小林宏 (棋士)

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 小林 宏 七段
名前 小林 宏
生年月日 (1962-12-18) 1962年12月18日(54歳)
プロ入り年月日 1984年8月3日(21歳)
棋士番号 167
出身地 三重県度会郡玉城町
師匠 真部一男
段位 七段
戦績
一般棋戦優勝回数 1
2014年6月5日現在

小林 宏(こばやし ひろし、1962年12月18日 - )は、将棋棋士真部一男九段門下。棋士番号は167。三重県度会郡玉城町生まれ。

父の小林察(こばやしさとる)は元、玉川大学大阪学院大学教授で、詩人竹内浩三の研究者。

戦績[ソースを編集]

1989年度(第2期)竜王戦5組ランキング戦の準々決勝で佐藤康光、決勝で森内俊之と後に永世称号を獲得する2名に勝利し、島朗竜王(当時)への挑戦権を争う本戦トーナメントに進出。本戦も1回戦で6組優勝の長沼洋に勝利を挙げた。(2回戦で羽生善治に敗退[1]

竜王戦では2年後の第4期でも4組ランキング戦で優勝し、谷川浩司竜王(当時)への挑戦権を争う本戦トーナメントに進出。日浦市郎(3組2位)、島朗(1組優勝)、塚田泰明(1組3位)を破って、挑戦者決定三番勝負に進出するが、森下卓(3組優勝)に2連敗で敗れる。なお、竜王戦は挑戦者になるだけで、他棋戦の優勝賞金レベルの稼ぎになる。翌期に自己最高位の3組に昇進し、以降8期連続で在位した。

1992年度、第11回早指し新鋭戦棋戦初優勝。決勝で佐藤康光の3連覇を阻止した。

順位戦では初出場から6期目、1990年度(第49期)C級2組で初戦から9連勝し、最終局を待たずしてC級1組への昇級を決める。(最終局で神崎健二に敗れ、3位昇級となった。)以降13期連続でC級1組に在位、その間第55期(1996年度)と第58期(1999年度)で8勝2敗の好成績を修めたが、B級2組への昇級には至らなかった[2]。2010年度(第69期)を最後にフリークラスへの転出を宣言。(2026年度の最終対局まで現役)

棋風[ソースを編集]

居飛車戦法(矢倉など)、振り飛車戦法、相振り飛車のいずれも指しこなすオールラウンドプレーヤーである[要出典]

激しい攻め合いを好む棋風である[要出典]

人物[ソースを編集]

  • 師匠の真部一男とは年が近く(真部は1952年、小林は1962年生まれ)、また真部門下唯一の棋士[3]なので、師弟のつながりはかなり強いものがあった。真部が2007年に死去したときは、週刊将棋将棋世界に追悼文を寄稿。真部が病院で絶局(2007年10月30日、順位戦C級2組、対豊島将之戦)について語ったことを綴り、2008年の升田幸三賞特別賞を受賞した手である『幻の△4二角』の生き証人となった。
  • 1993年から1997年まで、関東奨励会の幹事を務めた。
  • 本格的な登山愛好家。奨励会在籍期間の約4割を占めた二段時代に、ザイルやハンマーなどを少しずつ揃えていったという[4]。平成10年度版「将棋年鑑」のプロフィール(アンケート)で、「棋士以外でやってみたい職業は?」との問いに「冬の小屋番」と回答している。

昇段履歴[ソースを編集]

主な成績[ソースを編集]

棋戦優勝[ソースを編集]

優勝合計1回

在籍クラス[ソースを編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

脚注[ソースを編集]

  1. ^ 羽生はその後、当期の本戦を勝ち続け、挑戦者となり、七番勝負も4勝2敗で制し、19歳で竜王位を獲得した。
  2. ^ 第55期では仮に中川大輔が最終局で敗れていれば小林が2位で昇級となっていた。
  3. ^ 真部が生涯で取った弟子は小林を含めて僅か2名であった。
  4. ^ 将棋世界」2000年1月号付録

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]