森下卓
森下 卓 九段 | |
---|---|
![]() 2018年10月2日 | |
名前 | 森下 卓 |
生年月日 | 1966年7月10日(54歳) |
プロ入り年月日 | 1983年9月21日(17歳) |
棋士番号 | 161 |
出身地 | 福岡県北九州市小倉区 |
師匠 | 花村元司 |
段位 | 九段 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 8回 |
2014年3月29日現在 |
森下 卓(もりした たく、1966年7月10日 - )は、将棋棋士。花村元司九段門下。棋士番号は161。福岡県北九州市小倉区(現:小倉南区)出身。竜王戦1組通算17期、順位戦A級通算10期。
棋歴[編集]
小学4年生の正月に父に教わり将棋を始める[1][2]。わずが1年8ヶ月後の1978年、12歳で奨励会に合格し入会[2]。福岡に住んでいたため、祖母とともに上京した[3]。
1983年9月に17歳でプロデビュー。以来、後に「羽生世代」と呼ばれる棋士達とともに「チャイルドブランド」の一角として活躍、以後も長年に渡って順位戦A級、竜王戦1組に在籍し、棋戦優勝も重ねてきた。しかし、タイトル戦で羽生善治に挑戦して何度も敗退するなどの結果としてタイトル獲得歴がなく、「シルバーコレクター」「無冠の帝王」の異名を持つ[4]。
1984年、第26期(1985年度)王位戦の予選を4連勝で勝ち抜いてリーグ入りし、頭角を現す。なお、この王位リーグでは2位タイの成績を残したが、同星の中原誠との残留決定戦で敗れ、残留に失敗している。
第47期(1988年度)C級2組順位戦で9勝1敗・1位の成績を収め、順位戦初昇級。同時昇級者は日浦市郎と佐藤康光。
1990年、新人王戦の決勝三番勝負で、大野八一雄を2-0を破って優勝(棋戦初優勝)。 第六回天王戦で優勝(全棋士参加棋戦初優勝)
1991年(1990年度)、全日本プロトーナメントの決勝五番勝負で、桐山清澄を3-1で下して優勝。
2007年、第28回JT将棋日本シリーズで渡辺明竜王、佐藤康光JT杯覇者(棋聖・棋王)、森内俊之名人らタイトル保持者を連破して優勝。2008年、第29回JT将棋日本シリーズは、決勝で弟弟子の深浦康市王位を破って2連覇し、「自分でびっくりしました」[5]と語った。しかし同年の順位戦では4勝8敗の不振によりB級2組への陥落が決定した。
2018年3月4日、B級2組順位戦10回戦で、中村修九段に敗れ、C級1組への降級が決定した。
棋風[編集]
- 研究熱心な居飛車党である。しかし、向かい飛車などの振り飛車も時折用いる。
- 矢倉戦法の一つである森下システムを考案した。これにより、のちに2005年度将棋大賞の升田幸三賞特別賞を受賞。
- 基本的に受け将棋であり、先に相手に攻めさせてからのカウンターを得意とする棋風である[6]。
- 「駒得は裏切らない」という発言で知られる[7]。
人物[編集]
- 花村元司九段門下となった経緯は地元・北九州のアマ時代の先生の尽力。面識がないなか、「頼んでみよう」と花村に手紙を送ってくれたという。試験将棋を経て入門を認められ奨励会試験を受けることになった。当時は森下本人も周囲も全く受かると思っておらず、思い出受験の気持ちもあったと語っている[2]。
- 花村は元・真剣師であり、異色の棋風で知られる。将棋の師弟関係において、師匠が弟子に熱心な指導をつけることは稀であるが、花村は自分の異色な将棋が大山康晴に通じなかったことから、森下に正統派の将棋を教えこむために練習将棋を数多く指し(奨励会時代に千局以上[3][2])懇切丁寧な指導を行った[6]。
- 自身の弟子には、増田康宏がいる。
- 極めて礼儀正しく、知人をみつけると100m先であってもお辞儀をするという噂が出るほど将棋界一の律儀者と言われる。また、日頃の雑談が楽しいという、棋士仲間(女流棋士も含む)の間での評判がある。
- 夜型の棋士が多い中で生活も極めて規則正しく、毎日朝5時に熱いシャワーを浴びて目を覚ます。(早起きするのは、他に邪魔されることがなく集中できるから[3])
- NHK杯戦などで解説役を務めるとき、自分の考えに合わない手を対局者が指すと、低めの声の、ゆっくりとした批判口調で「これは驚きましたね」「ほー、こう指すもんですか」と言う。1局の中で何回も言うこともある。
- 羽生が七冠を達成した際、周囲からは賞賛する声が多い中で、森下は「棋士全員にとって屈辱です。」と発言し、一人気概を見せていた。なお、羽生が七冠となる過程の名人戦と棋王戦は森下自身が挑戦し奪取に失敗したものであった。
- 2005年度の棋士総会での理事選挙に立候補し当選、日本将棋連盟の出版、総務、経理担当理事を勤めた。2007年5月の理事選挙に出馬せずに退任した。
- 2007年3月に腹膜炎で手術のため入院。この影響で当時対局が予定されていた棋聖戦決勝トーナメントなど数局が不戦敗又は延期になってしまった。
- 2008年10月からの半年間、NHK将棋講座の講師を務めた(アシスタントは熊倉紫野)。
- 記録係の「残り○分です」というかけ声に対し、しばしば「はい」と声を出して答える棋士がいるが、森下もその一人である。藤井猛によると、対局時計の機械の秒読み声にも「はい」と答えるという。
- 2014年前後に心境の変化があり、座右の銘は「淡々」から「情熱」に変化したという。
- 毎朝嗜むほどコーヒーが大好物である。しかし第3回電王戦ツツカナとの対局前日から勝利への神頼みの意味も込めて、酒とともに3年間絶飲を継続している。なお、その影響で大きく減量した[8]。
- 一人息子の森下大地は俳優で、2014年にデビューを果たし、NHK連続テレビ小説『あさが来た』に出演するなどしている[9][10]。父自身は「棋士を目指すことの厳しさを知っているので、息子には将棋を教えなかった」と語り、息子もまた「(父が僕に)将棋をやって欲しくないというのが判ったので職業にしたいとは思わなかった」と語っている[10]。2019年2月放送の『盤上のアルファ〜約束の将棋〜』でテレビドラマに初出演し、長男・大地と親子役で初共演する[11][12]。
- 小学4年から中学3年までの間、週に1回将棋を指せば一生楽しめる実力がつき、「将棋を義務教育化すべきだと考えています」との持論を持つ[13]。
昇段履歴[編集]
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- 1978年 6級 = 奨励会入会
- 1981年 初段
- 1983年9月21日 四段 = プロ入り
- 1987年1月14日 五段(勝数規定)
- 1989年10月3日 六段(勝数規定)
- 1992年3月8日 七段(勝数規定)
- 1994年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
- 2003年12月12日 九段(勝数規定)
主な成績[編集]
タイトル挑戦[編集]
- 登場回数合計6、獲得0
一般棋戦優勝[編集]
- 全日本プロトーナメント 1回(1990年度=第9回)
- 新人王戦 1回(1990年度=第21回)
- 勝ち抜き戦5連勝以上 3回 - 第12回(1989年度、6勝)、第13回(1990-1991年度、6勝)、第16回(1994年度、8勝)
- 天王戦 1回(第6回)
- JT将棋日本シリーズ 2回(2007年度=第28回、2008年度)
- 優勝合計8回
在籍クラス[編集]
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
将棋大賞[編集]
- 第15回(1987年度) 新人賞
- 第17回(1989年度) 敢闘賞
- 第18回(1990年度) 殊勲賞・勝率第一位賞(0.757)・最多勝利賞(56勝)・最多対局賞(74局)
- 第19回(1991年度) 技能賞
- 第22回(1994年度) 技能賞
- 第33回(2005年度) 升田幸三賞特別賞 「森下システム」
表彰[編集]
コンピュータ将棋[編集]
- 2014年、第3回将棋電王戦第4局に副将として出場。(対局場:小田原城)対局強豪プログラムのツツカナを相手に得意戦法の一つである矢倉囲いで立ち向かうも、135手で敗退した[14]。
- 同年12月31日には、秒読み10分、継盤使用という森下の提案による特殊ルールでツツカナとリベンジマッチを行なった。勝勢を築くが[15]、対局開始から20時間以上経過しても決着がつかず、翌2015年1月1日5時26分、運営側からの提案で[15]152手目をもって指掛けとなった。秒読み10分、継盤使用というルールはヒューマンエラーをなくすという意図で提案したもので、対局後には「(継盤を使用することは)『待ったありの将棋』みたいなもので、そういう意味でプロとしての恥ずかしさもあったんですが、自分としてはミスはゼロでしたし、実際にほぼ勝ちというところまでお見せできたという意味では、自分の役割は果たせたかなと思っています」と語った[15]。2月16日にはニコニコ生放送にて会見が行なわれ、指掛けからコンピュータ同士で100局したところ森下側の100勝だったこと、その100局の中には300手以上続く対局もあったことなどから、対局再開はせずに、森下の判定勝ちとなった。なお、対局時には継盤を撮影するカメラに向かって着手の解説をするファンサービスも行っている。
- ちなみにその間に行われた電王戦タッグマッチ2014ではツツカナと組み出場したが西尾明・ponanzaに敗れ結果的には準優勝になった。
- 2016年12月31日、稲葉陽・斎藤慎太郎とタッグを組み、大樹の枝・nozomi・ponanzaと3対3の合議制で対局する電王戦合議制マッチが開催[16]されたが、156手で敗れた。
主な著書[編集]
- 将棋基本戦法 居飛車編(1997年9月、日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0336-6)
- 8五飛を指してみる本(2001年11月、河出書房新社、ISBN 4-309-73131-7)
- 森下の対振り飛車熱戦譜(2002年11月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-0594-0)
- なんでも中飛車(2003年9月、創元社、ISBN 4-422-75101-8)
出演[編集]
テレビドラマ[編集]
- 盤上のアルファ〜約束の将棋〜 第3回(2019年2月17日、NHK BSプレミアム) - 水上九段 役
脚注[編集]
- ^ 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
- ^ a b c d “1000局もの指導対局で培った直感力。森下卓九段に聞いた、師匠花村元司九段との思い出(1)|将棋コラム|日本将棋連盟” (日本語). www.shogi.or.jp. 2020年12月22日閲覧。
- ^ a b c “森下卓さん: 関弁連がゆく | 関東弁護士会連合会”. www.kanto-ba.org. 2020年12月22日閲覧。
- ^ “藤井七段が16歳初白星「無冠の帝王」森下九段破る” (日本語). 日刊スポーツ. 2019年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月8日閲覧。
- ^ 当時、講師として出演していたNHK将棋講座の中での発言。
- ^ a b 師匠の花村は奇抜な攻めの手を指すことを好む棋士であり、また、棋界には珍しく、弟子に将棋を教える(奨励会在籍の弟子と将棋を指す)ことが非常に多かったらしい。森下の受けの強さは、その、花村の攻めを受けている間に身についたものであるという説がある。
- ^ “豊島七段の超速将棋が光った電王戦第三局詳細レポート” (日本語). 角川アスキー総合研究所. 2019年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月9日閲覧。
- ^ 森下卓九段、将棋電王戦出場のプレッシャーを正直すぎるほど正直に語る「豊島さん、負けてくれないか」 将棋ワンストップ・ニュース
- ^ “森下卓九段、愛息の朝ドラ出演に「びっくりぽん!」”. スポーツ報知. (2016年1月28日) 2016年2月7日閲覧。
- ^ a b 森下九段の長男“成った”! 大地、朝ドラ「あさが来た」出演 スポーツ報知 2016年1月27日閲覧
- ^ “森下九段と長男大地が初共演 将棋界が舞台のNHK・BSドラマ 仕事への理解深め互いにリスペクト”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年1月16日) 2019年1月23日閲覧。
- ^ “森下卓九段、長男・大地がNHKドラマで親子初共演 息子の成長に喜び”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年1月16日) 2019年1月23日閲覧。
- ^ “藤井聡太七段、最年少タイトル獲得…「将棋と囲碁」学力アップの軍配は?「つるの剛士」ら語る”. デイリー新潮 (2020年7月17日). 2020年7月20日閲覧。
- ^ ASCII. “森下九段が惨敗した小田原城決戦・電王戦詳細レポート” (日本語). 週刊アスキー. 2020年12月22日閲覧。
- ^ a b c 坂本寛. “最善手を指し続けても「将棋が終わらない」 将棋電王戦リベンジマッチ観戦記【後編】”. 日刊SPA!. 2015年3月21日閲覧。
- ^ “電王戦合議制マッチ | niconico”. 電王戦合議制マッチ|ニコニコ動画. 2020年12月22日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
|
|
|
|
|
|