阿部隆

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 阿部 隆 八段
名前 阿部 隆
生年月日 (1967-08-25) 1967年8月25日(50歳)
プロ入り年月日 1985年6月10日(17歳)
棋士番号 171
出身地 大阪府
師匠 田中魁秀
段位 八段
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
2016年6月20日現在

阿部 隆(あべ たかし、1967年8月25日 - )は、将棋棋士棋士番号は171。田中魁秀九段門下。大阪府出身。竜王戦1組通算7期、順位戦A級通算1期。

棋歴[編集]

  • 1981年12月に奨励会に入会。4年後の1985年6月10日に、当時の奨励会規定(段位の奨励会員は直近17局で13勝を満たした場合、昇段する。)を満たし、17歳9ヶ月の若さでプロ入りを決めた。その間、降段点(B)を喫したことは一度もなく、順調な出世であった。
  • プロ入りの初年度には初出場の第36回NHK杯テレビ将棋トーナメントで予選を勝ち抜き本戦に出場[1]したり、1989年度の第15期棋王戦では本戦ベスト8まで勝ち進み当時の棋王戦制度[2]に基づき次期シード権を獲得したり、1996年度に全棋士トップの勝数(47勝)で将棋大賞の最多勝利賞を受賞したりするなど、勝数が多い強豪であるにもかかわらず、順位戦の成績との巡り合わせは悪く、C級2組からC級1組に昇級するまでに5年、そこからB級2組昇級に更に6年、B級1組昇級には更に4年を、それぞれ費やした。
  • 1993年~1994年に行われた第12回全日本プロ将棋トーナメントで決勝に勝ち進み、中田宏樹と5番勝負を闘った。1勝2敗からの2連勝で優勝し、これが阿部にとって棋士人生初の一般棋戦優勝
  • 2000年に行われた第20回オールスター勝ち抜き戦でも、当時のA級棋士をはじめとする強豪相手に5連勝を遂げ、優勝[3]
  • 2組在位で迎えた2002年度(第15期)竜王戦では、予選(ランキング戦)を勝ち抜き、本戦でも佐藤康光藤井猛らを撃破し、再び中田宏樹との挑戦者決定戦3番勝負に臨み、2勝1敗で勝ち、初のタイトル戦番勝負出場(羽生善治竜王)を決める。結果は千日手2回・2連敗・3連勝・2連敗で竜王位奪取には至らなかった。
  • B級1組在位5年目で迎えた2005年度(第64期順位戦)では、最終日を待たずに8勝4敗・暫定3位の状態で全対局を完了(最終日が抜け番)し、最終日に8勝3敗・暫定2位の中川大輔深浦康市に敗れたことで、2位に繰り上がる形でA級昇級。しかし初めてのA級出場となった翌期は力及ばず、久保利明及び丸山忠久に勝ったのみの2勝7敗でB級1組からの出直しを余儀なくされた。

珍記録[編集]

  • 阿部は前述の通り、勝数の多さにかかわらず、順位戦においてはなかなか昇級に相当する成績を修めることができずにいた。それ故に、プロ入り以降の昇段(五段~八段)はすべて勝数規定による形で、“地道に”通算560勝を積み重ねて八段まで昇段した[4]後にA級棋士になった珍しいケースである。
  • 1984年に勝数による昇段規定が創設されて以降、八段昇段後に公式戦で250勝を重ねて九段に昇段した棋士は2017年3月現在まで、のべ28人(3月1日付の鈴木大介が28人目)いる[5]が、阿部と同様に五段から八段まで全て勝数規定で昇段をした6人の棋士の中で、最も勝数が多い(2017年10月6日現在で通算767勝)ため、同日時点で「史上初の、八段での将棋栄誉敢闘賞受賞(800勝達成)[6]」「史上初の五段から九段まで全て勝数規定での昇段(四段プロ入り後、他の規定で昇段せずに通算810勝)」に最も近い棋士でもある。

対局における珍事[編集]

  • 2005年銀河戦での加藤一二三との対戦で、加藤が「待った」の反則をしたが、対局は続行し、阿部が敗退するという珍しい記録を残した。阿部は対局中は消費時間の計算についての指摘をしたが、「待った」についての指摘はしなかった(その後、加藤はこの反則で処分を受けた。詳しい経緯は銀河戦の項参照)。
  • 上記とは逆に、2015年3月15日(放送は2016年5月12日)、銀河戦8回戦の菅井竜也七段との対局では、秒読みに追われて歩兵を打った後、手を離す時に駒を盤上から飛ばしてしまい、今度は銀将を着手するも時間内に駒を盤上に置けず、指差して符号を言おうとするが収拾がつかず、自ら投了を告げた。記録としては「時間切れ負け」の扱いになっている[7]
  • 2016年6月15日、第2期叡王戦八段予選1回戦、稲葉陽八段との対局でも時間切れで負けた。

人物[編集]

  • 対局に負けたときには非常に感情的になることがあり、「こんなんこっちの勝ち」と連呼することから、「こんなん阿部」と呼ばれることもある[8]。対局に勝ったときは機嫌がよく、「勝てば仏、負ければ鬼」と評されている[9]
  • 芹沢博文は阿部がプロ入りした当初、阿部の棋風を「筋に明るい将棋を指す」として高く評価していた。
  • 「簡単に着用できる和服」ということで、作務衣を愛用している[10]
  • 西武ファンである。また旧西武ドームで毎年コンサートを開いていた渡辺美里のファンでもある。2008年より東北楽天ゴールデンイーグルスを応援することを応援サイトに月1回でコラムを掲載している「男気日記」で表明した。

昇段履歴[編集]

  • 1981年 6級 = 奨励会入会
  • 1983年 初段
  • 1985年6月10日 四段 = プロ入り
  • 1989年8月11日 五段(勝数規定
  • 1992年11月16日 六段(勝数規定)
  • 1997年6月6日 七段(勝数規定)
  • 2005年2月16日 八段(勝数規定)

主な成績[編集]

タイトル戦登場[編集]

  • 2002年、第15期竜王戦挑戦
    挑戦1回、獲得0

棋戦優勝[編集]

合計 2回

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第24回(1996年度) 最多勝利賞、最多対局賞

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 本戦では1回戦で島朗に敗れた。
  2. ^ 棋王戦は1991年度の第17期までは、本戦ベスト8まで敗者復活戦に出場できた。
  3. ^ 当該棋戦の規定上、5連勝以上は優勝扱いとされる。
  4. ^ 勝数による昇段規定が制度化してからは阿部が第一号、のちに(達成順に)中田宏樹中川大輔日浦市郎泉正樹神崎健二も達成している。
  5. ^ 死去、引退、現役を含めた総数。内、最短7年9ヶ月、最長24年(これとは別に、フリークラスに在籍している時点で八段昇段後に20年経過しているという前提ではあるが九段に昇段する条件も存在する)、大半が15年前後で達成している。(Wikipedia内:「将棋 九段(勝数規定)」で検索可)
  6. ^ 通算560勝で八段に昇段する規定があるため受賞可能な最低段位は八段であり、必然的に七段以下の棋士には受賞資格が発生しない(600勝達成で受賞する将棋栄誉賞も同様)。
  7. ^ 「囲碁・将棋チャンネルHP」放送日及び結果「8回戦 阿部 隆八段 vs 菅井竜也七段」
  8. ^ 鈴木宏彦 『将棋 好プレー珍プレー集』 マイナビ、2014年、153頁。ISBN 978-4-8399-5324-9
  9. ^ 近代将棋(近代将棋社)1992年5月号 阿部隆記事 など
  10. ^ 第22回朝日オープン将棋選手権準々決勝第2局”. Asahi.com (2004年3月15日). 2016年5月15日閲覧。
  11. ^ 阿部 隆八段 600勝(将棋栄誉賞)を達成!(日本将棋連盟)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]