田中悠一
田中悠一 五段 | |
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名前 | 田中悠一 |
生年月日 | 1985年3月14日(33歳) |
プロ入り年月日 | 2008年4月1日(23歳) |
棋士番号 | 270 |
出身地 | 長野県長野市 |
師匠 | 関根茂 |
段位 | 五段 |
戦績 | |
2014年3月20日現在
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この表について
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田中 悠一(たなか ゆういち、1985年3月14日 - ) は、将棋棋士。関根茂九段門下。棋士番号は270。
人物[編集]
- 立教大学出身では初のプロ棋士。
- 得意な戦法は中飛車。
棋歴[編集]
将棋を覚えたのは小学4年の時。友人の対局を見て興味を持った。父にルールを教わって間もなく、将棋道場「長野王将クラブ」で腕を磨いた[1]。
中学1年の時全国中学生選抜将棋選手権に出場し3位。翌年奨励会に入会。1級から初段への昇段と初段から二段への昇段にそれぞれ1年半を費やすなど、苦労したものの、2004年4月に三段に昇段し、2004年度後期(第36回)から三段リーグに参戦。2期目の2004年度後期では4勝14敗と不振にあえぎ降段点を喫するも、その後持ち直し2007年度後期(第42回)において、稲葉陽に次ぐ2位の成績(13勝5敗)で四段昇段(プロ入り)[2]。長野県出身者としては、木下浩一以来20年ぶり。
プロ入り初参戦の第67期(2008年)順位戦では3勝7敗と不振も、剣が峰で降級点を回避[3]。その一方で、第2回朝日杯将棋オープン戦では、二次予選入り。1回戦で高橋道雄に勝ち、決勝で木村一基に敗れるまで勝ち残る活躍を見せた。
第58期(2009年)王座戦一次予選第1回戦で、石橋幸緒に敗北。同棋戦では第55期より女流棋士の一斉対局が行なわれていたが女流棋士への白星献上第一号となってしまった。
同年、第22期竜王ランキング戦6組の3位決定戦(2009年10月23日)を制し、同棋戦参加1年目にして5組昇級を勝ち取る。
昇段履歴[編集]
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績[編集]
在籍クラス[編集]
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
脚注[編集]
- ^ 旬の人 : 企画・連載 : 長野 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ 日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「稲葉陽・田中悠一三段が新四段に!」
- ^ 有吉道夫が引退かと騒がれていたとき、下から9番手(有吉のすぐ下)で、自身は負け、下から5〜8番手のうち誰か一人でも勝てば降級点というところだったが、彼ら4人も勝てなかった。
- ^ 日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「田中悠一四段が五段に昇段」
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照 ☆は決勝トーナメント出場と2組以下は次期昇級予定、△は次期昇級予定、▼は次期降級予定、(退)は今期限りで引退・引退予定 * 加藤桃子は奨励会員であるが、女流タイトル保持により女流棋士枠で出場 |
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