佐藤康光

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 佐藤康光 九段
名前 佐藤康光
生年月日 (1969-10-01) 1969年10月1日(47歳)
プロ入り年月日 1987年3月25日(17歳)
棋士番号 182
出身地 京都府八幡市
師匠 田中魁秀九段
永世称号 永世棋聖(就位は原則引退後)
段位 九段
戦績
タイトル獲得合計 13期
一般棋戦優勝回数 12回
2017年3月29日現在

佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。タイトル通算獲得数は歴代7位永世棋聖の資格を保持する。棋士番号は182。田中魁秀九段門下。いわゆる「羽生世代」の一人に数えられる。2011年4月から2017年1月まで日本将棋連盟棋士会長を務めた。2017年2月から日本将棋連盟会長[1]京都府綴喜郡八幡町(現・八幡市)出身。

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

少年時代に憧れていた棋士は米長邦雄。師匠・田中の将棋教室に通うようになった頃、『米長の将棋』という本で勉強し、その独特の感覚や終盤の切れ味には大いに影響を受けているという[2]。また、最初に読んだ棋書は有吉道夫の自戦記『玉頭位取り戦法』であり、真っ黒でボロボロになるまで繰り返し読んだという[3]

1981年の春、小学生将棋名人戦に6年生として出場し、NHK教育テレビ全国放送される準決勝に進出して3位となる[4]

1982年12月(中学1年の冬)、6級で関西奨励会に入会。その半年後、谷川浩司が史上最年少の21歳で名人となる。関西将棋会館の控え室で詰将棋を棋士・奨励会員数名が解けずに悩んでいたところに谷川が現れて数十秒で解き、皆を唖然とさせる。この光景を目撃した佐藤は子供心に「A級の恐ろしさ」を知ったという[5]

奨励会入会後、僅か1年弱で2級に昇級。その直後、父親の転勤のため八幡から東京都区内に転居したことで関東奨励会に移籍する。このとき「名人候補を東京に取られた」と関西の棋士たちが嘆いたという[6]。プロの対局の記録係を務めるため中学校を頻繁に休んでいたことから、「学校やすみつ君」とからかわれていた[7]。佐藤はその後、國學院高校に進学し、卒業をしている。

奨励会二段の頃、島朗主宰の、いわゆる「島研」に、森内俊之とともに参加。二人が対局し、残った一人が記録係を務めるという、一風変わった研究会であった。そして、17歳の頃、二段の途中から8連勝して三段へ昇段。さらに続けて13勝1敗[8]で四段(プロ)に昇段(1987年3月25日)。合わせて21勝1敗というラストスパートでのプロ入りを果たす。

プロ入り後[編集]

1987年のプロ入りから約3年後の1990年、五段のとき第31期王位戦で、谷川浩司王位への挑戦権を得、タイトル戦に初登場。フルセットの3-4で退けられる。

同年(1990年)、第9回早指し新鋭戦で、決勝で森内俊之を破り棋戦初優勝。翌年(1991年)も決勝で森下卓を破って2連覇。1990年度は、将棋大賞の新人賞を受賞している。

1993年、六段のとき第6期竜王戦で挑戦者となる(これにより規定で七段へ昇段)。当時の竜王は五冠王の羽生善治であったが七番勝負を4-2で制して羽生から竜王位を奪取し、初のタイトル獲得を果たす。しかし、翌年(1994年)の第7期竜王戦では、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠し、羽生に史上初の六冠王を許してしまう。以後1年間、「前竜王」の称号を名乗った[9]。その翌年(1995年)の第8期竜王戦は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった。羽生は、この竜王戦の直後の王将戦も制し、史上初の七冠独占を達成することとなる。

1996年にA級八段となる。そして、A級参加2期目(1997年度)のA級順位戦において6勝3敗同士でのプレーオフで羽生善治を下し、第56期(1998年)名人戦で谷川浩司名人への挑戦権を得る。そして、七番勝負を4-3で制して初の名人位獲得。また、名人1期獲得の規定により九段に上り詰めた。

1999年、第57期名人戦では谷川と2年連続の対決。2勝3敗で迎えた第6局では、2日目深夜に及ぶ203手の激戦に勝ってフルセットの戦いに持ち込み、最終局でも勝って、名人位を防衛。

2000年代[編集]

2000年、丸山忠久の挑戦を受けた第58期名人戦は、丸山の得意戦法を逃げずに堂々と受けて立つシリーズとなったが、3勝4敗で名人失冠。

2002年(2001年度)、第51期王将戦で羽生善治に挑戦。4-2で王将位を奪取。

2002年度、第73期棋聖戦郷田真隆に挑戦、3-2で奪取に成功。初めて二冠(棋聖・王将)となる。さらに王座戦で羽生に挑戦したが敗退し、一気の三冠達成はならなかった。また、王将の防衛戦は、羽生を挑戦者に迎え前年と同一カードとなったが、0-4で羽生に奪還され、棋聖のみの一冠に後退した。

2003年、第74期棋聖戦で丸山忠久の挑戦を3-0で退け防衛。羽生善治(当時七冠)が棋聖位を失ってから、棋聖位保持者は7年連続で入れ替わっていたが、この防衛によって終止符が打たれた。同年、第11期銀河戦中川大輔を下して優勝、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝を飾った。

2004年、第75期棋聖戦で森内俊之の挑戦を3-0で退け防衛。JT将棋日本シリーズでは、決勝で久保利明を下して初優勝。

2005年、第76期棋聖戦で羽生善治の挑戦を3-2で退け防衛。

2006年度は、佐藤にとって大活躍の年となる。まず、第77期棋聖戦で鈴木大介の挑戦を3-0で退け防衛。これで通算5期となり、規定により永世棋聖の資格を得る。JT将棋日本シリーズは決勝で郷田真隆を破り2度目の優勝。NHK杯も決勝で森内俊之を破り優勝(3度目の決勝進出にして初優勝)。史上初のタイトル戦5連続挑戦の記録を作り、うち、森内俊之から棋王位を奪取。再び二冠(棋聖・棋王)となる。また、成績だけではなく、「佐藤新手」[10]と呼ばれる数々の新手や独創的な戦法を大勝負で用いたことは評価された。これらの活躍により、将棋大賞の最優秀棋士賞と升田幸三賞を同時受賞する(いずれも初受賞)[11]

2007年、第78期棋聖戦で渡辺明竜王の挑戦を3-1で退けて防衛し、6連覇。一方、同年の竜王戦では、逆に渡辺に2年連続で挑戦するも2-4で再び奪取に失敗し、三冠制覇のチャンスを逃す。互いに自分のタイトルを防衛・連覇し合う結果となった。

2007年度、初の生放送となるNHK杯戦決勝(2008年3月16日)で鈴木大介を破り優勝。47、48期(1998、99年度)の羽生善治以来、同大会9年ぶり3人目の連覇を達成した。また、第33期棋王戦では羽生を3勝2敗で下して防衛に成功、1勝2敗の角番からの粘りで二冠を死守した。しかしながら、A級順位戦では苦戦する[12]。残留争いのライバル2名(行方尚史・久保利明)との直接対決が残っていたため、残り3局を3連勝すれば残留できるという「自力残留」の目が残されていた。まず、行方を破り、次に久保を破る。そして最終9回戦[13]では、挑戦者争いにも残留争いにも絡んでいない木村一基が対戦相手であった。木村は羽織袴を着て闘志(「米長哲学」)を露わにして佐藤の前に登場するも、佐藤はこの一局に勝ち、A級の座を死守した。

2008年6月からの第79期棋聖戦でも羽生を挑戦者として迎える。初戦から2連勝して早々に防衛に王手をかけたが、そこから3連敗して棋聖位を奪取され、一冠(棋王)に後退。大山康晴に並ぶ棋聖戦7連覇の達成はならなかった。

2009年(2008年度)の第34期棋王戦では、久保利明に2連敗後の2連勝でフルセットまで持ち込んだが、最終局に敗れ3連覇を逃し、7年ぶりに無冠となる(久保にとっては初タイトル)。

第68期(2009年度)順位戦A級の8回戦、対・藤井猛戦(2010年2月3日)で敗れ、B級1組への陥落が決定。A級連続在籍(名人在位2期を含む)は14でストップし、順位戦・竜王戦を通じて自身初の降級を喫する。翌朝、久保棋王への挑戦者(リターンマッチ)として、第1局のため9時前に羽田空港に集合し、上海へ移動。対局場の検分と前夜祭を済ませ、2月5日に対局という過酷なスケジュールであったが、筋違い角の乱戦を制して先勝する。この五番勝負は前期と同じくフルセットとなったが、第5局(3月30日)で190手の熱戦の末に敗れ、昨年奪われた棋王位をすぐに取り返すことはできなかった。この一局は、翌日に行われた第37回将棋大賞の選考で、名局賞に選ばれた[14][15]。また2009年度最後の対局である棋王戦第5局で敗れたことにより、同年度はデビュー以来初の負け越し(24勝25敗)となった。

2010年代[編集]

降級して迎えた第69期(2010年度)順位戦では、A級14期連続在位の貫禄を見せつけ、9勝3敗の成績でA級に返り咲きを果たした。勝率こそ7割を超えた(34勝14敗)ものの、タイトル戦線に絡むことはなかった。

第61期(2011年度)王将戦挑戦者決定リーグ戦で5勝1敗の成績を残し、同星だった豊島将之六段との決定戦も勝利し挑戦者の権利を得る。2012年1月から、久保利明二冠に挑んだ王将戦七番勝負では、第1局から久保を圧倒し3連勝。久保の地元である兵庫県加古川市で行われた第4戦こそ敗れたが、第5戦に勝ち4勝1敗で王将位を奪取。王将位在位は11年ぶり2期目。佐藤自身も約3年ぶりのタイトル奪取となった。しかし第62期(2012年度)王将戦で渡辺明に対し1-4で敗れ、王将位から失冠した。

第29期(2016年度)竜王戦にて1組の5位決定戦1回戦で阿久津主税と対局するも敗れ、24期連続で保持してきた1組の座から陥落することになった。その後、第30期竜王戦において2組準優勝となり[16]、本戦進出と1組に復帰が決定している。

第66回NHK杯テレビ将棋トーナメント初戦となる2回戦で増田康宏四段、3回戦で斎藤慎太郎六段(当時)、準々決勝で去年度の準優勝となる千田翔太六段、準決勝で佐藤天彦名人にそれぞれ勝利し、決勝戦で初の決勝進出となる佐藤和俊六段に勝利し、9年ぶり三度目のNHK杯を優勝した[17]

2017年7月28日の第76期A級順位戦で広瀬章人八段に勝ち、史上9人目の公式戦通算1000勝を達成した[18][19]

棋風[編集]

若手時代は既存の定跡形を多く指していたが、2005年前後からは創造的で新基軸な序盤作戦を選ぶことが多くなっている[20]

ゴキゲン中飛車を相手にしての序盤の新手である9手目▲9六歩は、多くの棋士達によって採用されている(ゴキゲン中飛車 を参照)[21]

若手時代から「緻密流」と称される読みの深さで知られ、「1秒間に1億と3手読む」と形容されるほどである[22]

著書の端書きで美濃囲いについて、「囲い自体には、ちょっと違和感を覚えている。(中略)銀を上がる形が不思議な囲いに見えてしまう」と述べている[23]

エピソード・人物[編集]

対局に関するエピソード[編集]

  • プロとして最初の公式戦(1987年5月26日・早指し将棋選手権予選)の対局相手であった木村嘉孝が、事情により欠場したため、プロ初白星が不戦勝という、棋界では非常に珍しい記録を残すことになった。
  • 谷川浩司の挑戦(リターンマッチ)を受けた1999年の第57期名人戦では、2-3のカド番に追い込まれた。迎えた第6局(1999年6月7日 - 8日)は2日目の深夜まで続く将棋となった。結果のダイジェストを伝える予定だったNHK BS2の時間枠(23:40 - 24:00)は急遽生放送に変更した。放送に入ったときは189手目の局面で、佐藤の玉が詰むかどうかの難解な最終盤であった。結果は203手で佐藤の勝ちとなり、名人位を死守した。谷川の投了は23:54で、放送時間枠内に入ったため、終局後、明らかに疲労困憊し、口から言葉も出ない様子の佐藤の姿がテレビ画面に映った。
  • 2000年の第58期名人戦においては、挑戦者であった丸山忠久の得意戦法(丸山が先手の場合は角換わり戦法、丸山が後手の場合は横歩取り8五飛車戦法)を堂々と受けて名人位を防衛しようとした[24]。しかし、結果的に3勝4敗で丸山に名人位を奪われた。
  • 渡辺明に挑戦した2006年の第19期竜王戦の第6局で、渡辺の初手▲7六歩に対して2手目△3二金と指し、居飛車党の渡辺を「挑発」[25]した(3二の金は、相手が振り飛車の場合には適さない位置とされる)。結果は、挑発に乗って不慣れな振り飛車を採用した渡辺の負け。そして迎えた最終の第7局でも、振り駒で後手となった佐藤は再び2手目△3二金と指したが今度は矢倉戦になり、結果は渡辺が勝って防衛。そして渡辺に2年連続で挑戦した第20期竜王戦の第6局でも、佐藤は2手目△3二金を採用。プロ棋界では非常に珍しい相中飛車に進み、最終的に渡辺が勝利を収めた[26]
第61期王将戦第1局
第25手 ▲5七玉まで
△久保利明王将 持駒:角
Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
Shogi zver 22.png
▲佐藤康光九段 持駒:角歩三
  • 久保利明に挑戦した第61期王将戦の第1局で、久保のゴキゲン中飛車に超速戦法で応戦、乱戦に持ち込んだところに▲5七玉という空前絶後の妙手を指し、度肝を抜いた(対局は111手で佐藤の勝ち)[27]。本局を含めた意欲的な指し回しが評価され、佐藤は第18回升田幸三賞を受賞している[28]
  • NHK杯戦で連覇を経験しているため、同棋戦で13連勝の記録を持つ。本人曰く羽生さんの連勝(編注:24連勝。後述書p.194参照)に比べたら問題にならないが、実は密かな自慢であるとのことである[29]
  • NHK杯で金井恒太との対局で時間が迫り「▲5九飛車」と指す場面で飛車駒を落としてしまう。しかし差し手の位置を指で示し「5九飛車」と発言したことから時間内に指したとされ事なきを得た(駒を落とした場合について連盟規定に記述がある)。

人物・エピソード[編集]

  • 特技はヴァイオリン演奏。将棋を覚える以前から習っていた。棋聖戦の就位式に演奏を披露していたこともあった。
  • 将棋マガジン(日本将棋連盟)のコーナーである「佐藤康光と森内俊之のなんでもアタック」の1996年2月号の企画で、目隠し五面指し(目隠しした佐藤が、目隠ししていない5人のアマチュアと同時に対局)に挑戦し、反則なしの五戦全勝で見事に成功した。
  • 熱血漢でアツくなり易いという一面を持っており、対局で負けたときは涙を流して悔しがることもある[30]
  • タイトル戦以外でも、ここ一番の大勝負(挑戦者決定戦やTV棋戦の決勝など)では和服で対局に臨む。
  • 竜王奪取の前年(1992年)にゴルフを始めたところそちらにはまり、しばらくすると野球を止め「趣味はゴルフ」と公言するまでになった[31]
  • 2004年2月に当時会社員であった現在の妻と婚約し、同年8月に結婚。以降、「囲碁将棋ジャーナル」で佐藤の表彰式の模様が紹介されるとき、列席している妻の顔は必ずと言っていいほどカメラで大写しにされている。5年後の2009年6月に長女が誕生し、一児の父となった。2010年秋の銀河戦祝勝会では、勝又清和相手に「娘が可愛すぎてもうダメです。」とのろけた様子を勝又のblogで暴露されている[32]
  • 2006年、米長邦雄会長(当時)からBonanza戦を打診され、「固くお断りします」という佐藤に対して、米長が「負けたところで恥になるわけでもない、考えてみろ。しょせん遊びだ。機械相手に数時間遊びで指してくれれば、1000万円以上の収入になる」というと、佐藤は「米長先生、そこに正座してください。プロが将棋を指すのに”遊び”ということがありますか。先生はそんな気持ちで将棋を指していたんですか。私は固くお断りをいたします」と米長を諭した(米長著「われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る」より)。
  • 2015年4月から、半期にわたりEテレ将棋フォーカスで、将棋講座の講師を務めた。
  • 2016年10月10日 島朗宅で行われた将棋ソフト不正使用疑惑に関する会合に参加し、後に三浦弘行の出場停止処分について、苦渋の決断と発言した。

棋士会長から連盟会長として[編集]

  • 2011年4月1日から日本将棋連盟棋士会長を務める[33]
  • 2017年2月、谷川浩司の会長辞任を受け、第二次世界大戦後16人目となる日本将棋連盟会長に就任した[34][35]
  • 2017年(第3期)からタイトル戦に昇格する叡王戦において、七番勝負の持ち時間について「対局者が持ち時間の長さを選択する」という変則ルールを考案した[36]

昇段履歴[編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1982年12月 6級 = 奨励会入会
  • 1984年7月 初段
  • 1987年3月25日 四段(奨励会三段昇段後13勝1敗) = プロ入り
  • 1989年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1992年3月25日 六段(勝数規定)
  • 1993年10月1日 七段(竜王挑戦)
  • 1996年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 1998年6月18日 九段(名人位獲得)

主な成績[編集]

タイトル・永世称号[編集]

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号資格
竜王 七番勝負
10-12月
93(第6期) 5 1期
名人 七番勝負
4-6月
98(第56期)- 99 3 2期 2
王位 七番勝負
7-9月
5
王座 五番勝負
9-10月
3
棋王 五番勝負
2-3月
06(第32期)- 07 6 2期 2
棋聖 五番勝負
6-7月
02(第73期)- 07 7 6期 6
(史上2人目)
永世棋聖
王将 七番勝負
1-3月
01(第51期), 11 8 2期
登場回数合計37、 獲得合計13期歴代7位
(2017年3月末現在。)

一般棋戦優勝[編集]

  • 銀河戦 3回(2003年 = 第11期、2008年、2010年)
  • NHK杯テレビ将棋トーナメント 3回(2006年度 = 第56回、2007年度、2016年度)
  • JT将棋日本シリーズ 2回(2004年度 = 第25回、2006年度)
  • ネット将棋・最強戦 1回(2012年度 = 第6回)
  • 早指し新鋭戦 2回(1990年度 = 第9回、1991年度)
  • オールスター勝ち抜き戦(5連勝以上) 1回(第19回 = 1999年、7連勝)
優勝合計 12回
非公式戦優勝
  • 達人戦 1回(2010年度 = 第18回)

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第18回(1990年度) 新人賞
  • 第20回(1992年度) 技能賞
  • 第21回(1993年度) 最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・殊勲賞
  • 第23回(1995年度) 技能賞
  • 第25回(1997年度) 技能賞
  • 第26回(1998年度) 殊勲賞
  • 第29回(2001年度) 連勝賞・技能賞
  • 第30回(2002年度) 敢闘賞
  • 第32回(2004年度) 技能賞
  • 第33回(2005年度) 敢闘賞
  • 第34回(2006年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・升田幸三賞
  • 第35回(2007年度) 優秀棋士賞[37]
  • 第37回(2009年度) 名局賞(第35期棋王戦第5局・対久保利明棋王)
  • 第39回(2011年度) 升田幸三賞
  • 第44回(2016年度) 名局賞(第75期A級順位戦第8局・対深浦康市九段)[38]

記録(歴代1位のもの)[編集]

  • 二段昇段 - 四段昇段最高勝率 .955(21勝1敗)
  • タイトル連続挑戦 5連続挑戦(2006年度 王位戦、王座戦、竜王戦、王将戦、棋王戦)


将棋タイトル獲得記録
順位 獲得回数 棋士名
1位 98期 羽生善治 *
2位 80期 大山康晴
3位 64期 中原誠
4位 27期 谷川浩司 *
5位タイ 19期 米長邦雄 | 渡辺明 * 
7位 13期 佐藤康光 *
8位 12期 森内俊之 *
9位タイ 8期 木村義雄 | 加藤一二三 
*は現役棋士

著書[編集]

関連イベント[編集]

  • 京都府八幡市での佐藤康光杯将棋大会。

その他表彰[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 2017年2月6日、棋士総会で理事に当選(信任)、理事の互選で会長に選出された。(ニュース「日本将棋連盟の新会長に佐藤康光九段」(村瀬信也 2017年2月6日20時59分)ほか)
  2. ^ 2008年1月20日放送のNHK将棋講座にて、本人談。
  3. ^ 佐藤康光『佐藤康光の寄せの急所 囲いの急所』日本放送出版協会、1995年11月、ISBN 4-14-016075-6、p108
  4. ^ その前の3回戦では、村山聖と対戦して勝っている。ちなみに、このときの準優勝者は中井広恵。また、畠山成幸(前年準優勝)は佐藤と同じく3位であった。5年生の羽生善治(翌年に優勝)も出場していた。
  5. ^ 将棋世界」1990年2月号
  6. ^ 別冊宝島編集部 編 『戦う将棋指し』 宝島社、1999年、166頁。
  7. ^ 先崎学著「世界は右に回る」
  8. ^ 佐藤が奨励会に在籍していた当時は、三段リーグの制度がなかった。
  9. ^ 佐藤は、「前竜王」の称号を名乗る権利を行使した最後の棋士である。
  10. ^ 将棋世界」2006年7月号の表紙および本文
  11. ^ 第34回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟
  12. ^ 開幕から谷川浩司とともに4連敗し、「このまま2人そろって降級か」ということで一般紙でも話題として取り上げられた。その後、谷川は連敗を4で止め最終局を前に残留を確定させたが、佐藤は6連敗を喫した。
  13. ^ 将棋界のいちばん長い日」と呼ばれる
  14. ^ なお、棋王戦第2局と第3局の間の3月2日に行われたA級順位戦最終局(いわゆる‘将棋界のいちばん長い日’)は、勝っても負けても次期のB級1組での順位さえ変わらない全くの消化試合であったが、名人挑戦の可能性を残していた丸山忠久を負かしている。
  15. ^ 第37回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟
  16. ^ 第30期竜王戦2組 トーナメント結果
  17. ^ 第66回NHK杯戦決勝は佐藤康光九段が勝ち、3回目の優勝|将棋ニュース|日本将棋連盟
  18. ^ 将棋の佐藤康光九段が通算1千勝を達成 史上9人目 2017年7月29日 朝日新聞
  19. ^ 佐藤康光九段、1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成!|将棋ニュース|日本将棋連盟
  20. ^ 一般的にそうした将棋は型に嵌らない「力戦」と呼ばれることが多いが、本人によれば、それらの作戦はすべて論理的に考えた帰結であるので、力戦と呼ばれることには抵抗感があると言う(佐藤康光 『佐藤康光の力戦振り飛車』(毎日コミュニケーションズ、2010年)3頁)
  21. ^ ▲9六歩を初披露したのは2005年2月17日(朝日オープン将棋選手権・対山崎隆之戦)である(結果的に負けたが内容は十分)。しかし、そのときは棋士達の間で見向きもされず、5か月後にタイトル戦で羽生を相手に指して勝ったときから流行り出した。佐藤は「真似されるのは素直にうれしい」と語っている(『将棋世界』2006年7月号)
  22. ^ 室岡は当初「10億」と言った筈がいつの間にか「1億」になった、と将棋世界2009年9月号で述べている。もちろん佐藤自身も否定しているが、『日本将棋用語事典』p.173 -によれば、1000手を超えることはあるとのことである。
  23. ^ 佐藤康光 『最強居飛車穴熊マニュアル』 (日本将棋連盟、2003年)2頁。ただし、このことは「独り言と思って聞き流しておいてください」ともある。
  24. ^ 前期の谷川との名人戦でも、そのような傾向が見られた。
  25. ^ なお、佐藤本人は2手目△3二金について、将棋世界の「イメージと読みの将棋感」の中で「挑発ではなく、論理に基づく手」と語っている。実際、第19期竜王戦第7局では2手目△3二金のあと4手目△4一玉の新手を披露しており、これが矢倉戦法を指向する相手に効果的だったことから、渡辺竜王も「ただの挑発ではありませんでした」と評価している。
  26. ^ この1局で、渡辺の竜王4連覇が決まった。
  27. ^ 将棋世界2012年6月号「プレイバック2011」に於いても、本局を評した棋士の全てが佐藤の▲5七玉についての驚きを口にした。一方、やられた久保は同誌2012年8月号「イメージと読みの将棋観」に於いてこの局面が取り上げられた際に、「もう一度この局面が現れたら、(本局と同じく)後手を持ってみたい」と述べた。
  28. ^ 第39回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟
  29. ^ 内藤國雄加藤一二三谷川浩司羽生善治森内俊之佐藤康光渡辺明 (監修) p.196 (2013), NHK出版, ed., NHK杯伝説の名勝負 次の一手, NHK将棋シリーズ, NHK出版 
  30. ^ 先崎学著 先崎学の「浮いたり沈んだり」の「敗戦の夜に…」にて対局に負けた後に「わんわん泣きます」と佐藤が語ったエピソードが紹介されている。
  31. ^ My Selection プロ棋士 佐藤康光さん - Golf Digest TV
  32. ^ 突き抜けないブログ2011年3月2日
  33. ^ 「棋士会」役員変更のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟
  34. ^ 朝日新聞digital・トップニュース「日本将棋連盟の新会長に佐藤康光九段」(村瀬信也 2017年2月6日20時59分)ほか
  35. ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟
  36. ^ 将棋の「叡王戦」がタイトル戦に昇格! 王座戦以来34年ぶり - スポーツ報知・2017年5月20日
  37. ^ 第35回将棋大賞決まる!|将棋ニュース|日本将棋連盟
  38. ^ 第44回将棋大賞受賞者のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟
  39. ^ 佐藤棋聖が「京都府文化賞」を受賞|将棋ニュース|日本将棋連盟
  40. ^ 佐藤康光棋王が800勝(将棋栄誉敢闘賞)を達成|将棋ニュース|日本将棋連盟
  41. ^ 佐藤康光九段が紫綬褒章を受章|将棋ニュース|日本将棋連盟

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]