伊藤博文 (棋士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 伊藤博文 六段
名前 伊藤博文
生年月日 (1960-02-08) 1960年2月8日(57歳)
プロ入り年月日 1984年8月1日(24歳)
棋士番号 166
出身地 奈良県大和高田市
師匠 伊達康夫
段位 六段
戦績
2016年4月24日現在

伊藤 博文(いとう ひろふみ、1960年2月8日 - )は、将棋棋士伊達康夫八段門下。棋士番号は166。奈良県大和高田市出身。

棋歴[編集]

中学1、2年の頃、将棋クラブでアルバイトをして将棋に夢中になる[1]

1974年、14歳で奨励会に入会。初段昇段をしてからの2年間、二段に上がれず、退会まで考えた[1]。しかし、1980年8月に王位戦中原誠米長邦雄)の第4局の記録を務めた後に調子を上げ、その翌年から二段・三段と昇段していき、1984年8月に四段昇段(プロデビュー)を果たす。

1985年、第19回早指し将棋選手権の予選で、師匠の伊達との師弟対決で勝利。

1987年、第37回NHK杯戦で予選を勝ち抜き、本戦初出場。第48回(1998年)、第56回(2006年)でも本戦出場。

順位戦C級2組では初参加(1985年度・第44期)から5年間は24勝26敗のほぼ五分五分の成績を挙げるも、第49期(1990年度)、第50期に2年連続で降級点を喫する。第51期(1992年度)は6勝4敗で勝ち越し、降級点を1つに戻す。第52期には8勝2敗・6位の成績を収め、これが伊藤にとって順位戦における最高成績となった。第55期(1996年度)、第57期(1998年度)に降級点を喫して累計3点となり、フリークラスに降級。

2001年5月29日に順位戦復帰条件の一つである勝率の規定を満たし、C級2組へ復帰が決定。フリークラスからC級2組への昇格は伊奈祐介に次ぎ2例目[2]であるが、フリークラスへ降級後のC級2組復帰は史上初

しかしながら、復帰後すぐの第61期(2002年度)、第62期(2003年度)に2年連続で降級点を取ったところで、2004年4月にフリークラス宣言によるフリークラス転出をした。以降は、自らの意思などで引退しない限り、フリークラス規定により2020年3月(還暦を迎えた年度の年度末)または同年の最終対局日をもって自動的に引退となる。

竜王戦は、第1期で5組からのスタート、以降、昇級も降級もない状態がしばらく続いたが、第20期(2007年度)に残留決定戦で敗れて6組降級。

第66回(2016年度)NHK杯将棋トーナメント予選・東西決勝で中村太地六段を破り、本戦トーナメントへ出場(10年ぶり4回目)。当年度出場者の最年長だったが、本戦1回戦で最年少の増田康宏四段に敗れた。

棋風[編集]

  • 中飛車を得意とする[3]
  • 対抗形を好み、相手が振り飛車党の場合は居飛車にするという[4]
  • アマチュアへの丁寧な指導で知られ、関西以外の地方にも気軽に 指導に出向く。

人物[編集]

  • 森雞二九段は「終盤の魔術師」と呼ばれるが、伊藤は「終盤の話術師」と呼ばれる[1]

昇段履歴[編集]

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

脚注[編集]

  1. ^ a b c 将棋世界」2000年1月号付録。
  2. ^ 吉田正和四段、フリークラスからC級2組へ昇級(日本将棋連盟)(伊藤と伊奈についても記載)
  3. ^ 将棋連盟モバイル・携帯中継など
  4. ^ NHK杯将棋トーナメントインタビュー(2016.4.24放送)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]