小林健二 (将棋棋士)

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 小林健二 九段
名前 小林健二
生年月日 (1957-03-31) 1957年3月31日(61歳)
プロ入り年月日 1975年12月20日(18歳)
棋士番号 123
出身地 香川県高松市
師匠 板谷進
段位 九段
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
2016年9月11日現在

小林 健二(こばやし けんじ、1957年3月31日 - )は、将棋棋士。棋士番号123。香川県高松市出身。板谷進九段門下。竜王戦1組通算1期、順位戦A級通算4期。

略歴[編集]

  • 1972年に14歳で板谷門下に入門。同年4月に東京・将棋会館の塾生となるが、しばらくすると体調を崩してしまう。そのため師匠の板谷を頼って名古屋に移り、板谷の内弟子となる[1]。1975年12月に四段に昇段[1]
  • 四段時代の1977年、第18期王位戦の挑戦者決定リーグ戦に進出。白組で有吉道夫八段(当時)らを破り5戦全勝で優勝、挑戦者決定戦へ進出した。将棋界初の四段によるタイトル挑戦かと騒がれ、紅組で優勝した米長邦雄八段(当時)との対局も途中までは優勢であったが、終盤で逆転負けし、惜しくもタイトル挑戦とはならなかった。師匠の板谷進八段(当時)は対局前、負けたら記録係をやらせるとハッパをかけていたが勝利かなわず、中原誠王位と米長八段による王位戦第3局では本当に記録係を務めることとなった。
  • 1985年度の第44期順位戦では、師匠の板谷とA級昇格を競い合う展開となるが、最終的に小林が2位に入り初のA級入りを決めた一方で、板谷は4位で昇級を逃した。
  • 2006年の第65期順位戦・対小倉久史戦で、自身の歩が9四にいる状態で9二に歩を打ち、二歩の反則で負けたことがある[1]
  • 2009年6月9日、第68期C級1組順位戦1回戦・対田中魁秀戦に勝ち、史上40人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。
  • 第75期第76期の順位戦でC級2組の降級点が連続でついたところでフリークラスに転出し、2018年度(第77期)以降の順位戦出場資格を放棄した[2]。順位戦以外の公式棋戦には2021年度まで引き続き出場可能である。

棋風[編集]

若手時代には矢倉を得意とするオールラウンダーだったが、1989年ごろから振り飛車党に転向。四間飛車を好んで指すようになり、1991年にはその戦法で順位戦A級への復帰を果たしている。

振り飛車転向の頃にはオーソドックスな四間飛車を指し「スーパー四間飛車」の名で有名となり、著書を出版するとともに、NHK教育テレビの「将棋の時間」でも講座を担当。この頃にデビューした杉本昌隆と共に、藤井システム登場以前の四間飛車の定跡発展に大きく貢献した。その後立石流が知られるようになると、特に立石流四間飛車と四間飛車穴熊を指すようになった。相振り飛車での左玉も得意としていた。

現在は再びオールラウンダーに戻っている。

人物[編集]

  • 趣味はゴルフ草野球など。関西将棋会館の野球部に在籍して活動した時期もある。
  • 美川憲一のモノマネを特技とし、駒音コンサートなどで美川の扮装をして美川本人になりきり柳ヶ瀬ブルースを歌ったことがある。
  • 1991年から、大阪市内で自身が主催する将棋教室を開いており、この教室から小林の推薦で奨励会入りした者もいる。
  • 1993年1月20日放送の『さすらい刑事旅情編V』の第13話「山形新幹線・殺意の名将戦振り飛車の女」に出演。他に、同じく女流棋士の清水市代斎田晴子も共演している。
  • 東南アジア・南アジアでの普及に努めており、2017年はマレーシアでの将棋大会に出席した[3]

弟子[編集]

  • 弟子に伊奈祐介島本亮古森悠太池永天志岩根忍北村桂香らがいる。
  • また弟弟子の杉本昌隆を、1988年2月の板谷の急逝から1990年10月のプロ入りまでの間預かっていた。このため杉本門下の藤井聡太(名目上は甥弟子)の事実上の大師匠として紹介されることもある[4]
  • アマ強豪からプロ編入試験を受験し合格した今泉健司が最初に奨励会に入会(1987年9月)してから退会(1999年9月)するまでの間も師匠を務め[5]、自宅近くに住む今泉に内弟子のように接した。才能がありながらプロになれず退会した今泉について「もっとビシビシ厳しく鍛えればよかった」と残念がった。2014年8月1日には、朝日杯将棋オープン戦一次予選で今泉と対局し、“師弟対決”が実現。当対局は相入玉の末、持将棋に1点足りず249手で今泉が勝利。“恩返し”をされた小林は「よくがんばったね」「もっと序盤を勉強したほうがいい」とかつての弟子に声をかけたという。今泉のプロ試験合格の際も、テレビ出演などで元弟子を祝福した[6]

昇段履歴[編集]

主な成績[編集]

棋戦優勝[編集]

合計2回

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第8回(1980年度) 新人賞
  • 第18回(1990年度) 技能賞

出演[編集]

ゲーム[編集]

  • 将棋風林火山(スーパーファミコン用ソフト、1993年10月発売、ポニーキャニオン)5名の連名で監修

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「現役プロ棋士データブック2016 【上】あ~た行」(将棋世界2016年1月号付録)p.46
  2. ^ 2018年度からのフリークラス転出者 - 日本将棋連盟 2018年3月30日閲覧。
  3. ^ “アジア将棋支部対抗戦inクアラルンプール” (日本語). 47NEWS. https://www.47news.jp/47reporters/madoka/312655.html 2018年10月2日閲覧。 
  4. ^ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部. “藤井六段と初の師弟戦 杉本七段に兄弟子・小林九段がエール - スポニチ Sponichi Annex 芸能” (日本語). スポニチ Sponichi Annex. https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/03/03/kiji/20180302s000413F2219000c.html 2018年10月2日閲覧。 
  5. ^ 2007年2月に今泉が三段リーグ編入試験を受けた際は、小林が「再び労苦を共にするのは辛い」として、師匠となることを辞退し、以降の師匠役は桐谷広人に託した。
  6. ^ 今泉さん大健闘 朝日杯将棋予選、プロに3連勝朝日新聞 2014年9月9日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]