渡辺明 (棋士)

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 渡辺明 棋王・王将
名前 渡辺明
生年月日 1984年4月23日(29歳)
プロ入り年月日 2000年4月1日(15歳)
棋士番号 235 
出身地 東京都葛飾区 
師匠 所司和晴 
永世称号 永世竜王(就位は原則引退後)
在位中タイトル 棋王・王将
段位 九段
戦績
タイトル獲得合計 14期
一般棋戦優勝回数 7回

渡辺 明渡邊 明、わたなべ あきら、1984年4月23日 - )は、将棋棋士永世竜王の資格を保持。所司和晴門下。棋士番号は235。

東京都葛飾区出身。聖学院中学校・高等学校出身。血液型O型。

棋歴[編集]

15歳でのプロデビュー[編集]

小学1年生頃、アマ五段の父に教えられ将棋を覚える。1994年、葛飾区立宝木塚小学校4年生(出場時は3年生)で第19回小学生将棋名人戦に出場し、4年生で史上初の優勝(その後、複数名の例がある)。その年に所司和晴に入門し、6級として奨励会入り。1年間で2級まで昇級する。1級で足踏みをするも、初段、二段をそれぞれ1年で通過し三段リーグ入り。

2000年3月、第26回三段リーグで13勝5敗で1位となり、同年4月に15歳で四段昇段(プロ入り)。四段昇段を決めたのが中学3年の3月であるため、史上4人目の「中学生棋士」とも呼ばれた[1]河口俊彦は奨励会時代から高く評価していた[2]

2002年度の第61期順位戦C級2組で9勝1敗の成績を挙げC級1組へ昇級。

2003年9月、王座戦において、史上3番目の若さ(19歳)でタイトル挑戦者となり、棋界の第一人者である羽生善治に挑んだ。第3局までで渡辺の2-1で羽生をカド番に追い込んだが、そこから2連敗しタイトル獲得には至らなかった。この活躍により、将棋大賞の新人賞を受賞。第44期王位戦リーグ入り(1-4)。

20歳竜王[編集]

2004年、第17期竜王戦の4組で阿久津主税橋本崇載塚田泰明ら有力棋士を破って優勝し、本戦トーナメントに進出。本戦トーナメントでは森雞二谷川浩司屋敷伸之に勝ち、挑戦者決定三番勝負では森下卓を2-0のストレートで破り、無敗の10連勝で挑戦権を得る。

そして森内俊之との第17期竜王戦七番勝負でフルセットの末に勝ち、2004年12月28日、名人とともに将棋界の二大タイトルの一つ[3]である竜王位を弱冠20歳で獲得した。4組から竜王挑戦し、奪取に成功したのは藤井猛以来2人目である。また、20歳でのタイトル獲得は、屋敷(18歳・棋聖)、羽生(19歳・竜王)に次ぐ史上3番目の年少記録であった。なお、竜王奪取の前々日には、渡辺を追ったテレビのドキュメンタリー番組(毎日放送制作・TBS系『情熱大陸』)が放送されていた。

2005年11月30日、第18期竜王戦第4局で木村一基の挑戦を4勝0敗のストレートで退け初防衛、史上最年少九段(21歳7か月)となる[4]

第13期(2005年)銀河戦で森内を撃破し、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦で初優勝。さらに第36期(2005年度)新人王戦三番勝負で、千葉幸生を2連勝で破り優勝。この年度は41勝を挙げ、将棋大賞の優秀棋士賞(新設)と最多勝利賞を受賞。記録部門での受賞は、これが初。

第46期王位戦でリーグ入り。このときの紅組リーグでは渡辺を含む4名が3-2の同率首位となりプレーオフが開かれ、1回戦で屋敷伸之に勝利するも2回戦で先崎学に敗れ、リーグも陥落となった。

2006年3月、初めてNHK杯(2005年度)の決勝に進出。相手は丸山忠久であったが惜しくも敗れる。この将棋は渡辺の先手となったが、初手は非常に珍しい▲3六歩(袖飛車戦法)であった。局後のインタビューで「決勝戦なので一発派手なことをやってやろうかと」と語った。また、63手目▲3三桂不成と捨てた手についても、「魅せてやろうかと(思って)」と語る。第64期順位戦C級1組を8勝2敗でB級2組に昇級。

第19期(2006年度)竜王戦はフルセットの末、佐藤康光の挑戦を退けて防衛に成功(2006年12月21日)。藤井猛と並んで最多タイ記録となる竜王位3連覇を達成した。この竜王戦では第1、2局で連敗し、第3局も途中まで劣勢に追い込まれていたが、終盤でまるで作ったような逆転の一手(本人談、124手目△7九角)があって逆転勝ちした。これで七番勝負の流れが変わり、続く第4、5局も勝って3連勝とした。第6局では渡辺の初手▲7六歩に対し、佐藤が2手目△3二金と指し渡辺を挑発した(3二の金は、相手が振り飛車の場合には適さない位置とされるため、2手目△3二金は居飛車党の棋士に対し「振り飛車も指せるか」と挑発する意味がある)。渡辺はこの挑発に乗って不慣れな振り飛車を指して負け、勝負の行方は最終局に持ち込まれる。そして第7局で、佐藤はまたしても2手目△3二金を採用したが、今度は渡辺は挑発に乗らず矢倉(相居飛車)になり、渡辺が勝利して竜王位を防衛した。47期王位戦リーグでは紅組で4-1の成績であったが、紅組プレーオフで敗退。

2007年3月21日、大和証券杯ネット将棋の特別対局で、第16回世界コンピュータ将棋選手権優勝のボナンザと対局し、112手で勝利。この対局の直前に渡辺は珍しく震えていたという(2007年のNHK将棋講座で講師をした際、番組中で明かした)。この年、将棋大賞の敢闘賞を受賞した。

第65期(2006年度)順位戦B級2組を10戦全勝で終え、2期連続昇級でB級1組へ昇級。

第15期(2007年)銀河戦・決勝戦で森内俊之を139手で下し、2年ぶり2回目の優勝。

同年、第48期王位戦では4-1で白組プレーオフを制し、挑戦者決定戦に進出したが、深浦康市に敗れる。

同年、第78期棋聖戦で、竜王としてようやく初めてのタイトル挑戦者となるが、佐藤康光に1勝3敗で敗れ二冠を逃す。

一方、第20期(2007年度)竜王戦では逆に2年連続で佐藤の挑戦を受け、4勝2敗で防衛に成功し、竜王戦の連覇新記録となる竜王位4連覇を達成。佐藤とは、互いに自分のタイトルを防衛・連覇し合う結果となった。この竜王戦第6局では前年に引き続き、後手番となった佐藤が渡辺の初手▲7六歩に対し2手目△3二金を採用。渡辺はこの竜王戦の前に、将棋世界の「イメージと読みの将棋観」の中で「この手に対しては中飛車で指せば先手がいい。今度指されたら中飛車にしますよ」と語っており、その予告通りに渡辺は飛車を中央に転回。その結果、佐藤も飛車を中央に振って相中飛車の力戦となり、最終的に渡辺が勝利した。

2008年8月24日、第2回ネット将棋・最強戦の決勝で鈴木大介を破り優勝。

初代永世竜王[編集]

2008年、第21期竜王戦七番勝負で竜王通算6期の羽生善治を挑戦者に迎え、勝者が初代永世竜王となる注目の七番勝負となった(永世竜王の条件は、連続5期または通算7期)。渡辺は第1局から3連敗したが、第4局では両者ともに入玉模様の壮絶な終盤戦を制した。続く第5局も制し、第6局では阿久津流急戦矢倉で新手[5]を繰り出して完勝。第7局も第6局に続いて渡辺が阿久津流急戦矢倉を採用したが逆転に次ぐ逆転となり、最後は1分将棋を渡辺が制して、第4局以降の4連勝で竜王戦5連覇を達成した(この最終第7局で、将棋大賞の「名局賞」を羽生とともに受賞している)。七番勝負のタイトル戦での3連敗4連勝は将棋界では初めての出来事であった(9か月後の王位戦でも深浦康市が達成)。これによって渡辺は竜王在位連続5期となり、初代永世竜王の資格を取得。現行の三段リーグ出身者として初の永世称号を得た。

渡辺が永世竜王の資格を得るまでに獲得したタイトルは竜王のみであるが、ほかのタイトルを獲得しないまま1つのタイトルの永世称号を手にしたのは、名人戦以外のタイトル戦がなかった時代の木村義雄のケースを除けば、渡辺が初めてである。

なお、5年の間に他のタイトルを獲得せず棋界最高峰(賞金額も最多)のタイトル1つだけを獲得・5連覇して永世称号を得たケースは囲碁界にもあり、藤沢秀行棋聖戦(囲碁)において5連覇で名誉棋聖の称号を獲得している(最終的に6連覇、第1期(1977年)- 第6期))。ただし、藤沢の場合は棋聖獲得の前に名人王座の獲得歴がある。49期王位戦リーグは1-4で陥落。

2009年度の第22期竜王戦では、永世名人の資格を持つ森内俊之が挑戦者となり、タイトル戦として史上初の「永世竜王対永世名人」(資格者)という戦いとなったが、第4局(2009年11月25 - 26日)まで渡辺が4連勝のストレートで防衛に成功(6連覇)。そして次年度(2010年度)の第23期は、羽生善治の2年ぶりとなる挑戦を4勝2敗で返り討ちにして7連覇を達成、竜王7期も6期の羽生を抜いて歴代単独トップとなった。

A級[編集]

2009年9月24日、第59期王将戦の二次予選決勝で勝ち、棋界随一の難関(定員7名、残留4名)である王将リーグに初めて入る。しかし、この時のリーグ戦では2-4で負け越して陥落となった。第50期王位戦リーグに復帰するも、3-2で陥落。 第68期B級1組順位戦は、渡辺(竜王)、久保利明棋王)、深浦康市(王位)という当時の3名のタイトル保持者によるA級昇級争いとなる。2010年2月5日に行われた第12回戦で深浦との直接対決を制し、順位戦初参加から10年目・B級1組3年目にして、ついにA級昇級を決める。第51期王位戦リーグでは復帰するも、3-2で陥落。

2011年1月6日、第36期棋王戦挑戦者決定戦第2局において広瀬章人王位に勝利。敗者ゾーンからの2連勝で久保への挑戦権を獲得したが、1勝3敗で奪取はならなかった。2月17日、第60期王将戦リーグ残留決定戦では三浦弘行を破り、王将リーグ初残留を決めた。7月、第59期王座戦挑戦者決定戦で久保利明を破る。9月27日、3-0のストレートで19連覇中の羽生王座を下し初の王座位を獲得。初めての複数冠となり、規定により序列1位となる[6]。また、第19期銀河戦において糸谷哲郎を下して4年ぶり3回目の優勝。12月2日、第24期竜王戦で丸山忠久を4-1で下し、竜王戦8連覇を達成した。一方で第32回JT将棋日本シリーズで決勝戦に進出するも、羽生に敗れ準優勝。第61期王将戦リーグでは4-2で残留。

2012年、第61回NHK杯テレビ将棋トーナメントでも、渡辺自身「鬼門」と語っていた準決勝で久保をやぶったものの、決勝で4連覇を目指した羽生に147手で敗れた。第53期王位戦リーグに復帰し、5月に白組優勝(4-1)するも挑戦者決定戦で藤井猛に敗退。10月3日、第60期王座戦第4局で千日手差し直しの激戦の末、挑戦者の羽生二冠に敗北を喫し、1勝3敗で初めてタイトルの防衛に失敗する。これに伴い、棋士序列も2位に後退した。11月26日、第62期王将戦リーグで羽生を破り、第55期の佐藤康光以来7期ぶりに王将リーグ全勝となり、佐藤康光王将への挑戦権を得た。11月29日、第25期竜王戦で丸山忠久を4-1で下し、竜王戦9連覇

2013年1月7日、第38期棋王戦挑戦者決定戦で羽生善治を下し、2期ぶりの挑戦権を獲得。2月9日、菅井竜也五段を破り第6回朝日杯将棋オープン戦優勝。3月7日、第62期王将戦で佐藤康光を4-1で下し、初の王将位を獲得。同月17日のNHK杯では、羽生善治を破り、5連覇を阻止したと同時に自身初優勝を果たした。同月24日、第38期棋王戦で、郷田真隆を3-1で下し、初の棋王位を獲得。史上8人目の三冠となった。2012年度の将棋大賞で自身初の最優秀棋士賞を受賞した。2013年4月26日、第84期棋聖戦挑戦者決定戦で、郷田真隆を破って挑戦権を得るも、1勝3敗で羽生善治棋聖に敗れた。11月29日には、森内俊之名人に1-4で敗れ、竜王位失冠。歴代最長である竜王位連覇は9期でストップした。しかし第39期棋王戦では、挑戦者の三浦弘行に3-0でストレート勝ちして、2連覇を達成。第63期王将戦でも、挑戦者の羽生を4-3で破り、2連覇を達成した。2014年2月7日に、日本将棋連盟が発表した「2013年獲得賞金・対局料ベスト10」で、1億255万円で初の1位となり、羽生は16年ぶりに1位から陥落した。


棋風[編集]

  • 居飛車党で、固い玉形、特に居飛車穴熊からの攻めを得意にしており、矢倉、対振り飛車、角換わりとあらゆる戦型において駒を繰り替えて『穴熊』にする戦い方を用いることが多く、特に先手番における矢倉穴熊の勝率が高い。また、少々強引でも自玉が安全なため結果的に攻めが成功する、いわゆる「Z(ゼット):絶対玉が詰まない形にして攻めまくる」と呼ばれるパターンが多く、現代的な実戦感覚に優れているとされる。
    • ただし、第21期竜王戦第1局では挑戦者の羽生善治に得意の穴熊を採用したが、第2局以降は穴熊を敢えて採用せずに急戦将棋で飛車切りを含めた攻撃的な将棋を積極的に指して、竜王5連覇を達成した。
  • 2004年の竜王奪取時までは、後手番では横歩取り8五飛を多用していたが、2005年以降は採用数が極端に減った。このことについて、本人は将棋世界の中で「横歩取りばっかり指していると進歩が無い」とコメントしているが、この他にも研究が進んで後手が勝ち辛くなってきたことが挙げられる。その「棋風変更」のため、後手番の初手にはほとんど飛車先の歩を突く、現在の棋界では少数派である「居飛車正統派」となり、そのため「後手番で苦戦している」といわれていた。しかし、第21期竜王戦では後手急戦矢倉を採用し、かつ新手を繰り出すという趣向を見せ、それまで戦法の単調さに苦言を呈すことの多かった谷川浩司も「評価が大きく変わった」と絶賛した[7]
  • 第21期竜王戦第6局の後手急戦矢倉(対羽生戦)の新手で一気に完勝した。羽生善治をして「渡辺将棋は、現代の若者らしく多くのデータの中から良質のものを選び出す能力が高い。棋譜、定跡、研究、手筋などあふれかえるほどの情報量をうまく質に転換できている。」といわしめた[8]
  • 四段時代から「大山の再来」といわれるほど、終盤の逆転術に長けている。プロになった頃は谷川浩司の将棋を並べていると答えていた[9]が、谷川将棋のように最善の寄せを探求して一気に最短手で寄せるというよりは、大山将棋のような終盤の粘りと泥沼の中で逆転をみせる終盤術である。
  • 長らく純粋な居飛車党として活躍してきたが、竜王位を失った翌年の王位リーグ(対佐藤康光戦)において、突如後手ゴキゲン中飛車を採用し、将棋界を驚愕させた(結果は佐藤勝ち)。その直後の第63期王将戦第4局、対羽生戦においてもゴキゲン中飛車を採用するも、結果は負け。同時期に行われていた第40期棋王戦5番勝負第2局でも、三連続でゴキゲン中飛車を採用。挑戦者の三浦弘行に78手で快勝した。[10]そして、フルセットで迎えた王将戦第7局でも、後手番の渡辺はゴキゲン中飛車を用い、超速からの相穴熊戦を制し、王将位初防衛を果たした。

人物[編集]

  • 好きな駒は「飛車」。理由は「一番動けるから」[11]
  • 「魔太郎」「魔王」という愛称がある。魔太郎の由来は藤子不二雄A作『魔太郎がくる!!』のキャラクターに似ていることであり、本人も似ていると認めている[12]
  • 同門には松尾歩宮田敦史がいる。
  • チェスは指さないが、国際チェス連盟の日本人のレーティング上位にHabu, Yoshiharu、Watanabe, Akira、Moriuchi, Toshiyuki、と名前があるため、チェスのトッププレイヤーでもあると誤解されることがある(羽生と森内は将棋棋士本人であるが、Watanabe, Akiraは同姓で同音の渡辺暁であり別人)。
  • 2004年19歳のときに伊奈めぐみ(棋士の伊奈祐介の妹で元女流育成会員。詰将棋作家)と結婚。翌年長男が生まれた。その妻のめぐみは『別冊少年マガジン』2013年6月号より、渡辺を題材とした漫画『将棋の渡辺くん』の連載を始め、漫画家としてデビューしている[13]
  • 羽生善治は、30代頃から終盤戦で勝勢になると手が激しく震えることがあるが、これが有名になったのは、2003年の王座戦第5局における渡辺との対局である。この対局の終盤で羽生は右手が震えて駒をまともに掴めなくなり、この事件から渡辺は「羽生を震えさせた男[14]として衝撃的に報道された。
  • 竜王戦の挑戦者になった際に記念扇子を作ることになっていたが、書道が大の苦手だったらしく、将棋界の書道の達人で渡辺とは旧知の仲である石橋幸緒に指導を受けて腕を上げた(NHKトップランナーにて紹介される)。
  • タイトル戦において「おやつくらいしか楽しみがない」と公言しており、羽生善治との王座戦での「(羽生の)溶けていくアイスを呆然と見ていた事件」や佐藤康光との竜王戦「おやつ取り違え事件」などは有名[15]
  • 2010年1月にアーケードで稼動された「天下一将棋会」で、実際にプレイして、このゲームを高く評価した。また、本人のインタビューもこのゲームのホームページで視聴することができる。また、天下一将棋会の続編として開発されている、天下一将棋会2のロケテストにおいて、イベントの一環である、プロ棋士対決のその一人として登場。駒落ち+多面指しと言うハンデにも関わらず、全戦全勝を記録している。この情報は、本人のブログにて見ることが出来る。
  • ブログを開設しており、掲載されているgooブログにおいてはアクセスIP数ベスト10の常連となる人気である。このブログは2007年6月25日にgooブログのオフィシャルブログになった[16]。同年7月19日には管理人がつけられ、コメントの書き込みはgoo IDを持つものに限定されるようになった[17]。さらに2008年9月9日からは、コメント受け付けが停止された[18]
  • 将来の夢は「馬主になること」というほどの競馬好きで、GI競走のテレビ中継にゲストとして呼ばれたこともある[19]。2008年竜王戦第1局はパリで行われたが、その際もサンクルー競馬場に立ち寄って馬券を購入したという。同じく競馬好きで知られる囲碁棋士高尾紳路の紹介で一口馬主になったりもしている[20]。棋士引退後は「フルタイム競馬ジジイ」になりたいとのことで、競馬雑誌のインタビューでは「現役を引退して、月曜日の朝から(前の週の)レースを全部見たりするのが、今から楽しみなんですよ」と語っている[21]
  • 桃太郎電鉄シリーズが好きで、ブログでも棋士仲間や家族と遊んだ事が話題に出ている。「竜王戦△将棋道場 渡辺明竜王指導対局(ニコニコ動画)」で「好きなカードはサミットカード」と述べている。
  • プロ野球はヤクルトのファンだが、第25期竜王就位式の謝辞では、巨人のV9を越える10連覇を目指すと述べている。
  • 元々は「野菜が嫌い」で、それ以外にも食べ物の好き嫌いが激しかったが、結婚後は妻の教育もあり「大人しく何でも食べるようになった」とのこと。ただ今でもキュウリブロッコリーだけは食べられない[22]
  • 第26期竜王戦第3局初日ニコニコ生放送での解説田丸昇九段の情報によれば、好物はラーメンで、対局で地方に行った場合にはその地の名物ラーメンを食べるとのこと。

昇段履歴[編集]

  • 1994年 6級(奨励会入会)
  • 2000年4月1日 四段(プロ入り) = 史上4人目の中学生棋士[1]
  • 2003年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 2004年10月1日 六段(竜王挑戦)
  • 2005年10月1日 七段(竜王獲得)
  • 2005年11月17日 八段(竜王1期、昇段制度改正による)
  • 2005年11月30日 九段(竜王2期、史上最年少九段[4]

主な成績[編集]

タイトル・永世称号[編集]

色付きは現在在位。

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号資格
竜王 七番勝負
10-12月
04(第17期)-12 10 9期
(歴代1位)
9
(歴代1位)
永世竜王
名人 七番勝負
4-6月
王位 七番勝負
7-9月
王座 五番勝負
9-10月
11(第59期) 3 1期
棋王 五番勝負
2-3月
12(第38期)-13 3 2期
王将 七番勝負
1-3月
12(第62期)-13 2 2期
棋聖 五番勝負
6-7月
2
登場回数合計20回、 獲得合計14期歴代6位

(番勝負終了前も含む。最新は、2013年度王将防衛)

一般棋戦優勝[編集]

優勝合計 7回

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第30回(2002年度) 新人賞
  • 第31回(2003年度) 敢闘賞
  • 第32回(2004年度) 殊勲賞
  • 第33回(2005年度) 優秀棋士賞、最多勝利賞
  • 第34回(2006年度) 敢闘賞
  • 第36回(2008年度) 優秀棋士賞、名局賞(第21期竜王戦第7局・対羽生善治名人)
  • 第38回(2010年度) 優秀棋士賞、最多対局賞
  • 第39回(2011年度) 優秀棋士賞、名局賞(第24期竜王戦第4局・対丸山忠久九段)
  • 第40回(2012年度) 最優秀棋士賞、名局賞(第60期王座戦第4局・対羽生善治三冠)

記録(歴代1位のもの)[編集]

  • 最年少九段(21歳7か月)[4]
  • 最速九段昇段(5年7か月)
  • 竜王戦連覇 9期
  • 竜王最多在位 9期

珍記録[編集]

  • 七番勝負のタイトル戦における序盤3連敗後の4連勝でのタイトル獲得(史上初、2008年12月18日 - 第21期竜王戦7局)
  • 他のタイトルを1つも取らずに永世称号の資格を獲得(同上)[23]
  • 順位戦A級在位歴が無い棋士の永世称号資格獲得
  • 名人戦七番勝負出場未経験棋士のタイトル獲得期数最多(2011年9月27日 - 第59期王座戦第3局に勝ち、タイトル8期目に伴い南芳一の7期を更新)
  • 2か月の間に昇段3回(史上初 = 2005年10月1日に七段昇段、同年11月17日に八段昇段、同年11月30日に九段昇段)- 竜王戦の昇段規定改定も伴ったため
  • 順位戦B級2組在位歴が無い棋士の八段昇段(屋敷伸之に続き史上2人目、後に日浦市郎も「達成」)

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 渡辺自身は、将棋世界の企画では谷川浩司との対談で、中学校卒業後なので、中学生棋士なのかどうかと言っていた。
  2. ^ 「将棋世界」「新対局日誌」(1995年6月号)
  3. ^ 竜王と名人は将棋界における最高位であり、棋士番号が小さい方が序列トップで、もう一方が序列2位である。
  4. ^ a b c それ以前の九段昇段の最年少記録は、谷川浩司の21歳11か月だった。なお、谷川が名人になった当時の昇段規定では、名人位獲得当日(谷川は当時、21歳2か月)の日付での九段昇段ではなく翌年4月1日であった。したがって、仮に谷川が名人位獲得の日付で昇段していたとすれば、記録は破られていなかった。加えて、渡辺は2005年の10月1日から11月30日の僅か2か月で六段から九段まで3つ昇段したが、竜王戦の規定でのみ1年以内に2つ以上昇段できるように規定が変更されたのは、渡辺が昇段する直前のことであった。
  5. ^ 渡辺明ブログ 第21期竜王戦七番勝負第6局
  6. ^ 渡辺明ブログ 2011年10月1日
  7. ^ 『光よりも速く』光速ノート152
  8. ^ 「勝負師向き、立ち直りの早さ」 読売新聞 2005年1月24日
  9. ^ 「渡辺明五段に聞く 3年目で開眼、「プロらしい将棋」に」日経ネット 2003年6月23日
  10. ^ “防衛へ渡辺2連勝 金沢で棋王戦第2局”. 北國新聞 (金沢市: 北國新聞社). (2014年2月23日). http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20140223105.htm 2014年2月23日閲覧。 
  11. ^ ネットラジオ「伝説の勇者の伝説のラジオ」第2回(2010年5月28日)
  12. ^ 渡辺明ブログ 明日NHK杯戦決勝。のコメント欄参照。
  13. ^ 渡辺竜王の日常を妻がマンガ化、福本伸行と渡辺の対談も - コミックナタリー・2013年5月9日
  14. ^ 「勝負師向き、立ち直りの早さ」 読売新聞 2005年1月24日
  15. ^ 妻の小言「おやつ」 2009年4月27日
  16. ^ gooブログアクセスランキングおよびgooオフィシャルブログ一覧参照。
  17. ^ 渡辺明ブログ 管理人からのお願いに、いきさつやお願いが掲載されている。
  18. ^ 渡辺明ブログ 管理人より、コメントについて。に、いきさつや渡辺本人のコメントが掲載されている。
  19. ^ 中央競馬ワイド中継・スタッフの四方山話160話「渡辺竜王リターンズ!」2009年5月10日はNHKマイルカップ(GI)施行日。
  20. ^ 私の競馬はちょっと新しい 第8回 日本将棋連盟棋士 渡辺明さん - JRA-VAN
  21. ^ 競馬最強の法則』(KKベストセラーズ)2009年4月号・pp.126 - 127
  22. ^ 将棋の渡辺くん 第1話 - 別冊少年マガジン
  23. ^ タイトル戦が1つ(名人戦)だけだった時代の、木村義雄のケース(永世名人)は除く。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]