野月浩貴

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 野月浩貴 八段
名前 野月浩貴
生年月日 (1973-07-04) 1973年7月4日(43歳)
プロ入り年月日 1996年10月1日(23歳)
棋士番号 221
出身地 北海道札幌市北区
師匠 勝浦修
段位 八段
戦績
一般棋戦優勝回数 2
2017年1月20日現在

野月 浩貴(のづき ひろたか、1973年7月4日 - )は、将棋棋士棋士番号は221。北海道札幌市北区出身。勝浦修九段門下。

棋歴[ソースを編集]

1985年札幌市立光陽小学6年生として第10回小学生将棋名人戦で優勝。これがきっかけで、勝浦修門下で新進棋士奨励会に入会する。森内俊之は兄弟子である。奨励会三段の頃は、NHK杯戦の記録・秒読み係として頻繁に出演した。

1996年前期の奨励会三段リーグで11勝7敗の成績2位となり、四段昇段(プロ入り)をする。11勝7敗での四段昇段は低成績昇段のタイ記録(野月が初)であり、このときのリーグでは野月と同星は6名いた(野月は前期リーグで12勝6敗の好成績収めていたため、リーグ表での順位が2位であったことが利いた)。

第17回(1998年度)早指し新鋭戦で、久保利明との決勝を制して優勝。

2004年にB級2組、2005年にB級1組への昇級を果たした。

第56回(2006年度)NHK杯戦で、渡辺明(当時竜王)、島朗らを破りベスト4進出。

2010年10月22日に行われた竜王戦3組3位決定戦で勝ち、自己最高の2組へ昇級[1]

2017年1月20日、第43期棋王戦予選の2回戦で小倉久史七段に勝利し、勝数規定で八段に昇段した。

棋風[ソースを編集]

居飛車党の棋士で、相掛かりや後述の横歩取りなど激しく攻め合う戦法を好む。

横歩取り8五飛の産みの親は中座真、育ての親は野月浩貴といわれ、まだ同戦法が流行していない頃、この戦法を連採して高勝率を収めた。この戦法のおもしろさを、イングランドのサッカーのようなスピード感ある攻撃と結びつけて説明したことがある。

優勝した早指し新鋭戦(1998年度)の対・飯塚祐紀戦では、対局前のインタビューで「秘策を考えてきた」と語った。その「秘策」とは、初手▲1六歩と突いて、先手番で無理矢理、横歩取り8五飛の形にするというものであった。

人物[ソースを編集]

  • 大のサッカーファンで、日本将棋連盟のサッカー部部長を務めた経験がある。札幌出身という関係もあり、Jリーグではコンサドーレ札幌のサポーター[2]
  • 将棋の棋士としては珍しい金髪ヘアスタイルをトレードマークとしていたが、2006年5月に放映された小学生将棋名人戦に解説者として出演するにあたり、自らの判断で黒髪に戻した。
  • 瀬川晶司とは奨励会時代から仲が良く、編入試験の際は裏方として尽力した。
  • 熊坂学とも仲が良く、熊坂の現役最後の対局が行われた2015年5月7日には、その終局直後に自身のTwitterで熊坂を労う文章を発信し、昔の写真をアップロードした上で、若き日の熊坂との思い出(日本将棋連盟サッカー部の活動に関するもの)を語った。
  • 2000年に結婚したが周囲にまったく悟られず、後日大変驚かれた。
  • 日本将棋連盟サンフランシスコ支部の師範を務めており、定期的に現地を訪れていて英語が堪能である。
  • 対局の際、盤の位置からかなり後ろに下がって座る。これは相手陣の1段目のマス目に手が届く、ほぼ限界の位置である。
  • 将棋世界2009年1月号より、対局観戦エッセイ「熱局探訪」を連載。これは、河口俊彦の「新・対局日誌」や先崎学の「千駄ヶ谷市場」の系統を引き継ぐものである。
  • 2012年より、漫画「ナリキン!」(別冊少年チャンピオン連載)の監修を務める。
  • 競馬評論家の能勢俊介と交友があり、しばしば野月の家に能勢が訪れ酒を酌み交わす仲である[3]

昇段履歴[ソースを編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1985年 6級 = 奨励会入会
  • 1991年 初段
  • 1996年10月1日 四段 = プロ入り
  • 2000年10月10日 五段(勝数規定
  • 2004年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 2005年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 2017年1月20日 八段(勝数規定)

主な成績[ソースを編集]

棋戦優勝[ソースを編集]

優勝合計 2回

在籍クラス[ソースを編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

著書[ソースを編集]

単著[ソースを編集]

共著[ソースを編集]

監修[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]