青木清
青木 清 七段 | |
---|---|
名前 | 青木 清 |
生年月日 | 1948年1月5日(74歳) |
プロ入り年月日 | 1977年8月20日(29歳) |
引退年月日 | 2000年3月31日(52歳) |
棋士番号 | 133 |
出身地 | 福岡県北九州市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 熊谷達人九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 青木 清 |
戦績 | |
通算成績 | 156勝332敗(0.3197) |
竜王戦最高クラス | 5組 |
順位戦最高クラス | C級2組(12期) |
2015年3月20日現在 |
青木 清(あおき きよし、1948年1月5日 - )は、将棋棋士。2000年、引退。熊谷達人九段門下。棋士番号は133。福岡県北九州市出身。
棋歴[編集]
奨励会では、プロ入り一歩手前の三段時代が10年間もあった。旧制度の三段リーグ(奨励会A組)では1967年度後期から制度が終わる1973年度後期まで13期を過ごした。その間、1968年度後期リーグでチャンスが巡ってきたが、東西決戦で池田修一、野本虎次に敗れて昇段を逃した。
1972年度、第2回奨励会若獅子戦・関西トーナメントで優勝。その決勝は中田章道1級を相手にした香落ち対局であった[1]。また、同年度、第16回古豪新鋭戦でベスト4進出。
プロ3年目を迎えた第39期(1980年度)順位戦では7勝3敗・31人中7位の成績を修め、最終局まで昇級争いに加わった。第9回(1986年度)オールスター勝ち抜き戦予選を突破し、本戦でも当時順位戦A級に在籍していた南芳一を破る活躍もした。以上が青木の代表的な戦績とされている[誰によって?]。
1983年度は1敗と1不戦敗の後に年度末まで休場。復帰以降は成績が振るわないことが多く、1991年度には参加した公式戦で全敗(12敗)を喫した。
順位戦には計12期参加。昇級歴はなく、第46期(1987年度)から3期連続でC級2組において降級点を喫し、42歳で順位戦への参加資格を失った。以降10年間、順位戦に復帰する為の規定の成績を収めることができず、1999年度いっぱいで引退となった。
棋風[編集]
居飛車党であるが、相居飛車戦においては、ひねり飛車、陽動振り飛車といったやや変則的な戦法を多用する。横歩取りもレパートリーの一つ。
人物[編集]
- 将棋界には少ない長めの頭髪がトレードマーク。
- 奨励会員として棋戦で活躍していた1973年頃は北九州の実家に帰り、家業の寿司屋で寿司を握った後に対局場のある大阪に長距離列車で出向くという生活であった[1]。
昇段履歴[編集]
- 1963年 3級 = 奨励会入会
- 1977年8月20日 四段(三段で13勝4敗) = プロ入り
- 1985年11月17日 五段(贈五段 = 将棋の日表彰)
- 1999年4月1日 六段(フリークラス規定)
- 2000年3月31日 引退
- 2014年4月1日 七段(引退棋士規定)
主な成績[編集]
通算成績 156勝332敗
公式戦本戦出場歴[編集]
- 第12回(1978年度)早指し将棋選手権
- 第4回(1980年度)オールスター勝ち抜き戦
- 第9回(1986年度)オールスター勝ち抜き戦