栁澤哲
栁澤 哲(やなぎさわ さとし、1971年1月19日[1] - )は、日本の陸上競技選手、指導者。現在は山梨学院大学陸上競技部競歩部監督。専門は競歩。男子5000m競歩、男子10000m競歩、男子20km競歩、男子30km競歩の元日本記録保持者である。シドニーオリンピック代表[1]。2001年、世界陸上エドモントン大会の男子20km競歩でこの種目として日本人初の7位入賞[2]。長野県中野市出身。長野県中野実業高校を経て、山梨学院大学卒業[3]。綜合警備保障勤務の後、株式会社協和に所属していた[4]。世界陸上・五輪などでは競歩競技実況のTV解説を務める。
経歴
[編集]ジュニア・学生時代から日本のトップ選手として活躍。1991年、ユニバーシアード競歩大会10000m競歩で優勝[5]。1994年と1995年に男子20km競歩で、日本記録を樹立。1995年、IAAFワールドカップ競歩に出場。
1996年1月、日本選手権男子20km競歩を制したが、アトランタオリンピック最終選考会となった同年4月の全日本競歩輪島大会男子20km競歩で、終盤トップを進んでいたものの、残り2km地点で無念の失格。アトランタオリンピック男子20km競歩は、池島大介が選ばれたため、日本代表入りできなかった。
その後、しばらく低迷していたが、2000年1月の日本選手権男子20km競歩で日本記録で優勝(この記録は2013年、同大会にて鈴木雄介に破られるまで13年間保持した)。同年、シドニーオリンピック出場を果たす[5]。シドニーオリンピックの途中計時では、10km競歩の当時の日本記録を打ち立てた。
2000年、赤坂5丁目ミニマラソンにもゲストで参加し、間寛平ら芸能人ランナーたちを寄せ付けず、5位となった。2001年世界陸上選手権の男子20km競歩では、終盤まで先頭集団に混じり、この種目で日本選手初となる7位入賞の快挙を成し遂げた[2]。その後も、2002年アジア競技大会男子20km競歩銅メダルなど、トップ選手として活躍していたが、谷井孝行や山崎勇喜の台頭により、後進に道を譲る形で第一線を退いた。
引退後は、東京大学生涯スポーツセンターに勤務しながら、会社の後輩でもあった明石顕と母校の山梨学院大学陸上競技部競歩部門コーチを務めた。2007年世界陸上選手権、2011年世界陸上競技選手権、2012年ロンドンオリンピック、2016年リオデジャネイロオリンピック、2020年東京オリンピックとTV競歩解説を務め、2013年世界陸上競技選手権大会の中継以降も、世界陸上競技選手権の競歩種目では常にTV競歩解説者を務めている。2011年10月からはTOTO助成「若手スポーツ指導者長期在外研修事業」によりオーストラリアにコーチ留学している[6]。
2019年より、一般社団法人国際統合リハビリテーション協会と連携してウォーキング療法士を監修し、理学療法士や作業療法士にウォーキング指導を行っている。
自己記録
[編集]脚注
[編集]- 1 2 “柳澤 哲|陸上競技|シドニー2000”. JOC - 日本オリンピック委員会. 2026年5月1日閲覧。
- 1 2 JAAF. “世界選手権入賞者”. www.jaaf.or.jp. 日本陸上競技連盟. 2026年5月1日閲覧。
- ↑ 月陸編集部 (2021年8月28日). “【連載】上田誠仁コラム雲外蒼天/第12回「競歩愛に満ちたTV解説とその背景 ~オリンピック競歩解説者・柳澤哲~」”. 月陸Online|月刊陸上競技. 2026年2月17日閲覧。
- ↑ “協和の想い”. 2023年4月16日閲覧。[リンク切れ]
- 1 2 “クラブ紹介”. 陸上競技部〔競歩〕 |. 山梨学院大学 (2023年10月30日). 2026年5月1日閲覧。
- ↑ http://naash.go.jp/sinko/Portals/0/sinko/sinko/kuji/pdf/yanagisawa-tetsu.pdf[リンク切れ][リンク切れ]
外部リンク
[編集]- 栁澤哲 - 国際オリンピック委員会
- 栁澤哲 - オリンピックチャンネル
- 栁澤哲 - Olympedia
- 栁澤哲 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 栁澤哲 - 国際陸上競技連盟