女流棋士 (将棋)

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女流棋士(じょりゅうきし)は、将棋を職業とする女性のことを指す(引退者も含む。退会者は含まない)。女流棋士には、日本将棋連盟所属の者、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の者、どちらにも所属していないフリーの者がいる。

概説[編集]

将棋界においては、「棋士の制度(男女の区別なし)」と「女流棋士の制度(女性のみ)」という2つのプロ制度が併存している[1]

囲碁界(日本棋院関西棋院)においては、男女の区別がない「棋士の制度」のみが存在し、囲碁界で用いられる「女流棋士」という言葉は、制度の違いを表すものではなく、「女性である棋士」を表すものに過ぎない。ただし、囲碁界での棋士の採用については、人気の高い女性棋士を増やして囲碁の普及に資するために、棋士採用枠とは別に、女性のみを対象とした女性棋士採用枠が設けられている[2]。当然ながら、棋士採用枠で女性が棋士に採用されることも可能であり、2004年に採用された謝依旻[2]など何名かが一般枠で棋士となっている。

棋士と女流棋士[編集]

将棋の棋士の制度に男女の区別はなく、新進棋士奨励会が1928年(昭和3年)に創設されて以来「奨励会に入会し、昇級昇段規定を満たして四段に昇段すること」のみが棋士となる要件である[3][注釈 1]。2018年現在までに、奨励会に入会した女性は多数存在する。しかし、里見香奈(退会)と西山朋佳の2名が奨励会三段に昇段したのが最高であり、四段に昇段して棋士となった女性は未だ出ていない[6]

一方、女流棋士の制度は女性だけに適用されるもので、上述の棋士の制度から分離されたものであり、女性への将棋の普及を目的とする側面を持っている。

女性と奨励会[編集]

蛸島彰子が1961年に高校1年で女性として初の奨励会員になった際は[7]日本将棋連盟の副会長であった丸田祐三らの裁量により[8]、正規の昇級規定「6連勝・9勝3敗・11勝4敗・13勝5敗・15勝6敗」が緩和され[9]、蛸島のみの昇級規定「4勝4敗(指し分け)」が適用された[9]。この緩和された昇級規定により、蛸島は高校3年で1級に昇級し、20歳になった1966年の4月、結婚を機に奨励会を退会する際に初段の免状が授与された[9][注釈 2]

以後、多くの女性が奨励会に入会したが、正規の昇級昇段規定が適用されるため、2011年までに、岩根忍・甲斐智美・伊藤沙恵・加藤桃子の4名が1級に昇級したのが最高であった。

2011年5月に里見香奈が1級で奨励会に入会すると、8か月後の2012年1月に、女性としては初めて正規の昇級昇段規定によって初段に昇段した。その後2013年7月に二段に昇段し、同年12月に三段に昇段した。いずれも女性としては史上初となる。奨励会三段リーグでは3期の休場を挟んで計5期出場したが、2017年度後期の第62回三段リーグを最後に年齢制限により退会となった。

西山朋佳は2014年1月に18歳6か月で初段昇段した。西山は2010年3月に14歳・6級で関西奨励会に入会しており、6級で奨励会に入会した女性としては初めて正規の基準で初段に昇段した。同年9月に19歳2か月で二段、2015年12月には20歳5か月で三段に昇段した。いずれも女性としては最年少の昇段記録となる。奨励会三段リーグ在籍中の2018年には、マイナビ女子オープンで初の女流タイトルとなる女王位を獲得した。

加藤桃子は2006年9月に関東奨励会に入会し、2014年5月に19歳で初段に昇段した。これに先立ち、2011年には第1期女流王座戦に奨励会員として参加し、初の非女流棋士としての女流タイトルホルダーとなって防衛1回、初段昇段の直前にはマイナビ女子オープンで里見から女王位を奪取しており、初段昇段前に女流棋士ではない身分で女流タイトルを3期獲得していた。

2018年6月現在、初段以上の女性奨励会員は、西山朋佳(三段)・加藤桃子(初段)・中七海(初段)の3名である[10]

1998年までは、中井広恵碓井涼子矢内理絵子らが女流棋士と奨励会の掛け持ちをしていたが、1998年途中からは掛け持ちは認められなくなり、奨励会に籍を置く際には女流棋士を休会しなければならなかった(1998年の甲斐智美の休会が初のケース)。その後、2011年5月に既に女流タイトルを6期獲得し、女流棋士として顕著な実績を上げていた里見香奈が、奨励会の1級編入試験を受験し合格した[11]のを機に、掛け持ちが再び解禁された[12]

しかし里見の奨励会退会後の現在は、女流棋士と奨励会の掛け持ちは再度認められなくなっている[13]

活動[編集]

女流棋士の主な仕事としては女流公式戦の対局(現役のみ)、普及活動、メディア出演、イベント出演、指導対局、講座、講演、聞き手、将棋教室、記録係などがある[14]。しかし対局以外については、特に決まりがあるわけではないのでそれぞれのやり方に委ねられている。

スポーツ選手などと異なり、現役を引退した女流棋士も、女流公式戦の対局ができなくなるだけで、それ以外の女流棋士としての活動(身分)には変化がない。

女流公式戦[編集]

現役の女流棋士(女流3級を含む、休場中の者を含まない)は、8つの女流公式戦(女流タイトル戦が7つ、女流一般棋戦が1つ)に参加するのが原則義務である。2018年現在に至るまで「棋士」は男性しか例がないため、便宜的に、棋士を「男性棋士」、棋士の公式棋戦を「男性棋戦」とそれぞれ呼ぶことがある。

将棋ネット中継[編集]

ネット動画中継を手掛けるニコニコ生放送が、2011年にタイトル戦の生中継を開始した[15]。タイトル戦は午前9時に始まって夜まで続く。これを、時間の制約が緩く[16]、視聴者からのコメントという双方向のやり取りが可能なネット動画中継の利点を活かして最初から最後まで完全中継することで[16]、ニコニコ生放送は「将棋ネット中継」というコンテンツを何もないところから作り上げた[15]

2017年にAbemaTVが将棋ネット中継に新規参入した[15]。同年、藤井聡太の活躍などによって空前の将棋ブームが起きた[17]。この将棋ブームは2018年現在も継続し、様々な分野に広がりを見せている[18]

将棋ブームを受け、ニコニコ生放送・AbemaTVの2つの事業者が、タイトル戦に限らずに多くの対局をネット中継するようになった[16]

女流棋士は、NHK杯テレビ将棋トーナメントなどで以前から「聞き手」を務めてきた[19]。しかし、聞き手の女流棋士の役割は、ニコニコ生放送・AbemaTVの2社による将棋ネット中継では格段に大きくなり、番組の進行に欠くことのできない、一般のテレビ番組の「司会者」に相当するものとなっている[19]

将棋ネット中継の大半の時間は、解説者たる棋士と、聞き手たる女流棋士のトークで占められるため、将棋ネット中継を視聴することで棋士・女流棋士のファンになる例も多く、将棋界の未来を大きく広げる可能性を有している[19]。将棋ネット中継の隆盛は、女流棋士の仕事の場(=収入を得る機会)、ひいては存在価値を大きく増やしている。

女流棋士の中でも、とりわけ「名聞き手」として知られる中村桃子は、ネット将棋中継で聞き手を務めることは、報酬を得られる仕事であると同時に、将棋を研究できる機会でもあり「実に『役得』である」と語っている[19]

待遇[編集]

棋士・女流棋士のいずれも個人事業主である[20]

棋士[編集]

2011年度に日本将棋連盟が公益法人に移行するまで、男性棋士は一般企業の社員のような待遇を受けており、月給と年2回の賞与が支給され、厚生年金社会保険も完備していた[21]2017年現在、男性棋士の平均年収は500万円 ‐ 700万円とされる[22]

女流棋士[編集]

2005年時点の状況は次のとおりであった[23]。給料はなく、国民年金と国民健康保険は全額自己負担であり、「日本将棋連盟のアルバイト」の待遇であった[23]。女流棋士が連盟から受け取れるのは女流公式戦の対局料のみで、女流棋士の平均額は年間100万円程度であり、清水市代が女流4タイトル独占(1996年度・1998年度、当時の女流タイトルは4つ)を果たした時に年間1千万円を超えた例があるのみであった[23]。仮に1勝もできなければ、対局料は年間15万円程度に過ぎなかった[23]。人気女流棋士は対局料以外の収入(イベント出演・アマチュアへの指導など)で補うことができたものの、コンビニエンスストアでアルバイトをして糊口を凌ぐ女流棋士も存在した[23]

その10年後の2015年渡辺弥生(女流初段、35歳)は、女流公式戦の対局に、記録係・アマチュアへの指導・観戦記執筆などをこなして、一人で生活できる程度の収入は得られており、大学を出て普通に就職するより[注釈 4]、女流棋士になって良かったと述べた[24]

連盟の運営への女流棋士の関与[編集]

1974年に女流棋士制度が発足してからも、長きにわたり、日本将棋連盟の正会員として、棋士総会に出席して議決権を行使できるのは棋士のみであった。女流棋士が日本将棋連盟の運営に関与できない状況が続いていた。

しかし、2010年11月12日に行われた日本将棋連盟臨時総会で、「女流四段以上またはタイトル経験者」である女流棋士を正会員とすることが決議された[25]。同日時点での該当者は、甲斐智美女王・女流王位、里見香奈女流名人・女流王将・倉敷藤花、清水市代女流六段、関根紀代子女流五段、長沢千和子女流四段、斎田晴子女流四段、矢内理絵子女流四段、千葉涼子女流三段(タイトル経験者)、および、引退女流棋士の谷川治恵女流四段であり(肩書・段位は2010年11月12日現在)、日本将棋連盟所属の存命女流棋士42名のうち9名が正会員となることが決まった。

2011年4月1日付で、社団法人日本将棋連盟が公益社団法人となると同時に施行された定款では、下記のように規定されている(『第1項』『第2項』は理解の便のため引用者が挿入)[26]
「第3章 会員
(会員の構成)
第5条
第1項 本連盟に次の会員を置く。
(1) 正会員 本連盟の目的に賛同し入会した者で日本将棋の伝統を存続し、 普及発展を図るため棋力が一定の水準に達したことを理事会で確認した棋士(四段)、女流棋士(日本将棋連盟所属、タイトル獲得者又は女流四段以上)とする。
(2) 準会員 本連盟の目的に賛同し入会した者で日本将棋連盟の伝統を存続し、普及発展を図るため棋力が一定の水準にある女流棋士(女流2級から女流三段)、指導棋士とする。
(3)略
(4)略
第2項 前項の正会員をもって一般社団法人及び一般財団法人に関する法律上の社員とする。」

2017年(平成29年)3月31日現在の日本将棋連盟正会員たる女流棋士は12名である[27]

さらに、清水市代が2017年5月に日本将棋連盟常務理事に就任し[28]、女流棋士として初めて、連盟の業務執行に携わることとなった。

女流棋士になる条件[編集]

女流棋士になるには、以下の方法がある。

日本将棋連盟の規定[編集]

女流2級昇級規定[編集]

満27歳未満の女性で以下のいずれかの条件を満たした者は、女流2級の資格を得る[29]。資格獲得後所定の期間内に、プロ棋士または女流棋士(引退者も可)を師匠として日本将棋連盟へ申請を行い、常務会の承認を受けた日の翌月1日時点で女流2級となる。女流2級昇級後半年間は研修期間として、公式戦の棋譜採譜などの義務が課される。また、研修会・アマチュア時代に女流棋士昇級昇段規定で女流1級以上に昇級昇段できる成績を修めていてもこの時点では適用されず女流2級からのスタートとなる。
研修会から女流棋士へ[編集]
研修会でB2クラスへ昇級するか、あるいは最初からB2以上へ入会し、入会後48局以上の対局数を満たす女流棋士志望の研修生は、女流2級の資格を得る。B2在籍開始時点で48局の対局数に満たない場合は対局数を満たした時点で女流2級の資格を得、この間にC1以下に降級したときは資格を取り消される。女流2級申請資格の有効期間は1年間であるが、資格獲得日から2週間以内に申請を行わない場合、半年間は新たな申請ができない。申請を行わなかったときは半年後と1年後にそれぞれ2週間の申請期間が設けられ、1年後に申請を行わなかった場合資格は消滅する。また、この期間中に研修会から退会、または長期休会した場合も資格は消滅する。
アマチュアから直接女流棋士へ[編集]
アマチュア出場枠のある下記の公式棋戦で所定の成績をおさめた場合に、研修会・奨励会を経ずに女流2級になる資格(権利)を得られる(研修会員もアマチュア枠での出場は可能)。ただし、権利を得た日から2週間以内に日本将棋連盟へ申請を行わない場合、権利は消滅する。この制度を利用して女流棋士になったのはLPSAに申請した礒谷真帆[30]、2018年11月1日)。

新進棋士奨励会員(2級以上)から女流棋士へ[編集]

奨励会を2級以上で退会した女性には、即、女流棋士になる権利が発生する。この権利を行使すると、奨励会退会時の奨励会員としての段級位が、そのまま女流棋士としての段級位になるが、奨励会員時に女流棋戦に参加して女流棋士の昇段級規定をクリアしていれば、即日該当する段級位が適用される。この制度を利用して女流棋士になったのは岩根忍(奨励会1級→女流1級、2004年4月1日)と伊藤沙恵(奨励会1級→女流初段[注釈 5]、2014年10月1日)の2名。

日本女子プロ将棋協会の規定[編集]

日本女子プロ将棋協会(LPSA)においては、発足当初は独自の棋士規程を定めていたが、2014年5月[31]と2018年4月[32]の二度の改定により、女流棋士になるための条件は連盟のものとほぼ同一となった。ただし、LPSAの規程では以下の点が異なる。

  • 師匠の有無を不問とする
  • アマチュアから女流2級でプロ入りする際の年齢制限が「満40歳未満」である

かつての制度[編集]

日本将棋連盟[編集]

女流育成会時代[編集]
  • 女流育成会で所定の成績を収めること。
    • 2003年後期 - 2008年度後期の条件: 女流育成会で昇級点(=1位)を累積2回
    • 2003年前期までの条件: 女流育成会Aクラスで1位を1回
女流育成会終了後2017年度まで[編集]
研修会から女流3級を経て女流棋士へ(2009年度~2017年度)[編集]
研修会でC1クラスへ昇級し研修会入会後48局以上の対局数を満たしていると女流3級[注釈 6]になる資格(権利)を得られた。C1クラスに昇級しても、対局数を満たさないと資格を得ることはできない[33]。この制度で女流3級の資格を得た初のケースは、室谷由紀である(2009年6月28日に関西研修会でC1に昇級)[34]。なお、女流3級となる以前にアマチュア扱いで参加した女流棋戦において、「女流棋士の昇段級規定の『女流1級』に該当する」成績を上げた場合、女流3級を経験せずに直接女流2級となる[35]
申請をすると、ひとまず女流3級になり、女流の公式戦に参加となった。女流3級から正規の女流棋士(女流2級)になるためには、下記のいずれかの条件を満たすことが必要であった。
  1. 1年間で参加公式棋戦数と同数の勝星を得る(2017年度では年度7勝以上)。
  2. 2年間で参加公式棋戦数の4分の3以上の勝星を得る(2017年度では2016年度からの2年間で11勝以上)。
  3. 女流棋士の昇段級規定の「女流1級」に該当した場合。
  4. 女子将棋YAMADAチャレンジ杯でベスト4に進出した場合(2016年より)。
2年間で上記のいずれも満たせなかった場合は、女流3級の資格を取り消される。その場合でも年齢制限に達していなければ、再度研修会から女流棋士資格をめざすことが可能であった。
2018年度の女流2級昇級規定の設置により、2017年度末において女流3級である女流棋士と、2017年度末に研修会に所属する女流棋士志望の研修会員で旧規定を選択する者を除いて、女流3級制度は消滅した。後者の研修会員については、2018年5月末日までに、新規定と旧規定のいずれかを選択し、旧規定を選択した者のみ2019年3月31日までの間女流3級の申請が可能となる。ただし、資格を得てから2週間以内に申請せねばならず、また申請は1度に限られる。
アマチュアから女流3級を経て女流棋士へ(2013年度~2017年度)[編集]
アマチュア出場枠のある公式棋戦で本戦ベスト8に進出した場合に、研修会・奨励会を経ずに女流3級になる資格(権利)を得られた[36]。ただし申請時点で27歳未満であること、連盟所属の場合は師匠がいること(不在の場合は半年以内に師匠を決めること)、未成年者の場合は親権者または保護者の同意があることが必要[36]。また申請は資格取得から2週間以内に行う必要がある[36]
女流3級になってからの処遇は基本的に研修会経由の場合と同じだが、例外規定として、アマチュア出場可能棋戦でそのまま本戦ベスト4に進出した場合は即時女流2級に昇級する。また資格を失った時に研修会に入会できる規定はない。
なお資格を失った場合、再度公式棋戦で前述の条件を満たせば、最大3回まで資格(権利)を再取得することが可能であった。

日本女子プロ将棋協会[編集]

2012年7月1日から2014年改定までは[37]、以下のLPSA主催棋戦の戦績をもって2級ないし3級になるものとしていた[38]

  • 日レス杯または天河戦:優勝1回ないし準優勝2回
  • 1dayトーナメント:個人戦で優勝3回
  • 女子アマ王位戦・小学生中学生女子将棋名人戦:優勝3回ないし準優勝4回以上

引退[編集]

「自らの意志による引退」と、『女流棋士総則』の『降級点規定』による引退(後述)[39]が存在する。

ただ引退後も、公式戦にアマチュアとして出場することは可能である。過去に女流王座戦アマチュア予選では、藤田麻衣子・山下カズ子(本名の「中川カズ子」名義)がアマチュアとして出場したことがある[40]

LPSA所属の山下カズ子は規定により2012年3月31日付で(女流棋士としての)公式戦出場資格が無くなったが、LPSA公認プロ資格である「ツアー女子プロ」に転向した(2015年からはツアー女子プロを廃止しLPSAプロ)。LPSA公認棋戦には引き続き出場している[41]

降級点規定[編集]

女流棋士は、年度成績の順位下位者に該当すると降級点がつく。ただし出産・病気による休場の場合は、降級点の対象外となる。

  • 女流棋士は、3つ目の降級点がつくと引退となる。
  • 女流棋士は65歳の誕生日を迎えた年度まで現役を続けることができる。
  • ただし、65歳になった年度終了時に降級点を1つも持っていない場合、翌年度も現役を続けることができる。
  • 女流棋士は65歳を過ぎると、降級点が1つでもつくと、その年度をもって引退となる。

降級点の人数は、当該年度の起点となる4月1日現在の女流2級以上の女流棋士数を基準とする。ただし、4月1日現在の休場者数は基準人数に含まない。

  • 降級点の人数は、基準人数36名のときに降級点の人数を1名とし、その後は、基準人数が5名増えるごとに、降級点の人数が1名ずつ増える。
  • 年度途中に自主引退者が出た場合は、降級点の人数から自主引退者の人数を引き算した数が、その年度の降級点の人数となる。
  • 年度途中に休場者が出た場合も、原則として、降級点の人数は変動しない。
降級点の決め方
  1. 降級点は、女子将棋YAMADAチャレンジ杯を除く女流6棋戦における活躍度によって年度成績の順位を決定し、その順位下位者から順につく。
  2. 年度成績の順位を決める棋戦サイクルは、便宜上、大山名人杯倉敷藤花戦、リコー杯女流王座戦、マイナビ女子オープン、女流王位戦(予選)、岡田美術館杯女流名人戦(予選)、霧島酒造杯女流王将戦(予選)までとする。
  3. 女流王位戦の予選免除者(前期挑戦者決定リーグ残留者)、岡田美術館杯女流名人戦の予選免除者(女流名人リーグ残留者)、霧島酒造杯女流王将戦の予選免除者(本戦シード者)は、前期の実績を活躍度とする。
  4. 出産・病気による休場者は、休場の時期に関わらず、休場期間を含む当該年度において降級点の対象外となる。
  5. 出産・病気以外の理由による年度単位の休場者には、年度終了時に降級点0.5がつき、0.5の降級点は2回で降級点1となる。
  6. 出産・病気以外の理由による年度途中の休場者は、年度成績の順位下位者に該当した場合、降級点の対象となる。
  7. 当該年度における年度成績の順位に差がない場合は、前年度の年度成績に遡って順位を決定する。前年度の年度成績でも差がない場合は、そのさらに前年度と1年ずつ遡って順位を確定する。
降級点の消し方
  1. 女流1級の昇級規定に該当した場合、降級点を取り消すことができる。ただし、女子将棋YAMADAチャレンジ杯による昇級規定は対象とならない。
  2. 年度内指し分け以上には、女子将棋YAMADAチャレンジ杯の成績を含まない女流6棋戦の良い所取りで6勝指し分け以上も対象となる。
  3. 降級点の消し方について、複数の規定に該当した場合も、年度内に消せる降級点は1つとなる。

歴史[編集]

前史[編集]

江戸時代後期、1809年大橋浪女(おおはし・なみ)二段が福島順喜七段と飛車落ちで指した棋譜が残っており、これが女性が指した最も古い棋譜とされている[42]。 大橋浪女は、飛車落ちの手合いながら、当時の強豪棋士だった福島に102手で勝利している[42]。大橋浪女の具体的な活動は不明だが、大橋という名字、女性ながら二段を名乗っている事などから、女性の棋士[注釈 7]として活動していたとされる[42]。その後、池田菊女水野こう女などが女性の棋士として活動し、当時の将棋番付に名を連ねていた[43]

しかし、明治から昭和中期までの期間、賭け将棋が横行したことなどが影響し、将棋を指す女性はほとんどいなくなった[43]

レッスンプロ時代[編集]

1961年に、蛸島彰子奨励会に7級で入会し、史上初の女性奨励会員となった[8]。蛸島が奨励会員であった時期(1961年 - 1966年)に、日本将棋連盟会長(1961年5月 ー 1967年5月[44])であった原田泰夫の肝煎りで日本将棋連盟の女性教室が創設された[8]。1968年には女流アマ名人戦[注釈 8]が創設された[45]

1966年に奨励会を退会すると同時に初段になった蛸島彰子について[9]スポーツ報知は「(19)67年に初の女流棋士になった」としており[46]日本将棋連盟の機関誌『将棋世界』2018年9月号に掲載された蛸島のインタビュー記事に記載された蛸島の経歴には「(19)67年、女流二段」とある[8]。未だ女流棋戦が存在しないため、蛸島はレッスンプロとして、将棋連盟の女性教室の講師を務めるなど、普及活動で生計を立てていた[9]。蛸島はNHK杯の棋譜読み上げを務めるようになり[9]、20年以上続けた[8]。1972年には、山下カズ子も女流1級となった[47]

1968年の第1回女流アマ名人戦で優勝した関根紀代子(当時は旧姓:吉田)は[45]、アマチュアの女性強豪として著名であった[48]。関根は多くの棋士に声をかけられて各地での普及活動に携わっており、実質的なレッスンプロの立場にあった[49]

将棋連盟の女性教室の参加者が増え、女流アマ名人戦が回数を重ねるなど、将棋を指す女性が次第に増加し、現在の女流棋士の制度に相当する「女流プロ制度」を創設する機運が高まってきた[48]。そうした中で、奨励会出身の蛸島と、純粋なアマである関根を対戦させてみたい、と将棋界が盛り上がったことが、女流棋戦・女流棋士制度を創設する決め手となった[48]

報知新聞の編集局長と関根紀代子は旧知の間柄であり[49]、報知新聞社がプロ野球のオフシーズンに紙面で取り上げる題材を探していた経緯もあり[48]、報知新聞社の全面協力によって最初の女流棋戦が創設される運びとなった[49]。関根紀代子、夫の関根茂、連盟理事を務めていた米長邦雄の3名の尽力があった[49]

女流棋士の誕生[編集]

1974年、最初の女流棋戦として、報知新聞が主催する女流名人位戦(現・女流名人戦)が創設された[48][注釈 9]。同時に下記の6名が1974年10月31日付で制度上の女流棋士となった[48]。この6名が女流棋士1期生である[51]

  • 蛸島彰子…女流三段。奨励会を経験した唯一の女性でレッスンプロ二段として活動[48]。2018年現役引退。
  • 関根紀代子…女流二段。蛸島に匹敵する棋力の女性アマとして活動[52][48]。2011年現役引退。
  • 多田佳子…女流二段。女流アマ名人戦を4度優勝するなど活躍[48]。2004年現役引退。
  • 山下カズ子…女流初段。1972年に女流1級になっていた[47]。2012年現役引退。
  • 寺下紀子…女流初段。1962年に始まった将棋連盟の女性教室の第一号で成績優秀者[53]。1985年現役引退。
  • 村山幸子…女流初段。同成績優秀者。1989年現役引退。

日本将棋連盟は、女流名人位戦が開始された1974年に女流棋士が誕生したとしており、2014年6月28日に女流棋士会の主催で「女流棋士発足40周年記念パーティー」が開かれた[51]

女流棋士による史上初の公式戦は、1974年10月31日に東京・将棋会館で行われた、第1期女流名人位戦の予選、寺下紀子女流初段 - 村山幸子女流初段の対局である。

第1期女流名人位戦では、蛸島は別格とされ、他の5人によるトーナメントの優勝者と蛸島が三番勝負を行い、勝者が初代女流名人となるシステムであった[48]。関根が三番勝負に進むと思われていたが[48]、挑戦者決定戦で寺下が関根を破った[49]。蛸島と寺下による第1期女流名人位戦三番勝負は1974年11月に行われた[48]。持ち時間は各3時間であった[48]。第1局の振り駒で先手番となった蛸島が第1局・第2局を連勝して三番勝負を制し、第1期女流名人となった[48]。蛸島は女流名人位戦で3連覇を果たしたが、第4期で山下に奪取された[48]

女流棋戦(女流タイトル戦)は女流名人位戦1つしかない状態が続いていたが、関根が懇意な愛棋家から「自分がスポンサーになるので、新しい女流タイトル戦を始めたらどうか」という申し出を受けたのがきっかけで、1978年に2つ目の女流タイトル戦「女流王将戦」が創設された[49]。蛸島が第1期女流王将となり、第3期まで3連覇を果たした。女流名人位戦では1981年の第8期まで蛸島・山下がそれぞれタイトルを4期づつ獲得しており、蛸島・山下の二強時代を形成した。

女流三強の台頭[編集]

1980年、林葉直子が中学生で女流2級としてプロ入りし、1981年に第4期女流王将戦で女流王将を史上最年少の14歳3か月で奪取すると、中学生タイトルホルダーとして話題を呼び、女流棋士の認知度を大いに高めた。その後、林葉は女流王将を10連覇(同一女流タイトル連覇記録)するなど、80年代から90年代前半を代表する女流棋士となった。

続いて中井広恵が1981年に小学生(11歳10か月[注釈 10])で女流棋士になると、1985年に林葉から女流名人を16歳6ヶ月で奪取。1992年にはクイーン名人を獲得した。また男性棋戦でも1993年に竜王戦池田修一に勝利し、女流棋士の公式戦対局39局目にして初めて勝利した。

それまでは、女流棋士になるには、ある程度の実力を持ち、棋士の推薦があればよかったが、1983年に女流棋士の育成機関として女流育成会が発足し、そこで所定の成績を収めなければならなくなった。女流育成会の卒業生第1号が清水市代で1985年4月に女流2級としてプロ入り。清水はプロ入り二年目の1987年に中井から女流名人を奪取すると、その後は林葉、中井とともにタイトル戦の常連となり、女流三強を形成した。

同じ1980年代から90年代前半には、女流名人位戦女流王将戦の2つの女流タイトル戦に続き、1987年度に女流一般棋戦「レディースオープントーナメント」、1990年度に3つ目の女流タイトル戦「女流王位戦」、1993年度に4つ目の女流タイトル戦「大山名人杯倉敷藤花戦」が次々に創設され女流公式戦が増加した。

1989年には、女流棋士発足15周年パーティが開催されたのを契機に、女流棋士会が発足した。

林葉直子は1994年6月に2日連続で対局放棄を行い、3か月間の対局停止処分を受けた[54]。翌年の1995年には将棋連盟を退会して将棋界を去った[54]。その後もヌード写真集の出版、某棋士との不倫騒動などの騒動を起こした[54]。 この当時、女流棋士は自らの職業を名乗ると「あの林葉直子の」と反応されることが多く、非常に辛かったという[55]


清水・中井の二強時代[編集]

1996年度の第18期女流王将戦五番勝負では、女流棋戦としては史上初の海外対局として、第1局がアメリカアトランタで行われた[56]。第1局に勝利した清水がそのまま女流王将を獲得し、女流四冠独占を達成した(清水は98年度に2回目の女流四冠独占を達成)。同じ1996年度には、女流一般棋戦「鹿島杯女流将棋トーナメント」(2006年度で終了)が創設された。

中井も2002年に史上二人目の女流三冠を達成。これらの活躍で2人とも理事会審議を経て前例のない女流六段に昇段するなど、清水・中井の二強時代が長く続き、タイトルもほぼ2人で独占。2007年の倉敷藤花戦まで両名のいずれかがタイトル戦に出続けた。

一方で2000年代半ばあたりから、矢内理絵子が女流名人や女王石橋幸緒が女流王位、千葉涼子が女流王将をそれぞれ清水・中井から奪取するなど、「花の55年組」「若手三羽ガラス」が、二強の牙城に割って入るようになった。

2007年度に女流一般棋戦「大和証券杯ネット将棋・女流最強戦」(2012年で終了)が創設され、2008年度[57]には5つ目の女流タイトル戦「マイナビ女子オープン」(レディースオープントーナメントが発展解消)が創設された。

また2008年10月に、同年度(30期)限りでの女流王将戦の休止が決まったが、2009年7月に再開が決定し、同年10月に31期女流王将戦が実施され、女流タイトル戦の減少が回避された。「女流王将戦#休止と再開」を参照。

2005年、61年ぶりに実施された日本将棋連盟のプロ編入試験では、中井が女流棋士として唯一の試験官に選ばれ、受験者の瀬川晶司と六番勝負の第4局で対局した[58]。この対局は瀬川が勝利した[59]

2010年には清水が女流プロとして初めてコンピュータ将棋『あから2010』と対戦したが、敗れた[60]

日本女子プロ将棋協会の設立[編集]

2006年11月、女流棋士会日本将棋連盟から独立する動きが報じられた。女流棋士は対局料などの面で棋士と格差があること、棋戦を自ら運営できないこと、連盟の意思決定に参画できないこと、などの点で待遇改善を求める声があった。また、将棋連盟としては引き止めるどころかむしろ、独立を促すような言動があったとされている[61]。女流棋士会側ではこれ以前から制度委員会を発足させており、独立も視野に入れて体制改革への意見集約が進められていた。

同年12月1日、女流棋士会は臨時総会を開き、独立に向けた新法人設立のための設立準備委員会の設置を賛成多数で可決した。しかし、「これで独立が決まった」と解釈する者と「単に設立準備委員会の設置のみが決まった」と解釈する者とがいた[62]。独立に至る過程で、準備委員会と連盟理事会との間の交渉が難航し、また、女流棋士の中の意見も一つにまとまらなかったため、結果的に56名(引退女流棋士を含む)中39名の女流棋士が残留を表明し、女流棋士会は分裂することとなった。2007年4月24日に、連盟の米長邦雄会長、西村一義専務理事、田中寅彦常務理事から正式な説明と発表がなされた[63]

2007年5月30日に、日本将棋連盟を退会した女流棋士17名によって「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」が設立された。

女流棋界の変革[編集]

1983年に設立された女流棋士育成機関である女流育成会は、2008年度限りで廃止された。2009年度から、女流棋士育成の機能は研修会(男女混合)に移行し、研修会で一定のランクに昇級した者が女流棋士になれる制度となった[64]。また2013年には、女流公式戦で顕著な実績を挙げたアマチュア女性選手が、研修会を経ずに女流棋士になれる規定が設けられた[65]

2009年4月、日本将棋連盟が、棋士・女流棋士の両方を含む新たな棋士会を創設。女流棋士会は棋士会の中の組織とされ、そのまま存続したが、一時は役員が置かれなかった。

2011年度には、6つ目の女流タイトル戦「リコー杯女流王座戦」が創設され、同時に女性奨励会員の女流棋戦参加が解禁され[12]、女性奨励会員が、参加資格を女流棋士に限定していない女流王座戦マイナビ女子オープンに参加できるようになった。これにより加藤桃子奨励会1級、伊藤沙恵奨励会1級らが女流王座戦に参加した。その中で加藤が勝ち上がり、五番勝負で清水市代を破り、初代女流王座に輝いた。女流棋士資格を持たない現役奨励会員が女流タイトルを獲得したのは史上初である。その後、里見に続いて奨励会で三段となった西山朋佳が2018年に女王のタイトルを獲得した。

2012年7月、LPSA渡部愛を独自の規定によって女流3級と認定したことに端を発し、日本将棋連盟、棋戦主催社、LPSAの間で深刻な問題が発生した。その後、2014年6月に連盟とLPSAの間で和解が成立した。

女流棋界の現在[編集]

里見香奈は、2008年に倉敷藤花戦で初タイトルを奪取すると次々にタイトルを奪取、特に2010年10月の女流王将戦で清水からタイトルを奪うと、1992年3月に女流王将を獲得して以来、1つ以上のタイトルを維持してきた清水市代を18年7か月ぶりに無冠に追い込むなど、長く続いた清水・中井の二強時代からの世代交代を果たした[66]

その後、里見は2013年に史上初の女流五冠を達成、2015年には女流棋士最多連勝記録21連勝を達成するなど女流棋界の中で圧倒的な力を見せている。その他では、甲斐智美が2010年には女王・女流王位を相次いで獲得するなど通算で7期獲得している。

2015年度に、若手女流棋士を対象とした女流一般棋戦「YAMADA女流チャレンジ杯[注釈 11]が創設。

インターネット将棋対戦サイトで実力をつけた後、女流棋士を目指し、来日して研修会に入会したポーランド人のカロリーナ・ステチェンスカが、2017年2月に女流2級となり、棋士・女流棋士を通じて将棋界初の日本国籍を有さないプロとなった。

2019年度には、7つ目の女流タイトル戦「ヒューリック杯清麗戦」が創設され、7つの女流タイトル棋戦と1つの一般棋戦、計8つの女流公式戦が開催されている。

棋士との対局[編集]

成績優秀な女流棋士は、棋士の棋戦(以下「男性棋戦」)のうち女流棋士枠を設けている棋戦に参加できる。

男性棋戦の一覧、それぞれの女流棋士枠については、棋戦 (将棋)#棋士の棋戦 を参照。

概要[編集]

1981年、新人王戦に女流棋士枠が設けられたのが最初であり、第12期新人王戦で蛸島彰子が飯野健二四段(当時)、山下カズ子が高橋道雄四段(当時)と戦ったが、2人とも敗れた。

男性棋戦の女流棋士枠は少しずつ増え、1990年に王座戦に女流棋士枠が設けられ、1993年にはNHK杯竜王戦にも女流棋士枠が設けられた。

女流棋士が男性棋戦で初勝利を挙げたのは、1993年12月9日に行われた中井広恵池田修一戦(竜王戦6組)である。39戦目にしての初勝利であり、竜王戦に女流棋士枠が設けられた年度の事であった。

2018年現在、男性棋戦への女流棋士枠での出場権は、タイトルホルダー・タイトル挑戦者クラスの女流棋士に与えられる。主催社推薦、連盟推薦、女流棋士予選による選抜(NHK杯)などで決定される。

一方、新人王戦については、「26歳以下」という枠組みの中で、年間成績によって選抜される。これにより、2007年10月現在、最年少出場記録は第37期同棋戦の里見香奈の15歳である。

女流棋士の棋士に対する通算勝率は1割台に留まるのが現状である(2018年7月現在)[67]

特筆すべき対局[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 例外として、花村元司は1944年に、瀬川晶司は2005年に、いずれも制度によらない特例措置により、奨励会を経ずに棋士になった。日本将棋連盟は2006年に「プロ編入試験」を制度化し、アマチュア(男女を問わない)・女流棋士が、奨励会を経ずに棋士になる道を正式に設けた[4]。男性アマの今泉健司は2014年にプロ編入試験に合格し、2015年4月1日付で棋士になっている[5]
  2. ^ 2018年現在、奨励会員に段位免状が授与されるのは、初段以上で奨励会を退会して指導棋士(かつての名称は準棋士)となる場合のみ。この場合は、棋士・女流棋士への免状と同じ様式で免状が授与される。
  3. ^ 第5期では竹俣紅と矢内理絵子がエントリーしなかった。
  4. ^ 渡辺弥生東京大学経済学部を卒業し、改めて数学を学ぶために東京大学理科一類に再入学・2年生で 中退した経歴を持つ[24]。なお、渡辺は他人に合わせるのが不得手な性格と自己分析している[24]
  5. ^ 女流棋士の昇段級規定の「女流初段」に該当したため。伊藤沙恵奨励会1級が10月より女流初段に- 日本将棋連盟・2014年9月30日
  6. ^ 2009年4月制度変更の当初は「女流棋士仮会員」という名称であったが、同年7月に「女流3級」に名称変更された。「女流棋士仮会員」の名称変更について(日本将棋連盟)
  7. ^ 江戸時代に「棋士」という呼び方は存在しないが、便宜上用いた。
  8. ^ なお、開始時点では、プロもアマもない状態なので、単に『女流名人戦』として開催されていた。後に開始される女流プロ名人位戦は当棋戦と区別するために『プロ』とつけられた経緯がある。その後1989年に正式に女流アマ名人戦に改称。
  9. ^ 創設時の女流名人位戦は、「将棋女流プロ名人位戦」という名称であった(1974年11月27日付 報知新聞[50])。
  10. ^ 当時の最年少記録、のちに藤田綾が11歳6か月で更新
  11. ^ 当初の棋戦名は「女子将棋YAMADAチャレンジ杯」であった。

出典[編集]

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参考文献[編集]

  • 女流棋士会 『女流棋士の本』 日本将棋連盟、2002年 
  • 金子金五郎 『名局を語る:将棋錬成』 東水社、1942年 
  • 中島一『女流棋界ヒストリー』(1) - (3) (『近代将棋』2004年1月号 - 3月号連載)
  • 古田靖 『瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか』 河出書房新社2006年 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]