度(昭和12年度)に実力名人制が発足してから現在までのタイトル在位者を網羅する。
タイトル在位期間は次期タイトル戦の番勝負終了までとなる。
一覧[編集]
2021年 - 現在[編集]
開催 年度 |
名人戦 4-6月 |
棋聖戦 6-7月 |
王位戦 7-9月 |
叡王戦 7-9月 |
王座戦 9-10月 |
竜王戦 10-12月 |
王将戦 1-3月 |
棋王戦 2-3月 |
備 考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名人 | 棋聖 | 王位 | 叡王 | 王座 | 竜王 | 王将 | 棋王 | ||
2021 (令3) |
第79期 渡辺明か 斎藤慎 |
叡王戦が七番から五番勝負に(7-9月開催)[1] |
1988年 - 2020年[編集]
1962年 - 1987年[編集]
1937年 - 1961年[編集]
開催 年度 |
名人戦 4-6月 |
王位戦 7-9月 |
王座戦 9-10月 |
九段戦 10-12月 |
王将戦 1-3月 |
備 考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
名人 | 王位 | (王座) | 九段 | 王将 | |||
1961 (昭36) |
第20期 大山康晴 |
第2期 大山康晴 |
(第9回) (本間爽悦) |
第12期 大山康晴 |
第11期 大山康晴 |
||
1960 (昭35) |
大山康晴 | 第1期 大山康晴 |
(丸田祐三) | 大山康晴永[注 10] | 大山康晴 | 王位戦がタイトル戦に昇格 大山康晴全四冠独占(初) | |
1959 (昭34) |
大山康晴 | (第6回) (加藤一二三) |
(大山康晴) | 大山康晴 | 大山康晴 | 大山康晴全三冠独占 | |
1958 (昭33) |
升田幸三終 | (灘蓮照) | (塚田正夫) | 大山康晴 | 大山康晴 | ||
1957 (昭32) |
升田幸三 | (大山康晴) | (松田茂行) | 升田幸三 | 大山康晴 | 升田幸三全三冠独占(初) | |
1956 (昭31) |
大山康晴永 | (大山康晴) | (小堀清一) | 第7期 升田幸三 |
升田幸三 | 全日本選手権戦が名人参加の九段戦に再編[注 11] | |
1955 (昭30) |
大山康晴 | (大山康晴) | (大山康晴) | 九段 | (選手権者) | 升田幸三 | |
第6期 塚田正夫終 |
(第8回) (大山康晴) | ||||||
1954 (昭29) |
大山康晴 | (第1回) (大山康晴) |
(大山康晴) | 塚田正夫永 | (塚田正夫) | 大山康晴 | 王位戦創設(一般棋戦)[注 12] |
1953 (昭28) |
大山康晴 | - | (第1回) (大山康晴) |
塚田正夫 | (大山康晴) | 大山康晴 | 王座戦創設(一般棋戦) |
1952 (昭27) |
大山康晴 | - | - | 塚田正夫 | (塚田正夫) | 大山康晴 | 木村義雄引退(十四世名人襲位) |
1951 (昭26) |
木村義雄終 | - | - | 大山康晴 | (大山康晴) | 第1期 升田幸三初 |
王将戦がタイトル戦に昇格、陣屋事件[注 13] |
1950 (昭25) |
木村義雄 | - | - | 第1期 大山康晴初 |
(大山康晴) | (第1回) (木村義雄) |
全日本選手権戦内のタイトルとして九段戦創設[注 14] 王将戦創設(一般棋戦) |
1949 (昭24) |
木村義雄 | - | - | - | (萩原淳) | - | |
1948 (昭23) |
塚田正夫 | - | - | - | (第1回) (木村義雄) |
- | 全日本選手権戦(九段戦の前身)創設 |
1947 (昭22) |
塚田正夫初 | - | - | - | - | 順位戦開始 名人戦が毎年開催に | |
1946 (昭21) |
木村義雄永[注 15] | - | - | - | - | ||
1945 (昭20) |
- | - | - | - | 名人戦が戦争で中止(特例で防衛扱い)[注 16] | ||
1944 (昭19) |
木村義雄 | - | - | - | - | 挑戦資格者が出ず木村義雄名人防衛[注 17] | |
1943 (昭18) |
- | - | - | - | |||
1942 (昭17) |
木村義雄 | - | - | - | - | ||
1941 (昭16) |
- | - | - | - | |||
1940 (昭15) |
木村義雄 | - | - | - | - | ||
1939 (昭14) |
- | - | - | - | |||
1938 (昭13) |
第1期 木村義雄初 |
- | - | - | - | 以降名人戦隔年開催 (2年間かけて挑戦者を決定) | |
1937 (昭12) |
- | - | - | - | 名人戦創設、大差のため番勝負開催されず[注 18] | ||
開催 年度 |
名人 | 王位 | (王座) | 九段 | (選手権者) | 王将 | 備 考 |
名人戦 4-6月 |
王位戦 7-9月 |
王座戦 9-10月 |
九段戦/全日本選手権戦 10-12月 |
王将戦 1-3月 |
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 新型コロナウイルス感染症の流行による開催の遅れと、主催変更時に開催時期が見直されたため、挑戦年度は2019年度、獲得年度は2020年度となっている[2]。
- ^ 叡王戦のみ七番勝負は次年度に行われるが前年度に分類される[3] [4]。
- ^ 1997年に永世王位の称号が制定され、遡って資格を獲得。
- ^ 共同通信社主催の最強者決定戦を一新させたもの。ただし、最強者決定戦は、名人に参加資格がないなど棋王戦とは大きく異なる棋戦である。
- ^ 1996年に名誉王座の称号が制定され、遡って資格を獲得。
- ^ 1988年に十段戦廃止(竜王戦創設)に伴って永世十段の規定が改められ、遡って資格を獲得。
- ^ 1997年に永世王位の称号が制定され、遡って資格を獲得。
- ^ 1973年に永世王将の称号が制定され、遡って資格を獲得。
- ^ 王位戦を主催していた産経新聞社が王位戦を新聞三社連合に任せて新設したもの。
- ^ 永世九段の規定を満たしたものの、当時はタイトルとしての永世九段と段位としての九段が同一視されており、既に段位として九段に昇段した後だったため、永世称号として扱われないこともある。
- ^ それまで、全日本選手権戦は九段戦(名人不参加)と名人九段戦という2つの棋戦を内包する特殊な棋戦であったが、名人九段戦を九段戦に統合して、全日本選手権戦は名人も参加する単一の九段戦となった。
- ^ 当時は産経新聞社主催。のちに新聞三社連合が参加してタイトル戦昇格。その後、産経新聞社が離脱して新聞三社連合のみの主催となった。
- ^ 陣屋事件を受けて、当初、当時の連盟会長であった渡辺東一ら理事会により升田の王将位獲得を認めず、第1期王将は空位となることが発表されたが、後に木村義雄の裁定によって升田のタイトル獲得が認められた。
- ^ 全日本選手権戦が、九段戦と名人九段戦という2つの棋戦を内包する特殊な棋戦に再編された。九段と名人が名人九段戦五番勝負を行い全日本選手権者を決めた。現在では、九段戦はタイトル戦、名人九段戦は一般棋戦扱い。詳細は、十段戦 (将棋)を参照。
- ^ 1949年に永世名人の称号が制定され、遡って資格を獲得。
- ^ 第5期名人戦は、1946年に番勝負を開催する予定だったが、戦争により1945年中に挑戦者決定戦が中止となったため、番勝負は開催されず木村の防衛扱いとなった。
- ^ 1943-1944年度にトーナメントを勝ち上がった4名が木村と名人挑戦予備手合を行うも、全て木村が勝利し挑戦資格者は出なかった。詳細は、名人戦 (将棋)#変遷を参照。
- ^ リーグ戦を行って名人候補2名を選出し、両者による番勝負を1938年に行う予定だったが、リーグ戦で1位の木村が2位の花田を大きく引き離したため、規定により番勝負を行うことなく木村を名人とすることが1937年に決まった。
出典[編集]
- ^ “叡王戦について|将棋ニュース|日本将棋連盟” (日本語). www.shogi.or.jp. 2020年11月1日閲覧。
- ^ “棋士データベース 豊島将之|日本将棋連盟” (日本語). www.shogi.or.jp. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “第3期叡王戦 七番勝負”. 日本将棋連盟. 2018年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月19日閲覧。
- ^ 「高見泰地|棋士データベース」『日本将棋連盟』。2018年7月19日閲覧。オリジナルの2018-7-19時点におけるアーカイブ。
- ^ “"中原 誠 永世十段・名誉王座"誕生へ”. 日本将棋連盟 (2007年8月29日). 2018年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月21日閲覧。
関連項目[編集]
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