杉本昌隆

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 杉本昌隆 七段
名前 杉本昌隆
生年月日 (1968-11-13) 1968年11月13日(50歳)
プロ入り年月日 1990年10月1日(21歳)
棋士番号 197
出身地 愛知県名古屋市
師匠 板谷進
段位 七段
戦績
2016年3月31日現在

杉本 昌隆(すぎもと まさたか、1968年11月13日 - )は、将棋棋士。棋士番号197。愛知県名古屋市出身。板谷進九段門下。竜王戦1組通算7期。日本将棋連盟非常勤理事(2012年6月 - )。

棋歴[編集]

第48回(1998年度)NHK杯テレビ将棋トーナメントで、桐山清澄森内俊之中川大輔屋敷伸之らに勝ち、ベスト4進出。準決勝で堀口一史座に敗れる。

2001年、第20回朝日オープン将棋選手権で、米長邦雄、森内俊之、中原誠らを破り、決勝進出。決勝五番勝負で堀口一史座に1勝3敗で敗れ、準優勝。

竜王戦では、第16期(2003年度)に3組優勝、第17期(2004年度)には2組準優勝となり、2年連続昇級で1組へ上り詰めた。

2008年度のB級1組順位戦において、高橋道雄井上慶太と並ぶトップタイの成績(8勝4敗)を挙げたが、順位が下位であったため頭ハネでA級昇級を逃した(タイトル挑戦・棋戦優勝・将棋大賞受賞歴が全くない杉本がA級に昇級していれば、田丸昇以来の珍記録[1]であった)。

第74期(2015年度)順位戦B級2組では3勝7敗の成績に終わり、降級点2となりC級1組へ降級となった。

棋風[編集]

振り飛車党の棋士として知られ、特に、四間飛車を得意とする。板谷一門は、「振り飛車はよくない」、「若いうちは居飛車でいきなさい」という考え方の一門であった[2]が、杉本は奨励会に入った当初から振り飛車党であった。

杉本の振り飛車は奨励会時代から定評があり、先に四段に上がった村山聖は「全振り飛車党の中で唯一の本格正統派」「メチャクチャ格調が高い」[3]と評していた。また、共に第七回三段リーグを戦った藤井猛は、当時三段リーグにおいて振り飛車党が苦戦を強いられていた状況を踏まえ居飛車も指せるようになっていた方がよいのでは、と迷っていたところ、杉本が振り飛車を中心に指しこなしてプロになったのを見て「勇気づけられ」、翌期は振り飛車一本で臨み15勝3敗の好成績を残してプロ入りを果たした[4]

小林健二と共に藤井システム以前の非常にシステム化された振り飛車定跡を整備した功績がある。なお、小林は同門の兄弟子でもある。

人物[編集]

  • 名古屋市を中心に、主として東海地方で熱心に普及に努め、地元では非常に人気が高い棋士である。
  • 相振り飛車・端歩位取り穴熊といったあまり定跡化が進んでいない分野の著作が多い。
  • 弟子には史上最年少の14歳2か月でプロ入り(四段昇段)を果たした藤井聡太がいる。女流棋士では室田伊緒及び中澤沙耶がいる。
  • 2008年度前期のNHK将棋講座では、杉本が講師、室田がアシスタントを務めた。師弟での講座は、番組史上初。
  • 藤井聡太を弟子にとるとき「彼がもし棋士になれなかったら、私は責任をとって引退しなければといった思い」と覚悟を語っている。
  • 2012年6月8日、日本将棋連盟非常勤理事に就任。

昇段履歴[編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

棋歴等[編集]

主な著書[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2011年度のB級1組順位戦第11回戦でA級昇進を内定させた橋本崇載が史上2人目となった。
  2. ^ 2008年6月29日放送のNHK杯テレビ将棋トーナメント(杉本対福崎文吾九段)で、解説役の小林健二が証言
  3. ^ 『将棋世界』1995年9月号、池崎和記「杉本昌隆四段 四間飛車の無印良品からブランド品へ」. 
  4. ^ 『将棋世界』2014年10月号、藤井猛「ぼくはこうして強くなった」. 

外部リンク[編集]