杉本昌隆
杉本昌隆 八段 | |
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![]() 令和元年11月、姫路市で行われた人間将棋にて | |
名前 | 杉本昌隆 |
生年月日 | 1968年11月13日(52歳) |
プロ入り年月日 | 1990年10月1日(21歳) |
棋士番号 | 197 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
師匠 | 板谷進九段 |
段位 | 八段 |
戦績 | |
2019年2月22日現在 |
杉本 昌隆(すぎもと まさたか、1968年11月13日 - )は、将棋棋士。棋士番号197。愛知県名古屋市出身。板谷進九段門下。竜王戦1組通算7期。日本将棋連盟非常勤理事(2012年 - 2014年)[1]。
棋歴[編集]
1990年、プロ入り。
第48回(1998年度)NHK杯テレビ将棋トーナメントで、桐山清澄、森内俊之、中川大輔、屋敷伸之らに勝ち、ベスト4進出。準決勝で堀口一史座に敗れる。
2001年、第20回朝日オープン将棋選手権で、米長邦雄、森内俊之、中原誠らを破り、決勝進出。決勝五番勝負で堀口一史座に1勝3敗で敗れ、準優勝。
竜王戦では、第16期(2003年度)に3組優勝、第17期(2004年度)には2組準優勝となり、2年連続昇級で1組へ上り詰めた。
2008年度のB級1組順位戦において、高橋道雄、井上慶太と並ぶトップタイの成績(8勝4敗)を挙げたが、順位が下位であったため頭ハネでA級昇級を逃した(タイトル挑戦・棋戦優勝・将棋大賞受賞歴が全くない杉本がA級に昇級していれば、田丸昇以来の珍記録[2]であった)。
第74期(2015年度)第74期順位戦B級2組では3勝7敗の成績に終わり、降級点2となりC級1組へ降級した。
2018年3月8日、第68期王将戦1次予選2回戦で弟子の藤井聡太と初対局、千日手指し直しの末敗れ、「恩返し」を許した[3]。
2019年2月22日、テレビ棋戦での勝利で勝数規定を満たし、八段に昇段した[4][5]。八段まで全て勝数規定で昇段したのは阿部隆、中田宏樹、中川大輔、日浦市郎、泉正樹、神崎健二、中田功に続き史上8人目である。第77期順位戦では近藤誠也、船江恒平、そして藤井聡太と8勝1敗で並んで迎えた3月5日の最終局で勝利。他の3人も勝利したが、順位の差で来期B級2組へ昇級。藤井との師弟同時昇級はならなかったが、50歳でのB級2組昇級は史上4位の年長記録となった[6]。
棋風[編集]
振り飛車党の棋士として知られ、特に四間飛車・中飛車[3]を得意とする。板谷一門は、「振り飛車はよくない」、「若いうちは居飛車でいきなさい」という考え方の一門であった[7]。杉本は奨励会に入った当初、居飛車党であったが、2年間6級のままであったことと、自分の武器は体力だと知ったことから、振り飛車党に転じた[8]。
杉本の振り飛車は奨励会時代から定評があり、先に四段に上がった村山聖は「全振り飛車党の中で唯一の本格正統派」「メチャクチャ格調が高い」[9]と評していた。また、共に第七回三段リーグを戦った藤井猛は、当時三段リーグにおいて振り飛車党が苦戦を強いられていた状況を踏まえ居飛車も指せるようになっていた方がよいのでは、と迷っていたところ、杉本が振り飛車を中心に指しこなしてプロになったのを見て「勇気づけられ」、翌期は振り飛車一本で臨み15勝3敗の好成績を残してプロ入りを果たした[10]。
小林健二と共に藤井システム以前の非常にシステム化された振り飛車定跡を整備した功績がある。なお、小林は板谷進門下の兄弟子でもある。
人物[編集]
- 名古屋市を中心に、主として東海地方で熱心に普及に努め、地元では非常に人気が高い棋士である。
- 相振り飛車・端歩位取り穴熊といったあまり定跡化が進んでいない分野の著作が多い。
- 2012年6月8日、日本将棋連盟非常勤理事に就任、1期2年務めた[1]。
- 2021年からは大阪府のマルエー食糧のテレビCMイメージキャラクターに起用され、同社は将棋大会へのスポンサードも行っている。[11]
弟子[編集]
- 弟子には、棋士では史上最年少の14歳2か月でプロ入り(四段昇段)を果たした藤井聡太、女流棋士では室田伊緒・中澤沙耶がいる。
- 2008年度前期のNHK将棋講座では、杉本が講師、室田がアシスタントを務めた。師弟での講座は、番組史上初。
- 2015年のインタビューで、当時奨励会二段の藤井聡太について「彼がもし棋士になれなかったら、私は責任をとって引退しなければといった思い」と覚悟を語っている[12]。
昇段履歴[編集]
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- 1980年10月 6級 = 奨励会入会
- 1985年2月 初段
- 1990年10月1日 四段 = プロ入り
- 1995年12月6日 五段(勝数規定)
- 2000年7月11日 六段(勝数規定)
- 2006年2月10日 七段(勝数規定)
- 2019年2月22日 八段(勝数規定)
主な成績[編集]
在籍クラス[編集]
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
棋歴等[編集]
主な著書[編集]
- 新相振り革命(MYCOM将棋文庫SP)(2004年11月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1672-1)
- 杉本流四間飛車の定跡(2003年12月、創元社、ISBN 4-422-75089-5)
- 杉本昌隆の振り飛車破り(2007年2月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 978-4-8399-2303-7)
- これが決定版! 相中飛車徹底ガイド (2017年10月、マイナビ)
- 弟子・藤井聡太の学び方(2018年2月、PHP研究所、ISBN 978-4569837437)
- 将棋・究極の勝ち方 入玉の極意 (2018年9月、マイナビ)
- 角交換相振り飛車 徹底ガイド (2019年9月、マイナビ)
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ a b “第65回通常総会開催|将棋ニュース|日本将棋連盟” (日本語). www.shogi.or.jp. 2019年2月22日閲覧。
- ^ 2011年度のB級1組順位戦第11回戦でA級昇進を内定させた橋本崇載が史上2人目となった。
- ^ a b “藤井聡太六段、初の師弟対決で杉本七段に勝利。記念すべき対局の昼食は「アレ」だった【UPDATE】” (日本語). ハフポスト (2018年3月8日). 2019年1月13日閲覧。
- ^ “杉本昌隆七段が八段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟” (日本語). www.shogi.or.jp. 2019年2月22日閲覧。
- ^ “杉本七段が八段昇段 将棋、藤井七段の師匠” (日本語). 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2019年2月22日閲覧。
- ^ “藤井七段の師匠・杉本八段が昇級決める 史上4位の年長記録50歳でB級2組に復帰” (日本語). スポーツ報知 (2019年3月5日). 2019年3月6日閲覧。
- ^ 2008年6月29日放送のNHK杯テレビ将棋トーナメント(杉本対福崎文吾九段)で、解説役の小林健二が証言
- ^ 『弟子・藤井聡太の学び方』P.119
- ^ 『将棋世界』1995年9月号、池崎和記「杉本昌隆四段 四間飛車の無印良品からブランド品へ」
- ^ 『将棋世界』2014年10月号、藤井猛「ぼくはこうして強くなった」
- ^ “20201213 大曽根ダイジェスト - YouTube”. www.youtube.com. 2020年12月25日閲覧。
- ^ “杉本昌隆七段のインタビュー、熱い。弟子を育てる覚悟、これからの夢、棋士としての最終目標など。日本将棋連盟モバイルより” (日本語). 将棋ワンストップ・ニュース (2015年7月31日). 2019年1月13日閲覧。
外部リンク[編集]
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