横歩取り8五飛

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△ 歩二
Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
Shogi zver 22.png
▲ 歩二
第20手 △8五飛まで

横歩取り△8五飛(よこふどり はちご ひ)は将棋戦法横歩取り戦法の変化の一つである。中座飛車とも呼ばれる。

横歩取りの中でも、後手が主導権を握ることが多い戦法。飛車先のを交換したあと、▲8七歩に対して飛車を8五に引く。4枚を自陣に置き、飛車・と左右ので攻めることが多い。ほとんどの場合、囲いは中原囲いを用いる。中原囲いの優秀性もあり、8五飛戦法は一時期、後手番としては異常な高勝率を見せた[1]

この戦法は△8五飛を咎められないことが前提条件である。先手が角交換から▲9六角と打つなど、いくつか対抗手が試みられたが、△8五飛という手自体を咎めることは不可能という結論になっている。

戦法の歴史[編集]

プロの対局では、中座真1997年8月26日のC級2組順位戦(対松本佳介戦)で採用したのが最初である。そのため、彼の名字と5段目に置かれた飛車の位置をかけて「中座飛車」とも呼ばれている。中座本人は対局相手に警戒され用いる機会が少なかったが、同じくC級2組順位戦で同じ部屋で対局していた野月浩貴が、その1局をたまたま見て戦法の優秀性に気づき、その後の対局で多用した。

そして翌年、井上慶太がA級順位戦の最終戦(1998年3月2日、対島朗戦)でこの戦法を用いて勝利して5勝4敗でA級残留を果たし、米長邦雄が4勝5敗ながらもA級陥落という劇的なドラマが生まれるなどして注目を集めた。

そのようなこともあり、この戦法は「生みの親が中座、育ての親が野月、世間に広めたのが井上」とも言われている。なお、この戦法の創始者として中座真は第26回(1998年度)升田幸三賞を受賞した。

興味深いのは、野月が飯塚祐紀と戦った1998年度の早指し新鋭戦(かつてテレビ東京で放送されていた棋戦)での一局である。野月は対局前のインタビューで秘策を考えてきたと語った。その「秘策」とは、初手▲1六歩と突いて、先手番で無理矢理に中座飛車にするというものであった(実際その形が実現して野月が勝利し、その後も勝ち進んで優勝した)。

また、この戦法の恩恵を受けたのが丸山忠久である。1999年度のA級順位戦では、後手番の4局全てでこの戦法を用いて1位の成績となり、佐藤康光名人への挑戦権を得る。そして迎えた2000年名人戦でも、やはり丸山が後手番の3局はすべてこの戦型を選択した。この戦法での勝敗は、順位戦で3勝1敗、名人戦で1勝2敗という微妙な結果ではあったが、丸山が名人になれたのはこの戦法のおかげ、とする向きさえある。ただし、当時の丸山は、逆に先手番を持って相手にこの戦法を指させても強かったという。なお、丸山は1999年度将棋大賞の最多勝利賞(50勝)、連勝賞(18連勝)などを受賞している。

この戦法は多くの棋士によって研究され、様々な新手が生まれた。後手の手としては、序盤で飛車を角筋上の5五へ動かしてしまう「8五飛松尾流」、先手の対応策としては、連続の歩捨てで飛車の動きを封じ込める山崎新手、▲8七歩と打たないことによって△8五飛と引かせない「(旧)山崎流」、居玉のままでより攻撃性の高い陣を組む「新山崎流」などが特に有名である。

横歩取り8五飛は、上記の丸山の例以外でもタイトル戦の大舞台でもたびたび現れる戦法となった。劇的な一手で勝負がほぼ決してしまうこともあり、2004年の名人戦(森内俊之羽生善治から名人位を奪取)における▲7四歩、2004年竜王戦渡辺明が森内俊之から竜王位を奪取)における△3七歩などはその例であろう。

だが、近年は前述のように一手で勝負が決まったり、事前の研究力で勝負が決まったりする傾向があり、あまり指されなくなっている。後手番一手損角換わりゴキゲン中飛車などが登場したことも一因である。

オールラウンダータイプの棋士には採用されることが少なくなったものの、高橋道雄(王将リーグ参加・A級昇級)や考案者の中座真(竜王戦2期連続昇級・王位リーグ参加)などの棋士は積極的に採用して深浦康市や渡辺明といったタイトルホルダーに勝利するなど好成績を収め、少数の限られたスペシャリスト達の戦法として指し続けられている。

2008年度は、初めて後手番の勝率が先手番を上回るという、後手番の戦法の多様性を反映した画期的な年度であった。△8五飛戦法の改良も一因であったと考えられており、「後手番では△8五飛」と公言していた高橋がA級に昇級したこともさらにこの戦法の優秀性を再認識させる契機となった。

2009年のタイトル戦で羽生が△8五飛戦法を連採して、先手が新たな対応策を迫られる状況となり、戦法の新しいステージでの進化が進み始めている。羽生に三浦弘行が挑んだ2010年の名人戦では、4局中3局が横歩取りになり、うち2局で△8五飛と引く形になった。第一局では羽生が、第二局は三浦が△8五飛側を持ったが、どちらも羽生が勝ち、8五飛戦法という視点から見れば1勝1敗という結果であった。

なお、松尾歩が中原囲いの玉を本来の定位置である4一ではなく5二に置く指し方を採用し、2013年度の第41回将棋大賞にて升田幸三賞を受賞している[2]

出典[編集]

  1. ^ 週刊将棋 2004, p. 104.
  2. ^ 第41回将棋大賞が決まる!”. 日本将棋連盟. 2014年6月7日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]