室伏広治

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室伏広治 Portal:陸上競技
Koji Murofushi Daegu 2011.jpg
2011年世界陸上優勝時
選手情報
フルネーム 室伏アレクサンダー広治
Koji Alexander Murofushi
国籍 日本の旗 日本
種目 ハンマー投
所属 ミズノ
生年月日 (1974-10-08) 1974年10月8日(42歳)
生誕地 静岡県沼津市
身長 187cm[1]
体重 99kg[1]
自己ベスト ハンマー投:84m86(2003年)
 
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
2004 アテネ 男子ハンマー投
2012 ロンドン 男子ハンマー投
世界陸上選手権
2001 エドモントン 男子ハンマー投
2003 パリ 男子ハンマー投
2011 大邱 男子ハンマー投
アジア大会
1994 広島  男子ハンマー投
 1998 バンコク  男子ハンマー投
 2002 プサン  男子ハンマー投
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室伏 広治(むろふし こうじ、1974年(昭和49年)10月8日 - )は静岡県沼津市出身の日本の男子ハンマー投選手、スポーツ科学者中京大学博士)。東京医科歯科大学教授学位博士(体育学)。専門は陸上競技(ハンマー投)、スポーツ科学、スポーツパフォーマンス・システム研究。特にアスリートのパフォーマンス向上に関する研究。

フルネームは室伏アレクサンダー広治(Koji Alexander Murofushi)。陸上選手としての所属はミズノ(正確にはミズノ株式会社スポーツプロモーション部ミズノトラッククラブ)。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事[2]

主な実績に2001年世界陸上エドモントン大会銀メダル受賞、2004年アテネオリンピック金メダル受賞、2011年世界陸上大邱大会金メダル受賞、2012年ロンドンオリンピック銅メダル受賞。2004年のアテネ五輪金メダルを評価され、紫綬褒章を授与されている。

2016年6月、競技引退の意向を表明。

来歴[編集]

父親は「アジアの鉄人」こと室伏重信(前日本記録保持者、中京大学名誉教授。広治自身も「鉄人」と呼ばれている[3])。母親はオリンピックやり投ルーマニア代表のセラフィナ・モーリツルーマニア語: Serafina Moritzハンガリー語: Móritz Szerafina; 重信との離婚により広治とは生別)。父親が日本人で母親がハンガリー系ルーマニア人ハーフ。現地のミドルネーム(アレクサンダー)を持つ。妹はアテネ五輪女子ハンマー投代表・女子円盤投日本記録保持者の室伏由佳。2015年5月、一般会社員女性と結婚[4]

静岡県沼津市生まれ。愛知県豊田市立東保見小学校豊田市立保見中学校千葉県成田高等学校中京大学体育学部を経て同学大学院体育学研究科に進学。2007年、中京大学大学院で博士号(体育学)取得[5]。2011年4月、中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授に就任[6]

2004年アテネオリンピックの男子ハンマー投金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを取ったのはアジア史上初。

日本オリンピック委員会・2005年度選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。IAAF選手委員(2期目)。2012年3月、日本陸上競技連盟が行っている格付けでSクラス(最高位)に認定された[7]。同年12月13日、新設された「ゴールドアスリート」に指定された[8]

2014年6月、東京五輪・パラリンピック組織委員会スポーツディレクターに就任[9]。同年7月に東京医科歯科大学教授 兼 スポーツサイエンスセンター長に内定[10]。同年8月に東京医科歯科大学特任教授を経て、同年10月より同教授に就任。

2015年3月12日、日本陸上競技連盟の新理事に6月改選の次期役員として内定したことが発表され[11]、就任。

2015年6月、日本オリンピック委員会の理事に就任[12]

2016年6月24日、リオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権のハンマー投競技終了後、第一線からの引退を表明[13]

競技経歴[編集]

幼少期から大学生時代まで[編集]

幼少時からテニス、水泳、野球、少林寺拳法など様々なスポーツを経験しながら育つ[14]。小学3年から中学2年まではロサンゼルス近郊に滞在しており、ゴルフやテニスを習っていた[15][16]。帰国後は保見中学校に編入学、当初は複数の部活動を掛け持ちしていた[16]。最終的に陸上競技部へ入部し三種競技B(砲丸投、走幅跳、400m)に取り組んでいた[17]が、身長が急激に伸びた際の成長痛に悩まされておりほとんど練習していない状態だったという[18][19]
1990年成田高等学校に進学。入学当初はやり投、走幅跳、三段跳、ハードルなどさまざまな競技に取り組んでいた[17]。高校1年の夏前から[17]専門種目としてハンマー投に取り組み、日本高校新記録・高校最高記録を樹立。インターハイは1991年・1992年と2連覇を達成。

1993年中京大学に進学。父・室伏重信や溝口和洋のコーチングを受け、日本学生新記録・日本ジュニア新記録を樹立。インカレ4連覇を達成。1994年広島アジア大会では67m48を投げて2位。1995年の第79回日本選手権では69m72を投げて大会初優勝を果たした。同年の世界陸上ヨーテボリ大会では67m06を投げて予選35位。

シドニーオリンピック(2000年)まで[編集]

1997年ミズノに入社。同年の世界陸上アテネ大会では74m82を投げて10位。1998年4月26日に行われた群馬カーニバルで父・室伏重信の持つ日本記録を更新する76m65を記録。12月13日のバンコクアジア大会では78m57で大会初優勝。1999年世界陸上セビリア大会では75m18を投げて予選14位。

2000年5月13日の大阪国際グランプリでは初の80メートルスローとなる80m23を記録して優勝。シドニーオリンピックでは雨天のコンディションから76m60で9位に終わり入賞を逃した。IAAFグランプリファイナルでは80m32で2位。

アテネオリンピック(2004年)まで[編集]

2001年7月14日の中京大土曜記録会では世界歴代7位(当時)となる83m47を記録。8月5日の世界陸上エドモントン大会では82m92を投げて2位になり、銀メダルを獲得。投擲種目でのメダル獲得は世界陸上・五輪を通じて日本人初であった[20]。9月7日にブリスベンで行われたグッドウィルゲームズでは82m92で優勝。

2002年5月11日のドーハグランプリでこの年のシーズンベストとなる83m33を記録。9月14日のIAAFグランプリファイナルでは81m14で優勝、20日のIAAFワールドカップでは80m03で2位。10月8日の釜山アジア大会では78m72で優勝し大会2連覇を達成。

2003年5月10日の大阪国際グランプリでは82m95で優勝、6投すべての試技で81mを超えた。6月8日の第87回日本選手権では83m29の大会新記録で9連覇を達成。6月29日のプラハ国際で世界歴代3位(当時)となる84m86を記録、過去15年における世界最高記録であった[1]
8月25日の世界陸上パリ大会では出発3日前の練習中にサークル内で滑って転倒し、右肘を強打。手の指に力が入らない状態で、一時は欠場を考えたコンディション[21]ながら80m12を投げて3位になり、銅メダルを獲得。

2004年6月6日の第88回日本選手権では82m09を投げて父・重信と並ぶ10連覇を達成。
8月22日に行われたアテネオリンピック の大会中は82m91の記録を残し2位となったが、83m19の記録で1位となっていたハンガリーアドリアン・アヌシュドーピング疑惑が浮上。アヌシュはIOCが求めていた再検査の為の尿検体提出を拒否、更に競技前後それぞれに提出した2つの尿検体が同一人物でないことが判明。アテネオリンピック最終日の8月29日にドーピング違反で失格処分となり、室伏が優勝者となった[22]
9月のスーパー陸上ではシーズンベストとなる83m15を投げて優勝。同競技会終了後に金メダル授与式が行われ、5万人近い観衆からの祝福を受けた[21]。陸上・投擲種目における金メダル獲得はオリンピック、世界選手権を通じてアジア史上初。この年は出場した7試合すべてで優勝している。

北京オリンピック(2008年)まで[編集]

2005年は第89回日本選手権にのみ出場、76m47で11連覇を達成。

2006年の第90回日本選手権では80m17で12連覇を達成。9月10日のワールドアスレチックファイナルでは81m42、16日のIAAFワールドカップではシーズンベストとなる82m01を投げて優勝。この年は出場した8試合すべてで優勝している。

2007年6月30日の第91回日本選手権では79m24で13連覇を達成。8月27日の世界陸上大阪大会では、決勝8人のうち7人が80メートル以上を記録する中80m46で6位に終わった。ワールドアスレチックファイナルでは77m95で3位。

2008年6月27日の第92回日本選手権では80m98で14連覇を達成。
8月17日の北京オリンピック大会中は80m71で5位になったが、12月11日に2位:ワディム・デフヤトフスキーと3位:イワン・チホン(共にベラルーシの旗 ベラルーシ)の2選手のドーピング違反が発覚、当該選手が国際オリンピック委員会理事会において失格、メダル剥奪処分を受けたため、一時は3位に繰り上がる裁定がスポーツ仲裁裁判所により下された[23]が、2010年6月10日に処分が撤回されたため銅メダル獲得はならなかった[24]
9月14日のワールドアスレチックファイナルでは78m99で3位。

ロンドンオリンピック(2012年)まで[編集]

2009年は第93回日本選手権にのみ出場、73m26で15連覇を達成。同年からアリゾナ州「Athletes' Performance」社に所属しているフィジカルトレーナーの咲花正弥、理学療法士のロバート・オオハシ、テクニカルコーチのトーレ・グスタフソン、中京大学スポーツ科学部教授の清水卓也と“チーム・コウジ”を結成[25]

2010年の第94回日本選手権では77m35で16連覇を達成、IAAFワールドチャレンジミーティングスでは8月29日のリエティ大会で世界ランキング1位となる80m99、9月1日のザグレブ大会で79m91を投げて優勝し、IAAFハンマースローチャレンジの初代年間チャンピオンとなった。

2011年5月8日のセイコーゴールデングランプリ川崎では78m10で2位になり、世界選手権標準記録Aを突破。6月11日の第95回日本選手権では77m01で17連覇を達成。8月29日の世界陸上大邱大会では3投目と5投目に81m24を投げて優勝、世界選手権で初の金メダルを獲得。日本人選手で初となる五輪・世界選手権二冠覇者になるとともに、世界選手権における男子最年長優勝者(36歳と325日)となった[1][26]

2012年6月8日の第96回日本選手権では72m85で18連覇を達成。8月5日のロンドンオリンピックでは78m71で3位になり、銅メダルを獲得。

2011年と2012年の日本陸上連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」において、アスリート・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に選出されている[27][28]

2013年以降[編集]

2013年6月9日の第97回日本選手権では76m42で19連覇を達成。8月12日の世界陸上モスクワ大会では78m03を投げて6位入賞。

2014年6月7日の第98回日本選手権では73m93を投げて優勝、同大会の20連覇を達成[29]。2014年の「アスレティック・アワード」では特別賞に選出される[30]

2015年第99回日本選手権世界陸上北京大会を欠場[31]

2016年6月24日、2年ぶりの出場となったリオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた第100回日本選手権で自己ベストを20メートル以上下回る64m74を投げて12位。競技終了後、第一線からの引退を表明[13]

主な実績[編集]

主要国際大会[編集]

大会 開催地 成績 記録 備考
1992 世界ジュニア陸上競技選手権大会 韓国の旗ソウル特別市 8位 65m78
1993 アジア陸上競技選手権大会 フィリピンの旗マニラ 2位 65m54
1994 アジア競技大会 日本の旗広島市 2位 67m48
1995 世界陸上競技選手権大会 スウェーデンの旗ヨーテボリ 予選35位 67m06
アジア陸上競技選手権大会 インドネシアの旗ジャカルタ 2位 69m24
ユニバーシアード 日本の旗福岡市 15位 67m58
1997 世界陸上競技選手権大会 ギリシャの旗アテネ 10位 74m82
ユニバーシアード イタリアの旗シチリア 8位 73m46
1998 アジア陸上競技選手権大会 日本の旗福岡市 2位 74m17
アジア競技大会 タイ王国の旗バンコク 優勝 78m57 大会新記録(当時)
1999 ユニバーシアード スペインの旗パルマ・デ・マヨルカ 6位 77m14
世界陸上競技選手権大会 スペインの旗セビリア 予選14位 75m18
2000 IAAFグランプリファイナル カタールの旗ドーハ 2位 80m32
オリンピック オーストラリアの旗シドニー 9位 76m60
2001 世界陸上競技選手権大会 カナダの旗エドモントン 2位 82m92 投擲種目におけるメダル獲得は五輪・世界選手権を通じて日本人選手初
グッドウィルゲームズ オーストラリアの旗ブリスベン 優勝 82m92 陸上競技における同大会での優勝は日本人選手初
2002 アジア陸上競技選手権大会 スリランカの旗コロンボ 優勝 80m45 大会新記録
IAAFグランプリファイナル フランスの旗パリ 優勝 81m14 同大会での優勝は日本人選手初
IAAFワールドカップ スペインの旗マドリード 2位 80m03
アジア競技大会 韓国の旗釜山広域市 優勝 78m72 大会新記録
2003 世界陸上競技選手権大会 フランスの旗パリ 3位 80m12
2004 オリンピック ギリシャの旗アテネ 優勝 82m91 投擲種目における優勝は五輪・世界選手権を通じて日本人選手初
2006 ワールドアスレチックファイナル ドイツの旗シュトゥットガルト 優勝 81m42
IAAFワールドカップ ギリシャの旗アテネ 優勝 82m01 同大会での優勝は日本人選手初
2007 世界陸上競技選手権大会 日本の旗大阪市 6位 80m46
ワールドアスレチックファイナル ドイツの旗シュトゥットガルト 3位 79m95
2008 オリンピック 中華人民共和国の旗北京市 5位 80m71
ワールドアスレチックファイナル ドイツの旗シュトゥットガルト 3位 78m99
2010 IAAFハンマースローチャレンジ英語版 日本の旗大阪市 3位 77m86
IAAFハンマースローチャレンジ イタリアの旗リエーティ 優勝 80m99 2010年世界ランキング1位
IAAFハンマースローチャレンジ クロアチアの旗ザグレブ 優勝 79m71 合計238.52ポイントで同シリーズ総合優勝
同シリーズの初代年間チャンピオンとなった
2011 世界陸上競技選手権大会 韓国の旗大邱広域市 優勝 81m24 五輪・世界選手権の二冠制覇は日本人選手初
世界選手権における男子最年長優勝(36歳と325日)
2012 オリンピック イギリスの旗ロンドン 3位 78m71
2013 世界陸上競技選手権大会 ロシアの旗モスクワ 6位 78m03

日本選手権での成績[編集]

所属 大会 成績 記録 備考
1992年 成田高3 第76回日本陸上競技選手権大会 4位
1993年 中京大1 第77回日本陸上競技選手権大会 2位 65m74
1994年 中京大2 第78回日本陸上競技選手権大会 3位 64m10
1995年 中京大3 第79回日本陸上競技選手権大会 優勝 69m72 日本選手権初優勝
1996年 中京大4 第80回日本陸上競技選手権大会 優勝 70m38 2連覇
1997年 ミズノトラッククラブ 第81回日本陸上競技選手権大会 優勝 74m06 3連覇
1998年 第82回日本陸上競技選手権大会 優勝 76m67 4連覇、日本新記録(当時)、大会新記録(当時)
1999年 第83回日本陸上競技選手権大会 優勝 75m64 5連覇
2000年 第84回日本陸上競技選手権大会 優勝 76m39 6連覇
2001年 第85回日本陸上競技選手権大会 優勝 78m83 7連覇、大会新記録(当時)
2002年 第86回日本陸上競技選手権大会 優勝 79m15 8連覇、大会新記録(当時)
2003年 第87回日本陸上競技選手権大会 優勝 83m29 9連覇、大会新記録
2004年 第88回日本陸上競技選手権大会 優勝 82m09 10連覇
2005年 第89回日本陸上競技選手権大会 優勝 76m47 11連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2006年 第90回日本陸上競技選手権大会 優勝 80m17 12連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2007年 第91回日本陸上競技選手権大会 優勝 79m24 13連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2008年 第92回日本陸上競技選手権大会 優勝 80m98 14連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2009年 第93回日本陸上競技選手権大会 優勝 73m26 15連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2010年 第94回日本陸上競技選手権大会 優勝 77m35 16連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2011年 第95回日本陸上競技選手権大会 優勝 77m01 17連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2012年 第96回日本陸上競技選手権大会 優勝 72m85 18連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2013年 第97回日本陸上競技選手権大会 優勝 76m42 19連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2014年 第98回日本陸上競技選手権大会 優勝 73m93 20連覇、日本選手権最多連勝
2016年 第100回日本陸上競技選手権大会 12位 64m74

年次ベスト[編集]

太字は自己ベスト

所属 7.26kg 6.35kg やり投 円盤投 備考
1990年 成田高1 57m82
1991年 成田高2 61m76 68m22 60m46 高校最高記録(当時)・高校記録(当時)
1992年 成田高3 66m30 73m52 68m16 高校最高記録・高校記録・千葉県高校記録(やり投、当時)
1993年 中京大1 68m00 日本学生記録(当時)
1994年 中京大2 69m54 日本学生記録(当時)
1995年 中京大3 72m32 44m64 日本学生記録(当時)
1996年 中京大4 73m52 日本学生記録
1997年 ミズノトラッククラブ 75m72
1998年 78m17 日本記録(当時)
1999年 78m57 日本記録(当時)
2000年 81m08 日本記録(当時)
2001年 83m47 世界歴代7位(当時)・アジア記録(当時)・日本記録(当時)
2002年 83m33 41m93
2003年 84m86 世界歴代3位(当時)・アジア記録・日本記録
2004年 83m15
2005年 76m47
2006年 82m01
2007年 82m62
2008年 81m87
2009年 78m36
2010年 80m99
2011年 81m24
2012年 78m71
2013年 78m03
2014年 73m93
  • 高校入学後の4月に行われた人生初の試合では、2回転投げで44m26(6.35kg)を記録している[1]
  • 高校3年生時にはやり投でも全国大会に出場しており、宮崎インターハイでは64m56を投げて6位、べにばな国体では千葉県高校記録[32]となる68m16を投げて2位という結果を残している。

選手としての特徴[編集]

高速ターンや、“倒れ込み”という[33]回転中に軸を背面方向に倒す父譲りの技術を武器としている[20]

体重は初めて80mを超えた当時で95kg、自己ベストを投げた2003年で97kg[34]

父・重信は広治の体力的な素質について、「体力的な面では、スピードとジャンプ力があります。短距離選手に負けないようなスピードがあり、ジャンプでは立ち幅跳びで3メートル60ほどいっていました。その並外れたスピードとジャンプ力が、軽量ながらハンマーを飛ばせているんだと思いました。」と評している[19]

広治はコントロールテスト[注釈 1]のベスト記録について、「バック投げは一般用の砲丸(7.26kg)で20m行くか行かないぐらいかな。立ち五段跳びは18m30で、両脚だと19mは跳びました。立ち幅跳びは3m60がベストです。握力はテレビ番組で計測したときに針が振り切れてしまったのでわからないですね。」と語っている[36]

「筋力をつけるだけではハンマーでは勝てない」という持論から[37]2005年以降はバーベルに複数のハンマーをぶら下げたアンバランスな状態でウエイトトレーニングを行う、扇子や投網を投げる、新聞紙を片手で丸める等の感覚を磨くことを目的とした独特のトレーニングを行っている[33]

人物・エピソード[編集]

人物[編集]

名前は「世界を広く治めるように」と父が命名、外国人にも発音しやすい名前にしたという[38]

最も影響を与えられた人物として、男子やり投日本記録保持者の溝口和洋を挙げている[39][40]。大学二年のときから指導を受けている[41]。それまでやり投ハンマー投をしていて、どちらを専門とするか悩んでいた広治に「やり投げやと八七mくらいで終わるけど、ハンマーなら八〇mは投げられるから、そっちの方がいいんとちゃうか」とアドバイスしたという[41]

好きな格闘家としてヒクソン・グレイシーを挙げている[42]

エピソード[編集]

1998年のNHKハートプロジェクトでは、障害者の詩をモチーフにして描いた絵画が展示された[38]

2006年には「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2006」[43]、2007年には「第2回さわやかヘアスタイル大賞(メンズ部門)」[44]を受賞している。

漫画家さいとう・たかをは、ゴルゴ13が現在実写映画化されるなら「室伏広治が適任」とコメントしている[45]

中日ドラゴンズ監督の落合博満と親交があり、中日スポーツ誌上で対談したり、打撃指導を受けたことがある[46]

横綱の朝青龍と親交があり、室伏が高砂部屋の宿舎を訪問してトレーニング方法をアドバイスしたり、遊びでハンマーを投げたことがある[47]。アテネオリンピックの前には直接会いに来た朝青龍から金のネクタイを贈られている[48]

高校時代、体力テストのハンドボール投げで65m以上を記録した。野球部員でも40~45m投げることができれば強肩と呼ばれていたため周囲を驚かせていたという[49]

1996年、東京ボブスレー・リュージュ連盟が行ったトライアウトに参加。全種目(60m走、20m走、立ち五段跳び、ベンチプレススクワット)で満点を出して[50]長野オリンピック日本代表候補に選出されるも、ハンマー投に集中することを決めたとして出場を断念している[51][52]

TBS放送の『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』に出演。ビーチ・フラッグスでは、アレン・ジョンソン(96年アトランタ五輪110メートルハードル金メダリスト)、ドノバン・ベイリー(96年に当時の100メートル世界新である9秒84を記録)に勝利している[53]。重さ10kgのタルを投げ上げて、越えた壁の高さを競う[54]「ザ・ガロンスロー」では、8m25cmの世界記録を持っている[54]

2005年4月5日のプロ野球横浜-巨人戦の始球式では、球速131km/hを記録している[55]

不祥事[編集]

2012年8月、当時開催されていたロンドンオリンピックに出場していた室伏は、国際オリンピック委員会の選手委員に立候補したが、オリンピック会場の選手村でドーピング禁止のキャンペーンキャラクターとして自己の写真を使ったポスターの掲示や同様のステッカーを配布したことが選挙に関する複数の規定に違反したとされ、国際オリンピック委員会から失格の処分を受けた。これに伴い、本来であれば1位で選手委員への当選を果たしていた室伏は委員に就任できなくなった[56]

CM出演[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ パフォーマンスに関係する自分の体力要因を確認するため、定期的に行うテスト[35]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e Koji Murofushi Official Web PROFILE
  2. ^ 評議員会を開催 組織委員会新理事を選任 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
  3. ^ 「ロンドンで完全勝利を目指す鉄人が本当に超えたもの。〜室伏広治・著『超える力』を読む〜」、[Number]、2012年07月31日[1]
  4. ^ ハンマー投げ室伏広治が入籍”. デイリースポーツ online (2015年5月12日). 2015年5月12日閲覧。
  5. ^ 博士論文のテーマは「ハンマー頭部の加速についてのバイオメカニクス的考察」。この論文の基礎となったフルペーパーが公式サイトに掲載されている。
    “Development of a System to Measure Radius of Curvature and Speed of Hammer Head during Turns in Hammer Throw” (PDF). International Journal of Sport and Health Science 3 (2005): 116-128. (March 2005). http://www.kojimurofushi.net/pdf/20040075.pdf 2012年8月13日閲覧。. 
  6. ^ 中京大学広報 第168号 (PDF) (2011年6月27日、7ページ)
  7. ^ 12年度の強化指定選手[リンク切れ]
  8. ^ 陸連強化規定見直し ゴールドに室伏指定nikkansports.com 2014年11月30日閲覧。
  9. ^ 多様な文化、認め合う五輪に=室伏広治20年東京五輪SD時事ドットコム 2014年11月30日閲覧。
  10. ^ 中京大学公式発表(2014年7月16日)
  11. ^ 日本陸連:室伏広治を新理事に内定毎日新聞 2015年3月12日
  12. ^ JOC理事30人を改選 新任は室伏氏ら6人
  13. ^ a b 室伏広治「体力の限界を感じました」 引退の意向”. 朝日新聞デジタル (2016年6月24日). 2016年7月9日閲覧。
  14. ^ 室伏の20連覇に父・重信さん絶賛「誰もできないのでは」/陸上 サンスポ.com 2014年6月8日
  15. ^ 『月刊陸上競技』2004年11月号、講談社、45頁
  16. ^ a b 『陸上競技マガジン』2015年4月号、ベースボールマガジン社、108、109頁
  17. ^ a b c 孤高の競技者・室伏広治の告白ーー。ロンドンとハンマー、そして人生。 Number Web 2012年6月29日
  18. ^ 『月刊陸上競技』2004年11月号、講談社、雑誌09385-11 46頁
  19. ^ a b スポーツ 歴史の検証 第20回 室伏重信 笹川スポーツ財団
  20. ^ a b 日本投てき界史上初のメダルは、“父子鷹”室伏が達成。五輪金メダリストと名勝負を展開 TBS 2015年8月
  21. ^ a b TBS|世界陸上大阪大会「選手紹介」 TBS 2007年8月30日
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]