佐藤康光

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 佐藤康光 九段
名前 佐藤康光
生年月日 1969年10月1日(46歳)
プロ入り年月日 1987年3月25日(17歳)
棋士番号 182
出身地 京都府八幡市
師匠 田中魁秀
永世称号 永世棋聖(就位は原則引退後)
段位 九段
戦績
タイトル獲得合計 13期
一般棋戦優勝回数 11回
2013年3月7日現在

佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。タイトル通算獲得数は歴代7位永世棋聖の資格を保持する。棋士番号は182。田中魁秀九段門下。いわゆる「羽生世代」の一人に数えられる。2011年4月1日から日本将棋連盟棋士会長を務める。京都府綴喜郡八幡町(現・八幡市)出身。

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

少年時代に憧れていた棋士は米長邦雄。師匠・田中の将棋教室に通うようになった頃、『米長の将棋』という本で勉強し、その独特の感覚や終盤の切れ味には大いに影響を受けているという[1]。また、最初に読んだ棋書は有吉道夫の自戦記『玉頭位取り戦法』であり、真っ黒でボロボロになるまで繰り返し読んだという[2]

1981年の春、小学生将棋名人戦に6年生として出場し、NHK教育テレビ全国放送される準決勝に進出して3位となる[3]

1982年12月(中学1年の冬)、6級で関西奨励会に入会。その半年後、谷川浩司が史上最年少の21歳で名人となる。関西将棋会館の控え室で詰将棋を棋士・奨励会員数名が解けずに悩んでいたところに谷川が現れて数十秒で解き、皆を唖然とさせる。この光景を目撃した佐藤は子供心に「A級の恐ろしさ」を知ったという[4]

奨励会入会後、僅か1年弱で2級に昇級。その直後、父親の転勤のため関東奨励会に移籍する。このとき、「名人候補を東京に取られた」と関西の棋士たちが嘆いたという[5]

ちなみに、プロの対局の記録係を務めるため中学校を頻繁に休んでいたことから、「学校やすみつ君」とからかわれていた[6]。佐藤はその後國學院高校に進学し、卒業を果たしている。

奨励会二段の頃、島朗主宰の、いわゆる「島研」に、森内俊之とともに参加。二人が対局し、残った一人が記録係を務めるという、一風変わった研究会であった。

そして、17歳の頃、二段の途中から8連勝して三段へ昇段。さらに続けて13勝1敗[7]で四段(プロ)に昇段(1987年3月25日)。合わせて21勝1敗というラストスパートでのプロ入りを果たす。

プロ入り後の活躍[編集]

1987年のプロ入りから約3年後の1990年、五段のとき第31期王位戦で、谷川浩司王位への挑戦権を得、タイトル戦に初登場。フルセットの3-4で退けられる。

同年(1990年)、第9回早指し新鋭戦で、決勝で森内俊之を破り棋戦初優勝。翌年(1991年)も決勝で森下卓を破って2連覇。1990年度は、将棋大賞の新人賞を受賞している。

1993年、六段のとき第6期竜王戦で挑戦者となる(これにより規定で七段へ昇段)。当時の竜王は五冠王の羽生善治であったが七番勝負を4-2で制して羽生から竜王位を奪取し、初のタイトル獲得を果たす。しかし、翌年(1994年)の第7期竜王戦では、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠し、羽生に史上初の六冠王を許してしまう。以後1年間、「前竜王」の称号を名乗った[8]。その翌年(1995年)の第8期竜王戦は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった。羽生は、この竜王戦の直後の王将戦も制し、史上初の七冠独占を達成することとなる。

1996年にA級八段となる。そして、A級参加2期目(1997年度)のA級順位戦において6勝3敗同士でのプレーオフで羽生善治を下し、第56期(1998年)名人戦で谷川浩司名人への挑戦権を得る。そして、七番勝負を4-3で制して初の名人位獲得。また、名人1期獲得の規定により九段に上り詰めた。

1999年、第57期名人戦では谷川と2年連続の対決。2勝3敗で迎えた第6局では、2日目深夜に及ぶ203手の激戦に勝ってフルセットの戦いに持ち込み、最終局でも勝って、名人位を防衛。

2000年、丸山忠久の挑戦を受けた第58期名人戦は、丸山の得意戦法を逃げずに堂々と受けて立つシリーズとなったが、3勝4敗で名人失冠。

2002年(2001年度)、第51期王将戦で羽生善治に挑戦。4-2で王将位を奪取。

2002年度、第73期棋聖戦郷田真隆に挑戦、3-2で奪取に成功。初めて二冠(棋聖・王将)となる。さらに王座戦で羽生に挑戦したが敗退し、一気の三冠達成はならなかった。また、王将の防衛戦は、羽生を挑戦者に迎え前年と同一カードとなったが、0-4で羽生に奪還され、棋聖のみの一冠に後退した。

2003年、第74期棋聖戦で丸山忠久の挑戦を3-0で退け防衛。羽生善治(当時七冠)が棋聖位を失ってから、棋聖位保持者は7年連続で入れ替わっていたが、この防衛によって終止符が打たれた。同年、第11期銀河戦中川大輔を下して優勝、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝を飾った。

2004年、第75期棋聖戦で森内俊之の挑戦を3-0で退け防衛。JT将棋日本シリーズでは、決勝で久保利明を下して初優勝。

2005年、第76期棋聖戦で羽生善治の挑戦を3-2で退け防衛。

2006年度は、佐藤にとって大活躍の年となる。まず、第77期棋聖戦で鈴木大介の挑戦を3-0で退け防衛。これで通算5期となり、規定により永世棋聖の資格を得る。JT将棋日本シリーズは決勝で郷田真隆を破り2度目の優勝。NHK杯も決勝で森内俊之を破り優勝(3度目の決勝進出にして初優勝)。史上初のタイトル戦5連続挑戦の記録を作り、うち、森内俊之から棋王位を奪取。再び二冠(棋聖・棋王)となる。また、成績だけではなく、「佐藤新手」[9]と呼ばれる数々の新手や独創的な戦法を大勝負で用いたことは評価された。これらの活躍により、将棋大賞の最優秀棋士賞と升田幸三賞を同時受賞する(いずれも初受賞)。

2007年、第78期棋聖戦で渡辺明竜王の挑戦を3-1で退けて防衛し、6連覇。一方、同年の竜王戦では、逆に渡辺に2年連続で挑戦するも2-4で再び奪取に失敗し、三冠制覇のチャンスを逃す。互いに自分のタイトルを防衛・連覇し合う結果となった。

2007年度、初の生放送となるNHK杯戦決勝(2008年3月16日)で鈴木大介を破り優勝。47、48期(1998、99年度)の羽生善治以来、同大会9年ぶり3人目の連覇を達成した。また、第33期棋王戦では羽生を3勝2敗で下して防衛に成功、1勝2敗の角番からの粘りで二冠を死守した。しかしながら、A級順位戦では苦戦する[10]。残留争いのライバル2名(行方尚史・久保利明)との直接対決が残っていたため、残り3局を3連勝すれば残留できるという「自力残留」の目が残されていた。まず、行方を破り、次に久保を破る。そして最終9回戦[11]では、挑戦者争いにも残留争いにも絡んでいない木村一基が対戦相手であった。木村は羽織袴を着て闘志(「米長哲学」)を露わにして佐藤の前に登場するも、佐藤はこの一局に勝ち、A級の座を死守した。

2008年6月からの第79期棋聖戦でも羽生を挑戦者として迎える。初戦から2連勝して早々に防衛に王手をかけたが、そこから3連敗して棋聖位を奪取され、一冠(棋王)に後退。大山康晴に並ぶ棋聖戦7連覇の達成はならなかった。

2009年(2008年度)の第34期棋王戦では、久保利明に2連敗後の2連勝でフルセットまで持ち込んだが、最終局に敗れ3連覇を逃し、7年ぶりに無冠となる(久保にとっては初タイトル)。

第68期(2009年度)順位戦A級の8回戦、対・藤井猛戦(2010年2月3日)で敗れ、B級1組への陥落が決定。A級連続在籍(名人在位2期を含む)は14でストップし、順位戦・竜王戦を通じて自身初の降級を喫する。翌朝、久保棋王への挑戦者(リターンマッチ)として、第1局のため9時前に羽田空港に集合し、上海へ移動。対局場の検分と前夜祭を済ませ、2月5日に対局という過酷なスケジュールであったが、筋違い角の乱戦を制して先勝する。この五番勝負は前期と同じくフルセットとなったが、第5局(3月30日)で190手の熱戦の末に敗れ、昨年奪われた棋王位をすぐに取り返すことはできなかった。この一局は、翌日に行われた第37回将棋大賞の選考で、名局賞に選ばれた[12]。また2009年度最後の対局である棋王戦第5局で敗れたことにより、同年度はデビュー以来初の負け越し(24勝25敗)となった。

降級して迎えた第69期(2010年度)順位戦では、A級14期連続在位の貫禄を見せつけ、9勝3敗の成績でA級に返り咲きを果たした。勝率こそ7割を超えた(34勝14敗)ものの、タイトル戦線に絡むことはなかった。

第61期(2011年度)王将戦挑戦者決定リーグ戦で5勝1敗の成績を残し、同星だった豊島将之六段との決定戦も勝利し挑戦者の権利を得る。2012年1月から、久保利明二冠に挑んだ王将戦七番勝負では、第1局から久保を圧倒し3連勝。久保の地元である兵庫県加古川市で行われた第4戦こそ敗れたが、第5戦に勝ち4勝1敗で王将位を奪取。王将位在位は11年ぶり2期目。佐藤自身も約3年ぶりのタイトル奪取となった。

しかし、第62期(2012年度)王将戦で渡辺明に対し1-4で敗れ、王将位から失冠した。

棋風[編集]

若手時代は既存の定跡形を多く指していたが、2005年前後からは創造的で新基軸な序盤作戦を選ぶことが多くなっている[13]

ゴキゲン中飛車を相手にしての序盤の新手である9手目▲9六歩は、多くの棋士達によって採用されている(ゴキゲン中飛車 を参照)[14]

また、若手時代から「緻密流」と称される読みの深さで知られ、「1秒間に1億と3手読む」と形容されるほどである[15]

著書のはしがきで美濃囲いについて、「囲い自体には、ちょっと違和感を覚えている。(中略)銀を上がる形が不思議な囲いに見えてしまう」と述べている[16]

好きな駒は桂(桂馬)。使わない駒が残らないように工夫を重ねているうちに、(うまく使わないと残りやすい)桂を好きになったという[17]

エピソード・人物[編集]

対局に関するエピソード[編集]

  • プロとして最初の公式戦(1987年5月26日・早指し将棋選手権予選)の対局相手であった木村嘉孝が、事情により欠場したため、プロ初白星が不戦勝という、棋界では非常に珍しい記録を残すことになった。
  • 谷川浩司の挑戦(リターンマッチ)を受けた1999年の第57期名人戦では、2-3のカド番に追い込まれた。迎えた第6局(1999年6月7日 - 8日)は2日目の深夜まで続く将棋となった。結果のダイジェストを伝える予定だったNHK BS2の時間枠(23:40 - 24:00)は生放送と化した[18]。放送に入ったときは189手目の局面で、佐藤の玉が詰むかどうかの難解な最終盤であった[19]。結果は203手で佐藤の勝ちとなり、名人位を死守した。谷川の投了は23:54で、放送時間枠内に入ったため、終局後、明らかに疲労困憊し、口から言葉も出ない様子の佐藤の姿がテレビ画面に映った。
  • 2000年の第58期名人戦においては、挑戦者であった丸山忠久の得意戦法(丸山が先手の場合は角換わり戦法、丸山が後手の場合は横歩取り8五飛車戦法)を堂々と受けて名人位を防衛しようとした[20]。しかし、結果的に3勝4敗で丸山に名人位を奪われた。
  • 2004年度のNHK杯2回戦で女流棋士中井広恵に敗勢に陥るものの、中井に疑問手がでて佐藤の逆転勝ちとなった。後に佐藤は、こうコメントしている。「中井さんとは以前にも対局したことがあり、それほどプレッシャーは感じていなかった。形勢が悪いと悟ったとき、突然焦り始めた。当時はタイトルホルダーでもありましたからね。中井さんに緩めてもらったのか私が根性で引っくり返したのかわからない。そのおかげかどうかわからないが、その後2回優勝できた。いい薬になったかもしれない。」[21]
  • 渡辺明に挑戦した2006年の第19期竜王戦の第6局で、渡辺の初手▲7六歩に対して2手目△3二金と指し、居飛車党の渡辺を「挑発」[22]した(3二の金は、相手が振り飛車の場合には適さない位置とされる)。結果は、挑発に乗って不慣れな振り飛車を採用した渡辺の負け。そして迎えた最終の第7局でも、振り駒で後手となった佐藤は再び2手目△3二金と指したが今度は矢倉戦になり、結果は渡辺が勝って防衛。そして渡辺に2年連続で挑戦した第20期竜王戦の第6局でも、佐藤は2手目△3二金を採用。プロ棋界では非常に珍しい相中飛車に進み、最終的に渡辺が勝利を収めた[23]
  • 第51期王将戦では、おやつに大量のキウイフルーツを食べつづけ、羽生善治から王将を奪取したことから、ネットで話題になった[24]
  • 対局では奥さん特製のスペシャルドリンクを持参するほか、しばしばペリエ (ミネラルウォーター)を注文する[25]
  • 久保利明に挑戦した第61期王将戦の第1局で、久保のゴキゲン中飛車に超速戦法で応戦、乱戦に持ち込んだところに▲5七玉という空前絶後の妙手を指し、度肝を抜いた(対局は111手で佐藤の勝ち)[26]。本局を含めた意欲的な指し回しが評価され、佐藤は第18回升田幸三賞を受賞している。
  • NHK杯戦で連覇を経験しているため、同棋戦で13連勝の記録を持つ。本人曰く羽生さんの連勝(編注:24連勝。後述書p.194参照)に比べたら問題にならないが、実は密かな自慢である、とのことである[27]

人物・エピソード[編集]

  • 特技はヴァイオリン演奏。将棋を覚える以前から習っていた。棋聖戦の就位式に演奏を披露していたこともあり、情熱大陸に出演した際にも披露していた。
  • 将棋マガジン(日本将棋連盟)のコーナーである「佐藤康光と森内俊之のなんでもアタック」の1996年2月号の企画で、目隠し五面指し(目隠しした佐藤が、目隠ししていない5人のアマチュアと同時に対局)に挑戦し、反則なしの五戦全勝で見事に成功した。それに加え、NHK BS2で毎年正月に放映される将棋バラエティ番組「大逆転将棋」でも、「脳内対局」(プロ同士の目隠し10秒将棋)で5連覇をし、共演者として観戦した谷川浩司が、佐藤のすごさを絶賛した。しかし、2010年放送分の羽生善治との対局では、二歩の反則負けを喫してしまった。ただし、羽生も同じ錯覚をしていて、二歩に気づかなかったことを対局後に明かしている。
  • 熱血漢でアツくなり易いという一面を持っており、対局で負けたときは涙を流して悔しがることもある[28]
  • 親友である先崎学の文章には、しばしばからかわれ役として登場し「もてみつ」君というニックネームをつけられている。
  • 対局中に咳き込むことがあり、タイトル戦のテレビ中継でも、しばしば、そういったシーンが見られる。本人いわく「これは癖である。」との事。対戦相手に配慮して、(小用ではなく咳きのため)トイレに立つ事も放送されている。
  • さだまさしが國學院高校の先輩であるということで、2008年1月1日未明の『2008年新春生放送 年の初めはさだまさし』のコントVTRのコーナーへ出演。さだ扮する棋士・飛車田角道(ひしゃだかくみち)と対局しながら、母校の話をしていた。
  • タイトル戦以外でも、ここ一番の大勝負(挑戦者決定戦やTV棋戦の決勝など)では和服で対局に臨む。特に第11期銀河戦の決勝では、記録係の島井咲緒里女流初段が「怖くて近寄れなかった」というほど気合を漲らせていた。
  • 羽生善治が時々最終盤で駒を持つ手が震えるのは有名であるが、佐藤が2008年の名人戦(森内対羽生)の中の一局の解説役として「囲碁・将棋ジャーナル」に出演した際、「(自分は羽生の対局相手として)まだ、震えられたことがないので、うらやましい。」と、佐藤にしては珍しく、俗でおどけた発言をした。羽生との通算対局数は既に130を超え、同一カード対局数の歴代6位となっていたにもかかわらず、対佐藤戦ではそのようなことがなかったのである。なお、この発言の翌月に行われた第79期棋聖戦五番勝負(羽生名人を挑戦者として迎えた防衛戦)の、第3局の終盤で羽生の手が震え、早々に「夢」は実現した。
  • 関東所属の将棋棋士と奨励会員で構成される草野球チーム「キングス」に参加していた。1993年の竜王奪取時には「竜王奪取記念試合」として、竜王戦の賞金を使って東京ドームで試合を行ったことがある[29]。ちなみにプロ野球では読売ジャイアンツのファンで、特に松井秀喜高橋由伸のファンだという[30]
  • ところが、竜王奪取の前年(1992年)にゴルフを始めたところそちらにはまり、しばらくすると野球を止め「趣味はゴルフ」と公言するまでになった[31]
  • サッカー観戦も好きで、特にセリエAインテルのファンである[32]
  • 2004年2月に当時会社員であった現在の妻と婚約し、同年8月に結婚。以降、「囲碁将棋ジャーナル」で佐藤の表彰式の模様が紹介されるとき、列席している妻の顔は必ずと言っていいほどカメラで大写しにされている。5年後の2009年6月に長女が誕生し、一児の父となった。2010年秋の銀河戦祝勝会では、勝又清和相手に「娘が可愛すぎてもうダメです。」とのろけた様子を勝又のblogで暴露されている[33]
  • 米長邦雄会長(当時)からBonanza戦を打診されて、正座で二時間米長を諭した。(米長著「われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る」より)
  • 佐藤の弟は歌舞伎役者の市川段一郎である。[34]
  • 2015年4月から、Eテレ将棋フォーカスで、講師を務めている。

昇段履歴[編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1982年12月 6級 = 奨励会入会
  • 1984年7月 初段
  • 1987年3月25日 四段(奨励会三段昇段後13勝1敗) = プロ入り
  • 1989年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1992年3月25日 六段(勝数規定)
  • 1993年10月1日 七段(竜王挑戦)
  • 1996年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 1998年6月18日 九段(名人位獲得)

主な成績[編集]

タイトル・永世称号[編集]

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号資格
竜王 七番勝負
10-12月
93(第6期) 5 1期
名人 七番勝負
4-6月
98(第56期)- 99 3 2期 2
王位 七番勝負
7-9月
5
王座 五番勝負
9-10月
3
棋王 五番勝負
2-3月
06(第32期)- 07 6 2期 2
棋聖 五番勝負
6-7月
02(第73期)- 07 7 6期 6
(史上2人目)
永世棋聖
王将 七番勝負
1-3月
01(第51期), 11 8 2期
登場回数合計37、 獲得合計13期歴代6位
(2012年度王将戦終了現在。番勝負終了前は除く。)

一般棋戦優勝[編集]

  • 銀河戦 3回(2003年 = 第11期、2008年、2010年)
  • NHK杯テレビ将棋トーナメント 2回(2006年度 = 第56回、2007年度)
  • JT将棋日本シリーズ 2回(2004年度 = 第25回、2006年度)
  • ネット将棋・最強戦 1回(2012年度 = 第6回)
  • 早指し新鋭戦 2回(1990年度 = 第9回、1991年度)
  • オールスター勝ち抜き戦(5連勝以上) 1回(第19回 = 1999年、7連勝)
優勝合計 11回
非公式戦優勝
  • 達人戦 1回(2010年度 = 第18回)

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第18回(1990年度) 新人賞
  • 第20回(1992年度) 技能賞
  • 第21回(1993年度) 最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・殊勲賞
  • 第23回(1995年度) 技能賞
  • 第25回(1997年度) 技能賞
  • 第26回(1998年度) 殊勲賞
  • 第29回(2001年度) 連勝賞・技能賞
  • 第30回(2002年度) 敢闘賞
  • 第32回(2004年度) 技能賞
  • 第33回(2005年度) 敢闘賞
  • 第34回(2006年度) 最優秀棋士賞・最多対局賞・最多勝利賞・升田幸三賞
  • 第35回(2007年度) 優秀棋士賞
  • 第37回(2009年度) 名局賞(第35期棋王戦第5局・対久保利明棋王)
  • 第39回(2011年度) 升田幸三賞

記録(歴代1位のもの)[編集]

  • 二段昇段 - 四段昇段最高勝率 .955(21勝1敗)
  • タイトル連続挑戦 5連続挑戦(2006年度 王位戦、王座戦、竜王戦、王将戦、棋王戦)
  • 竜王戦1組連続在籍(竜王在位を含む) 18期(第6期 - 第23期) ・・・1位タイ(谷川浩司、羽生善治と並ぶ。佐藤と羽生は継続中。)


将棋タイトル獲得記録
順位 獲得回数 棋士名
1位 94期 羽生善治 *
2位 80期 大山康晴
3位 64期 中原誠
4位 27期 谷川浩司 *
5位 19期 米長邦雄
6位 17期 渡辺明 *
7位 13期 佐藤康光 *
8位 12期 森内俊之 *
9位タイ 8期 木村義雄 | 加藤一二三 * 
*は現役棋士

著書[編集]

関連イベント[編集]

  • 京都府八幡市での佐藤康光杯将棋大会。

その他表彰[編集]

  • 1998年10月 八幡市民有功者表彰
  • 2003年 将棋栄誉賞(通算600勝)
  • 2007年1月 京都府文化賞・奨励賞
  • 2009年 将棋栄誉敢闘賞(通算800勝)
  • 2011年 現役勤続25年

脚注[編集]

  1. ^ 2008年1月20日放送のNHK将棋講座にて、本人談。
  2. ^ 佐藤康光『佐藤康光の寄せの急所 囲いの急所』日本放送出版協会、1995年11月、ISBN:4-14-016075-6、p108
  3. ^ その前の3回戦では、村山聖と対戦して勝っている。ちなみに、このときの準優勝者は中井広恵。また、畠山成幸(前年準優勝)は佐藤と同じく3位であった。5年生の羽生善治(翌年に優勝)も出場していた。
  4. ^ 将棋世界」1990年2月号
  5. ^ 別冊宝島編集部 編 『戦う将棋指し』 宝島社、1999年、166頁。
  6. ^ 先崎学著「世界は右に回る」
  7. ^ 佐藤が奨励会に在籍していた当時は、三段リーグの制度がなかった。
  8. ^ 佐藤は、「前竜王」の称号を名乗る権利を行使した最後の棋士である。
  9. ^ 将棋世界」2006年7月号の表紙および本文
  10. ^ 開幕から谷川浩司とともに4連敗し、「このまま2人そろって降級か」ということで一般紙でも話題として取り上げられた。その後、谷川は連敗を4で止め最終局を前に残留を確定させたが、佐藤は6連敗を喫した。
  11. ^ 将棋界のいちばん長い日」と呼ばれる
  12. ^ なお、棋王戦第2局と第3局の間の3月2日に行われたA級順位戦最終局(いわゆる‘将棋界のいちばん長い日’)は、勝っても負けても次期のB級1組での順位さえ変わらない全くの消化試合であったが、名人挑戦の可能性を残していた丸山忠久を負かしている。
  13. ^ 一般的にそうした将棋は型に嵌らない「力戦」と呼ばれることが多いが、本人の談によれば、それらの作戦はすべて論理的に考えた帰結であるので、力戦と呼ばれることには抵抗感があるそうである(佐藤康光 『佐藤康光の力戦振り飛車』( 毎日コミュニケーションズ、2010年)3頁)
  14. ^ ▲9六歩を初披露したのは2005年2月17日(朝日オープン将棋選手権・対山崎隆之戦)である(結果的に負けたが内容は十分)。しかし、そのときは棋士達の間で見向きもされず、5か月後にタイトル戦で羽生を相手に指して勝ったときから流行り出した。佐藤は「真似されるのは素直にうれしい」と語っている(『将棋世界』2006年7月号)
  15. ^ 室岡は当初「10億」と言った筈がいつの間にか「1億」になった、と将棋世界2009年9月号で述べている。もちろん佐藤自身も否定しているが、『日本将棋用語事典』p.173 -によれば、1000手を超えることはあるとのことである。
  16. ^ 佐藤康光 『最強居飛車穴熊マニュアル』 (日本将棋連盟、2003年)2頁。ただし、このことは「独り言と思って聞き流しておいてください」ともある。
  17. ^ 2008年1月13日放送のNHK将棋講座にて、本人談。
  18. ^ 司会の吉川精一アナウンサーは、冒頭、「将棋ファンの皆様、こんばんは。まさかこの時間にとお思いかと思いますが」と言った後に、「なお熱闘が続いております」を2度繰り返した。
  19. ^ 解説役の田中寅彦は「私は22年間プロ棋士をやって九段だが、(形勢は)さっぱりわからない」、聞き手役の安食総子も「頭がパニックでわからない」と述べ、会場にいる将棋ファンを笑わせたという。
  20. ^ 前期の谷川との名人戦でも、そのような傾向が見られた
  21. ^ 2010年8月1日放送NHK杯戦(堀口一史座清水市代)で解説役として出演した際の、司会・聞き手の矢内理絵子の質問「多くの方が注目しているテレビ対局での女流棋士との対局というのは男性棋士にとってはどうなんでしょうか(笑)。佐藤九段ならすごくわかるのではないかと。」に対する返答。
  22. ^ なお、佐藤本人は2手目△3二金について、将棋世界の「イメージと読みの将棋感」の中で「挑発ではなく、論理に基づく手」と語っている。実際、第19期竜王戦第7局では2手目△3二金のあと4手目△4一玉の新手を披露しており、これが矢倉戦法を指向する相手に効果的だったことから、渡辺竜王も「ただの挑発ではありませんでした」と評価している。
  23. ^ この1局で、渡辺の竜王4連覇が決まった
  24. ^ 佐藤康光九段とキウイを分析する(将棋ペンクラブブログ)
  25. ^ 『食事とおやつ』 佐藤康光
  26. ^ 将棋世界2012年6月号「プレイバック2011」に於いても、本局を評した棋士の全てが佐藤の▲5七玉についての驚きを口にした。一方、やられた久保は同誌2012年8月号「イメージと読みの将棋観」に於いてこの局面が取り上げられた際に、「もう一度この局面が現れたら、(本局と同じく)後手を持ってみたい」と述べた。
  27. ^ 内藤國雄加藤一二三谷川浩司羽生善治森内俊之佐藤康光渡辺明 (監修) p.196 (2013), NHK出版, ed., NHK杯伝説の名勝負 次の一手, NHK将棋シリーズ, NHK出版 
  28. ^ 先崎学著 先崎学の「浮いたり沈んだり」の「敗戦の夜に…」にて対局に負けた後に「わんわん泣きます」と佐藤が語ったエピソードが紹介されている。
  29. ^ 佐藤康光竜王(当時)が実現した東京ドーム草野球 - 将棋ペンクラブログ・2014年4月25日
  30. ^ 佐藤康光名人(当時)「また私の許可もなく書きましたね」 - 将棋ペンクラブログ・2014年1月23日
  31. ^ My Selection プロ棋士 佐藤康光さん - Golf Digest TV
  32. ^ 囲碁・将棋チャンネルの将棋まるごと90分に出演した時に語った。
  33. ^ 突き抜けないブログ2011年3月2日
  34. ^ 将棋ペンクラブログ・2011/12/07

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]