関根紀代子

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 関根紀代子 女流六段
名前 関根紀代子
生年月日 (1940-12-15) 1940年12月15日(76歳)
プロ入り年月日 1974年10月31日(33歳)
棋士番号 1
出身地 群馬県前橋市
師匠 関根茂九段
段位 女流六段
戦績
2016年9月15日現在

関根 紀代子(せきね きよこ、旧姓は吉田、1940年12月15日- )は日本将棋連盟所属の引退棋士(女流棋士)。女流棋士番号は1。女流一期生のうちの一人で、引退時には現役最年長女流棋士であった。夫は後に師匠となる関根茂九段。群馬県前橋市出身。

人物[編集]

アマチュア時代の1968年、第一回女流アマ名人[1]で優勝。男性強豪との紙上対決等によって頭角を見せることによって、女流棋界創設の際に蛸島彰子のライバル格として注目され、女流二段で入段し女流棋士となった。強い一方でミスが多いためにタイトルには手が届かず、升田幸三になぞらえ、「女升田」と呼ばれた。

1989年に村山幸子が引退し、現役女流棋士最年長者となる。

若い世代が台頭する中で2000年のレディースオープンでは決勝進出、老いてもなお実力者である所を発揮した。還暦での番勝負進出は女流では最年長である(男性を含めると大山康晴の66歳)。

2007年4月より、蛸島の後任として女流育成会の幹事に就任。

2007年6月7日寺下紀子LPSAに移籍。これにより、日本将棋連盟に所属する女流棋士で最年長者となる。また、この時蛸島も移籍したが女流棋士番号は2番のままであった。

2009年3月18日、女流四段昇段から20年余りをかけて、史上5人目の女流五段へと昇段した。

2009年3月31日、女流育成会廃止(研修会と合併)に伴い幹事を退任。

2010年4月、女流棋士会の役員制度復活により、女流棋士会会長に就任。

2011年4月1日、日本将棋連盟の正会員となる。女流棋士が正会員になった第一号の9人のうちの1名。日本将棋連盟が公益社団法人に移行し、その時点で在籍する女流棋士で女流棋士番号がふり直され、日本将棋連盟女流棋士番号1番となる。

2011年8月31日、日本将棋連盟役員会に引退届を提出し、受理される。通算成績は、537戦260勝277敗[2]。9月8日付けで普及に多大なる功績があったのを認められ、女流六段となる[3]。関根の引退に伴い、日本将棋連盟所属の女流棋士の現役最年長者は森安多恵子、LPSAも含めると蛸島となった。

2013年4月、女流棋士会会長を退任し名誉会長となる[4]

反則負け[編集]

1974年度に行われた第1期女流プロ名人位戦、対寺下紀子初段(段位は当時)戦にて、冬の対局で服(厚いセーター)に香車を引っ掛けて駒台に落としてしまい、それを気づかずに持ち駒として打って反則負けとなった。この対局は女流公式戦初の反則負けといわれている。

また2007年の第15期大山名人杯倉敷藤花戦2回戦、対甲斐智美戦では、振り駒で後手になったにも関わらず初手を指してしまい、反則負けとなった。

昇段履歴[編集]

  • 1974年10月31日 女流二段
  • 1980年2月8日 女流三段
  • 1988年11月17日 女流四段
  • 2009年3月18日 女流五段(勝数規定 = 女流四段昇段後150勝)
  • 2011年8月31日 引退
  • 2011年9月8日 女流六段

タイトル挑戦[編集]

  • 女流名人(1978年、1979年、1983年)
  • 女流王将(1986年)

表彰[編集]

  • 1999年度 東京将棋記者会賞

脚注[編集]

  1. ^ 女流アマ名人戦歴代優勝者一覧 日本将棋連盟
  2. ^ 日本将棋連盟 関根紀代子女流五段が引退
  3. ^ 日本将棋連盟 関根紀代子女流五段が女流六段へ昇段!
  4. ^ 女流棋士会新役員のお知らせ - 日本将棋連盟・2013年4月2日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]