藤原直哉 (棋士)
藤原直哉 七段 | |
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名前 | 藤原直哉 |
生年月日 | 1965年5月27日(58歳) |
プロ入り年月日 | 1989年4月1日(23歳) |
棋士番号 | 190 |
出身地 | 兵庫県神戸市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 若松政和八段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 藤原直哉 |
2018年3月22日現在 |
藤原 直哉(ふじわら なおや、1965年5月27日 - )は、将棋棋士。若松政和門下。棋士番号は190。兵庫県神戸市出身。
棋歴[編集]
小学校3年の頃、父親から将棋を教わる[1]。若松門で奨励会に入ったのは中学2年生の秋であり、遅めのスタートであった。谷川浩司と井上慶太は兄弟子である。
奨励会棋戦の第11回「若駒戦」で優勝。決勝日(1989年6月5日)の前に、すでに四段昇段していた。
1988年度後期奨励会三段リーグで、史上1位タイの16勝2敗の成績を収め、1989年4月にプロ入り。高田尚平とともに、平成に入ってからの初の四段昇段者である。
第21回(1990年度)新人王戦でベスト4。
第4期(1991年度)竜王戦6組(1990 - 1991年)で、郷田真隆新四段らに勝ち決勝進出[2]。
第5期(1992年度)竜王戦では、丸山らに勝ち5組優勝[3]。
第47期(2006年度)王位戦で、リーグ入り。残留には至らなかったものの、当時の名人・森内俊之に勝利するなど、健闘した。
その一方で順位戦を不得手とする傾向が見られ、プロ入りから28年間連続でC級2組に在籍し、第63期(2004年度)と第67期(2008年度)でいずれも2勝8敗に終わり降級点を喫した。成績次第ではフリークラスへの降級が危惧される状況で臨んだ第68期(2009年度)では、同様の境遇にあった有吉道夫に勝利するなど、4勝6敗(44人中35位)で降級を回避した。第72期(2013年度)に6勝4敗の成績を挙げ、5年ぶりに降級点を消去した。
しかし翌期以降の順位戦では再び成績が振るわず、第74期(2015年度)でまたもや2勝8敗で降級点を喫し、フリークラス降級の危機に陥った。その状況で迎えた第75期(2016年度)でも苦戦が続き、2017年1月19日の8回戦において、降級点争いの競合相手である森雞二が勝った事により、藤原の当年度におけるの降級点取得(累積3個目)が確定。このことに伴い、第48期(1989年度)から28年間連続[4]で順位戦C級2組に在籍した記録も途絶えた[5]。
フリークラス初年度は一転して好調が続き、降級から10ヶ月が経過した2018年1月末現在で17勝9敗、同年3月末までに4敗する前に1勝を挙げることで、第77期(2018年度)以降のC級2組順位戦に復帰が可能となる見込みであったが、4連敗してしまい初年度の復帰はならなかった[6] 。この連敗の中には、第31期竜王戦において、かつての自らの弟子である久保田貴洋アマに敗れた局が含まれる。
棋風[編集]
居飛車党で、矢倉と相掛かり系の将棋が多い。全軍躍動の手厚い攻めの棋風である。たまに、振り飛車も指す。
人物・エピソード[編集]
- 由来は不明だが、棋士間で「アダルト」のあだ名がある[7] 。
- 後に妻となる女性と九州で極秘デートをした帰り、新幹線のホームで兄弟子の谷川と遭遇した際には、「仕事です」とごまかそうとしたが、谷川に「それはない!」と言われた[8]という。
- 奨励会三段時代の1986年11月5日に、当時同じ三段だった村山聖と対局して敗れる。村山はこの勝利により四段昇段を決定させた。
連盟での委員会活動[編集]
- 将棋ソフト不正使用疑惑に絡む総会での3理事解任を受け、2017年3月30日、西尾明らと共に「電子機器の取り扱い、対局規定の委員会」の委員に選ばれた旨が、日本将棋連盟から発表された[9]。
昇段履歴[編集]
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
- (1987年4月から三段リーグ制度)
主な成績[編集]
在籍クラス[編集]
開始 年度 |
順位戦 | 竜王戦 | |||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | |||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | ||||||||||||||
1989 | 48 | C255 | 3 | 6組 | |||||||||||||
1990 | 49 | C210 | 4 | 6組 | |||||||||||||
1991 | 50 | C239 | 5 | 5組 | |||||||||||||
1992 | 51 | C229 | 6 | 4組 | |||||||||||||
1993 | 52 | C223 | 7 | 4組 | |||||||||||||
1994 | 53 | C238 | 8 | 5組 | |||||||||||||
1995 | 54 | C234 | 9 | 6組 | |||||||||||||
1996 | 55 | C225 | 10 | 6組 | |||||||||||||
1997 | 56 | C207 | 11 | 6組 | |||||||||||||
1998 | 57 | C211 | 12 | 6組 | |||||||||||||
1999 | 58 | C208 | 13 | 5組 | |||||||||||||
2000 | 59 | C224 | 14 | 5組 | |||||||||||||
2001 | 60 | C207 | 15 | 6組 | |||||||||||||
2002 | 61 | C216 | 16 | 6組 | |||||||||||||
2003 | 62 | C227 | 17 | 6組 | |||||||||||||
2004 | 63 | C236 | 18 | 6組 | |||||||||||||
2005 | 64 | C240 | 19 | 6組 | |||||||||||||
2006 | 65 | C233 | 20 | 6組 | |||||||||||||
2007 | 66 | C220 | 21 | 6組 | |||||||||||||
2008 | 67 | C205 | 22 | 6組 | |||||||||||||
2009 | 68 | C236 | 23 | 6組 | |||||||||||||
2010 | 69 | C234 | 24 | 6組 | |||||||||||||
2011 | 70 | C222 | 25 | 6組 | |||||||||||||
2012 | 71 | C228 | 26 | 6組 | |||||||||||||
2013 | 72 | C238 | 27 | 6組 | |||||||||||||
2014 | 73 | C231 | 28 | 6組 | |||||||||||||
2015 | 74 | C217 | 29 | 6組 | |||||||||||||
2016 | 75 | C237 | 30 | 6組 | |||||||||||||
2017 | 76 | C243 | 31 | 6組 | |||||||||||||
2018 | 77 | F編 | 32 | 6組 | |||||||||||||
2019 | 78 | F編 | 33 | 6組 | |||||||||||||
2020 | 79 | F編 | 34 | 6組 | |||||||||||||
2021 | 80 | F編 | 35 | 6組 | |||||||||||||
2022 | 81 | F編 | 36 | 6組 | |||||||||||||
2023 | 82 | F編 | 37 | 6組 | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/プレーオフ以外)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
脚注[編集]
- ^ 平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)
- ^ 当期の新四段・丸山忠久に決勝で敗れ、最終戦績は準優勝。
- ^ 本戦では、当期新四段にして6組で優勝した深浦康市に初戦で敗れた。
- ^ C級2組における降級点制度が現行のものになった第46期(1987年度)以降に四段に昇段した棋士の中では、C級2組に最も長く在籍した記録である。C級2組における降級点制度が廃止されていた時期も含めると、小阪昇(30期)・木村嘉孝(29期)に次ぎ、大島映二と並ぶ3位タイ。
- ^ ちなみに当期はその後も白星に恵まれず、9回戦で佐藤紳哉に、最終10回戦で瀬川晶司に、それぞれ敗れて1勝9敗に終わった。
- ^ 日本将棋連盟・携帯中継(2018年3月20日)「第44期棋王戦 予選 2回戦」コメント
- ^ 「プロ棋士カラー名鑑 2018」(扶桑社)
- ^ 「将棋世界」誌2000年1月号付録
- ^ “対局規定委員会設置のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2017年3月30日). 2019年6月8日閲覧。
- ^ “藤原直哉六段が七段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2013年6月20日). 2019年6月8日閲覧。