金井恒太

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 金井恒太 六段
名前 金井恒太
生年月日 (1986-05-25) 1986年5月25日(31歳)
プロ入り年月日 2007年4月1日(20歳)
棋士番号 265
出身地 埼玉県上尾市
師匠 飯野健二
段位 六段
戦績
2016年3月11日現在

金井 恒太(かない こうた、1986年5月25日 -) は、将棋棋士飯野健二門下。棋士番号は265。埼玉県上尾市出身。聖学院中学校・高等学校卒業[1]

人物[編集]

オーストリアウィーンで生まれたが、前月に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故の影響を心配した両親と共にすぐに帰国している。

元々母親がピアノ教師だった関係もあり、自らもピアノを趣味としており[2]、過去に将棋イベントでピアノ演奏を披露したこともある[3]

同じく関根茂一門である矢内理絵子曰く、礼儀正しく丁寧で先輩を立ててくれる「将棋界の貴公子」。

2014年現在、栄光ゼミナールの「栄光キッズカレッジ」にて将棋の特別クラスを受け持っている[4]

棋歴[編集]

1998年、小学6年生の時に小学生将棋名人戦に出場し、ベスト8(東日本大会ベスト4)に進出したが、テレビ出演となるベスト4には一歩届かなかった。(同年の大会出場者には、高崎一生(優勝)、船江恒平(準優勝)、戸辺誠(3位)、中村太地広瀬章人糸谷哲郎佐藤天彦らがいた。)

1999年、新進棋士奨励会に入会。

三段リーグでの8期4年間の勝率は5割程度であったが、法政大学キャリアデザイン学部在学中の2006年、第40回奨励会三段リーグにおいて、3勝4敗からの11連勝で14勝4敗(リーグ2位)の成績を収め、プロ入りを決めた。同期の棋士は豊島将之伊藤真吾(2度目の次点を取りフリークラス入り)[5]

プロ入り1期目(2007年度)の2008年1月28日から10連勝し、連勝継続中に年度をまたぎ、2008年度の最初の対局(4月3日)にも勝って11連勝をあげた(次の対局を不戦敗)。2007年度には13連勝をした棋士が2名おり、2008年度には豊島将之も11連勝(次年度に継続)をあげたが、将棋大賞の連勝賞の規定では、年度をまたいだ連勝記録は連勝が止まった年度のものとして扱うため、金井が2008年度将棋大賞の連勝賞を単独で受賞した。

第58回(2008年度)NHK杯戦で本戦3回戦まで勝ち進むが、佐藤康光棋王)に敗れる。

3年目の順位戦となる第68期(2009年度)C級2組順位戦で、開幕6連勝を達成するなどして昇級争いの3番手につけた(C級2組からの昇級枠は3名)。第9回戦(2010年2月2日)は、勝てば昇級の一番であったが、降級点2点を抱え順位戦残留が風前の灯の児玉孝一との千日手指し直しの末の戦いに敗れ、ほかの2名とともに7勝2敗で並んだ(この児玉との戦いで、将棋大賞で初の「名局賞特別賞」を受賞)。しかし、金井は前期に7勝3敗の好成績を挙げていたため、3名の中でリーグ表順位が最も上であった(12位)。そのため、最終10回戦(3月9日)も、勝てば昇級(自力昇級)の状態で迎えた。そして、ほかの2名は勝って8勝2敗としたものの、金井も山本真也に勝って8勝2敗とし、順位戦初昇級を決めた。結果としては、すでに2名(豊島将之、高崎一生)が昇級を決めたリーグで、金井が一人で最終10回戦に見せ場を作り、その代わりに、自分の五段昇段が1か月遅れになるという形になった。

棋風[編集]

居飛車党である。プロデビュー時のインタビュー(日本将棋連盟公式サイト)で、「得意戦法は角換わり腰掛け銀」と答えた。

矢倉横歩取りなども多く指す。

目標の棋士に郷田真隆を挙げ、棋風も強く影響を受けている。

昇段履歴[編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 1999年 6級 = 奨励会入会
  • 2002年10月 三段(2003年度前期から三段リーグ)
  • 2007年4月1日 四段 = プロ入り
  • 2010年3月9日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 2016年3月9日 六段(勝数規定)

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第36回(2008年度)連勝賞
  • 第37回(2009年度)名局賞特別賞

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]