朝原宣治

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朝原宣治 Portal:陸上競技
Flickr - tpower1978 - Japan Athletics Championships.jpg
2008年日本選手権にて(中央右)
選手情報
フルネーム 朝原宣治
ラテン文字 Nobuharu Asahara
愛称 ノビー
国籍 日本の旗 日本
種目 短距離走走幅跳
所属 大阪ガス
大学 同志社大学
生年月日 (1972-06-21) 1972年6月21日(44歳)
出身地 兵庫県神戸市
身長 179cm
体重 75kg
引退 2008年
コーチ 大阪ガス陸上競技部
成績
オリンピック 100m 準決勝1組5着(1996年
4x100mR 3位 (2008年
走幅跳 予選2組20位(1996年)
世界選手権 100m 準決勝1組6着(2003年
4x100mR 4位 (2001年
走幅跳 12位(1995年
地域大会決勝 アジア大会
100m 2位(2002年
4x100mR 2位 (2002年)
走幅跳 9位(1994年
国内大会決勝 日本選手権
100m 優勝(1996,97,00,01,02年)
走幅跳 優勝(1994,95,97年)
自己ベスト
50m 5秒75(2002年) NR
60m 6秒55(1997年) NR
100m 10秒02(2001年)
200m 20秒39(1997年)
走幅跳 8m13cm(1993年)
 
獲得メダル
日本の旗 日本
男子 陸上競技
オリンピック
2008 北京 4×100mリレー
アジア選手権
1993 マニラ 走幅跳
アジア大会
2002 釜山 100m
2002 釜山 4×100mリレー
東アジア大会
1997 釜山 100m
1997 釜山 4×100mリレー
1993 上海 走幅跳
2001 大阪 100m
アジアジュニア選手権
1990 北京 4×100mリレー
1990 北京 走幅跳
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朝原 宣治(あさはら のぶはる、1972年6月21日 - )は、兵庫県神戸市北区出身の元陸上競技選手。2008年北京オリンピック男子4x100mリレーの銅メダリストである。現在は陸上競技指導者スポーツ解説者等で活動中。

ネグロイドが活躍することがほぼ困難とされてきた現代の100メートル競走において、世界大会で何度も決勝に肉薄した成績を残し、後進の選手たちに自信をもたらした今日の日本陸上短距離界のパイオニアである。

妻は同志社大学の同窓生で、元シンクロナイズドスイミング選手・1992年バルセロナオリンピックのソロ・デュエットの銅メダリストの奥野史子。長男と長女・次女の3人の子供がいる。

経歴[編集]

神戸市立小部東小学校神戸市立小部中学校兵庫県立夢野台高等学校、同志社大商学部卒業後、大阪ガス入社。

小中高校時代[編集]

小部中時代はハンドボール部レギュラーで全国大会出場果たす。なお、現在同中学校のハンドボール部は廃部となっている。

陸上競技は夢野台高から始め、高3時に走幅跳でインターハイ優勝。

100メートル競走選手として開花[編集]

当初は走幅跳が専門だったが、同志社大学在籍中の1993年10月26日に行われた国体100mにおいて、当時の日本記録である10秒19をマークして優勝し、以後、スプリンターとしても注目されることになった。当時は和製カール・ルイスと呼ばれた。

アジア人離れした体格と加速力を持ち、リレーのパートナーであった井上悟に「(朝原の加速力はカール・ルイスリロイ・バレルのそれと同じようなレベルで)あまりにも加速が速過ぎて彼にバトンを渡すのは難しかった」と言わしめた[1]

日本記録更新[編集]

100mでの功績は大きく、1993年の10秒19、1996年の10秒14、1997年の10秒08と、日本人として初めて10秒1台、10秒0台を記録し、日本記録を3回更新した。また、オリンピック世界選手権の100mでは、1996年のアトランタ1997年のアテネ2001年のエドモントン2003年のパリ2007年の大阪と、5回準決勝に進出している。しかしながら、本人はもちろんのこと、日本全体が期待して止まなかった世界大会でのファイナリストへの夢は実現することはなかった。

それまで日本記録を更新し合い、リレーメンバーとしても長い付き合いだった伊東浩司とは、お互いの故障が元で直接対決こそ少なかったが、1990年代後半から相次ぐ2人の日本記録更新が、オリンピックや世界選手権におけるリレー種目での入賞というかたちで現れた。それだけでなく末續慎吾ら次の世代の台頭にも繋がった。

2007年世界選手権では日本代表のアンカーとして4x100mリレーに出場。決勝で5位入賞(38秒03 アジア新記録・日本新記録)

北京オリンピック[編集]

2008年は年齢をおして(世界陸上大阪大会時で35歳)現役続行を宣言した。記録もさることながら、容姿も若く見られることが多い。また、4月の織田記念陸上では風邪を押して出場したが、10秒17という35歳の年齢では驚異的な記録を樹立した[2]北京オリンピックの代表入りを目指して6月の日本選手権に出場。決勝は10秒37の記録で2位であったが、6月30日日本陸連の理事会で代表に選考され、4大会連続の代表となった。

日本の陸上競技選手ではハンマー投菅原武男に次いで2人目の4大会連続出場となった北京オリンピックの本番は100mでは2次予選で敗退し、アトランタオリンピック以来の準決勝進出はならなかった。

しかし、8月22日の4x100mリレー予選では1組2着に入り決勝進出(なお予選で優勝候補のアメリカイギリスナイジェリアなどがバトンミスで失格となる大波乱があった)。そして翌日、8月22日の4x100mリレー決勝では、最終走者[3] として登場、見事3位入賞でフィニッシュ。日本男子トラック種目では史上初(男女通じても1928年アムステルダムオリンピックの女子800m銀メダルの人見絹枝以来80年振り)となる、オリンピックでの銅メダル獲得に貢献した。なお、その際、興奮のあまり、競技に使用したバトンを宙に放り投げ、一時バトンの行方が不明になっていたが、後に発見され、日本側に返された[4]

引退後[編集]

その年齢や、メダルを獲得したことから今後の進退が注目されていたが、2008年9月のスーパー陸上等々力陸上競技場)を引退レースにすることが発表され、正式な引退会見も行われた。

9月23日、引退レースとなるスーパー陸上では男子100mに出場、銅メダルメンバーの3人を含むレースで3位に入り、ラストランを飾った。競技終了後、朝原の引退セレモニーが挙行され、特別ゲストとして北京オリンピック三冠王のウサイン・ボルトが登場し、朝原にねぎらいの言葉と花束を贈った。この当時まだ22歳のボルトも「36歳までこの世界で現役を続けることは、私にはできないかもしれない」と話し、改めて朝原の息の長い現役生活に敬意を示すほどだった。朝原は「選手生活の最後にこんな幸せな最後を迎えられることはそういない。本当に感謝でいっぱいです」と会場のファンの前で挨拶した。また、銅メダルメンバーの末續、塚原、高平、そして為末大福島千里など陸上仲間が朝原を胴上げしてセレモニーの最後を締め括った[5][6]

GQ MEN OF THE YEAR 2008」を受賞[7]

母校の同志社大大学院に在籍(休学中)していて、2008年4月からは同大学に新設されたスポーツ健康科学部のアドバイザーに就任し、陸上のみならずスポーツ全体の貢献に関わっていく意思を表明した[8]。名言は「100mは人間力」[9]

2010年には柳本晶一らとアスリートネットワークを結成。4月には自らが主宰するスポーツクラブ『NOBY TRACK and FIELD CLUB』を旗揚げし、ジュニアやユース世代の選手育成を主眼とした陸上競技教室などを開講している。

その他[編集]

  • 現妻・奥野史子とは同志社大学入学直後のゼミで、偶然隣席に座っていたのを機に交際を開始。朝原が下宿先の電話が入った日、奥野にその電話番号のメモを渡した処、最初に朝原の元へ電話をくれたのが奥野だったという[10]
  • 大阪ガス所属の看板選手として、同社の「ガスを正しく安全に」と、ガス器具の正しい使い方を啓発するテレビCMに出演している。なお同じCMが、九州の西部ガスでも、社名を差し替えて放映されている。
  • 2013年の第23回参議院議員通常選挙にて、自由民主党大阪府連から大阪選挙区での出馬を打診されたが、所属先である大阪ガスからの強い慰留を受け、出馬を断った[11]
  • 引退後に朝原の遺伝子を検査した結果、短距離走に最適な筋肉の構成に優れている遺伝子が多く存在する事がわかった。これらの遺伝子はジャマイカをはじめとする、短距離走で活躍する黒人選手達に多く存在する遺伝子であるという。更に朝原にはそれだけでなく、年齢を重ねても筋力が衰えにくい遺伝子も含まれている事が判明した。この結果について朝原は、自分の選んだ道が結果的に自分の才能に適合していたことに安堵したと感想を述べている[12]
  • また、スタート時には、自重の2倍以上の力で踏み出す事ができるという。瞬間的な踏み出す力に関してはアサファ・パウエルをも凌駕する数字である。
  • 2009年からはTBSの世界陸上中継で短距離走の解説を担当しており100mの決勝などでは伊東浩司とダブル解説で担当する。
  • 2016年4月29日から日本テレビの『news every.』の金曜日第一部(16時台)に不定期出演しており、リオデジャネイロオリンピックに出場する日本代表選手を取材している。

主な戦績[編集]

主要国際大会[編集]

大会 場所 種目 結果 記録 備考
1990 アジアジュニア選手権 北京 走幅跳 2位 7m49 (+0.9)
4x100mR 優勝 40秒95
1993 東アジア大会 上海 走幅跳 2位 7m93
アジア選手権 マニラ 走幅跳 優勝 8m13 (+0.7) 元日本歴代2位
1994 アジア大会 広島 走幅跳 9位 7m65
1995 ユニバーシアード 福岡 走幅跳 7位 8m03 (+1.2)
世界選手権 イェーテボリ 走幅跳 12位 7m77 (+1.2) 予選で8m08(+0.7)の世界選手権日本男子最高記録
1996 オリンピック アトランタ 走幅跳 予選 7m46 (+0.6)
100m 準決勝 10秒16 (-0.5) 1組5着(4位と0秒05差)、元五輪日本男子最高記録[13]
4x100mR 予選 DQ (4走) 失格
1997 世界室内選手権 パリ 走幅跳 予選 7m83 予選全体の14位(決勝進出の12位とは0m02差)
東アジア大会 釜山 100m 優勝 10秒04 (+4.0)
4x100mR 優勝 39秒32 (4走) 大会記録
走幅跳 4位 7m89 (+1.6)
世界選手権 アテネ 走幅跳 予選 7m88 (-0.4) 予選全体の17位
100m 準決勝 10秒33 (+0.5) 2組8着
4x100mR 準決勝 38秒31 (4走) 2組5着、元アジア記録(予選でも38秒44のアジア記録)
1999 世界室内選手権 前橋 60m 準決勝 6秒60 3組5着、元世界室内選手権日本男子最高記録
2000 オリンピック シドニー 4x100mR 6位 38秒66 (4走) 準決勝で38秒31の元アジアタイ記録
2001 世界室内選手権 リスボン 60m 準決勝 6秒72 2組6着
東アジア大会 大阪 100m 3位 10秒44 (0.0)
世界選手権 エドモントン 100m 準決勝 10秒33 (-1.2) 1組7着、2次予選で10秒06(風速計故障のため参考記録)
4x100mR 4位[14] 38秒96 (4走) 世界選手権日本男子最高成績[15]
2002 アジア大会 釜山 100m 2位 10秒29 (+0.3)
4x100mR 2位 38秒90 (4走)
2003 世界室内選手権 バーミンガム 60m 予選 6秒71 6組4着
世界選手権 パリ 100m 準決勝 10秒42 (+0.5) 1組6着(世界選手権日本男子最高成績)
4x100mR 6位[14] 39秒05 (4走)
2004 オリンピック アテネ 100m 2次予選 10秒24 (+0.2) 3組4着
4x100mR 4位 38秒49 (4走) 3位と0秒26差
2005 アジア選手権 仁川 100m 4位 10秒57 (-0.3)
世界選手権 ヘルシンキ 100m 2次予選 10秒58 (-2.0) 1組6着
4x100mR 8位 38秒77 (4走) 予選は1走
2007 世界選手権 大阪 100m 準決勝 10秒36 (+0.3) 1組8着、1次予選で10秒14(+1.0)の世界選手権日本男子最高記録
4x100mR 5位 38秒03 (4走) 元アジア記録(予選でも38秒21のアジア記録)
2008 オリンピック 北京 100m 2次予選 10秒37 (-0.2) 3組8着
4x100mR 3位 38秒15 (4走) 五輪のトラック種目で日本男子史上初メダル
五輪男子同種目の最年長メダリスト&ファイナリスト記録(36歳62日)
2位と0秒09差、元オリンピック日本男子最高記録[16]

その他[編集]

自己ベスト[編集]

種目 記録 風速 年月日 場所 備考
屋外
100m 10秒02 +2.0m/s 2001年7月13日 ノルウェーの旗 オスロ 日本歴代3位
200m 20秒39 +0.9m/s 1997年7月13日 ドイツの旗 シュトゥットガルト
走幅跳 8m13 +0.7m/s 1993年12月3日 フィリピンの旗 マニラ 日本歴代5位
室内
50m 5秒75 2002年2月24日 フランスの旗 リエヴァン 日本記録
60m 6秒55 1997年3月1日 ドイツの旗 ジンデルフィンゲン 日本記録
100m 10秒41 2002年2月4日 フィンランドの旗 タンペレ アジア記録
200m 21秒22 1999年2月28日 ドイツの旗 ジンデルフィンゲン
走幅跳 7m83 1997年3月7日 フランスの旗 パリ

著書[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 先駆者・井上悟から見た朝原の功績 ― TBS「世界陸上大阪」
  2. ^ 2007年世界選手権で記録した10秒14は、35歳以上39歳以下のマスターズ世界歴代5位である。Track and Field World Rankings Masters
  3. ^ 第1走者:塚原直貴、第2走者:末續慎吾、第3走者:高平慎士、第4走者:朝原宣治
  4. ^ 行方不明…あの朝原銅バトンが戻って来る
  5. ^ 朝原が引退 日本選手最高の3位に=スーパー陸上「やり切ったすがすがしい気分」”. スポーツナビ (2008年9月23日). 2016年10月10日閲覧。
  6. ^ 日刊スポーツ 2008年9月24日 6面 他
  7. ^ 過去のMen of the Year受賞者たち【国内編】”. GQ JAPAN. 2014年11月21日閲覧。
  8. ^ 朝原トラック卒業し“教授への道”へ”. 日刊スポーツ (2008年8月31日). 2016年10月10日閲覧。
  9. ^ 「スポーツの力」を活用した街づくり「WANGAN ACTIONスポーツアカデミー」 ~中央区の小学生対象に2016年5月22日(日)から~”. 三井不動産 (2016年4月13日). 2016年10月10日閲覧。
  10. ^ こういうデコボコの感じでいいのかな 奥野史子さん×朝原宣治さん(朝日新聞)
  11. ^ 参院選戦線波高し!? メダリストらに出馬打診もフラれ続け…”. 2015年11月3日閲覧。
  12. ^ 金メダル遺伝子を探せ!(善家賢 著、角川文庫)第2章「世界で過熱する研究合戦(北京五輪銅メダリスト・朝原宣治氏の遺伝子を解析 三六歳で筋力が衰えなかった秘密)」より
  13. ^ 2012年ロンドンオリンピックの予選で山縣亮太が10秒07を記録して更新された
  14. ^ a b 大会終了後にドーピング問題で順位が1つ繰り上がった
  15. ^ 2009年ベルリン大会と並び
  16. ^ 2012年ロンドンオリンピックの予選で日本代表チームが38秒07を記録して更新された。メンバーは、第1走者:山縣亮太、第2走者:江里口匡史、第3走者:高平慎士、第4走者:飯塚翔太

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
井上悟
男子100m日本記録保持者
1993/10/26-1998/12/13
次代:
伊東浩司