長沼洋

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 長沼洋 八段
名前 長沼洋
生年月日 (1965-02-08) 1965年2月8日(58歳)
プロ入り年月日 1986年7月21日(21歳)
棋士番号 178
出身地 岐阜県
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 田中魁秀九段
段位 八段
棋士DB 長沼洋
2020年9月1日現在
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長沼 洋(ながぬま ひろし、1965年2月8日 - )は、将棋棋士棋士番号は178。岐阜県出身。田中魁秀九段門下。

棋歴[編集]

奨励会二段のとき、第7回若駒戦で優勝(1985年2月2日)。それから約1年半後の1986年7月にプロ入り。

プロ入り当初は好不調の波が著しく、初参加から2年目となる第47期(1988年度)順位戦ではC級2組において降級点を喫するも、15年目の第60期(2001年度)で8勝2敗・42人中3位の成績を修め、C級1組へ昇級。

第2期(1989年度)竜王戦では6組ランキング戦を優勝。5組へ昇級する。第13期(2000年度)では5組ランキング戦で準優勝し、4組へ昇級(第14期は5組降級、第15期は4組復帰、第15期で5組へ再び降級)。

第58期(1991年度前期)棋聖戦で一次予選から6連勝し、初の本戦入り(1回戦で中原誠に敗れる)。

1993年度は全成績で32勝15敗と大きく勝ち越した(年度全体での長沼の成績としては、2021年現在まで最大の勝利数となっている)。

第42期(2001年度)王位戦でリーグ入り。残留には至らなかったものの、谷川浩司山崎隆之に勝利するなど健闘した。

第50期(2002年度)王座戦で一次予選からの6連勝で、初の本戦入り(1回戦で郷田真隆に敗れる)。

2007年以降、早指し棋戦での活躍が顕著になる。

第57回(2007年度)NHK杯戦は、予選で杉本昌隆小林健二らを破り、プロ入り21年目にして本戦初出場。本戦でも井上慶太松尾歩らを破って勝ち進み、さらには、準々決勝で羽生善治の無理攻めを受け止めて勝利し、ベスト4に進出。準決勝で前回優勝者であり同門の弟弟子でもある佐藤康光(この期も優勝する)に敗れたものの、次期シード権を獲得した。

第21期(2008年度)竜王戦では5組昇級者決定戦を制して4組復帰。

第18期(2009年度 - 2010年度)銀河戦では、決勝トーナメント出場者を決めるブロック戦で勝又清和(7回戦)・神谷広志(8回戦)・屋敷伸之(9回戦)・高橋道雄(10回戦)・久保利明(11回戦)らを破り、決勝トーナメントに進出(1回戦で行方尚史に敗れる)。翌第19期でも、高崎一生橋本崇載らを破り、2年連続で決勝トーナメントに進出。更に決勝トーナメントの1回戦でも木村一基を破りベスト8となった(準々決勝で糸谷哲郎に敗れる)。そして翌第20期でも本戦ブロックを5連勝で突破し、3年連続で決勝トーナメントに進出(1回戦で広瀬章人に敗れる)。

2016年度ではデビュー以来最大の絶不調に陥る。第75期順位戦では1勝9敗で降級点、年度の全成績でも3勝19敗と大幅な負け越しとなった。

2017年度も不調は続き、第76期順位戦では2勝8敗で2回目の降級点となり、C級2組へ陥落した。第30期竜王戦でも3連敗して5組へ降級。また、年度の全成績は5勝20敗であり、再び大幅に負け越した。

第27期(2018年度 - 2019年度)銀河線本戦Gブロック4回戦で、1回戦から勝ち上がってきた立命館大学1年生の木村孝太郎アマと対戦し、118手目に二歩を打って反則負けとなった。二歩による反則負けは、第22期(2013年度 - 2014年度)銀河戦本戦Bブロックの沖幹生アマ対伊藤博文戦以来5年ぶりで、銀河戦史上3度目となった。

第32期(2019年度)竜王戦では5組で3連敗を喫し、6組へ降級となった。

第79期(2020年度)C級2組順位戦では3勝7敗で終わり、1回目の降級点となった。

棋風[編集]

駒取り坊主」と呼ばれるなど、駒得(こまどく)を目指す、実利を重視した受けの棋風である。

かつては矢倉を多く指す居飛車党であったが、その後、中飛車なども指すオールラウンダーとなっている。

NHK杯戦で羽生に勝ったときはゴキゲン中飛車で戦い、終盤でも駒取りに励んで羽生の攻めを切らすことに成功した。

人物[編集]

昇段履歴[編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]