木下浩一

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 木下浩一 七段
名前 木下浩一
生年月日 (1967-08-29) 1967年8月29日(56歳)
プロ入り年月日 1988年4月1日(20歳)
棋士番号 187
出身地 長野県
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 松田茂役九段
段位 七段
棋士DB 木下浩一
2017年4月1日現在
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木下 浩一(きのした こういち、1967年8月29日 - )は、将棋棋士松田茂役九段門下。棋士番号は187。長野県出身。

棋歴[編集]

1982年、第3回全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝。同年12月奨励会に6級で入会し、師匠の松田のもとで内弟子生活を送る。

奨励会三段に昇段したとき、ちょうど現行制度の第1回三段リーグが始まった。第2回リーグの昇段者争いは接戦となり、木下は10勝5敗の成績ながら1位の成績を取って、プロ入りを果たす。

第4期(1991年度)竜王戦6組の初戦でアマチュアの天野高志に敗れるが、敗者復活の昇級者決定戦を勝ち進み、最後に郷田真隆[1]に勝利して、5組に昇級した。

26歳のとき、東京から郷里の長野に居を移し、対局のたびに東京に出向く生活を始める[2]

第12期(1999年度)竜王戦5組で優勝(4組昇級)。藤井猛竜王への挑戦権を争う本戦トーナメントでは、初戦の佐藤紳哉に勝利し、2回戦で井上慶太に敗れた。

順位戦では2008年度まで21年間C級2組で指した後、フリークラス宣言をおこなった[3]

棋風[編集]

居飛車矢倉相掛かり角換わり玉頭位取り、そして、振り飛車四間飛車三間飛車向かい飛車中飛車相振り飛車のどれも指すオールラウンドプレーヤーである。

昇段履歴[編集]

昇段規定は将棋の段級 を参照。

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1988 47 C252 2 6組 --
1989 48 C223 3 6組 --
1990 49 C234 4 6組 --
1991 50 C221 5 5組 --
1992 51 C223 6 5組 --
1993 52 C243 7 5組 --
1994 53 C213 8 5組 --
1995 54 C220 9 5組 --
1996 55 C213 10 5組 --
1997 56 C224 11 5組 --
1998 57 C221 12 5組 --
1999 58 C235 13 4組 --
2000 59 C220 14 4組 --
2001 60 C221 15 4組 --
2002 61 C226 16 4組 --
2003 62 C228 17 4組 --
2004 63 C223 18 5組 --
2005 64 C241 19 5組 --
2006 65 C226 20 5組 --
2007 66 C217 21 5組 --
2008 67 C228 22 5組 --
2009 68 F宣 23 5組 --
2010 69 F宣 24 6組 --
2011 70 F宣 25 6組 --
2012 71 F宣 26 6組 --
2013 72 F宣 27 6組 --
2014 73 F宣 28 6組 --
2015 74 F宣 29 6組 --
2016 75 F宣 30 6組 --
2017 76 F宣 31 6組 --
2018 77 F宣 32 6組 --
2019 78 F宣 33 6組 --
2020 79 F宣 34 6組 --
2021 80 F宣 35 6組 --
2022 81 F宣 36 6組 --
2023 82 F宣 37 (開始前)
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

脚注[編集]

  1. ^ 郷田は翌年(1992年)3度タイトル戦の挑戦者となり、王位のタイトルを獲得する。
  2. ^ 将棋世界」2000年1月号付録
  3. ^ 2009年度からのフリークラス転出者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2009年4月1日). 2019年6月8日閲覧。
  4. ^ 昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2017年3月31日). 2019年6月8日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]