矢倉囲い

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矢倉囲い(金矢倉)

矢倉囲い(やぐらがこい)は、将棋において主に居飛車#相居飛車戦法・相振り飛車戦法で使われる囲い。単に矢倉(やぐら、: Yagura[1], Fortress[2])と呼ばれることが多く、美濃囲い穴熊囲いと並んで代表的な囲いの1つ。矢倉は相掛かり、角換わり、横歩取りと並ぶ相居飛車の四大戦法のひとつ。居飛車で互いに矢倉囲いに組んで戦う戦型のことを相矢倉(あいやぐら)と言い、これも矢倉と略されることが多い。

概要[編集]

非常に古い戦型で、現存の棋譜では1618年元和4年)8月11日_(旧暦)本因坊算砂大橋宗桂の対局が初出である。本因坊が矢倉囲いを用いた[3]

この戦型のオーソドックスさと歴史、格調について米長邦雄は「矢倉は将棋の純文学だ」と述べ、将棋の世界では広まった言葉になっている[* 1][4]。矢倉定跡は矢倉を志向する者たちの想いゆえに、とてつもなく深い考察がなされる。一方で「矢倉は難しい」という声が非常に多く、確かに矢倉は難しくまた類型が多く、覚えることも多いとされており、難しい矢倉であるからこそこれほど多様化し、重厚な姿、美しい手順隆盛の理由はそれだけ多くの将棋指しを魅了してきたからとされている。その結果、どんどん進化して、そして深化し数えきれないほどの形が生まれて指されて時に消えて、そして復活し、91手定跡という驚愕の手順まで誕生している。戦後から平成の時代には大きなシェアを占める、超人気戦法でもある。

相振り飛車でも用いられるが、その場合右側に矢倉囲いを作ることになる。

通常矢倉囲いとは、(相居飛車の先手番の場合)を8八に、左を7八、右金を6七に、左を7七に移動させたものをいう。相手の飛車先を▲7七銀と受け、そこに▲6七金右と1枚加わった形で、上部に厚いのが特徴である。通常の矢倉を金矢倉(きんやぐら)ということもある。の初期位置に玉が来るため、角をうまく移動させることが必要になる。相矢倉では6八の位置に角が来ることが多いが、4六や5七、2六の位置に来ることもある。後手は7三に持ってくる場合が多い。上部からの攻撃には強い反面、7八の金を守っている駒が玉1枚だけであり、横からの攻撃にはそれほど強くないという特徴がある。ただし6八には金銀3枚の利きが集中しているので、八段の守りが薄いというわけではない。端は金銀の利きが無いためやや弱く、例えば桂香飛角を利かせて一気に攻め立てる雀刺しという戦法がある。

江戸時代には同じ音の「櫓」の文字を当てており、六代大橋宗英が著した将棋歩式などの定跡書でも「先手櫓」「櫓崩し」などと表記していたが、昭和後期には「矢倉」の表記が一般的となった。ただ、升田幸三山口瞳など、昭和前期に将棋を修行した人の著書では「ヤグラ」というカタカナ表記も登場していた。近年ではほとんどが「矢倉」である。語源については、加藤治郎が「お城の富士見矢倉、物見矢倉に形が似ている所からついたもの」と述べている通り、日本の城郭建築のに形が似ていることから名前が付いたとされているが、別に享保年間に出た『近代将棋考鑑』には

この駒立やぐらというなり。いにしえ大阪北濱やぐら屋の何がしという人好みてこの駒立を指し申すによつてしかという

と記載されており、「矢倉」の語源の一説となっている。

江戸時代に指されていたころは矢倉はあくまで居飛車戦で行う囲いの一つであって相掛かりからの流れで矢倉に組むケースがほとんどであった。そうしてまれに指されていた矢倉は、明治から戦中まで、ほとんど姿を消していた。矢倉がひとつの囲いから戦法へと昇華するのは戦後で、特に大山康晴が1950年代は「矢倉の大山」とうたわれ、1952年に木村義雄を倒して名人位を奪取した一番の銀矢倉が特に知られる。このころの矢倉戦は5筋を付き合うスタイルでなく、当時の相掛かり戦の延長で、先手▲4六歩、後手△6四歩とどちらかが4筋(6筋)を突く、あるいは4筋と6筋を付き合うパターンであった。

2010年代からは居飛車戦法の中でも雁木、角換わりなど、ほかの戦法に押され気味ではあったが、いまでも根強い人気を誇る。

それだけに金矢倉、銀矢倉など多くの形が生まれた。

矢倉囲いの変形[編集]

銀矢倉[編集]

金矢倉の6七金が銀に置き換わったものを銀矢倉(ぎんやぐら)と言う。5六の腰掛け銀を6七に引いて組むことが多い。7六の地点への攻めに強いことと、7八の金に6七の銀が利いていることが特徴である。また、右銀を6七まで持ってくるため、手数がかかるのが欠点である。7八と6八の両方に金を持ってきて4枚で囲う場合もある。

通常の場合、5六に銀を保留して▲6七銀は少し先送るものである。右辺の状態により▲6七金右なら金矢倉になる。急戦矢倉の右四間飛車から、持久戦にシフトした場合に現れることが多い。

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銀矢倉

片矢倉[編集]

金矢倉の7八の金を6八に変え、玉を7八に持ってくる形を片矢倉(かたやぐら、半矢倉)という。天野宗歩が愛用していたことから別名天野矢倉とも言われる[5]。囲う為の手数が1手少なくて済むほか、角の打ち込みに強い利点がある。一方で欠点としては、7九に金や飛車を打たれる心配がある、8七に利いている駒が玉のみなので8筋が弱くなっていることが挙げられる。

盤上に自分の角がいると組みにくく、また相手の角打ちを牽制している意味があるため角換わりでよく用いられるほか、角交換の起こりやすい脇システムと併用すると相性が良いことが藤井猛により発見され、この組み合わせを藤井流早囲いと呼んでいる[5]

片矢倉の6七金を5八金のままとした形(7八玉、7七銀、6八金、6七歩、5八金)は、コンピュータ将棋Bonanza Ver. 2 (2006年)が多用していたことから、ボナンザ囲いと呼ばれる[6]

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片矢倉
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ボナンザ囲い

土居矢倉[編集]

7七銀、7八玉に加え、6七に左金を上げる囲い。これにより右金を自由に使えるため、バランスのよい陣形に構えることができる。角打ちに強い。

土居市太郎が得意としたことから土居矢倉と呼ばれる。土居矢倉は昭和初期に見られた。

大住囲いから土居矢倉に発展することもある[7]

1940年の第2期名人戦七番勝負第3局(千日手指し直し)で、先手挑戦者の土居市太郎八段が後手木村義雄名人後手の総矢倉にこの土居矢倉で対抗したのが知られる。通常の矢倉に比べ硬さでは劣っても、駒の連結が良い。名人戦に現れた将棋は角換わりの出だしから行き着いた局面であるが、この陣形は角の打ち込みにも強い。実戦は▲4五歩~▲4六角から、激戦が続いたものの先手の土居が勝利を収めている。

組み方は通常の矢倉の駒組から▲6七金右ではなく▲6七金左と上がり、図の基本形の囲いを目指す。一方で図の応用形のほうは1980年代に猛威を振るった先手飛車先不突矢倉式の雀刺しに対して、中原誠十六世名人が用いていた構えで、角の利きを端から動かさずに玉の位置を移動することができた。

土居矢倉は温故知新ともいうべき戦法で、近年でもコンピュータ将棋の隆盛後、令和の時代になって新型雁木のように玉の堅さよりも角交換を前提としたバランス重視の陣形が見直されたためで、流行することとなった。

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土居矢倉基本形
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土居矢倉応用形

総矢倉[編集]

金矢倉に右銀を5七の位置に加えたものを総矢倉(そうやぐら)という。金銀4枚で囲っているため堅い。(通称四枚矢倉だが、昔の本では三枚矢倉ということもある)角を4六に動かした場合に組まれることが多い。後手側で見られることが多い。

総矢倉の相矢倉となった場合には双方とも攻め手を欠き、互いに飛車を動かすだけの千日手となるのが通説であった。米長邦雄谷川浩司らが千日手打開の手を模索し、実戦でも試みている。

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総矢倉

矢倉穴熊[編集]

金矢倉から9八香~9九玉と組んだ形を矢倉穴熊という。先手4六銀・3七桂型からこの囲いに組む戦法がよく見られた。ここから8八金、または8八銀~7七金、と発展させることもある。7七金型は俗に「完全穴熊」とも呼ばれている。

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矢倉穴熊
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発展形の一例

その他[編集]

右銀が6六の位置までくると菱矢倉(ひしやぐら)となる。"菱矢倉" というよりは6六(4四)銀型と呼ばれることが多く、相矢倉でよく見られる。

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菱矢倉

左銀が7六に移れば銀立ち矢倉(ぎんだちやぐら)となる。相矢倉よりも対振り飛車の玉頭位取り戦法で用られることが多い。昭和40年代に盛んに指されたが、現在はあまり流行していない。

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銀立ち矢倉

玉が8九に、左銀が8八にいる菊水矢倉(きくすいやぐら)またはしゃがみ矢倉は、昭和20年代に高島一岐代が考案し、出身地の大阪府中河内八尾市の偉人・楠木正成家紋「菊水」にちなんで命名した。矢内理絵子が愛用していることから矢内矢倉とも呼ぶ。棒銀雀刺しなどの上部からの攻撃に強いが、横からの攻めに弱いのが難点である。天野高志も愛用している。

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菊水矢倉

金の形が低いへこみ矢倉は、相矢倉戦ではあまり出てこないが、急戦矢倉(後手番)、角換わり角交換振り飛車には出てくる。

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へこみ矢倉

兜矢倉(かぶとやぐら)は急戦時に一時的に用いたり、角換わり戦で用いる[8]。"カブト囲い"とも呼ばれる。

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兜矢倉

流れ矢倉(ながれやぐら)は守りの左銀が中央に進出しているもの。

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流れ矢倉

右矢倉(みぎやぐら)は相振り飛車でのみ用いられる。玉を右側に囲うのでその名がついた

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右矢倉


四角矢倉(しかくやぐら)は、金銀4枚で四角の形を形成した矢倉囲い。

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四角矢倉(金)
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四角矢倉(銀)

流線矢倉(りゅうせんやぐら)は流れ矢倉と菊水矢倉をミックスした囲い。

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99 89 79 69 59 49 39 29 19
Shogi zver 22.png
流線矢倉

矢倉囲いの組み方[編集]

△持ち駒 なし
Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
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▲持ち駒 なし
図は△6二銀まで
矢倉5手目7七銀

矢倉はお互いの呼吸が合って初めて成立する。相矢倉の場合、初手から▲7六歩△8四歩▲6八銀と進んで、矢倉戦になる。双方が居飛車党であっても、先手が初手▲2六歩を突けば相掛かりや角換わり志向であるし、後手が2手目に△3四歩なら、後手が無理矢理矢倉を志向しない限り横歩取りや雁木系の将棋になる志向である。また先手が3手日に2六歩なら角換わりで、やはり矢倉にはならない。

初手から▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩のあと、5手目に▲6六歩か▲7七銀とするのが最も一般的な出だしとされる。この5手目で▲6六歩とするか▲7七銀とするのかが、後述の急戦矢倉において重要な要素である。△3四歩と突いた時に先手は▲7七銀と受けるか、▲6六歩がよいかは時代によって見解が分かれた、いわゆる「矢倉の5手目問題」は非常に深いレベルで、後の展開に差が出てくるのであるが、一般的な相矢倉を志向するならば同じ形に合流することも多い。

そのあと図の後手△6二銀に、『羽生の頭脳5 最強矢倉』(1992年、日本将棋連盟)から『変わりゆく現代将棋』上(2010年、日本将棋連盟)に至るまで、▲4八銀ではなく▲5六歩を推奨している。

現代矢倉の出だしは24手まで定跡化されており、24手組と呼ばれる。旧と新があり、旧24手組は中原、米長、加藤などが盛んに指しており、矢倉24手組と呼ばれた一世を風した手順。新24手組との違いは▲2六歩か早いかどうかだけであり、先手が飛車先を突くので前後同型となっている。昭和の矢倉界の基本手順であったこの旧24手組は次の通りで、おもな手順は▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩で▲7七銀とし、△6二銀に▲2六歩とする。以下△4二銀▲4八銀△3二金▲5六歩△5四歩▲7八金△4一玉▲6九玉△5二金▲3六歩△4四歩▲5八金△3三銀▲7九角△3一角▲6六歩△7四歩で基本図となる。

それが、昭和の後半つまり1980年代前半に、青野照市淡路仁茂田中寅彦らが若手時代に飛車先を早くに突かないメリットを発見。こうして先手が飛車先の歩を保留して駒組を進める「飛車先不突(つかず)矢倉」が登場。飛車先の歩は急いで突く必要はない、という認識が広まり、▲2六歩型の他に▲2七歩型で進めるのが主流となり、流行していく。と、同時に新型へと流行が移っていった。

過去にさかのぼってみると、昭和初期は2010年代からの後手急戦をけん制の意味でとは違って▲2五歩と飛車先を2つ突くのが当然であったが、歩の位置が1マスずつ下がる、このわずかな違いを、プロ棋士が数十年かけて発見する。このことだけを見ても矢倉の複雑さ、将棋の深遠さが窺い知れ、現代将棋界の定跡の進化の端的に示す事例でもあった。1980年代後半からの飛車先不突矢倉の思想が取り入れられて以降は、後手急戦の流行を経て1990年代前半から新24手組と呼ばれる形が定着した。図の局面に至るまで、若干の手順前後は駆け引きである。24手目の局面が新24手組といわれる手順は▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩に▲6六歩(▲7七銀)△6二銀▲5六歩△5四歩▲4八銀△4二銀▲5八金右△3二金▲7八金△4一玉▲6九玉△5二金▲7七銀(▲6六歩)△3三銀▲7九角△3一角▲3六歩△4四歩▲6七金右△7四歩で基本図となる。▲3七銀戦法の1手前にあたる。

△持ち駒 なし
Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
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▲持ち駒 なし
旧矢倉24手組基本図
△持ち駒 なし
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91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
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▲持ち駒 なし
新矢倉24手組基本図

特に旧式との違いとしては、▲6六歩や▲5八金右を先にし、△3二金をみて▲7八金とする指し方で、これは55年組が将棋界を台頭した際に愛用していたという。

矢倉の基本となる形で、ここから▲3七銀と指せば▲3七銀戦法、▲6八角と指せば森下システムへと進む。

その後、これら以外の手順で始まる相矢倉、いわゆる無理矢理矢倉(ウソ矢倉)も指されている。たとえば▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩とする振り飛車模様からや、▲7六歩△3四歩▲2六歩△8四歩▲6六歩とする横歩取り拒否からなど。

しかし、時代は一周して、新24手組でも後手の急戦に対応できない、というのが最先端の認識となっていく。

人間の将棋界では1980年代の持久戦志向から2010年代に至るまで、玉の堅さが重視されていた。しかしコンピュータ将棋の影響で、バランス重視が以降のトレンドとなっていき、矢倉もまた、同様の流れにあって変化したのである。

相矢倉は対局と研究の繰り返しによって新たな対策が積み重ねられてきた分野であるがゆえに、2000年代以降では新たな対策はコンピュータ将棋研究の影響も如実に現れる。近年の変化を簡潔に示すと、5手目▲6六歩に対する後手の6筋攻め研究により、先手が早く飛車先を伸ばすようになった結果、飛車先不突き矢倉が廃れたとなる。

以前から、積み重ねられた定跡の厚みから矢倉戦を難しいかつ定跡を覚えるのが大変、と敬遠する将棋愛好者は多いという印象はもたれている。あまりにも多くの変化が潰されて以前の策に戻っていくため、矢倉戦法は過去の形であるかのように言われている。しかし、先手矢倉のコンピュータ評価値ではプラスで、戦法としては終わっていない。むしろ、2020年以降からが最も注目すべきタイミングともみられている。これは最近の指し手の多様化からかつての定跡がリセットされていっているものも少なくないためで、むしろ、これから矢倉戦法へ参入するチャンスと、コンピュータ将棋をいち早く研究に取り入れて時代の最先端で戦っている棋士らに認識をもたれている[9]

矢倉早囲い(藤井流を含む)

早囲いという囲い方があり、矢倉で、▲6九玉~▲7九玉~▲8八玉とするのでなく、▲6八玉~▲7八玉と囲う手法である。そのまま▲8八玉まで囲う。これにより角を▲7九で止められる。▲6八角の1手を省略しようというのが早囲いである。

1980年代初めにかけて飛車先不突矢倉の対策・後手の対応策として採用され始める。この理屈としては角は3一のまま、つまり端に角が常に利いた状態のまま玉を矢倉に移動させられること、先手は飛車先を突いてこないため、矢倉囲いの△3二金の支えは急ぐ必要がないということからである。新24手組で、▲5八金右△3二金▲7八金という手順は、▲5八金右を先にして、後手△3二金をみて▲7八金としているのはその意味であり、後手が△3二金ではなく△5二金右であれば先手もそのまま早囲いの手順で組んだほうが相手と比べても手損にならないという理屈である。

その後、2000年代半ばから2010年代にかけて、藤井システムを開発した藤井猛九段が、矢倉界でもその独創性を発揮。早囲いに独自の研究を加え、1ジャンルとして確立した。藤井流の手法は以前の早囲いに振り飛車藤井システム同様、玉の移動を後回しにし、しばらく居玉の態勢で、相手の出方を見ながら玉を移動させることに特徴がある。そして、そのまま玉を8八に進めて囲う手もあるが、▲7八玉型のままで様子をみる局面も採用している。そこから角交換から▲6八金上で囲いを済まし、▲2六銀から攻めるのが藤井矢倉と呼ばれている。

矢倉の諸戦法[編集]

堅陣の矢倉を攻略するため、或いは自玉の堅さを生かす戦法が色々作られており、長い研究の成果で定跡化が進んでいる。矢倉での戦い方は双方が矢倉囲いに玉を収めてから戦う相矢倉が多いが、先手が戦型を決めやすい。そのため、先手に主導権を握られるのを嫌い、後手が矢倉に囲わず積極的に攻勢にでる戦法がある。これを急戦矢倉といい、その種類も多岐に渡る。

相矢倉[編集]

双方が矢倉を築いてから戦いを起こす指し方。多くの場合、先手が主導権を握って先攻し、後手が反撃する形になる。しかし、先手が敢えて後手に主導権を渡す指し方もある。

相矢倉の場合でも玉を囲いに入城させず、6九や4一の位置のままで戦いを始める指し方もあるが、大半は以下のような、がっぷり四つの戦いになる。

矢倉3七銀/▲3七銀戦法(棒銀、4六銀・3七桂型、加藤流などに派生)
数ある矢倉戦法の中で、24手組から先手が▲3七銀と指すのが、3七銀戦法である。先手は▲2五歩を突いていたころは棒銀や▲3七銀から▲3五歩△同歩▲同角から▲3六銀の好形を目指し、場合によっては後手からも△7三銀として△7五歩から7筋歩交換をする指し方などを展開していた。
一方で平成の矢倉界を牽引した形として知られるのが、新24手組から飛車先の保留しての▲3七銀で、後手が△4三金右ならば▲3五歩と動いていく。そこで後手は△6四角と先手の仕掛けを牽制し、以下▲6八角△4三金右と駒組みが進む。この▲3五歩△同歩▲同角のー歩交換を防ぐため後手は△2四銀や△6四角と上がる。この形が大流行し、4六銀—3七桂戦法、さらにその先の91手定跡といった凄まじき深化を果たしていくことになる。
▲3七銀戦法から△6四角▲6八角△4三金右▲7九玉△3一玉▲8八玉△2二玉▲4六銀△5三銀▲3七桂が。4六銀—3七桂戦法といわれる形の入口である。ここからプロ棋士の研究の極地といわれる91手定跡が生まれる。
手順はリンク先を参照。91手まで進んだ終盤の局面まで進んだ局面が4局実戦例がある。渡辺明屋敷伸之が2局ずつ先手を持って指しており、先手が4戦全勝。渡辺は後手を持ってもチャレンジしているが結果は出なかった。
現在では、この91手定跡に入る以前に、後手側に有力手段が発見されたため、2012年を最後に現れてはいない。
類似に「加藤流」がある。▲3七銀にして▲1六歩、▲2六歩を突く戦術で、▲2六歩-3七銀型から▲6七金右△4三金右▲4六銀(もしくは▲3五歩)△6四角▲6八角△3一玉▲7九玉△2二玉▲8八玉△8五歩▲1六歩が手順の一例で、加藤一二三九段が得意としていた形である。戦法にとことんこだわった加藤は、その時々の流行形には目もくれず、自分が信じる最善形をどこまでも追求していた。データベース上で見ると先手は加藤九段1人で74局を記録しこだわりが感じられる。
以下は玉を囲ってから、▲4六銀と上がって▲3七桂の形を目指す▲4六銀-3七桂戦法(機を見て▲2五桂と跳ねて▲5五歩や▲3五歩から総攻撃を仕掛けていく)または▲4六角と角をぶつける脇システムに分かれていく。いずれもタイトル戦の大舞台で数多く戦われてきた戦型で、激戦が予想される。
▲4六銀-3七桂戦法では先手が全力で攻め、後手が全力で受けに回る戦型となるが、こうした一戦になるのは数ある戦法の中では実は珍しい。これらは平成中期のタイトル戦で数多く指され、詰みまで定跡化された変化もある。
矢倉3七桂/▲3七桂戦法(▲4七銀-3七桂型他)
24手組から先手が▲3七桂と指すのが、3七桂戦法である。3七銀と並ぶ矢倉の代表戦法で、ここから飛車先を伸ばして後述の▲4七銀-3七桂型(▲3八飛、同型矢倉など)、▲2六歩で止め▲3七桂-4八銀型から雀刺しなどに発展する。またここからも▲3八飛から森下システムに合流することも可能。
同形矢倉
先手が▲3七桂から▲4七銀-3七桂型、後手が△6三銀-7三桂型で対峙する将棋は、昭和の時代に多く指されていた。現在も米長流急戦矢倉を巡る駆け引きの中で現れることがある。以下お互いに1筋、9筋の端歩を突いたり、▲8八玉や△2二玉と入城して、戦いのチャンスを待つ。仕掛けの基本は▲4五歩で、お互いに飛角銀桂で攻め、金銀3枚でがっちり守っているため、すべての駒が働く激しい攻め合いになる。玉の位置、端歩の関係はさまざまなパターンがある。同型から▲4五歩△同歩▲同桂や▲4五歩△同歩▲3五歩が仕掛けの例。大流行した形ではないが、後手急戦矢倉が増えた影響で、その対応策として先手▲4六歩-4七銀型が増加。それを見た後手が追随して、同形矢倉になるケースが散見される。
雀刺し(飛車先不突3七桂・2六銀型、▲2九飛戦法も含む)
▲3七桂の代表的な戦法。矢倉囲いの弱点である端を攻めるため、香の下に飛車を仕込み、右の桂馬時には銀将、そして角行を敵陣の端に集中して攻め込む。先手で▲1五歩を突き越すタイプと、端を受けるスタイルとがある。
▲6七銀-7七桂型
森下システム
新24手図から▲6八角と上がった局面である。開発者は森下卓九段で▲3七銀戦法や、加藤流が早くに攻撃形を決めるのに対し、先に玉側に手を掛け、後手の応手、特に右銀の動向を見てから作戦を決めようという考えである。作戦というより思想、考え方に近いともいえる。そして攻撃態勢は▲3七桂-4八銀型から従来の2九飛や雀指しではなく、飛車を3八飛にする。この3八飛の意味は、3七の桂を支え、4八の銀を動きやすくしている点である。
森下がこれを連騰し、高い勝率を収めてから他棋士にも連鎖し、大流行した形であった。戦術の特徴はその柔軟性にある。ただし攻めの要の右銀進出が後手よりも遅く、自陣の攻撃態勢に至る前の段階で相手にイニシアチブを取られるケースも多く、また早めに玉を囲うことにより、端を一点集中攻撃するスズメ刺しという天敵が現れ、激減することになった。しかしその後、▲8八玉を保留して中央から動く指し方が開発され、復活を遂げた。
脇システム
角が4六と6四で向かい合う形を脇システムと呼ぶ。脇謙二が得意とした形である。互いに角が取れるが、とると1手損になるので、向かい合ったまま駒組みが進むケースが多い。タイミングを見て角交換し、▲6一角や▲4一角を狙うのが主眼。研究のしがいのある戦法で、詰みまで研究されている変化もあるといわれる。
▲3五歩早仕掛け
四手角と千日手矢倉・三手角(相振り飛車における矢倉崩しにも応用される)
角を先手なら▲2六、後手なら△8四にもっていき、角の睨む位置を、先手から4筋(後手は6筋)にして攻撃の照準を合わせる戦術である。角をその位置にもっていく方法によって、四手ルートと三手ルートがある。四手ルートは先手からみて▲7九~▲4六~▲3七~▲2六と▲7九~▲6八~▲5九~▲2六、三手ルートは▲7九~▲3五歩△同歩▲同角~▲2六や、▲7七~▲5九~▲2六、さらに後手であると△5五歩▲同歩△同角~△7三~△8四などがある。
また、前述の総矢倉と組み合わせ、先手後手お互いが同型と化した局面は、仕掛けたほうが不利となるため、千日手になりやすいことから、特に千日手矢倉と呼ばれている。


急戦矢倉[編集]

相矢倉の定跡の進歩や流行形の推移に合わせて、急戦矢倉も工夫と進化を繰り返して、盤上を彩ってきた。金銀3枚の堅陣に組み上げてから、格調高く相矢倉の攻防を堪能するのも王道の戦い方であるが、矢倉を目指した相手に対し、組み合う相矢倉には付き合わず先攻を目指すのが急戦矢倉である。矢倉の出だしは先手が角道を先に止めるため、角道を止めない後手が使うことが多い。

玉の囲いもそこそこに、飛車角銀桂で鋭く堅陣に迫る急戦矢倉も、矢倉戦の醍醐味のひとつである。そして急戦矢倉への対応は、矢倉を指す者には必須科目となっている。

近年では角道を止めた先手に対し、後手から仕掛けていく。先手に主導権を握られる展開を避けたい、後手の積極策として以下の戦術が発展した。矢倉を目指す先手は相手の急戦を警戒した駒組みが求められている。

△持ち駒 なし
Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
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▲持ち駒 なし ▲3五歩まで
図1-1 急戦早繰り銀矢倉基本図
△持ち駒 なし
Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
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▲持ち駒 なし ▲3五歩まで
図1-2 急戦早繰り銀矢倉変化図

急戦矢倉はかつては図1-1のような▲4九金型の早繰り銀戦が主流であった。升田幸三が得意として連戦連勝してしていたことから升田流急戦矢倉ともいわれた。

後手陣は△6四歩・5三歩型の場合には△5四銀~4三銀が多く指されている。銀が4三に来ることで3五歩を取らずに対処することができる。後手がこの局面で△5四歩などは、▲3四歩からの取り込みから△同銀▲3五歩△4五銀▲同銀△同歩▲3四銀がある。△3五歩▲同銀△3四歩▲2四歩に△3五歩は▲2三歩成△同金▲同飛成△2四歩で龍の捕獲を狙う。△6四歩・5三歩型なので▲3四歩には△同銀▲2四龍△2五歩▲1五龍△1四歩▲1六龍△2六銀で捕獲ができる。このため▲3四歩では▲3二歩とすると、これを△同飛なら▲同龍△同玉▲8二飛、△3四銀打なら▲3一金△4二玉▲2二龍△同銀▲2一金△3二玉▲2二金△同玉▲5五桂といった展開である。

図1-2のように▲5八金型であると、飛車の打ち込みに弱い陣形なので、飛車を捨てる展開には注意が必要であるが、この後手陣7四歩型陣形の場合は図1-1の展開同様▲2三歩成△同金▲同飛成△2四歩で龍の捕獲は▲3四歩でよく、以下△同銀▲2四龍△2五歩に今度は▲3五角があり、△同銀は▲同龍、△3三金には▲4六角が生じ、以下△6四銀には▲1五龍、△2三銀打は▲4六角△6四歩、▲1五龍、△6四歩のところで△2四銀は▲8二角成で、△3九飛には▲5九飛、といった展開で進められていた。

△持ち駒 なし
Shogi zhor 22.png
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