井上慶太

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 井上慶太 九段
名前 井上慶太
生年月日 (1964-01-17) 1964年1月17日(53歳)
プロ入り年月日 1983年2月4日(19歳)
棋士番号 157
出身地 兵庫県芦屋市
師匠 若松政和
段位 九段
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
2011年3月5日現在

井上 慶太(いのうえ けいた、1964年1月17日 - )は、将棋棋士、九段。若松政和門下。棋士番号は157。兵庫県芦屋市出身。順位戦A級通算3期。

日本将棋連盟棋士会副会長(2011年4月 - 2015年6月)、日本将棋連盟理事(2015年6月 - )。

棋歴[編集]

1978年、中学3年生のとき、中学生名人戦で準優勝(優勝は達正光)。翌1979年、高校選手権で3位となり、同年、奨励会に入会。高校1年での入会は非常に遅い方であるが、3年余り経った1983年にプロ入りを果たす。

1985年度、新人王戦で棋戦初優勝(決勝三番勝負の相手は森下卓)。翌1986年度には若獅子戦で優勝。1987年度の第36期王座戦南芳一米長邦雄真部一男を破りベスト4に進出した。翌1988年度の王座戦でも米長らを破りベスト4。しかし、当初は順位戦との相性は悪かった。1988年度の第47期順位戦C級2組では、勝てば昇級という最終局で逆転負けを喫する。しかし、兄弟子の谷川浩司から送られた「報われない努力はない」との手紙に勇気付けられ[1]、翌年、7期目の順位戦にして初の昇級を勝ち取る。

1993年度の第52期順位戦C級1組では、タイトル経験者の屋敷伸之郷田真隆らを破り10戦全勝でB級2組へ昇級。さらに、1995年度、1996年度の順位戦では、2年連続昇級を決めて、一気にA級八段となる。なお、1995年度(9勝1敗)におけるたった1つの黒星(1995年12月22日、対藤井猛戦)は、井上が居飛車穴熊に組もうとしたところ、「藤井システム」の前に47手で惨敗した一局である(対居飛車穴熊の藤井システムの1号局)。当時、井上の居飛車穴熊は天下一品と言われていたが、それゆえ、藤井の標的にされてしまった[2]

羽生善治1996年2月14日に七冠独占を達成した6日後の2月20日オールスター勝ち抜き戦で井上が羽生に勝ち、「羽生七冠に初めて勝った棋士」として話題となる。

初のA級順位戦(1997年度)では、最終9回戦の対島朗戦で横歩取り8五飛戦法[3]を用いて勝利。自身が5勝4敗でA級残留して米長邦雄(4勝5敗)をA級からの陥落に追い込み、また、同戦法が一躍注目を浴びるきっかけともなった。

翌年度(1998年度)のA級順位戦は、最終局で自分が負けても兄弟子の谷川が島朗に勝てば降級を逃れるという展開となったが、井上、谷川ともに敗れたことにより、井上は降級となってしまった。

竜王戦のランキング戦では、1993年度(第6期)に5組優勝、1996年度に4組優勝、1999年度に3組優勝、2001年度に2組優勝と、通算4回も優勝している。

2008年度の第67期B級1組順位戦で、混戦の中頭一つ抜け出して、A級復帰を決める。11期振りのA級復帰は、原田泰夫(14期振り)に次ぐ2番目の記録。

2011年3月3日の対局(第61期王将戦一次予選・対伊藤博文戦)で勝ち、八段昇段後250勝により九段昇段。なお、この時点での通算成績は、635勝456敗(勝率0.5820)。

2015年6月、日本将棋連盟の非常勤理事に就任。2017年2月に将棋ソフト不正使用疑惑の対応に追われ体調不良により辞任した理事の補欠選挙において立候補し、同常務理事となる[4]

棋風[編集]

人物・エピソード[編集]

  • 兄弟子である谷川浩司の良き飲み友達である。また、谷川と同じく大の阪神タイガースファン(阪神ファン)であり、谷川を特集した毎日放送情熱大陸』では、甲子園球場で谷川と一緒に阪神を応援している姿が放送された。谷川は「タイガースに対する思いは井上に負ける」と語っている。日本将棋連盟関西本部からタイガース所属選手に名誉段位や賞状などを贈呈する際は、阪神タイガースのレプリカユニフォームを着用している。
  • 1992年に結婚した妻は、かつて関西将棋会館の売店職員だった[5]
  • 地元の加古川市で将棋道場を開いている。
  • プロ棋士の弟子は稲葉陽(2008年4月)、菅井竜也(2010年4月)、船江恒平(2010年10月)がおり、3人共プロ入り直後から好成績を挙げている。
  • 順位戦A級・竜王戦1組在籍経験者でありながら、タイトル戦登場だけでなく、その挑戦者決定戦への進出もいまだに果たしていない。このことは「将棋界の七不思議」のひとつとされる。段位も九段でタイトル経験者でもありながらA級在位歴が無い、福崎文吾中村修とは逆の立場である。
  • 1981年の王位戦予選、淡路仁茂中田章道の339手に及んだ将棋で記録係を務めていた。深夜に及ぶ対局で催してしまい、限界になりそうなところ、当時奨励会員だった長沼洋が様子を見に来てくれたために、惨事を免れた。
  • 棋士仲間でのあだ名は「キューピー」である。これは顔の風貌と、笑ったとき頬にエクボが出来るからである[6]。ベビーフェイスなため、パンパースとも呼ばれていた。将棋ファンからは「ケイタ」と呼ばれることが多い。

昇段履歴[編集]

プロ入り後の昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1979年 6級 = 奨励会入会
  • 1981年 初段
  • 1983年2月4日 四段 = プロ入り
  • 1987年3月27日 五段 (勝数規定)
  • 1991年7月12日 六段 (勝数規定)
  • 1996年4月1日 七段 (順位戦B級1組昇級)
  • 1997年4月1日 八段 (順位戦A級昇級)
  • 2011年3月3日 九段 (勝数規定)

主な成績[編集]

棋戦優勝[編集]

優勝合計 2回

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第21回(1993年度) 勝率第一位賞

その他[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 将棋世界」(日本将棋連盟)2000年1月号付録より、これは村山聖を主人公とした漫画「聖 -天才・羽生が恐れた男-」(小学館)第6巻においても描写された。
  2. ^ 藤井自身がNHK将棋講座で講師を務めた際に語っている。
  3. ^ 中座真が同年度の8月26日に初めて指していた戦法である。
  4. ^ 日本将棋連盟新役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2017年2月6日
  5. ^ お気楽カフェ Vol.13 井上慶太八段
  6. ^ 「週刊将棋」第1回アマプロ平手戦観戦記(1985.9.4)など

関連項目[編集]

外部リンク[編集]