橋本崇載

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 橋本崇載 八段
名前 橋本崇載
生年月日 (1983-03-03) 1983年3月3日(33歳)
プロ入り年月日 2001年4月1日(18歳)
棋士番号 239
出身地 石川県小松市
師匠 剱持松二
段位 八段
戦績
2016年12月8日現在

橋本 崇載(はしもと たかのり、1983年3月3日 - )[1]は、将棋棋士(八段)。棋士番号239。石川県小松市出身[1]剱持松二九段門下。愛称は「ハッシー」。所属事務所は、エイジアプロモーション[2]

人物[編集]

将棋における姿勢・評価[編集]

渡辺明らと同世代で、有望な若手棋士の一人と評される。子供教室講師の経験者でもあり、立会解説を行うなど、将棋普及にも熱心である。

2012年現在、流行の戦形を研究することは無く、自らの指さない戦形についての知識はほとんど持ち合わせていないと言う。将棋記者に語った所によれば「僕には自分の世界があるので。」とのことである[3]

個性的な言行・服装をきっかけとした人気の上昇[編集]

2004年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントに出場した際、金髪パンチパーマという髪型に、紫色のワイシャツを着用しており、その奇抜な出で立ちが話題となった。そのトーナメントを勝ち進み迎えた羽生善治戦(2005年1月放送)におけるテレビ視聴率は、通常のそれと比べて3倍になったといわれている[4]。また、度々テレビカメラに視線を送るなどで話題にもなっている[2]。2007年の放送については、ダウンタウン司会のフジテレビ系列の番組「爆笑 大日本アカン警察」でも“カメラを意識しすぎる棋士”として取り上げられた[5][6]

これらNHK杯での活躍をきっかけとして、週刊ポストなど一般週刊誌インタビュー記事が掲載されるようになった[7]

また、NHK杯では2010年度から対局者の事前インタビューが放送されているが、橋本はそこで度々個性的な発言をしている。

  • 2012年度のNHK杯では、2回戦(10月28日放送)の対局前インタビューで対戦相手の羽生善治の印象を聞かれ、「羽生さん?強いよね。序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ。だけどオイラ負けないよ」「えー駒たっ・・・駒たちが躍動するオイラの将棋を皆さんに見せたいね」と発言をした。これは、同年のNHK杯で佐藤紳哉豊島将之との対局前のインタビューで発言した内容のパロディであり、噛む場所や身体の横揺れも含めて再現している。この受け答えはネット上で話題となったが、一方で、これを「羽生に対する侮辱」と捉えたファンの非難を浴びることにもなり、その結果橋本はブログとSHOGI - BARのホームページ(後述)を閉鎖した(※2013年5月現在HPはリニューアルしている。)[8]
  • 2013年度のNHK杯では、2回戦(10月13日放送)の中田宏樹との対局前のインタビューで、佐藤の発言に加えて連続テレビ小説「あまちゃん」のパロディも行い、メモのようなものを見つつ、「中田さん?強いじぇ」「駒たちが躍動するはしちゃんの将棋をみなさんに見せたいじぇ…じぇ…じぇ…」などと発言した[9]

2015年4月には芸能人としてエイジアプロモーションと契約を結んだことを明らかにし、以後バラエティ番組などへの出演を増やしている[2]

人柄[編集]

奇抜な出で立ちは、ホスト[10]ヤンキーに喩えられることもあるが、人柄は見た目とは異なり、温和で礼儀正しく謙虚で、和服を着用することが多く対局には真剣に臨む棋士である[7]

出生地と移籍[編集]

2005年4月、所属を関東から関西に移す。関東から関西への移籍は珍しいが、橋本が移籍した理由は、大阪府にある両親の実家に転居したためである[11]。しかし、2007年夏、再び関東に転居し、所属も関東に戻している。

連盟への登録上の出身地は石川県小松市だが、親が転勤族だったため、生まれてすぐ同県から引っ越しており、以後、石川県に居住したことはない。同地に居住していたのは、出生後の僅かな期間のみである[11]石川県出身者としては初の棋士(女流棋士を除く)であることから[要出典]、石川県で開催される棋戦では大盤解説者の常連となっていた。また、出生地である小松市には、人間国宝徳田八十吉が後援会長を務める後援会がある。

移籍回数の多い棋士である。福岡県に住んでいた際、関西奨励会に入会したが、それ以降、関東から関西へ移籍し、再び関東へ移籍した後、再度関西へ移籍し、その後、三たび関東へ所属を変更した。

将棋にまつわるエピソード[編集]

1994年9月 奨励会試験では、2位で6級で入会[12]。試験対局の成績は7勝2敗だったが、その2敗はいずれも反則負けであった[13]

第24回(1998年後期)より三段リーグ入り。参加2期目の第25回では、阿久津主税に次ぐ暫定2位の成績(12勝4敗)で最終日を迎え、奨励会入会が同期で同い年の阿久津と橋本が同時に昇段する可能性もあったが、2連敗を喫し6位に終わった[14]。5期目となる第28回2000年後期に、15勝3敗の1位で同星の佐々木慎とともに四段昇段を果たす[15]

2005年9月、コンピュータ将棋ソフトTACOS」と対局し勝利。しかし、橋本は敗北寸前まで追い詰められた。

2007年度第66期順位戦B級2組では、将棋世界2007年7月号で担当した順位戦昇級予想記事を担当し、自らを本命にあげるも4勝6敗と予想外の不振に終わる。橋本は、この件について、翌2008年7月号も担当した将棋世界の同記事(阿久津主税との対談形式)において、「4勝6敗はファンの方に顔を合わせられないくらい恥ずかしくて。いや私はね、相手が弱いとダメなんですよ。去年はあまりに相手が弱すぎて嫌気がさした将棋が何局もあったんです」「もう、相手の弱さに呆れたことが何回もあって。いや、そういう脆さがあるうちはダメでしょうね。ホントは強いんだけど」などと発言した。

2009年度前期のNHK将棋講座」の講師を担当した。タイトルは「橋本崇載の受けのテクニック教えます」。2009年8月2日放送分では、夏をイメージして聞き手の中村桃子は浴衣姿で、橋本は浮き輪を持って出演した。

2015年3月8日放送の、第64回NHK杯テレビ将棋トーナメントの準決勝第2局(対局者は行方尚史八段)にて、トップ棋士の対局としては異例の二歩の反則負けをした[16][17]。このニュースによって将棋ファン以外にも「二歩の人」として話題になり、橋本は「猛反省しています。めちゃめちゃ恥ずかしい」「最近の座右の銘は『一歩千金 二歩厳禁』なんです」と語っている[2]。 2015年8月16日放送の、第65回NHK杯テレビ将棋トーナメントの2回戦第2局(対局者は澤田真吾六段)のインタビューでも、「二歩」をあらためて関係者と将棋ファンに謝罪した。

将棋普及活動など[編集]

  • 集英社週刊プレイボーイ」で2016年4月16日号から「一歩千金 二歩厳禁」と題し「将棋界のウラ話[19]」を主な内容とする新連載をスタートさせた。
  • 2016年9月に「3月のライオン」12巻が発売されるのに先立ち、佐藤紳哉七段とともに動画に出演し宣伝を行なった[20]
  • 2016年9月12日に、橋本のメディア露出について将棋連盟の上層部が不満を持っていることに反発、twitterで「将棋の普及活動していたつもりなんだけど」「他にもっと大きな問題が山ほどあるやろ」と連盟の執行部を批判した[21]

その他[編集]

  • 日本将棋連盟の2015年度理事選挙に初出馬し、90票台の票を集めるが、次点にとどまった。
  • 第2回(2016年度)叡王戦への不参加を表明。「山崎叡王は将棋に似たゲームで負けただけ」「将棋界が人工知能と共存していくのは、プロ棋士全員の総意ではない」「twitterで語りきれない詳細は書籍で述べたい」という内容をネットで発言している[22]
  • 2016年10月に「ソフトを使いカンニングしている棋士がいる」[23]という内容をtwitterで発言。橋本自身、「以前からソフト指し、モラル、カンニング、再三警鐘を鳴らしてきた」と違反行為を激しく非難した。
  • 同年12月の著書「棋士の一分」でも、「スマホ不正疑惑をなぜ未然に防ぐことができなかったのか」と「見て見ぬふりをしてきた将棋ムラ」の問題点を述べている[24]

公式戦における戦績[編集]

いずれも、2015年5月18日現在の戦績である。

竜王戦[編集]

  • 初参加は第15期(2002年)で、当期以降後述の経緯で毎期昇級を続けた。
  • 2006年9月22日、第19期2組昇級者決定戦決勝に勝利して1組昇級を決め[25]、七段に昇段した。初参加からの5期連続昇級は佐藤康光鈴木大介に次いで3人目だが、橋本はすべての組においてランキング戦で敗れ、昇級者決定戦に回って勝ち抜くという珍しい記録となった。
  • 第20期(2007年)から第23期(2010年)まで、4年連続で1組に在位。しかし、いずれも本戦出場に至る成績を修められず、第23期でランキング戦(対松尾歩)及び5位決定戦(対高橋道雄)と連敗し、2組への降級を余儀なくされた。
  • 翌第24期(2011年)では2組ランキング戦で優勝し[26]1組への即復帰を遂げると同時に、本戦トーナメントへ初出場。1回戦で羽生善治名人に勝利するも、2回戦で久保利明二冠に敗れた[27]。以降、1組に残留し続けるものの、第29期(2016年)のランキング戦で深浦康市に敗退し、5位決定戦でも羽生善治に敗北、2組への降級が決定した。

順位戦[編集]

  • 初参加は第60期(2001年度)で、当期は5勝5敗の成績であった。
  • C級2組在位5期目で迎えた第64期(2005年度)では、2006年3月14日に行われた最終局に勝利し、8勝2敗・3位の成績でC級1組への昇級を決めた[28][29]
  • 続く第65期C級1組でも、2007年3月13日に行われた最終局に勝利し、9勝1敗・1位でB級2組への連続昇級を決めた[30]
  • B級2組では負け越しを2度経験するなど若干苦労したものの、第69期(2010年度・B級2組在位4期目)において、9勝1敗・1位でB級1組への昇級を決めた[31]
  • 続く第70期B級1組でも、2012年2月3日に行われた第12回戦に勝利して8勝目(3敗)を挙げ、昇級を争っていた山崎隆之と木村一基が5敗目を喫したため、1戦を残してA級への連続昇級及び順位戦規定に基づく八段昇段を遂げた[32][33]。3月16日の最終戦の深浦康市戦にも勝ち、9勝3敗・1位の成績で、B級1組一期抜けを果たした。タイトル挑戦・棋戦優勝・将棋大賞受賞歴がいずれもない棋士が順位戦A級に昇級するのは、田丸昇以来史上2人目。
  • A級初在位となった第71期では強豪を相手に苦戦し、2013年3月1日に行われた最終局は、自身が負けたら無条件に降級、勝っても深浦康市・谷川浩司高橋道雄のうち2名以上負けないと残留できないという厳しい状態で迎えた。結果的に羽生善治に敗れて2勝7敗・10位となり、1期でB級1組への降級を余儀なくされた。

王位戦[編集]

  • 参加6期目の第48期(2007年度)から第51期(2010年度)まで、4期連続で挑戦者決定リーグへの出場権を獲得。第48期及び第49期は予選を勝ち抜いた上で出場したが、第50期及び第51期は前期リーグで最上位者となったことに伴いシード権を獲得した。
  • 第49期挑戦者決定リーグでは、タイトルホルダーの渡辺明竜王、A級在籍棋士の丸山忠久他を破り最上位者となり、挑戦者決定戦に出場したが羽生善治に敗れ初のタイトル挑戦には至らなかった[34]
  • 第50期挑戦者決定リーグでも、タイトルホルダーの久保利明棋王、A級在籍棋士の佐藤康光、三浦弘行井上慶太を破り最上位者となり、2年連続挑戦者決定戦に進出したが木村一基に敗れまたも初のタイトル挑戦には至らなかった[35]

棋王戦[編集]

  • 第34期(2008年)で予選を勝ち抜き本戦に出場。そこでも当時王位のタイトルを保持していた深浦康市に勝利するなど快進撃を続け、準決勝に進出(敗者復活戦出場及び次期シードの権利を獲得)。準決勝で久保利明[36]に、敗者復活戦1回戦で阿部隆にそれぞれ敗れ、タイトル挑戦には至らなかった。
  • シード権を獲得して臨んだ翌第35期(2009年)でも再び深浦に勝利し、2年連続で準決勝に進出。しかし準決勝で杉本昌隆に、敗者復活戦1回戦で山崎隆之にそれぞれ敗れ、またしてもタイトル挑戦には至らなかった。

王座戦[編集]

  • 本戦出場は第61期(2012年-2013年)のみ。当期は順位戦A級に在位していたため、2次予選2回戦からシードされ、予選で戸辺誠及び堀口一史座に勝ち、本戦1回戦で屋敷伸之に敗れた。

王将戦[編集]

  • 最高成績は第58期(2008年)及び第63期(2013年)の二次予選2回戦で、挑戦者決定リーグ出場には至っていない。

棋聖戦[編集]

  • 第83期(2011年度)において、1回戦で広瀬章人に勝利しベスト8(2回戦で郷田真隆に敗れる。)。

昇段履歴[編集]

  • 1994年 6級 = 奨励会入会
  • 1996年 初段
  • 2001年4月1日 四段 = プロ入り
  • 2005年2月24日 五段(勝数規定 四段昇段後100勝)
  • 2006年4月1日 六段(竜王戦2組昇級 …竜王戦の昇段規定変更により、後付けでの昇段)
  • 2006年9月22日 七段(竜王戦1組昇級)
  • 2012年2月3日 八段(順位戦A級昇級)

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

記録[編集]

  • 竜王戦5連続昇級6組→1組(佐藤康光鈴木大介に次いで史上3人目)
  • 竜王戦における、全て昇級決定戦に回ってからの5連続昇級(史上初)

著書[編集]

DVD[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 棋士紹介 橋本 崇載(はしもと たかのり)八段”. 日本将棋連盟. 2012年3月12日閲覧。
  2. ^ a b c d あの橋本崇載八段がモデル事務所入り!“二歩”から新たな一歩 - スポーツニッポン・2015年4月16日
  3. ^ 大川慎太郎 (2012年3月12日). “竜王戦 第1組1回戦1譜”. 読売新聞: pp. 29  を参照、および引用。大川の問いに答えて。
  4. ^ お気楽カフェVol.2 橋本崇載五段(2005年、段位は当時。リンク切れのためWeb Archiveも参照)で本人がコメントしている
  5. ^ 棋士らしくないブログ:タイホ[リンク切れ]
  6. ^ アカン警察捜査日誌#2:橋本崇載棋士がタイホされた影響からか
  7. ^ a b 週刊ポスト』2005年2月4日号「僕は「ヤンキー」じゃありません-<将棋界の異端児>橋本崇載四段」
  8. ^ 棋士・橋本崇載八段がブログで怒り「お前ら一体何なんだ?」”. livedoorNEWS (2013年10月15日). 2015年8月16日閲覧。
  9. ^ ハッシーこと橋本崇載八段がまたも衝撃コメント炸裂! ネットの声「ハッシーまたやりやがった」”. BIGLOBEニュース (2012年10月30日). 2015年8月16日閲覧。
  10. ^ 人気のホスト風棋士橋本崇載七段(ハッシー)が、NHK将棋講座講師に抜擢”. YomerumoNEWS (2009年3月19日). 2015年8月16日閲覧。
  11. ^ a b 将棋自戦記コレクション(後藤元気 編、筑摩書房 2014年)- 「夢列車 橋本崇載」の章より
  12. ^ 1位は渡辺明
  13. ^ 将棋のチカラ 阿久津主税著
  14. ^ 一方の阿久津は連勝し1位でプロ入りを決めた。尚、逆転で2位となってプロ入りを決めたのは当時25歳の安用寺孝功であった。
  15. ^ 当期三段リーグは橋本及び佐々木が独走し、最終日前の時点で他のリーグ参加者全員が6敗以上したため、リーグ完了を待たずして橋本及び佐々木のプロ入りが決定していた。
  16. ^ “橋本八段が「二歩」、異例の反則負け 将棋のNHK杯”. 朝日新聞デジタル. (2015年3月8日). http://www.asahi.com/articles/ASH386RPRH38UCVL00P.html 2015年3月10日閲覧。 
  17. ^ なお、放送当日には第40期棋王戦 五番勝負 第3局(渡辺羽生戦)も同時に行われており、ニコニコ生放送にて解説をしていた深浦康市も「二歩」を指摘されるまで気づかずに検討を行ってしまい、コメントで「3/8は二歩の日」というジョークまで生まれた。
  18. ^ 橋本祟載twitter@SHOGIBAR(2016年5月現在は@shogibar84を使用中)
  19. ^ 「週刊プレーボーイ2016.No.19/20号71ページ
  20. ^ [「3月のライオン?面白いよね」橋本崇載八段&佐藤紳哉七段が動画でPR ]コミック ナタリー★2658(2016年9月28日 19:10)
  21. ^ https://twitter.com/shogibar84/status/775568427796660225
  22. ^ 橋本崇載twitter@shogibar84(2016年5月23日)https://twitter.com/shogibar84/status/734429575426379777 https://twitter.com/shogibar84/status/734431568064708612 https://twitter.com/shogibar84/status/734672817015263236 https://twitter.com/shogibar84/status/734674849876955136 https://twitter.com/shogibar84/status/734676769396006912
  23. ^ 当該twitterは「マスコミ取材が殺到するのを避ける」などの理由で削除済。「週刊文春」2016年10月27号、「週刊新潮」2016年10月27号などに関連記事
  24. ^ 角川新書HP・書籍一覧「物言う棋士が明かす将棋界の危機」(2016.12.8)
  25. ^ 第19期竜王戦 2組ランキング戦(日本将棋連盟)
  26. ^ 第24期竜王戦 2組ランキング戦(日本将棋連盟)
  27. ^ 第24期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟)
  28. ^ 第64期名人戦・順位戦 C級2組(日本将棋連盟)
  29. ^ 1敗で最終局を迎えた村山慈明が敗れたことによる逆転昇級であった。
  30. ^ 第65期名人戦・順位戦 C級1組(日本将棋連盟)
  31. ^ 第69期名人戦・順位戦 B級2組(日本将棋連盟)
  32. ^ 第70期名人戦・順位戦 B級1組(日本将棋連盟)
  33. ^ 橋本崇載七段が八段に昇段!(日本将棋連盟)
  34. ^ 第49期王位戦七番勝負・挑戦者決定リーグ(日本将棋連盟)
  35. ^ 第50期王位戦挑戦者決定リーグ(日本将棋連盟)
  36. ^ 久保は当期の番勝負に出場し、佐藤康光から棋王位を奪取した。

外部リンク[編集]