木村一基

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 木村一基 八段
名前 木村一基
生年月日 (1973-06-23) 1973年6月23日(43歳)
プロ入り年月日 1997年4月1日(23歳)
棋士番号 222
出身地 千葉県四街道市
師匠 佐瀬勇次
段位 八段
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
2016年9月27日現在

木村 一基(きむら かずき、1973年6月23日 - )は、将棋棋士佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は222。千葉県四街道市出身。竜王戦1組通算8期、順位戦A級通算4期。

棋歴[編集]

幼稚園生のころ、近所に住む友人から将棋の動かし方を教わる。

小学校のころ、将棋教室の席主に佐瀬勇次八段(当時)を紹介され、そのまま入門した。[1][2]

小学6年の1985年の春、第10回小学生将棋名人戦でベスト8。この大会では野月浩貴が優勝、行方尚史が3位であった[1]

同年12月、6級で奨励会に入会。二段(1988年10月)までは順調に昇級・昇段する。しかし、そこから三段昇段までに約2年、さらには三段リーグを抜けるのに6年半かかり、プロ入り(四段昇段)したのは1997年4月1日、23歳のときという遅咲きであった。

1994年佐瀬勇次名誉九段が亡くなり、弟子だった沼春雄五段(当時)の門下生となる。

プロになってからの勝率は非常に高く、棋士仲間の間で「勝率君(しょうりつくん)」と呼ばれていたことがある[3]。プロ入り後の勝率が高いのは、持ち時間の違い(奨励会の対局は有段者の場合、1時間半)も一因ではないかと本人は語っている[1]。通算500局以上対局している棋士の中で通算勝率が7割を超えているのが羽生善治と木村の2名だけという状態が長く続いた。

1998年度、初参加の竜王ランキング戦で初戦を落とすものの、昇級者決定戦(敗者復活)で6連勝して5組へ昇級。さらには、2期目の参加となる第57期C級2組順位戦でも最終局を残しての9連勝のち1敗でC級1組への昇級を決め、この年度の将棋大賞の新人賞を受賞。

1999年度は、将棋大賞の勝率1位賞を受賞(0.797)。

2001年度、竜王挑戦者決定三番勝負で羽生と対戦。羽生を土俵際まで追い詰めたものの、敗退[4]。このとき、兄弟子の米長邦雄は、自身のネット掲示板で実況中継を行っていたが、局後、「この将棋は木村君の会心譜となるはずでした。」とコメントしている。同年度は、将棋大賞の勝率1位賞(0.8356 = 当時歴代3位)、最多勝利賞(61勝 = 歴代4位タイ)、最多対局賞を受賞。年度60勝を達成した棋士は、木村、羽生、森内俊之の3名しかいない[5]。特に、勝率8割と60勝以上を同時達成した例は、木村と羽生しかいない(羽生は1988年度に0.800、64勝)。

2002年度、新人王戦において、決勝三番勝負で鈴木大介を破って優勝[6]

2003年4月1日、竜王戦の昇段規定により七段昇段。これは、竜王戦の規定による昇段の条件(の一つ)が「竜王ランキング戦2回連続優勝」から「竜王ランキング戦2回連続昇級」へ緩和される前に達成された、難易度の高い昇段であった(同じ条件で昇段したのは、行方尚史のみ)。なお、昇級を決めた2002年秋に昇段しなかったのは、これも、昇段規定が旧規定であったためである(2001年12月27日に六段昇段してから1年以上経った年度始めに昇段)。さらには第16期(2003年度)竜王ランキング戦2組でも優勝。3年連続優勝・昇級で一気に1組入りをする。

2005年、竜王戦の挑戦者決定三番勝負において2-0で三浦弘行を破り、ついにタイトル初挑戦。挑戦を決めた対局の後、盤の前に一人残り、涙を流した[7]。しかし、七番勝負は渡辺明竜王に0-4で敗れる[8]

2006年度、第65期順位戦B級1組において1位(9勝3敗)の成績を挙げ、2007年4月、A級八段となる。

同じく2007年、竜王ランキング戦1組で優勝。さらに挑戦者決定三番勝負に進出するも、佐藤康光に1-2で敗れる[9]

2008年、自身4度目の竜王挑戦者決定三番勝負で、7年ぶりに羽生と挑戦権を争う[10]。さらに王座戦でも王座16連覇中の羽生への挑戦権を得、五番勝負を戦う[11](自身2度目のタイトル戦登場)。この2つの番勝負は日程が並行していたため、羽生との「八番勝負」のようになったが、いずれも敗退した(竜王挑決1-2、王座戦0-3)。

2009年度、第79期棋聖戦挑戦者決定戦(2009年5月7日)で、同棋戦初参加の稲葉陽を破り羽生棋聖への挑戦権を得る。さらに、第50期王位戦でも、羽生名人、渡辺竜王らを破って深浦康市王位への挑戦権を得、タイトル2連続挑戦。羽生との棋聖戦五番勝負は第3局まで2勝1敗でリードして、奪取にあと1勝としたが、第4局で敗れてフルセットの戦いとなる(第4局のネット中継では、最終盤に羽生の手が激しく震えたことが紹介された)。そして、第5局(2009年7月17日)は王位戦第1局(2009年7月13日 - 14日、木村の勝ち)より後に行なわれたが、羽生に敗れ、棋聖位奪取を逃す。また、王位戦七番勝負でも第3局まで3連勝したものの、第4局から4連敗を喫し、またしても初タイトル獲得に失敗している。七番勝負での3連勝4連敗は、将棋界では2例目である。これで将棋大賞の敢闘賞を受賞した。

デビュー以来第68期(2009年度)まで順位戦で13期連続負け越しなしを記録(勝ち越し12、指し分け1。A級では3期連続で5勝4敗)。その時点までA級経験者で順位戦の負け越しが一度もないのは、木村一基、木村義雄十四世名人(名人8期・A級2期で引退)、森内俊之(名人5期・A級17期)の3名だけであった。しかし、第69期(2010年度)A級順位戦で初の負け越しを喫した。

第4回(2010年度)朝日杯将棋オープン戦において、2011年2月12日に行われた準決勝(対渡辺明竜王)・決勝(対羽生善治名人)の2局で連勝し、全棋士参加棋戦での初優勝を果たす。しかし、3月2日に行われたA級順位戦最終戦で、残留争いの渦中にいた三浦に負け、B級1組への降級が確定。

2014年、第55期王位戦挑戦者決定戦(2014年5月26日)で千日手指し直しの末、千田翔太四段に勝利し、羽生王位への挑戦権を獲得するも、2勝4敗1持将棋で、タイトル獲得ならず。

2016年、第57期王位戦挑戦者決定戦(2016年6月1日)でも豊島将之七段に勝ち、2年ぶりに羽生王位への挑戦権を獲得。七番勝負は第5局の時点で木村が3勝2敗と先行、初タイトルまであと1勝と迫ったが、第6局と第7局で連敗。3勝4敗で木村のタイトル獲得は成らなかった。これで勝てば初タイトルとなる対局で8局連続敗北したことになる。またタイトル獲得無しの挑戦6回森下卓と並んで最多記録、更にタイトル棋戦の番勝負での10勝(22敗1持将棋)はタイトル未獲得の棋士の中では歴代単独1位である。

棋風[編集]

居飛車党の棋士。横歩取り8五飛戦法などの激しい将棋を指しこなすが、受けが得意であり、守りと粘りの棋風である。相手の攻め駒を逆に責めて攻撃を跳ね返す、強靱な受け潰しを見せる。守備駒として強力な竜馬を自陣に引き付けることも好む。時に、玉を守りに参加させる「顔面受け」を見せるなど、他のプロ棋士を驚かせることがある。

なお、柴田ヨクサル作の漫画「ハチワンダイバー」の登場人物である中静そよの異名「アキバの受け師」をもじって、「千駄ヶ谷[12]の受け師」と呼ばれることがある。

また、勝負をあきらめないという特徴があり、人によっては不利を認めて投了してしまうところ、木村の場合ははっきりするまで指し続ける場合が多い。木村曰く「相手が誰であっても信用しない」とのことである。実際、羽生善治は木村から1手詰みの頓死を食らったことがある(2001年竜王戦挑戦者決定三番勝負第1局)。その非常に粘っこい棋風を、先崎学は「『木村の玉を詰ますのは疲れる』ということばが業界にはあるくらい」「血液の中にナットウキナーゼが入っているんじゃないかという疑惑がある木村君」と表現している[13]

粘り強さの裏付けの一つに体力があり、同い年の行方尚史は木村について「彼は順位戦の後でも『欲しくなる』タフな男」と語っている[14]

人物[編集]

  • 解説者としては、丁寧でわかりやすく、時にとぼけたり、毒舌を交えたりするという、軽妙でサービス精神旺盛なトークをする。
  • 対局中の食事は、バナナ・ヨーグルト・チョコレート・コーラといったもので済ますことが多い。これは本人曰く、普通の食事では満腹感から集中力が低下するためである[15]。また、対局中によく梅のど飴を口に含む。食事に関しては、最近はしばしば「肉南蛮そば」を注文しており、「木村定跡」にも改良が加えられているようである(食事とおやつ 木村一基)。
  • 正月にNHK BS2で放送されるバラエティー番組「大逆転将棋」の中の企画である「脳内対局10秒将棋」で、2年連続優勝したことがある。しかし、2004年正月放送分で佐藤康光棋聖(当時)と戦ったときに、「駒台にない歩」を打って反則負けし、3連覇を逃した。
  • 趣味は昼寝である[16]
  • 1997年3月に亜細亜大学経営学部を5年かけて卒業し、同時にプロとなった。大学の後輩に伊藤真吾がいる。
  • 2001年11月に、当時日本将棋連盟の職員だった洋子夫人(旧姓 村松)と結婚[17][18]
  • 2012年度秋期のNHK将棋講座」の講師を担当。タイトルは「木村一基の先読み受け方エクササイズ」[19]

対局に関するエピソード[編集]

  • 1998年3月30日村山聖と対局(第39期王位戦挑戦者決定リーグ白組3回戦)して敗れた。村山は当該対局を最後に休場し癌の治療に専念していたが、対局に復帰することなく同年8月8日に29歳の若さで逝去。そのため当該対局は結果的に村山の絶局となった。
  • 2008年8月12日中原誠十六世名人との対局(第58期王将戦二次予選2回戦)で敗れたが、当該対局直後に中原が体調の異変を訴え、病院に緊急搬送される(脳内出血)。以降、中原は休場したが、これによる中原の最初の不戦敗の相手も木村であった(2008年8月21日予定の棋王戦3回戦)。中原は休場のまま2009年3月31日に引退したため、中原の最後の勝局(1308勝目)は、結果的に、前述の木村との対局ということになった。
  • 通算勝率が高いにもかかわらず、和服着用の対局では負けやすいというジンクスがある。2008年の公式戦の限りでも、A級順位戦最終局[20]NHK杯日本シリーズ王座戦すべてで負けている。2009年6月19日、棋聖戦五番勝負第2局で羽生善治に勝ち、ついに和服で初勝利。最後、羽生のを連続王手の千日手(反則)の筋に誘って受け切るという将棋であった。

昇段履歴[編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

主な成績[編集]

タイトル戦登場[編集]

  • 竜王挑戦 1回(2005年度 = 第18期)
  • 棋聖挑戦 1回(2009年度 = 第80期)
  • 王位挑戦 3回(2009年度 = 第50期、2014年度 = 第55期、2016年度 = 第57期)
  • 王座挑戦 1回(2008年度 = 第56期)
登場回数6、獲得0

一般棋戦優勝[編集]

優勝合計 2回

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第26回(1998年度) 新人賞
  • 第27回(1999年度) 勝率一位賞
  • 第29回(2001年度) 勝率一位賞・最多勝利賞・最多対局賞
  • 第37回(2009年度) 敢闘賞

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 木村一基七段に聞く - NIKKEI 将棋王国(日本経済新聞)2005年6月8日
  2. ^ リレーエッセーその39 妻の願い - 将棋パイナップル
  3. ^ NHKテレビで解説役の内藤國雄が証言。
  4. ^ 第14期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟)
  5. ^ 2008年度終了現在。ただし、羽生は4回達成。
  6. ^ 第33期新人王戦(日本将棋連盟)
  7. ^ 涙を流した様子は、囲碁・将棋ジャーナルで紹介された。
  8. ^ 第18期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟)
  9. ^ 第20期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟)
  10. ^ 第21期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟)
  11. ^ 第56期王座戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟)
  12. ^ 千駄ヶ谷は日本将棋連盟がある場所
  13. ^ 『先崎学の実況!盤外戦』(講談社文庫2006年)pp.54 - 55
  14. ^ 別冊宝島440『将棋これも一局読本』(宝島社、1999年)p.119
  15. ^ 2010年5月16日放送の囲碁・将棋ジャーナルでの発言など。
  16. ^ 棋士プロフィール|JTウェブサイト
  17. ^ 新婚2週間後の木村一基五段(当時)と夜の行方尚史六段(当時) - 将棋ペンクラブログ・2014年11月15日
  18. ^ リレーエッセーその38 思うこと - 将棋パイナップル
  19. ^ 将棋フォーカス|NHK囲碁と将棋
  20. ^ 対戦相手の佐藤康光はスーツであったのに対し、木村はあえて和服で対局に臨んだ。このとき佐藤はA級陥落の瀬戸際にあり、木村の和服着用は、兄弟子である米長邦雄の、いわゆる「米長哲学(理論)」の表れと、テレビ解説の深浦康市はコメントした。尚、木村本人は最終局にA級残留が掛かっていた久保利明が和服で対局に臨むと聞いて便乗したと囲碁・将棋ジャーナルで語った。
  21. ^ 当時の昇段規定では、竜王戦の規定といえども1年に2つ以上の昇段ができなかったため、六段免状発行から1年経過後の年度始めの日付で七段に昇段した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]