島本亮

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 島本 亮 五段
名前 島本 亮
生年月日 (1980-05-05) 1980年5月5日(37歳)
プロ入り年月日 2003年4月1日(22歳)
棋士番号 247
出身地 兵庫県神戸市
師匠 小林健二
段位 五段
戦績
2016年8月1日現在

島本 亮(しまもと りょう、1980年5月5日 - )は、将棋棋士棋士番号は247。兵庫県神戸市出身。小林健二九段門下。

棋歴[編集]

第16回小学生名人戦で全国大会進出。2回戦で後に同じくプロとなる村田智弘(本大会で3位)に敗れる。同年、ジュニア将棋選手権近畿大会・小学生の部にも出場し、村田を破り3位。1993年には第14回中学選抜将棋大会で3位となり、同年9月に奨励会に6級で入会。

2000年度前期より奨励会三段リーグに参加。大混戦となった2002年度後期三段リーグで、12勝6敗(うち1勝は不戦勝)という成績でありながら1位となり、四段昇段を果たした[1]。それまでの過去5期では全て7勝11敗以下の成績であり、特に3期目の平成13年前期リーグでは4勝14敗で降段点を喫している。三段リーグでの通算成績は41勝67敗・勝率3割8分であり、四段昇段者としては史上最も低い勝率であった。

初参戦の第62期(2003年度)C級2組順位戦で初戦から5連敗し、3勝7敗で早々に降級点を喫する。その後第63期(2004年度)は自己最高で順位戦唯一の勝ち越しとなる7勝3敗の成績を挙げ、第68期(2009年度)までは降級点を回避したが、第69期・第70期(2010 - 2011年度)は共に2勝8敗と振るわず連続で降級点を喫して累積3点となり、初参加から9年[2]・31歳の若さ[3]フリークラスに降級し、順位戦への参加資格を失った。

竜王戦では、第19期(2006年度)6組において昇級者決定戦を勝ち抜き5組に昇級。このとき破った相手の中には広瀬章人もいる。しかし翌期にランキング戦第1回戦・昇級者決定戦第1回戦・残留決定戦と連敗し、1期で6組に戻る。

2011年7月12日、第70期C級2組順位戦2回戦で通算100勝を挙げ、31歳で五段に到達。対局相手は前述の村田智弘であった。

第37期(2011年度)棋王戦において、予選で澤田真吾村山慈明らを破り、棋戦本戦への初出場を果たす。本戦では初戦(2回戦)で鈴木大介と対戦し、鈴木の十八番であるゴキゲン中飛車居飛車で受けて立つも、善戦及ばず敗退した。

2014年夏以降、各棋戦で好成績が続き、2015年8月26日の第57期王位戦予選で森信雄を破り、直近30局の成績を20勝10敗とし、規定の成績を収めたことで第75期(2016年度)以降の順位戦参加資格を取り戻した[4][5]

第66回(2016年度)NHK杯将棋トーナメント予選・決勝で杉本昌隆七段を破り、本戦に初出場。1回戦では、師匠である解説者の小林健二九段が見守るなか、かりゆしのようなシャツ姿で健闘するも豊島将之七段に敗れた。

第25期(2017年度)銀河戦では、予選で最多勝ち抜き者となり、決勝トーナメントに進出。珍戦法「きんとうん戦法」で三浦弘行九段に勝ち、ベスト8に入ったが、久保利明王将に敗れた。

棋風[編集]

2006年9月に毎日コミュニケーションズより「神戸発 珍戦法で行こう」ISBN 4-8399-2157-1)という奇襲を主旨とした棋書を著している(現在絶版)。自由な棋風の棋士といえる。

人物[編集]

対局中は、「ふんふん」と自分に言い聞かせ、確認するようなつぶやきをすることがある[6]。20代の頃は前髪を伸ばしていたが、30代以降は丸刈りにしてイメージチェンジをした[7]

昇段履歴[編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照。

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

脚注[編集]

  1. ^ 第32期奨励会三段リーグ
  2. ^ 熊坂学(3年、制度上最短)・藤倉勇樹(7年)・本間博(7年)に続き、中尾敏之と並ぶ4番目の早さ。
  3. ^ 熊坂(降級当時27歳)・藤倉(当時30歳)に続く3番目の若さ。
  4. ^ 島本亮五段、フリークラスからC級2組へ復帰
  5. ^ フリークラス宣言による転出者以外のフリークラス在籍者が規定の成績を収めたことで翌期以降の順位戦参加資格を獲得したのは伊奈祐介伊藤博文瀬川晶司吉田正和伊藤真吾渡辺大夢に次ぎ7例目、順位戦在籍経験者がフリークラス降級後に参加資格を取り戻したのは伊藤博文以来2例目。
  6. ^ 第9回朝日杯 一次予選 1回戦・携帯中継など
  7. ^ 第57期王位戦予選・中継ブログなど

関連項目[編集]