末續慎吾

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末續慎吾 Portal:陸上競技
Suetsugu Shingo, Japanese athlete.jpg
選手情報
フルネーム 末續慎吾
ラテン文字 Shingo Suetsugu
国籍 日本の旗 日本
種目 短距離走
所属 ミズノ (2003年 - 2015年)
熊本陸上競技協会 (2015年 - )
大学 東海大学
生年月日 1980年6月2日(34歳)
出身地 熊本県熊本市
身長 178cm
体重 68kg
成績
オリンピック 100m 2次予選1組5着(2004年
200m 準決勝2組8着(2000年
4x100mR 3位 (2008年
世界選手権 200m 3位(2003年
4x100mR 4位 (2001年
地域大会決勝 アジア競技大会
200m 優勝(2002年,2006年
4x100mR 2位 (2002,06年)
国内大会決勝 日本選手権
100m 優勝(2003年,2004年)
200m 優勝(2001,03,06,07年)
国民体育大会
成年100m 優勝 (2006年
最高世界ランク 200m 3位 20秒03 (2003年)
自己ベスト
100m 10秒03(2003年)
200m 20秒03(2003年) アジア記録
400m 45秒99(2002年)
 
獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
オリンピック
2008 北京 4×100mリレー
世界陸上競技選手権大会
2003 パリ 200m
アフロアジア競技大会
2003 ハイデラバード 100m
アジア陸上競技選手権大会
2005 仁川 4×100mリレー
2005 仁川 100m
アジア競技大会
2002 釜山 200m
2006 ドーハ 200m
2002 釜山 4×100mリレー
2006 ドーハ 4×100mリレー
東アジア競技大会
2001 大阪 200m
2001 大阪 4×100mリレー
アジアジュニア陸上競技選手権大会
1999 シンガポール 4×100mリレー
1999 シンガポール 100m
Asia (orthographic projection).svg アジア
IAAF陸上ワールドカップ
2006 アテネ 4×100mリレー
2006 アテネ 200m
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末續 慎吾(すえつぐ しんご、1980年6月2日 - )は、日本の陸上選手熊本県熊本市出身。北京オリンピック男子4×100mリレー銅メダリスト。

東海大学高野進の指導を受ける。高野が日本人の体格に合わせて構築した走法を完成させ、世界陸上2003年パリ大会200mで3位となった。日本人でこの種目のメダル獲得は初めて。また、2006年のアジア大会の200mで2連覇するなどし、全盛期にはパトリック・ジョンソンとともに、「現役世界最速の非ネグロイド」とも言われた。

2008年8月22日の北京オリンピック男子4x100mリレー決勝では第2走者として激走[1]、オリンピックにおける日本男子トラック種目で初の銅メダル獲得に貢献した。

400mは練習の一環として取り組むが、学生時代には関東学生陸上競技対校選手権大会の4×400mリレー決勝で、東海大学のアンカーとして走り、44秒7のラップタイムで走った[2]

サッカー選手松本憲は従弟にあたる[3]

経歴[編集]

西原中学九州学院高校東海大学を経て、ミズノに入社。社内留学で東海大学大学院修了。現在は熊本陸上競技協会所属。

小学校時代に全国小学生陸上競技交流大会に出場し、同じ学年の池田久美子走幅跳の記録上、負け(池田は5m19、末續は4m85)、走幅跳を競技しなくなる[4]。中学時代は、九州大会で100m2位に入った。

高校時代、国体の100mで2度優勝した。高1の時の県大会では、4種目[5] の後に顧問が止めたのにマイルリレーのアンカーを務め、走りきったあと倒れた。高3のインターハイの2週間前に体育の授業でバスケットボールの最中に体育館の窓ガラスにかかとを突っ込み15針を縫う怪我をするが出場し、100mでは決勝まで進出したものの8位[6]、優勝候補の200mでは25秒となり予選落ちした。

大学在学中に両親の離婚や、父との死別など不幸が重なり、陸上競技を続けることが経済的に困難となるが、シドニーオリンピック代表入りし、陸連強化指定選手となり競技を続ける。なおそれまでは、食事が玉ねぎ一個だけであったり、練習時間を確保するため、深夜3時まで居酒屋の皿洗いのアルバイトをする等、苦境を乗り越えた末にオリンピック代表を勝ち取った。

2003の世界陸上パリ大会では、8月29日の男子200m走決勝に進出し、20秒38で3位となった[7]。当時のフランス地元テレビ放送で「 Il est formidable, ce type. (すごい奴だ) 」と紹介され、銅メダルを獲得して高野と泣きながら抱き合う映像がフランス国内でも放映された[8]。同年10月8日には、3人目となる熊本県民栄誉賞を受賞した[9]

2007年世界陸上選手権での4×100mリレー決勝サブトラックでは、「朝原さんにメダルを!」と発言した。この時はアジア新記録ながら5位だったが、北京オリンピックで銅メダルを獲得し、1年後に実現した。

2008年、北京での4×100mリレーでは2走を務めた。

2008年10月以降は、疲労を理由に無期限休養を宣言。

2011年10月、3年ぶりにレースに復帰した[10]

2012年、ロンドン五輪代表選考会でもある日本選手権への参加を目指し、5月19日の東日本実業団で出場したが、標準記録を切れずロンドン五輪出場の可能性は途絶えた。10月の国体では熊本県代表に選ばれ400mリレーでチームのアンカーとして予選と準決勝を走った[11]

2013年、4月13日の熊本県選手権100mに出場し、江里口匡史に次ぐ2位に入った[12]。5月の東日本実業団100mでは去年に続き決勝に進出したが、準決勝で右脚を痛めたために決勝は棄権した[13]。9月の全日本実業団100mでは10秒54のシーズンベストをマークして5位[14]。10月の国体400mリレーでは昨年に続き熊本県代表のアンカーを務め、4位入賞を果たした。

2014年、4月19日の東京選手権100mに出場。利き足の右足を前に置くスタートではなく、左足を前に置いてスタートするという新しい走り方で挑み、準決勝で敗退した[15]。5月の東日本実業団100mは3年連続の決勝進出を果たして4位。6月の日本選手権は参加標準記録Aを切れなかったため、出場は叶わなかった。

2015年3月31日付でミズノを退社。4月1日からは熊本陸上競技協会所属で、東京と熊本を拠点に競技を続けていく[16][17]

特徴[編集]

ナンバ』の動きを取り入れているとされるが、右足(左足)と右腕(左腕)を同時に同方向へ動かしているわけではない。実際に高野と末續とが取り組んだ走法は、例えば右足が前に出るとき同じ側の胸を脚の上に乗り込ませるようにするもので、その時に自然と右腕は後ろに引かれるが内旋動作がはいるために大きく振ることはできない(意識的に腕を振らないと思われがちだが結果的に大きく動かないだけである)。脚と腕が同方向へ同時に動けば人体構造上、走ることはもちろん歩くことも不自然かつ困難であり所謂『ナンバ走り』ではない[18]。また肩の動きを抑えていると言われる事もあるが実際には上記の理由により例えば朝原宣治などの走り方と比べれば大きく前後に動くことはないが、逆に上下には大きく動いており、しかも正面から見た場合には頭から足まで波打つように大きく振られている[19]

記録[編集]

種目 記録 風速 年月日 場所 備考
100m 10秒03 +1.8m/s 2003年5月5日 水戸 日本歴代4位
200m 20秒03 +0.6m/s 2003年6月7日 横浜 アジア記録
400m 45秒99 2002年8月18日 町田 熊本県記録
4×100mR 38秒03 2007年9月1日 大阪 日本記録

主な戦績[編集]

主要国際大会[編集]

大会 場所 種目 結果 記録 備考
1999 アジアジュニア選手権 シンガポール 100m 3位 10秒68 (-0.1)
4x100mR 優勝 39秒86 (3走)
2000 オリンピック シドニー 200m 準決勝 20秒69 (+0.3) 2組8着(全体14位)
2次予選で20秒37の五輪日本人最高記録
4x100mR 6位 38秒66 (3走) 準決勝で38秒31のアジアタイ記録
2001 東アジア競技大会 大阪 200m 優勝 20秒34 (0.0) 予選と決勝で大会記録(予選は20秒73)
4x100mR 優勝 38秒93 (3走) 大会記録
2001 世界選手権 エドモントン 200m 準決勝 20秒39 (+0.7) 2組6着(全体10位)
4x100mR 4位 38秒96 (2走) 大会終了後に5位から4位に繰り上がり
2002 アジア競技大会 釜山 200m 優勝 20秒38 (0.0)
4x100mR 2位 38秒96 (2走)
2003 世界選手権 パリ 200m 3位 20秒38 (+0.1) 五輪・世界選手権を通じて短距離種目で日本人初のメダル[20]
準決勝で20秒22の世界選手権日本人最高記録
2003 アフロアジア
競技大会
英語版
ハイデラバード 100m 3位 10秒36 (-0.6)
2004 オリンピック アテネ 100m 2次予選 10秒19 (0.0) 1組5着(全体17位)
4x100mR 4位 38秒49 (2走)
2005 世界選手権 ヘルシンキ 200m 準決勝 20秒84 (-0.3) 2組6着(全体11位)
4x100mR 8位 38秒77 (1走)
2005 アジア選手権 仁川 100m 2位 10秒42 (-0.3)
4x100mR 優勝 39秒10 (4走)
2006 ワールドカップ アテネ 4x100mR 3位 38秒51 (2走) アジアチーム(メンバーは全員日本人)[21]
200m 3位 20秒30 (+0.1)
2006 アジア競技大会 ドーハ 200m 優勝 20秒60 (+0.7)
4x100mR 2位 39秒21 (2走) 優勝のタイと同タイム
2007 世界選手権 大阪 200m 2次予選 20秒70 (+0.9) 3組6着(全体19位)
4x100mR 5位 38秒03 (2走) 予選と決勝でアジア記録(予選は38秒21)
2008 オリンピック 北京 200m 1次予選 20秒93 (-0.7) 7組6着(全体34位)
4x100mR 3位 38秒15 (2走) 五輪のトラック種目で日本男子初のメダル

その他[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 第1走者:塚原直貴、第2走者:末続慎吾、第3走者:高平慎士、第4走者:朝原宣治
  2. ^ 日本記録は高野進の44秒78。加速がつく分フラットレースよりも記録がよい
  3. ^ 末続のいとこ、千葉の松本が先発濃厚 - ゲキサカ 2008年3月7日掲載
  4. ^ 読売新聞 (2013年11月13日). “箱根駅伝90回記念シンポジウム 第1部 末續慎吾トークショー”. 2013年11月17日閲覧。
  5. ^ 100m、200m、走幅跳、4×100mリレー
  6. ^ 西日本新聞. “九州アマ列伝30 九州学院高 末続慎吾”. 2013年10月21日閲覧。
  7. ^ iaaf.org - World Championships in Athletics 2003 - Results 200 Metres M Final
  8. ^ 2003.08 Monde 200m M (capell,patton,suetsugu,fredericks) - YouTube(フランス語)
  9. ^ 末續慎吾選手(ミズノ)県民栄誉賞授与式の模様(2003-10-8) - 熊本県体育協会
  10. ^ 末続が3年ぶりレース復帰 ロンドン五輪へ競技本格化 - 共同通信、2011年10月4日
  11. ^ 末續慎吾、再始動からの1年 - スポーツナビ、2012年10月30日
  12. ^ 末続 今季初レースで2位「3本走るのが目標だった」 スポニチ Sponichi Annex (2013-4-13) 2014年7月17日閲覧。
  13. ^ 福島200mV、末続100m棄権/陸上 日刊スポーツ nikkansports.com (2013-5-18). 2014年7月17閲覧。
  14. ^ 2013年1月~2013年9月の試合結果一覧 ミズノ公式サイト (2013-9-22). 2014年7月16閲覧。
  15. ^ 【陸上】末続、今季初レース「逆足発進」で10秒87 スポーツ放置 (2014-4-20). 2014年7月17閲覧。
  16. ^ 末続慎吾がミズノ退社 4月から熊本陸協所属に”. 朝日新聞 (2015年3月20日). 2015年3月31日閲覧。
  17. ^ 陸上の末続が現役続行、日本選手権へ意欲”. 日刊スポーツ (2015年3月29日). 2015年3月31日閲覧。
  18. ^ 小山裕史『奇跡のトレーニング』2004年講談社ISBN 4-06-212217-0
  19. ^ 高岡英夫の2003年7月公開論文
  20. ^ ハードル種目を除く
  21. ^ 第1走者:塚原直貴、第2走者:末続慎吾、第3走者:高平慎士、第4走者:小島茂之

関連項目[編集]

外部リンク[編集]