板谷進
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板谷進 九段 | |
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名前 | 板谷進 |
生年月日 | 1940年12月10日 |
没年月日 | 1988年2月24日(47歳没) |
プロ入り年月日 | 1962年10月1日(21歳) |
棋士番号 | 84 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 板谷四郎九段 |
弟子 | 小林健二、杉本昌隆 |
段位 | 九段 |
棋士DB | 板谷進 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
通算成績 | 471勝412敗(.533) |
順位戦最高クラス | A級(6期) |
2017年8月24日現在 |
板谷 進(いたや すすむ、1940年12月10日 - 1988年2月24日)は、将棋棋士。愛知県名古屋市出身。A級在籍6期。板谷四郎九段門下。
経歴[編集]
日本将棋連盟東海本部長を長く務めた強豪板谷四郎九段の次男。1958年、父に入門して奨励会入り。弟弟子に石田和雄らがいる。1962年四段、1974年八段。
第11期(1967年度後期)棋聖戦挑戦者決定トーナメント決勝で中原誠に敗退してタイトル挑戦を逃した。第7期(1981年度)棋王戦は、挑戦者決定トーナメントを無敗で、第9期(1983年度)では敗者復活で決勝まで勝ち抜くも、いずれもタイトル挑戦目前のところで森安秀光に敗れた。
1988年2月8日、第52期棋聖戦二次予選決勝で有吉道夫に勝利し、8年14期ぶりの挑戦者決定トーナメント進出を決めるも、結果的にこの対局が生涯最期の公式戦となる。2週間後の2月24日、47歳でくも膜下出血のため急死。九段を追贈される。
人物[編集]
親子二代の九段(他には木村義雄・木村義徳親子だけ)で、「東海の若大将」と呼ばれていた。豪快な棋風で「将棋は体力」と称していた。
日本将棋連盟理事を長く務めた。
チェスを趣味とし、愛酒家、棋書や盤駒の収集家としても知られた。
弟子に小林健二、杉本昌隆らがおり、杉本の弟子である藤井聡太から見れば大師匠である。
昇段履歴[編集]
- 1962年10月1日 四段(東西決戦)
- 1964年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1967年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1972年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
- 1974年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
- 1988年2月24日 九段(追贈九段)
- 1988年2月24日 引退(現役のまま死去)
戦歴[編集]
- 通算成績 471勝412敗
- 棋戦優勝1回(1977年度 日本将棋連盟杯争奪戦)
- 順位戦A級 通算6期
- 第1回将棋大賞(1973年度)殊勲賞
主な著書[編集]
- 『熱血将棋順位戦』(日本将棋連盟、1977年)