福崎文吾

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 福崎 文吾 九段
名前 福崎 文吾
生年月日 (1959-12-06) 1959年12月6日(58歳)
プロ入り年月日 1978年10月11日(18歳)
棋士番号 135
出身地 大阪府守口市
師匠 田中魁秀 九段
段位 九段
戦績
タイトル獲得合計 2期
一般棋戦優勝回数 1回
2013年8月13日現在

福崎 文吾(ふくさき ぶんご、1959年12月6日 - )は、将棋棋士田中魁秀九段門下。棋士番号は135。大阪府守口市出身。十段王座のタイトルを獲得。竜王戦1組通算10期。

人物及びエピソード[編集]

  • 振り飛車穴熊を得意とし、相手の意表をつく手順で相手を幻惑し、「妖刀」の異名を持つ。
  • 第23期十段リーグで谷川浩司を得意の振り飛車穴熊で破ったとき、当時若くして名人であった谷川をもってして「感覚を破壊された」と言わしめたことがある。
  • 第25期十段戦でタイトル戦初登場。米長邦雄から4-2で十段を奪取。当初は米長の圧倒有利とされたが、福崎は3局を穴熊で勝利。米長はうち2局を相穴熊で戦ったが、及ばなかった。
  • 翌第26期十段戦で高橋道雄を挑戦者に迎えたが、0-4で失冠。高橋の矢倉に対抗して、全局を相矢倉で戦った。まずは矢倉で1勝してから、穴熊を使う予定だったという。以降も高橋には非常に相性が悪く、十段失冠以降全く勝てていない。
  • 第39期王座戦で谷川浩司から王座を奪取。このタイトルは翌年羽生善治に奪われたが、その後羽生は王座のタイトルを19期に渡り保持し続ける事となる。いつしか「福崎は前王座を19連覇中」「福崎文吾名誉前王座」とのジョークまで生まれ、本人もネタとして使っていた[1]。第59期での羽生の失冠に伴い、福崎が「前王座」と以前ほど呼ばれる事も無くなったが、一部では現在も「名誉前々王座」などと呼ばれる。
  • タイトル在位歴があり、段位も九段なのにA級経験がない(同じ立場の現役棋士では他に中村修。また、A級在位歴・竜王戦1組在籍歴があるものの、タイトル戦登場および挑戦者決定戦も経験が無い、逆の立場には井上慶太がいる)という、やや珍しいケースである。
  • 関西本部所属。関西弁での笑いを前面に押し出した解説は人気があり、大盤解説などにもよく登場する。ただかつては今と違い、近づきがたい雰囲気を放っていたと小林健二が語っている。
  • 夫人は元女流棋士福崎睦美(旧姓、兼田)。
  • 阪田(坂田)三吉の将棋を全局並べた数少ない棋士の一人である。
  • 十段のタイトルを保持したまま、順位戦B級1組から降級したことがある(1987年)。このとき高橋道雄王位・棋王、中村修王将(タイトルは当時)もB級2組におり、タイトル保持者3人がB級2組に在籍する極めて珍しいことが起きた。

昇段履歴[編集]

  • 1975年 5級 = 奨励会入会
  • 1976年 初段
  • 1978年10月11日 四段 = プロ入り
  • 1980年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1981年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1982年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1990年3月26日 八段(勝数規定
  • 2005年10月28日 九段(勝数規定)

主な成績[編集]

獲得タイトル[編集]

登場回数4回 獲得合計2期

一般棋戦優勝[編集]

優勝合計 1回

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第 7回(1979年度) 新人賞・勝率第一位賞
  • 第14回(1986年度) 殊勲賞

その他表彰[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 名誉前王座 - 将棋ペンクラブログ・2011年4月14日
  2. ^ 福崎文吾九段が600勝(将棋栄誉賞)を達成!(日本将棋連盟) 日本将棋連盟 将棋ニュース 2012年03月09日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]