新進棋士奨励会

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新進棋士奨励会(しんしんきししょうれいかい)は、日本将棋連盟プロ棋士養成機関である。一般には単に奨励会(しょうれいかい)と呼ばれることが多い(本項においても以下「奨励会」と記述する)。

また、奨励会の下部組織に相当する研修会(けんしゅうかい)についても本項で解説する。

概要[編集]

奨励会で三段まで上がり、さらに所定の成績を収めると、四段に昇段( = プロ入り)をする(「フリークラス編入試験」という例外を除く)。

奨励会は、関東奨励会と関西奨励会の2つに分かれており、二段まではそれぞれの奨励会の中で対局する。研修会は、関東研修会、関西研修会、東海研修会、九州研修会の4つに分かれている。

対局は、関東奨励会・関東研修会が将棋会館東京都渋谷区千駄ヶ谷)、関西奨励会・関西研修会が関西将棋会館大阪市福島区)で行われる。東海研修会の対局は、名古屋市中区の板谷将棋記念室で、九州研修会の対局は福岡市中央区の電気ビル・共創館で行われる。

研修会は、女流棋士を目指す者の養成機関としての機能も持つ。

沿革[編集]

1928年(昭和3年)9月23日に、中島富治[注釈 1]らの愛棋家が資金を用意して、東京市・市谷の安田与四郎(愛棋家、経済誌「ダイヤモンド」主筆)邸で、東京で活動する専門棋士の弟子(6級から三段)23名を集めて「手合会」を開いたのが、奨励会の始まりである[5]。この第1回「手合会」に参加した23名の中には、塚田正夫二段(後に名誉十段、日本将棋連盟会長)、坂口允彦二段(後に九段、日本将棋連盟会長)がいた[5]。この会は愛棋家の尽力により毎月1回開かれていたが、1931年(昭和6年)2月に日本将棋連盟[注釈 2]の附属機関となった(2017年現在の関東奨励会)[5]。関西奨励会は、1935年(昭和10年)11月に、やはり愛棋家が資金を用意して、大山康晴6級(後に十五世名人、日本将棋連盟会長)、升田幸三・三段(後に実力制第四代名人)、南口繁一・二段(後に九段)ら十数名で発足した[5]

第二次世界大戦後は、1947年(昭和22年)9月に大阪市内の愛棋家宅で関西奨励会が復活し、1949年(昭和24年)6月に東京都内の原田泰夫八段(後に九段、日本将棋連盟会長)宅で関東奨励会が復活した[5]。奨励会の諸規定は、この時に原田によって整備された[9]

奨励会・研修会・女流棋士の相互関係[編集]

奨励会と研修会[編集]

奨励会への入会は、棋士の推薦を受けて入会試験を受けるのが通常のコースであるが、研修会の研修生が15歳以下の時点でB1からA2に昇級、または18歳以下の時点でA1からSに昇級すると、入会試験を経ずに即時に奨励会6級に編入できる。その他、成績によっては、入会試験の一次試験免除や、推薦(師匠)無しでの奨励会受験などの優遇措置がある。

奨励会と女流棋士[編集]

  1. 女流棋士は、奨励会試験受験・入会の権利も持つ。
  2. 女性の奨励会員は、奨励会員としての出場が認められた女流棋戦に出場することができる。
  3. 奨励会と重籍の女流棋士は、女流枠のある棋士棋戦(竜王戦[注釈 3]叡王戦王位戦王座戦棋王戦棋聖戦朝日杯銀河戦NHK杯新人王戦[注釈 3]青流戦[注釈 3])について、女流枠からの出場はできない[10]
  4. 女流棋士でない女性の奨励会員は、女流棋戦でタイトルを獲得し将棋連盟の推薦を得るか女流予選を突破することで、女流枠のある棋士棋戦のうち、竜王戦、叡王戦、王座戦、棋王戦、朝日杯、銀河戦、NHK杯、新人王戦への出場が可能である[注釈 4]
  5. 女性の奨励会員は、2級以上で奨励会を退会すると日本将棋連盟所属の女流棋士になる権利がある。このとき奨励会退会時の段級位が引き継がれるが、奨励会員時に女流棋戦に参加して女流棋士の昇段級規定をクリアしていれば、即日該当する段級位が適用される。この制度を利用して女流棋士となった例は、岩根忍(2004年)と伊藤沙恵(2014年)の2名。日本女子プロ将棋協会(LPSA)は2級以上で退会した女性奨励会員には日本将棋連盟と同様の権利を付与するほか、2018年3月までは6級以上3級以下で退会した女性奨励会員にも女流3級の資格を付与していたが[11]、2018年までにLPSAに入会した元女性奨励会員はいない。

奨励会と女流棋士の重籍(掛け持ち)は不可とされていた時期があったが、里見香奈女流三冠(当時)が2011年5月に行われた奨励会1級試験に合格した後、2011年5月27日に日本将棋連盟から上記1、2の決定が発表がされた[12]。2については早速、2011年創設の第1期女流王座戦に女性奨励会員2名(加藤桃子2級、伊藤沙恵2級 = 予選参加当時)が出場し、加藤が初代女流王座を獲得した。

研修会と女流棋士[編集]

女流棋士を目指すものにとって、かつて「女流育成会」が養成機関として存在していたが、2009年3月に発展的解消がされ[13]、研修会がその機能を併せ持つこととなった。

女性の研修会員がB2に昇級すると女流2級の資格を得ることができ、将棋連盟への申請を経て女流棋士となる。

なお、研修会から奨励会入会を目指すことも当然ながら可能である。

奨励会への入会試験[編集]

研修会からの編入を除くと、奨励会への入会へは以下の各試験を受験し合格する必要がある。

級位者入会試験[編集]

年1回、毎年8月に3日間の日程で行われる。初日と二日目は一次試験で、初日は筆記試験と受験者どうしの対局2対局、二日目に同じく受験者どうしで3対局する。一次試験終了後すぐに合格者が発表され、合格者のみが最終日に進み、奨励会員との対局3局と面接からなる二次試験が行われる。ただし、研修会B1クラス以上で満15歳以下の者、前年度の試験から1年間の間に行われた日本将棋連盟主催の小・中学生全国大会優勝者は一次試験は免除される。最終合否は、二次試験・面接試験・書類審査の総合評価により理事会が承認・決定し後日郵送で合格が通知される。

受験資格は、満19歳以下で四段以上のプロ棋士(日本将棋連盟正会員)から受験の推薦を得た者であることである。ただし、満15歳以下で、研修会C1クラス以上または試験開催年に行われた日本将棋連盟主催の小・中学生全国大会ベスト4以上の者であれば、棋士の推薦なしでの受験が可能である(2008年より)。この場合も、入会後1年以内に師匠となる棋士を決定する必要がある。

受験の推薦を得るには、アマチュアの大会で優秀な成績を収めたり、プロ棋士などが指導する将棋教室などで実力を認められたりしなければならない。受験可能な最下位である奨励会6級でもアマチュア三 - 五段程度の実力に相当する(プロとアマで段級位がまったく異なる[14])ため、入会には都道府県のアマチュア上位に相当する実力が必要である。また、入会試験では他の受験者や、奨励会員との対局試験が大きなウェイトを占めているが、これらの対局試験には、一次・二次試験とも「〇対局で✖勝以上」という条件があるため、入会試験に合格できるのは、受験者全体の約3割という狭き門となっている。

試験に際しては師匠の推薦により何級を受けるかを事前に申請し、合格すればその申請級位で入会となる(師匠の推薦がなければ6級入会に限定)。15歳以下であれば6級以上の任意の級で受験できるが、16歳・17歳・18歳はそれぞれ5級・4級・3級以上のみを受験でき、19歳は1級のみとなる(二次試験の対局相手がそれぞれ対応する級に準じた奨励会員(駒落ちでの調整も有り)となる)。19歳・1級で合格した例としては、櫛田陽一里見香奈らがいる。

初段受験制度[編集]

従来の受験制度(級位受験)とは別に、1997年度より創設された。受験資格は満22歳以下(8月末日)で、アマチュア公式戦全国大会の優勝または準優勝を経験した者で、四段以上のプロ棋士(日本将棋連盟正会員)から受験の推薦を得た者。2005年度に吉田正和朝日アマ名人(当時)がこの制度による最初の受験者かつ初の合格者となる。なお吉田は受験時19歳であり、当時の受験資格である「満20歳以上22歳以下」を満たしていなかったが受験が認められた(以降は満22歳以下に変更となっている)。また、吉田は後に三段リーグ次点2回を獲得して四段昇段・フリークラスプロとなり、さらに勝率規定によって順位戦参加を果たしている。

試験は年1回、8・9月の奨励会例会日3日間に行われ、1日目2対局・2日目2対局・3日目1対局の全5局すべて奨励会員と行う。

三段編入試験[編集]

2007年度より創設。

受験資格

過去1年の6つのアマチュア全国大会(アマ竜王、アマ名人、朝日アマ名人、アマ王将、赤旗名人、支部名人)のいずれかの優勝者で、四段以上のプロ棋士(日本将棋連盟正会員)から奨励会受験の推薦を得た者であること。優勝1回に付き受験1回可能。

試験方法
  • 試験の対局は、4月編入(申込締切前年12月末)の場合は2 - 3月、10月編入(申込締切6月末)の場合は8 - 9月の奨励会例会において行われる。
  • (受験者を二段扱いとして)奨励会二段(場合により初段も含む)と最大8局対局し6勝で三段に編入される(なお3敗した時点で不合格となり試験は打ち切りとなる)。
  • 三段リーグ編入試験に合格した者は、年齢に関係なく三段リーグに最長2年間(4期)参加できる。
  • 三段リーグ在籍中に二段降級となった場合は退会となる。三段リーグの参加資格の勝ち越し延長も認めない。

2015年後期までに、のべ11名(1名が2回受験している)が受験し、2007年前期の今泉健司が唯一の合格者である。

なお、上記の受験資格がある者は、以前に不合格となっても、新たに受験資格を得れば編入試験は何度でも受けられる。この編入によって三段リーグ入りし、四段になれなかったものも同様である。

奨励会規定[編集]

奨励会は7級から三段までで構成されている(以前は「奨励会初等科」として、下は10級まであった)。二段までは、関東・関西にそれぞれ分かれて奨励会員同士で対局を行い、段級位に差がある場合は駒落ちで対局する。規定の成績を収めたときに昇段・昇級することができる。三段は関東・関西合同のリーグ戦で三段同士のみの対戦となり、成績優秀者が四段昇段(プロ入り)となる。

なお入会金は102,800円、会費は段級位に関係なく月10,250円(いずれも2016年現在)[15]

段級位の昇降[編集]

昇級・昇段[編集]

6級昇級 - 1級昇級

次のいずれかの成績を取れば昇級。

  • 6連勝
  • 9勝3敗
  • 11勝4敗
  • 13勝5敗
  • 15勝6敗
初段昇段 - 三段昇段

次のいずれかの成績を取れば昇段。

  • 8連勝
  • 12勝4敗
  • 14勝5敗
  • 16勝6敗
  • 18勝7敗
四段昇段( = プロ入り)

三段リーグ通過で昇段。

  • 三段リーグで上位成績2名となる(次年度順位戦C2に編入)。
  • 三段リーグで2度の次点(成績3位)となる(フリークラス編入)。

降級・降段[編集]

※四段以上には降段の規定なし。

三段から二段への降段
  • 三段リーグの降段点は勝率2割5分以下の成績。
  • 三段リーグで2回連続の降段点を取ると二段に降段。
二段以下の段級位からの降級・降段
  • 降級・降段点は2勝8敗以下の成績。
  • 降級・降段点を消せない内に2度目の降級・降段点を取ると降級・降段となる。
  • 1度目の降級・降段点を消すには、3勝3敗以上の成績を収めなければならない。
    • 7級で降級となった場合は8級にはならず退会となる。なお7級は本来は例外扱いのため[14]、6級からの降級でも退会となる場合がある。

年齢制限[編集]

満21歳(2002年度以前の奨励会試験合格者においては満23歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を迎える三段リーグ終了までに四段に昇段できなかった者は退会となる。ただし、以下の場合は延長して在籍できる。

  • 三段リーグについては、年齢制限にかかわらず、三段昇段後最低5期在籍できる[16]。年齢制限を迎えて6期以上在籍している場合でも、勝ち越しを続ければ満29歳を迎えるリーグ終了まで延長して在籍できる。
  • 21歳以上で初段から1級に降級した場合は半年間の猶予が与えられ、この間に初段に復帰すれば退会を免れる。

奨励会発足時は年齢制限がなかったが、1968年に「満31歳の誕生日までに四段に昇段できなければ奨励会を退会」という規定を設ける。その後、1982年に満26歳に引き下げられて(1981年以前の奨励会試験合格者は従来通り31歳まで)、1994年に上記の延長規定を追加した[17]。勝ち越し延長適用後に四段昇段を果たしたのは増田裕司山本真也宮本広志の3名。

三段リーグ[編集]

現在の三段リーグは、1987年度より開始されたものである。

  • 東西のいずれかで二段から三段に昇段した奨励会員、および、三段編入試験に合格した者は、三段リーグ(東西の区別がない1つのリーグ)に入る。
  • 三段リーグは半年(4月-9月、および、10月-3月)を1つの期(1回)とし、各々18戦ずつを戦う。
  • 1回の三段リーグにおける上位2人は四段に昇段し、順位戦C級2組に入る。
  • 3位の者には次点が与えられ、1997年以降に次点を2回獲得したものは、フリークラスの四段に昇段する権利を得る(権利を放棄することもできる)。この権利を行使して四段になったのは伊奈祐介(当時23歳)・伊藤真吾(当時25歳)・吉田正和(当時22歳)・渡辺大夢(当時24歳)・佐々木大地(当時20歳)の5名[注釈 5]。一方で佐藤天彦は16歳当時に次点2回を獲得したにもかかわらず権利を放棄し三段リーグに留まり、その後18歳で2位の成績を修め、順位戦C級2組の四段になった。
  • 四段に昇段できなかった三段リーグの成績上位者は、プロ公式戦の竜王戦新人王戦加古川青流戦への出場資格を得る。竜王戦出場者は奇数回リーグ戦(年度前期)の次点者(次点者が次点二回で四段昇段したときは4位者)、新人王戦出場者は奇数回リーグ戦の上位者(人数不定)、加古川青流戦出場者は偶数回リーグ戦(年度後期)の上位者(人数不定)となる。
  • 2014年より三段リーグ在籍中の新人王戦優勝者に、優勝した期の終了時点で次点が与えられることとなった。この新人王戦優勝の次点のみを2度取得しても昇段できないことも規定された[18]。2013年10月の第44期新人王戦で都成竜馬が史上初の三段での優勝を果たしたが、規定ができたのが2014年1月のため、本来は第54回三段リーグ戦(2013年10月~2014年3月)終了後に次点が与えられるはずのところ、その次期である第55期三段リーグ戦(2014年4月~9月)終了時に、昇段を果たせず降段点も得なかったため、次点が与えられた。
  • リーグ戦での勝率が2割5分以下(18戦で4勝以下)であると降段点がつき、次期も続けて降段点を取ると二段へ降段する。
三段リーグ(第1回~第10回)
四段昇段者(勝敗、順位) 三段リーグ
新規参加者数
二段への
降段者数
今期
退会者数
参加人数 備考
成績 1位 成績 2位 次点2回
1987年度 上期 第1回 中川大輔
(13-3)
先崎学
(12-4)
- 17 - - 17 全17局 総当り
(1局抜番)
下期 第2回 野田敬三
(10-5、10位)
木下浩一
(10-5、10位)
- 1 - - 16 全15局 総当り
1988年度 上期 第3回 小倉久史
(16-2、18位)
屋敷伸之
(14-4、20位)
- 7 - - 21 全19局
(1局抜番)
下期 第4回 藤原直哉
(16-2、4位)
高田尚平
(15-3、17位)
- 2 - - 21 全19局
(1局抜番)
1989年度 上期 第5回 畠山鎮
(12-6、2位)
畠山成幸
(12-6、8位)
- 3 - 1 22
(休場1名)
全19局
(1局抜番)
下期 第6回 丸山忠久
(14-4、2位)
郷田真隆
(14-4、3位)
- 3 - - 22 全18局
1990年度 上期 第7回 佐藤秀司
(13-5、4位)
杉本昌隆
(13-5、14位)
- 4 - 1 24 全18局
下期 第8回 藤井猛
(15-3、2位)
平藤真吾
(15-3、3位)
- 5 - 1 26 全18局
1991年度 上期 第9回 豊川孝弘
(13-5、3位)
深浦康市
(13-5、4位)
- 5 - 1 28 全18局
下期 第10回 真田圭一
(13-5、2位)
飯塚祐紀
(13-5、3位)
- 1 - 1 26 全18局
三段リーグ(第11回~第20回)
四段昇段者(勝敗、順位) 三段リーグ
新規参加者数
二段への
降段者数
今期
退会者数
参加人数 備考
成績 1位 成績 2位 次点2回
1992年度 上期 第11回 三浦弘行
(13-5、15位)
伊藤能
(13-5、22位)
- 9 - 2 32 全18局
下期 第12回 川上猛
(15-3、32位)
久保利明
(14-4、1位)
- 4 - - 32 全18局
1993年度 上期 第13回 行方尚史
(15-3、2位)
岡崎洋
(14-4、19位)
- 3 1 2 33 全19局
(1局抜番)
下期 第14回 窪田義行
(13-5、13位)
北浜健介
(12-6、4位)
- 1 1 - 29 全19局
(1局抜番)
1994年度 上期 第15回 矢倉規広
(15-3、5位)
鈴木大介
(14-4、1位)
- 3 - 2 29 全19局
(1局抜番)
下期 第16回 北島忠雄
(15-3、17位)
勝又清和
(13-5、3位)
- 2 - 1 26 全18局
1995年度 上期 第17回 松本佳介
(15-3、15位)
田村康介
(12-6、3位)
- 3 - 1 26 全18局
下期 第18回 堀口一史座
(14-4、1位)
中座真
(12-6、6位)
- 3 - 4 26 全18局
1996年度 上期 第19回 近藤正和
(14-4、18位)
野月浩貴
(11-7、2位)
- 3 - - 23 全19局
(1局抜番)
下期 第20回 木村一基
(14-4、1位)
小林裕士
(14-4、5位)
- 5 - 1 26 全18局
三段リーグ(第21回~第30回)
四段昇段者(勝敗、順位) 三段リーグ
新規参加者数
二段への
降段者数
今期
退会者数
参加人数 備考
成績 1位 成績 2位 次点2回
1997年度 上期 第21回 佐藤紳哉
(14-4、1位)
増田裕司
(12-6、6位)
- 2 - - 25 全19局
(1局抜番)
下期 第22回 高野秀行
(13-5、5位)
山﨑隆之
(12-6、4位)
伊奈祐介
(11-7、1位)
2 - 1 25 全19局
(1局抜番)
1998年度 上期 第23回 山本真也
(12-6、1位)
中尾敏之
(12-6、7位)
- 3 - - 24 全18局
下期 第24回 松尾歩
(14-4、23位)
金沢孝史
(13-5、2位)
- 7 - 2 29 全19局
(1局抜番)
1999年度 上期 第25回 阿久津主税
(14-4、8位)
安用寺孝功
(13-5、13位)
- 5 - 4 30 全18局
下期 第26回 渡辺明
(13-5、9位)
飯島栄治
(13-5、11位)
- 3 - 1 27 全19局
(1局抜番)
2000年度 上期 第27回 千葉幸生
(13-5、7位)
上野裕和
(13-5、11位)
- 3 - 3 27 全19局
(1局抜番)
下期 第28回 橋本崇載
(15-3、3位)
佐々木慎
(15-3、9位)
- 3 - 1 25 全19局
(1局抜番)
2001年度 上期 第29回 宮田敦史
(15-3、4位)
村田智弘
(14-4、5位)
- 2 - 1 24 全18局
下期 第30回 大平武洋
(16-2、5位)
熊坂学
(13-5、14位)
- 4 - 1 25 全19局
(1局抜番)
三段リーグ(第31回~第40回)
四段昇段者(勝敗、順位) 三段リーグ
新規参加者数
二段への
降段者数
今期
退会者数
参加人数 備考
成績 1位 成績 2位 次点2回
2002年度 上期 第31回 藤倉勇樹
(13-5、20位)
横山泰明
(12-6、7位)
- 2 1 - 24 全18局
下期 第32回 島本亮
(12-6、16位)
西尾明
(11-7、2位)
- 7 - 1 28 全18局
2003年度 上期 第33回 村山慈明
(15-3、1位)
佐藤和俊
(14-4、18位)
- 5 - 1 30 全18局
下期 第34回 片上大輔
(16-2、5位)
中村亮介
(13-5、3位)
- - - - 27 全19局
(1局抜番)
2004年度 上期 第35回 村中秀史
(14-4、3位)
阪口悟
(14-4、7位)
- 4 - 1 29 全19局
(1局抜番)
下期 第36回 広瀬章人
(15-3、7位)
長岡裕也
(14-4、3位)
- 4 - 2 30 全18局
2005年度 上期 第37回 高崎一生
(13-5、12位)
遠山雄亮
(13-5、13位)
- 4 1 1 30 全18局
下期 第38回 糸谷哲郎
(14-4、1位)
中村太地
(13-5、5位)
- 6 - 2 32 全18局
2006年度 上期 第39回 戸辺誠
(15-3、3位)
佐藤天彦
(14-4、2位)
- 2 + 再昇段1 - 1 31 全19局
(1局抜番)
下期 第40回 豊島将之
(14-4、1位)
金井恒太
(14-4、16位)
伊藤真吾
(13-5、2位)
7 - 3 35 全19局
(1局抜番)
三段リーグ(第41回~第50回)
四段昇段者(勝敗、順位) 三段リーグ
新規参加者数
二段への
降段者数
今期
退会者数
参加人数 備考
成績 1位 成績 2位 次点2回
2007年度 上期 第41回 村田顕弘
(15-3、11位)
及川拓馬
(13-5、1位)
- 3+ 編入1 - 1 33 全19局
(1局抜番)
下期 第42回 稲葉陽
(13-5、2位)
田中悠一
(13-5、19位)
- 4 - 2 34 全18局
2008年度 上期 第43回 佐藤慎一
(15-3、18位)
西川和宏
(14-4、13位)
渡辺正和
(13-5、1位)
4 1 - 34 全18局
下期 第44回 澤田真吾
(14-4、21位)
大石直嗣
(13-5、1位)
- 5 - 1 35 全19局
(1局抜番)
2009年度 上期 第45回 永瀬拓矢
(14-4、8位)
阿部健治郎
(13-5、1位)
- 1 - 1 33 全19局
(1局抜番)
下期 第46回 菅井竜也
(15-3、1位)
牧野光則
(14-4、3位)
- 1 - 5 31 全19局
(1局抜番)
2010年度 上期 第47回 佐々木勇気
(14-4、2位)
船江恒平
(13-5、4位)
- 9 - - 33 全19局
(1局抜番)
下期 第48回 門倉啓太
(13-5、6位)
阿部光瑠
(13-5、23位)
- 4 - - 35 全19局
(1局抜番)
2011年度 上期 第49回 高見泰地
(13-5、5位)
藤森哲也
(12-6、8位)
- 1 - 1 34 全18局
下期 第50回 斎藤慎太郎
(15-3、5位)
八代弥
(14-4、15位)
- 2 - 1 33 全19局
(1局抜番)
三段リーグ(第51回~第60回)
四段昇段者(勝敗、順位) 三段リーグ
新規参加者数
二段への
降段者数
今期
退会者数
参加人数 備考
成績 1位 成績 2位 次点2回
2012年度 上期 第51回 上村亘
(14-4、2位)
石田直裕
(13-5、27位)
渡辺大夢
(13-5、17位)
3 - 3 33 全19局
(1局抜番)
下期 第52回 千田翔太
(15-3、2位)
竹内雄悟
(13-5、21位)
- 3 - 1 30 全18局
2013年度 上期 第53回 石井健太郎
(15-3、4位)
三枚堂達也
(14-4、31位)
- 9 - 1 36 全18局
下期 第54回 星野良生
(13-5、2位)
宮本広志
(13-5、9位)
- 6 - 3 39 全19局
(1局抜番)
2014年度 上期 第55回 増田康宏
(13-5、5位)
黒沢怜生
(13-5、9位)
- 3 - - 37
(休場1名)
全18局
下期 第56回 青嶋未来
(16-2、5位)
梶浦宏孝
(13-5、8位)
- 1 - 3 36
(休場1名)
全19局
(1局抜番)
2015年度 上期 第57回 高野智史
(13-5、2位)
近藤誠也
(13-5、4位)
- 3 1 3 34
(休場1名)
全19局
(1局抜番)
下期 第58回 都成竜馬
(14-4、17位)
井出隼平
(12-6、8位)
佐々木大地
(12-6、14位)
2 - 2 30 全18局
2016年度 上期 第59回 藤井聡太
(13-5、27位)
大橋貴洸
(12-6、1位)
- 4 - 1 29 全19局
(1局抜番)
下期 第60回 西田拓也
(15-3、6位)
杉本和陽
(12-6、3位)
- 6 - 1 32 全18局
三段リーグ(第61回~第64回)
四段昇段者(勝敗、順位) 三段リーグ
新規参加者数
二段への
降段者数
今期
退会者数
参加人数 備考
成績 1位 成績 2位 次点2回
2017年度 上期 第61回 斎藤明日斗
(14-4、9位)
古森悠太
(12-6、4位)
- 2[19] - 1[20] 31 全19局
(1局抜番)
下期 第62回 長谷部浩平
(14-4、4位)
池永天志
(14-4、6位)
- 8[21] - 2[22] 36 全18局
2018年度 上期 第63回 本田奎
(15-3、25位)
山本博志
(13-5、7位)
- 5[23] - 3[24] 37 全19局
(1局抜番)
下期 第64回 - - - 1[25] - - 33 全19局
(1局抜番)

記録[編集]

  • 過去の四段昇段の最高成績は小倉久史藤原直哉片上大輔大平武洋青嶋未来の16勝2敗、最低記録は野月浩貴西尾明の11勝7敗である。
  • 過去に三段リーグを1期で抜けたのは、中川大輔先崎学小倉久史屋敷伸之川上猛松尾歩三枚堂達也藤井聡太の8名である。なお、中川と先崎は参加者全員が初参加となる第1回三段リーグでの突破であり、記録上は別枠として取り扱われることもある。三段リーグ制度開始(再開)前に中川は三段として7か月、先崎は5か月指している。
  • 三段リーグ突破の最年少記録は藤井聡太の14歳1か月。最年長は伊藤能の30歳8か月(現行制度下では宮本広志の28歳2か月)である。
  • 二段降段後に三段に再度昇段し、四段に昇段したのは野田敬三一人。ただし降段時点では三段リーグ制度ではなく、再度三段昇段後にリーグが開始され、第2回三段リーグで四段に昇段している。

過去の三段リーグ[編集]

1955年度まで

1955年度までは、三段での成績により四段になっていた。

1956年度から1973年度まで

当時の将棋連盟の財政事情により昇段者を調整するために三段リーグが作られた。

  • 1956 - 61年度 の名称:「予備クラス」
  • 1962 - 73年度 の名称:「奨励会A組」
1956年度から1958年度まで : 東西総当たり制
1956年度から1958年度までは関東、関西の三段が半年ごとに総当たりで対局を行い1位になった棋士が昇段していた。当時は関西奨励会の三段棋士が少なかったこともあり、上京して参加していた。
1959年度から1973年度まで : 東西別総当たり制
1959年度から1973年度までは、半年ごとに関東、関西の三段による東西別総当たりのリーグ戦が東西で行われ、東西リーグ1位の者による東西決戦で昇段者を決定していた(調整のために多い方の三段棋士が少ない方に回り、東西リーグの人数を均等にしていた)。
  • 1969年度までは前期の東西決戦敗者が同年後期でリーグ1位となった場合、東西決戦は行われず両者ともに昇段となった。この前期後期連続リーグ1位の規定を満たしたのは3名のみ(1964年度:桜井昇、1965年度:桐山清澄、1966年度:勝浦修)。
  • 1962年度から1968年度までは前期・後期の東西決戦の敗者同士の決戦が行われ、この勝者も昇段できた。
  • 3度の東西リーグ1位なった者が出た場合は東西決戦不要とし、東西決戦は行われず両者ともに昇段となった(1973年度:淡路仁茂)。
1974年度から1986年度まで

1974年度から1986年度までは三段リーグがなく、二段以下と同じような昇段規定(9連勝または良いとこ取りで13勝4敗で四段昇段)であった。

1987年度 以降

現在の規定による形式で三段リーグが復活。

順位戦C級2組からの降級に因る「三段リーグ」への陥落

四段以上(プロ)が順位戦C級2組から降級した場合に、奨励会三段と同様に旧・三段リーグや東西奨励会で指すことがあった[注釈 6]。順位戦C級2組からの「三段リーグ」陥落後に順位戦C級2組へ復帰を果たしたのは3名のみである。

「三段リーグ」陥落からの順位戦C級2組への復帰者
星田啓三
1958年度順位戦・C級2組での降級により、1958年前期から「予備クラス」に陥落。
1959年「予備クラス」後期で関西優勝、東西決戦で平野広吉に勝ち、1961年度順位戦へのC級2組に復帰。C級2組から「予備クラス」陥落を経てC級2組に復帰した初のケースとなった。
北村文男
1959年度順位戦・C級2組での降級により、1959年前期から「予備クラス」に陥落。
1961年「予備クラス」後期で関西優勝するも東西決戦で高島弘光に敗れる。前期東西決戦敗者・板谷進との敗者決戦に勝ち、1963年度順位戦のC級2組に復帰。
橋本三治
1960年度順位戦・C級2組での降級により、1960年前期から「予備クラス」に陥落。
1964年の「奨励会A組」前期に関西優勝・東西決戦を制し、1965年度順位戦のC級2組に復帰。

アマチュア復帰規定[編集]

1992年4月からの退会者より、奨励会員及び指導棋士だった者がアマチュア棋戦に参加(アマチュア復帰)することに関して、規定が設けられている。

2006年3月31日までの規定では、初段以上で奨励会を退会した者は、2年間日本将棋連盟主催・共催等のアマチュア棋戦に参加できない。級位のものは1年間参加できない。

2006年4月1日改定の規定では、初段以上で奨励会を退会した者は、1年間日本将棋連盟主催・共催等のアマチュア棋戦に参加できない。

奨励会初等科[編集]

かつて存在した組織で、「名人の卵の会」とも呼ばれた。現在の研修会に近い存在だったが、研修会とは違い、級位は奨励会と連続していた。従って、7~10級は奨励会初等科の級位と位置付けられていた。初等科の経験者で棋士(あるいは女流棋士)となった者として、米長邦雄蛸島彰子野本虎次安恵照剛がいる。

実業家の角川歴彦は、高柳敏夫名誉九段門下で奨励会初等科に在籍した経験を持つ[26]

研修会[編集]

研修会は日本将棋連盟が将棋を通じて健全な少年少女の育成を目指すことを目的として運営している組織である。1983年発足[27]。関東、関西、東海、九州(2016年より)[28]の4地区にあり、それぞれ毎月2回の例会(対局。原則として毎月第2、第4日曜日)が行われる。

奨励会の下部組織と言われることがあるが、奨励会入会が基本的に19歳未満を年齢制限とし最低でアマ三・四段以上の実力が要求されているのに比べるとゆるく(アマ二段程度)、20歳までの在籍を認めるなど、必ずしもプロ棋士の養成を目的としない点で大きく異なる。一方で、奨励会入会試験に不合格であったプロ志望者の救済組織としても位置付けられている。研修会で実力を付けて奨励会入りを果たし、プロ棋士となった者も少なくない[27][29]

研修会のクラスはS、A1、A2、B1、B2、C1、C2、D1、D2、E1、E2、F1、F2という構成である[30]。B1在籍者がA2に昇級した時点で15歳以下、またはA1からSに昇格した時点で18歳以下であれば奨励会6級に編入できる[30]

昇級規定は下記の通り[30]

  • A、Bクラスへ - 8連勝・12勝4敗・14勝5敗・16勝6敗・18勝7敗
  • C、D、Eクラスへ - 6連勝・9勝3敗・11勝4敗・13勝5敗・15勝6敗
  • Fクラスへ - 3勝3敗

研修会への入会資格[編集]

「一般研修生」は、20歳以下のアマチュア有段者の少年少女[30]

「女流棋士希望研修生」は25歳以下の女性で、女流棋士を志望する者(23歳以上の場合はD1以上に合格しなければならない)[30]。一般研修生とは異なり、師匠が必要[30]

入会にあたっては試験が行われ、その結果に基づいて各クラスへの所属が決定する[30]

居住地による所属の制限はなく、入会希望者本人が合格後に在籍したい研修会の試験を受ける事になる。沖縄在住の者が関東研修会の試験を受ける事も可能で、合格し入会が認められれば沖縄在住のままでも関東研修会に在籍出来るが、複数の地区を掛け持ちする事は出来ない。止むを得ず所属を変更したい場合は移籍扱いとなる。

最下位のクラスであるFクラスでも、入会するにはアマ二段程度の実力が必要である[30]

女流棋士育成機関[編集]

2008年度まで存在した女流棋士育成機関である女流育成会を廃止し、2009年度から、女流棋士志望者は研修会に「女流棋士希望研修生」として入会するシステムとなった。

一般研修生と女流棋士志望研修生は、相互に対局し、昇級規定も同じである。

入会後の対局数が48局以上で、かつC1からB2へ昇級すると、女流2級の資格を得る[30]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中島富治は東京高等商業学校を卒業して[1]海軍主計科士官となり[2]、海軍主計中佐に至った人[3]。予備役編入後は株式会社高島屋呉服店の顧問を務めていた[3]。多くの棋士を後援しており[3]、理科系・文科系の双方の素養に優れ[4]、各新聞社も一目置く存在であり[1]、戦前の将棋界に大きな影響力を有していた[1]。1935年(昭和10年)に実力制名人戦が発足したのは主に中島の尽力による[4]。名人戦の基本的なシステムは、中島が考案したものが、平成の現在まで継承されている[1]。中島は1936年(昭和11年)6月29日に将棋大成会(日本将棋連盟の前身)が発足した際には「理事(顧問の役割[5])」に就任している[6]
  2. ^ 昭和6年当時の「日本将棋連盟」は、1936年(昭和11年)6月に「将棋大成会」となり[7]、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)4月に「日本将棋連盟」となって[8]、2017年現在に至る。
  3. ^ a b c 竜王戦と新人王戦と加古川青流戦には、奨励会三段からの出場枠はある。
  4. ^ NHK杯戦について、2016年は奨励会員の加藤桃子女流二冠(当時)が連盟推薦により女流枠で本戦に出場。2017年からは奨励会員も女流予選の出場が可能になり、加藤桃子女王が女流予選で勝利して本戦に出場した。
  5. ^ いずれもフリークラス編入後に公式戦で規定の成績を修め、順位戦C級2組へ編入した。
  6. ^ 現在では、C級2組から降級した場合、三段リーグではなく「フリークラス」に編入される

出典[編集]

  1. ^ a b c d 加藤治郎、原田泰夫 1999, pp. 195-197, 隆盛の礎を築いた明治生まれ(原田)
  2. ^ 加藤治郎、原田泰夫 1999, p. 218
  3. ^ a b c 加藤治郎、原田泰夫 1999, pp. 8-10, 師山本樟郎と出会う(加藤)
  4. ^ a b 加藤治郎、原田泰夫 1999, pp. 20-22, 実力名人制ついに発足(加藤)
  5. ^ a b c d e f 加藤 1987, p. 26, スポット1 奨励会の発足から現代まで(筆者:加藤治郎)
  6. ^ 加藤 1987, p. 35, 将棋大成会が1936年(昭和11年)6月29日に発足したことを伝える新聞記事
  7. ^ 加藤治郎、原田泰夫 1999, pp. 20-22, 小菅八段の調停で統一成る(加藤)
  8. ^ 加藤治郎、原田泰夫 1999, pp. 62-64, 三十八歳で引退を決断(加藤)
  9. ^ 加藤治郎、原田泰夫 1999, pp. 117-119, 後進の育成に尽力する(原田)
  10. ^ 里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花、奨励会1級編入試験に合格(2011年5月21日・日本将棋連盟)(2011年6月30日閲覧)
  11. ^ 公益社団法人日本女子プロ将棋協会 棋士規程 2018年6月20日閲覧(2017年10月21日時点のアーカイブ)
  12. ^ 「奨励会と女流棋士の重籍に関する件」について(2011年5月27日・日本将棋連盟)(2011年6月30日閲覧)
  13. ^ 女流育成会|棋戦|日本将棋連盟
  14. ^ a b 段と級 - 日本将棋連盟
  15. ^ 平成28年度奨励会入会試験のご案内 - 日本将棋連盟・2016年7月1日
  16. ^ 『将棋世界』2014年6月号 p.237(マイナビ出版)
  17. ^ 奨励会の年齢制限規定の変遷とそれにまつわる将棋ドラマ(2011年2月8日・田丸昇のと金 横歩き)(2013年5月16日閲覧)
  18. ^ 新人王戦における奨励会三段優勝者の規定について 日本将棋連盟 2014年1月14日
  19. ^ 昇段者は岡井、井田の2名。
  20. ^ 退会者は山岸。
  21. ^ 昇段者は古賀、服部、川村、小高、山川、横山、貫島、小山の8名。
  22. ^ 退会者は藤田、里見の2名。
  23. ^ 昇段者は徳田、相川、伊藤、宮田、齊藤の5名。
  24. ^ 退会者は甲斐、慶田、黒川の3名。
  25. ^ 昇段者は上野。
  26. ^ 鎗田清太郎『角川源義の時代 角川書店をいかにして興したか』角川書店 P.226
  27. ^ a b 丸山忠久九段の研修会時代 - 将棋ペンクラブログ・2013年11月10日
  28. ^ 日本将棋連盟九州研修会開設のお知らせ - 日本将棋連盟 2015年9月9日
  29. ^ 名人への道(1)「天才」たちの最初の「壁」奨励会:上 - 『朝日新聞2007年4月3日
  30. ^ a b c d e f g h i 研修会”. 日本将棋連盟. 2018年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月7日閲覧。

参考文献[編集]

  • 加藤治郎 監修 『[写真で見る]将棋昭和史』 毎日コミュニケーションズ、1987年 
  • 加藤治郎原田泰夫 『[証言]将棋昭和史』 (執筆)田辺忠幸、毎日コミュニケーションズ、1999年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]