窪田義行

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 窪田義行 七段
名前 窪田義行
生年月日 (1972-05-18) 1972年5月18日(44歳)
プロ入り年月日 1994年4月1日(21歳)
棋士番号 210
出身地 東京都足立区
師匠 花村元司
段位 七段
戦績
2016年6月2日現在

窪田 義行(くぼた よしゆき、1972年5月18日 - )は、将棋棋士。棋士番号210。東京都足立区出身。江戸川学園取手高等学校卒。花村元司九段門下。

戦歴[編集]

第9回(1984年)小学生将棋名人戦で優勝。決勝の相手は、後に、同じくプロ棋士となる金沢孝史であった。同年、6級で奨励会に入会。花村門下では、深浦康市は入門が数日違いの弟弟子である。窪田が入門する際、試験将棋として当時17歳で四段だった森下卓と平手で指して2連勝するも、以後「プロが小学生にナメられてはたまらない」と試験将棋にもかかわらず本気を出した森下が窪田を6番棒に負かし、ついには窪田を泣かしてしまったという[1]

奨励会での成績は長周期の波があったが、1994年春、22歳で四段昇段(プロ入り)する。

20代後半の頃には公式戦で著しい成績不振に陥り、特に27歳で迎えた1999年度は通算26戦中僅か4勝しかできず、しかもそのうち1勝は女流棋士清水市代から得たものであった。続く2000年度・2001年度でも勝率3割を切り、C級2組に在籍していた順位戦では、第58期(1999年度)・第60期(2001年度)でそれぞれ降級点を喫し、あと1点で累積3点となり規定によりフリークラスに陥落するというピンチを迎えるが、30歳で迎えた第61期(2002年度)では一転して9勝1敗・45人中2位の成績でC級1組昇級を果たす。降級点が累積2点という状態での昇級は、第37期(1977年度)の木下晃以来、史上2人目。また、降級点を喫した直後の期での昇級も、各級全てを合計して窪田が6例目[2]である。

1999年、第7期銀河戦(非公式戦時代)で島朗を破りベスト4進出(準決勝で郷田真隆に敗れる)。2005年、第76期棋聖戦で、中原誠加藤一二三南芳一らを破り、挑戦者決定トーナメント(ベスト8)に進出。2006年度、第56回NHK杯戦で、前回優勝者の丸山忠久らを下してベスト4入り(準決勝で森内俊之名人(= 当時)に敗れる)。

第67期(2008年度)順位戦C級1組の最終局は、自分が勝って昇級を争う対象者(広瀬章人)が負ければ昇級という状況で迎えた。結果、そのとおりとなり、8勝2敗・31人中2位の成績でB級2組昇級を果たす。この一局は、深夜2時を過ぎる261手の長手数であり、その日行われたC級1組の15局の中で最も遅い終局であった。また、この昇級により、後述の珍記録を樹立した。

2010年第36期棋王戦で、破竹の勢いで勝者組の決勝まで勝ち上がるも敗退。敗者復活に望みを懸けるも挑戦者決定戦にはあと1勝及ばなかった。しかしながらベスト4の規定により次期のシード枠を獲得。12月、第52期王位戦予選で4連勝し、リーグ入りを果たす。

人物[編集]

  • 趣味は極めて多方面に渡る。代表的なものは時代劇特撮アニメゲーム読書(歴史物、SF)・太極拳書道(準四段)・英会話。また、健康に関心を持っている[3]
  • プロ野球阪神タイガースファンである[4]
  • 2007年4月より、日本将棋連盟関東研修会幹事を務める。2009年3月末に任期満了により幹事を退任。
  • 対局開始時には着ている上着を、開始の挨拶が済むと初手を指す前に早々と脱いで、ワイシャツ姿になる[5]
  • ベスト4に進出した2006年度のNHK杯戦1回戦・対北浜健介戦の終盤で、9二にいる自玉の横に金銀5枚を隙間なく埋めるという珍形を作って勝利。局後の感想戦の第一声は「お恥ずかしいです」であった。
  • 将棋の普及活動に重点を置く棋士も多いが、勝負の世界にこだわり「トーナメントプロ」としての誇りを持っている[6]
  • 近年将棋フェアなどで色紙を求められた際には「流輝」と揮毫する。
  • 成長著しい若手注目株の菅井竜也は同じ振り飛車党であるが、棋譜並べを必ずする棋士として久保利明と窪田義行の名をあげている[7]
  • コナミのオンラインアーケード将棋ゲーム『天下一将棋会2』に登場する棋士の一人。平成23年度『将棋年鑑』におけるアンケートでは「好きな持ち時間」として『天下一将棋会』の持ち時間システム(5分、考慮時間30秒×3、切れたら10秒)と答えている。

棋風[編集]

  • 独特の感覚をもった振り飛車党で、窪田流といわれる四間飛車を得意とする。自身ではその感覚を「タテの振り飛車」[8]と喩えている。さばきを身上とする振り飛車党が多い中、窪田の棋風の特徴として金銀が前に出て行く点が挙げられ、力戦や長手数の泥仕合に本領を発揮する。
    • B級2組への昇級を決めた第67期(2008年度)順位戦C級1組では180手を超える対局が実に4局を数え、3勝1敗であった。6回戦の日浦市郎戦(200手)、10回戦の上野裕和戦(186手)、11回戦の北島忠雄戦(261手)はいずれも入玉確定による勝利。
  • 山崎隆之戦では無理攻めであり成立しないと言われた玉頭銀戦法で見事勝利を収めた。[9]
  • 早見えであり、持ち時間が短い早指し戦でその力を発揮する。
  • 駒を並べる作法は伊藤流。伊藤流で並べる棋士は大橋流よりも少ないと言われているが、棋士の個性の1つである。
  • 独特な棋風とユニークな人柄が「窪田ワールド」と呼ばれている[10]。また著書「変幻自在!! 窪田流3三角戦法」(毎日コミュニケーションズ)の帯には「いきなりタダ捨て2五桂 妖しさ満点 窪田ワールド!!」」と表記されている。2011年の京急将棋祭りでは「窪田ワールドを体感しよう」と称したイベントも開催された。

昇段履歴[編集]

昇段・昇級規定は、将棋の段級 を参照。

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

順位戦における珍記録[編集]

いずれも降級点関連のものである。

  • 降級点を喫した直後に昇級(史上6例目)
  • C級2組で2個目の降級点を喫した後にC級1組昇級(史上2例目)
  • C級2組で2個目の降級点を喫した後にB級2組昇級(史上初)
  • C級2組・C級1組の両方で降級点を喫した後にB級2組昇級(史上初[11]
  • B級2組初昇級までに延べ3回降級点を喫した(史上最多[12]
  • 降級経験なしでC級2組、C級1組、B級2組、すべてのクラスで降級点を喫する(史上初)

著書[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2006年5月14日放送「第56期NHK杯将棋トーナメント1回戦:北浜健介対窪田義行」にて解説を担当した森下卓が紹介
  2. ^ 前例は、第19期(1964年度)の関屋喜代作(C2→C1)、第28期(1973年度)の安恵照剛(C2→C1)、第29期(1974年度)の松田茂行(B2→B1)、第37期(1977年度)の木下晃(C2→C1)、および、第56期(1997年度)の北浜健介(C1→B2)。
  3. ^ 囲碁・将棋チャンネル「将棋まるごと90分」2007年5月29日初回放送分出演時に窪田本人が言及。
  4. ^ 2005年10月26日付「義七郎武蔵国日記」より
  5. ^ NHK杯などのテレビ放送時に一瞬ではあるが、その姿を確認することができる。「初手脱衣」とも呼ばれる。
  6. ^ 日本将棋連盟が行った棋士の意識調査に対する返答より。
  7. ^ 将棋世界に寄せたコメントで菅井竜也が述べた。
  8. ^ 週刊将棋「振り飛車祭りはいつまで続くのか」の特集記事より。窪田義行のコメントを抜粋。
  9. ^ 将棋世界の人気コーナー「イメージと読みの将棋観」でもこの対局が取り上げられた。渡辺明森内俊之などいずれのトップ棋士も玉頭銀戦法は難解との見解だった。
  10. ^ 「週刊将棋」2009年5月13日号の順位戦昇級者インタビュー記事より。
  11. ^ 後に佐々木慎が同様の記録を達成
  12. ^ C級1組以下で降級点を喫した棋士がB級2組に昇級した例も珍しく、第72期(2013年度)終了時点で桜井昇滝誠一郎・安恵照剛・児玉孝一土佐浩司・北浜健介・窪田・佐々木慎の8例のみで、窪田・佐々木以外は全員1回である。

外部リンク[編集]