室伏広治

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室伏広治 Portal:陸上競技
Koji Murofushi Daegu 2011.jpg
2011年世界陸上優勝時
選手情報
フルネーム 室伏アレクサンダー広治
Koji Alexander Murofushi
国籍 日本の旗 日本
種目 ハンマー投
所属 ミズノ
生年月日 1974年10月8日(40歳)
生誕地 静岡県沼津市
身長 187cm
体重 99kg
自己ベスト ハンマー投:84m86(2003年)
 
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
2004 アテネ 男子ハンマー投
2012 ロンドン 男子ハンマー投
世界陸上選手権
2001 エドモントン 男子ハンマー投
2003 パリ 男子ハンマー投
2011 大邱 男子ハンマー投
アジア大会
1994 広島  男子ハンマー投
 1998 バンコク  男子ハンマー投
 2002 プサン  男子ハンマー投
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室伏 広治(むろふし こうじ、1974年(昭和49年)10月8日 - )は、静岡県沼津市出身の日本の男子ハンマー投選手、スポーツ科学者中京大学博士)。東京医科歯科大学教授学位博士(体育学)。専門は陸上競技(ハンマー投)、スポーツ科学、スポーツパフォーマンス・システム研究。特にアスリートのパフォーマンス向上に関する研究。

フルネームは室伏アレクサンダー広治(Koji Alexander Murofushi)。陸上選手としての所属はミズノ(正確にはミズノ株式会社スポーツプロモーション部ミズノトラッククラブ)。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事[1]

主な実績に2001年世界陸上エドモントン大会銀メダル受賞、2004年アテネオリンピック金メダル受賞、2011年世界陸上大邱大会金メダル受賞、2012年ロンドンオリンピック銅メダル受賞。2004年のアテネ五輪金メダルを評価され、紫綬褒章を授与されている。

来歴[編集]

父親は「アジアの鉄人」こと室伏重信(前日本記録保持者、中京大学名誉教授。広治自身も「鉄人」と呼ばれている[2])。母親はオリンピックやり投ルーマニア代表のセラフィナ・モーリツルーマニア語: Serafina Moritzハンガリー語: Móritz Szerafina; 重信との離婚により広治とは生別)。父親が日本人で母親がハンガリー系ルーマニア人ハーフ。現地のミドルネーム(アレクサンダー)を持つ。妹はアテネ五輪女子ハンマー投代表・女子円盤投日本記録保持者の室伏由佳。2015年5月、一般会社員女性と結婚[3]

静岡県沼津市生まれ。愛知県豊田市立東保見小学校、同保見中学校、千葉県成田高等学校中京大学体育学部を経て同学大学院体育学研究科に進学。2007年、中京大学大学院で博士号(体育学)取得[4]。2011年4月、中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授に就任[5]

2004年アテネオリンピックの男子ハンマー投金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを取ったのはアジア史上初。

日本オリンピック委員会・2005年度選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。IAAF選手委員(2期目)。2012年3月、日本陸上競技連盟が行っている格付けでSクラス(最高位)に認定された[6]。同年12月13日、新設された「ゴールドアスリート」に指定された[7]

2014年6月、東京五輪・パラリンピック組織委員会スポーツディレクターに就任[8]。同年7月に東京医科歯科大学教授 兼 スポーツサイエンスセンター長に内定[9]。同年8月に東京医科歯科大学特任教授を経て、同年10月より同教授に就任。

2015年3月12日、日本陸上競技連盟の新理事に6月改選の次期役員として内定したことが発表された[10]

競技経歴[編集]

シドニーオリンピック(2000年)まで[編集]

幼少時からテニス、水泳、野球、少林寺拳法など様々なスポーツを経験しながら育つ[11]。小学6年から中学2年まではロサンゼルスに滞在しており、テニススクールに通っていた[12]。保見中学時代は三種競技B(砲丸投、走幅跳、400m)に取り組んでいた[13]が、身長が急激に伸びた際の成長痛に悩まされておりほとんど練習していない状態だったというだったという[14][15]
1990年成田高等学校に進学。入学当初はやり投、走幅跳、三段跳、ハードルなどさまざまな競技に取り組んでいた[13]。高校1年の夏前から[13]専門種目としてハンマー投に取り組み、日本高校新記録・高校最高記録を樹立。インターハイは1991年・1992年と2連覇を達成。

1993年中京大学に進学。父・室伏重信のコーチングを受け、日本学生新記録・日本ジュニア新記録を樹立。インカレ4連覇を達成。1994年広島アジア大会では67m48を投げて2位。1995年の第79回日本選手権では69m72を投げて大会初優勝を果たした。

1997年ミズノに入社。1998年4月26日に行われた群馬カーニバルで父・室伏重信の持つ日本記録を更新する76m65を記録。12月13日のバンコクアジア大会では78m57で大会初優勝。

2000年5月13日の大阪国際グランプリでは初の80メートルスローとなる80m23を記録して優勝。シドニーオリンピックでは76m60で9位に終わり決勝進出はならなかった。

アテネオリンピック(2004年)まで[編集]

2001年7月14日の中京大土曜記録会では世界歴代7位(当時)となる83m47を記録。8月5日の世界陸上エドモントン大会では82m92を投げて2位になり、銀メダルを獲得。9月7日にブリスベンで行われたグッドウィルゲームズでは82m92で優勝。

2002年5月11日のドーハグランプリでこの年のシーズンベストとなる83m33を記録。9月14日のIAAFグランプリファイナルでは81m14で優勝、20日のIAAFワールドカップでは80m03で2位。10月8日の釜山アジア大会では78m72で優勝し大会2連覇を達成。

2003年5月10日の大阪国際グランプリでは82m95で優勝、6投すべての試技で81mを超えた。6月8日の第87回日本選手権では83m29の大会新記録で9連覇を達成。6月29日のプラハ国際で世界歴代3位(当時)となる84m86を記録、過去15年における世界最高記録であった[16]
8月25日の世界陸上パリ大会では出発3日前の練習中にサークル内で滑って転倒し、右肘を強打。手の指に力が入らない状態で、一時は欠場を考えたコンディション[17]ながら80m12を投げて3位になり、銅メダルを獲得。

2004年6月6日の第88回日本選手権では82m09を投げて父・重信と並ぶ10連覇を達成。
8月22日に行われたアテネオリンピック の大会中は82m91の記録を残し2位となったが、83m19の記録で1位となっていたハンガリーアドリアン・アヌシュドーピング疑惑が浮上。アヌシュはIOCが求めていた再検査の為の尿検体提出を拒否、更に競技前後それぞれに提出した2つの尿検体が同一人物でないことが判明。アテネオリンピック最終日の8月29日にドーピング違反で失格処分となり、室伏が優勝者となった[18]。9月に行われたスーパー陸上の競技会終了後に金メダル授与式が行われ、5万人近い観衆からの祝福を受けた[17]。陸上・投擲種目における金メダル獲得はオリンピック、世界選手権を通じてアジア史上初。
スーパー陸上ではシーズンベストとなる83m15を投げて優勝。

北京オリンピック(2008年)まで[編集]

2005年は第89回日本選手権にのみ出場、76m47で11連覇を達成。

2006年9月10日のワールドアスレチックファイナルでは81m42、16日のIAAFワールドカップではシーズンベストとなる82m01を投げて優勝。この年は出場した8試合すべてで優勝している。

2007年 6月30日の第91回日本選手権では79m24で13連覇を達成。8月27日の世界陸上大阪大会では、決勝8人のうち7人が80メートル以上を記録するというハイレベルな争いの中、80m46で6位に終わった。ワールドアスレチックファイナルでは77m95で3位。

2008年6月27日の第92回日本選手権では80m98で14連覇を達成。7月21日の第1回 ハンマー投げチャレンジカップでは81m87、27日の第二回では80m34で優勝。
8月17日の北京オリンピック大会中は80m71で5位になったが、12月11日に2位:ワディム・デフヤトフスキーと3位:イワン・チホン(共にベラルーシの旗 ベラルーシ)の2選手のドーピング違反が発覚、当該選手が国際オリンピック委員会理事会において失格、メダル剥奪処分を受けたため、一時は3位に繰り上がる裁定がスポーツ仲裁裁判所により下された[19]が、2010年6月10日に処分が撤回されたため銅メダル獲得はならなかった[20]
9月14日のワールドアスレチックファイナルでは78m99で3位。

ロンドンオリンピック(2012年)まで[編集]

2009年は第93回日本選手権にのみ出場、73m26で15連覇を達成。

2010年の第94回日本選手権では77m35で16連覇を達成、IAAFワールドチャレンジミーティングスでは8月29日のリエティ大会で世界ランキング1位となる80m99、9月1日のザグレブ大会で79m91を投げて優勝し、2010年のハンマー投年間チャンピオンに選ばれた。

2011年5月8日のセイコーゴールデングランプリ川崎では78m10で2位になり、世界選手権標準記録Aを突破。6月11日の第95回日本選手権では77m01で17連覇を達成。8月29日の世界陸上大邱大会では3投目と5投目に81m24を投げて優勝、世界選手権で初の金メダルを獲得。日本人選手で初となる五輪・世界選手権二冠覇者になるとともに、世界選手権における男子最年長優勝者(36歳と325日)となった[16][21]

2012年6月8日の第96回日本選手権では72m85で18連覇を達成。8月5日のロンドンオリンピックでは78m71で3位になり、銅メダルを獲得。

2011年と2012年の日本陸上連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」において、アスリート・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に選出されている[22][23]

2013年以降[編集]

2013年6月9日の第97回日本選手権では76m42で19連覇を達成。8月12日の世界陸上モスクワ大会では78m03を投げて6位入賞。

2014年6月7日の第98回日本選手権では73m93を投げて優勝、同大会の20連覇を達成[24]。2014年の「アスレティック・アワード」では特別賞に選出される[25]

2015年6月15日、第99回日本選手権世界陸上北京大会を欠場することを発表[26]

主な実績[編集]

主要国際大会[編集]

大会 場所 種目 結果 記録
1994 アジア競技大会 広島市日本 ハンマー投 2位 67m48
1998 アジア競技大会 バンコクタイ ハンマー投 1位 78m57
2000 IAAFグランプリファイナル ドーハカタール ハンマー投 2位 80m32
2000 オリンピック シドニーオーストラリア ハンマー投 9位 76m60
2001 世界陸上競技選手権大会 エドモントンカナダ ハンマー投 2位 82m92
2001 グッドウィルゲームズ ブリスベンオーストラリア ハンマー投 1位 82m92
2002 IAAFグランプリファイナル パリフランス ハンマー投 1位 81m14
2002 IAAFワールドカップ マドリードスペイン ハンマー投 2位 80m03
2002 アジア競技大会 釜山韓国 ハンマー投 1位 78m72
2003 世界陸上競技選手権大会 パリフランス ハンマー投 3位 80m12
2004 オリンピック アテネギリシャ ハンマー投 1位 82m91
2006 ワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ ハンマー投 1位 81m42
2006 IAAFワールドカップ アテネギリシャ ハンマー投 1位 82m01
2007 世界陸上競技選手権大会 大阪市日本 ハンマー投 6位 80m46
2007 ワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ ハンマー投 3位 79m95
2008 オリンピック 北京中国 ハンマー投 5位 80m71
2008 ワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ ハンマー投 3位 78m99
2011 世界陸上競技選手権大会 大邱韓国 ハンマー投 1位 81m24
2012 オリンピック ロンドンイギリス ハンマー投 3位 78m71
2013 世界陸上競技選手権大会 モスクワロシア ハンマー投 6位 78m03

その他の実績[編集]

  • 1995年
    • 第79回日本選手権 優勝 69m72
  • 1996年
    • 第80回日本選手権 優勝 70m38
  • 1997年
    • 第81回日本選手権 優勝 74m06
  • 1998年
    • 群馬リレーカーニバル 優勝 76m65(父である重信の日本記録を更新)
    • 第82回日本選手権 優勝 76m67
  • 1999年
    • 第83回日本選手権 優勝 75m64
  • 2000年
    • 国際グランプリ大阪大会 優勝 79m20
    • 第84回日本選手権 優勝 76m39
  • 2001年
    • 第85回日本選手権 優勝 78m73
  • 2002年
    • 第86回日本選手権 優勝 79m15
    • アジア選手権スリランカ大会 優勝 80m45
    • セイコースーパー陸上2002ヨコハマ 優勝 75m24
    • 高知国体 優勝 77m09
  • 2003年
    • 国際グランプリ大阪大会 優勝 82m95
    • 第87回日本選手権 優勝 83m29
    • プラハ国際 優勝 84m86(自己ベスト
  • 2004年
    • 国際グランプリ大阪大会 優勝 82m18
    • 第88回日本選手権 優勝 82m09
    • セイコースーパー陸上2004ヨコハマ 優勝 83m15
  • 2005年
    • 第89回日本選手権 優勝 76m47
  • 2006年
    • チェコゴールデンスパイク 優勝 79m82
    • ヨセフ・オドロジル・メモリアル 優勝 79m57
    • 第90回日本選手権 優勝 優勝 80m17
    • フィンランド選手権 優勝 80m14
    • ヘルシンキグランプリ 優勝 81m77
    • セイコースーパー陸上2006ヨコハマ 優勝 81m00
  • 2007年
    • 第91回日本選手権 優勝 79m24
    • IAAFワールドアスレチックツアー 優勝 82m62
    • アスレチック・ブリッジ2007 ドゥブニカ 2位 78m73
    • セイコースーパー陸上2007ヨコハマ 4位 74m32
  • 2008年
    • 第92回日本選手権 優勝 80m98
    • 第1回 2008年ハンマー投げチャレンジカップ 優勝 81m87
    • 第2回 2008年ハンマー投げチャレンジカップ 優勝 80m37
    • セイコースーパー陸上2008ヨコハマ 優勝 81m02
  • 2009年
    • 第93回日本選手権 優勝 73m26
  • 2010年
    • 国際グランプリ大阪大会 3位 77m86
    • 第94回日本選手権 優勝 77m35
    • IAAF ワールドチャレンジミーティングス・リエティ2010 優勝 80m99
    • IAAF ワールドチャレンジミーティングス・ザグレブ2010 優勝 79m71
    • 全日本実業団対抗 陸上競技選手権大会 優勝 76m04
  • 2011年
    • 第95回日本選手権 優勝 77m01
  • 2012年
    • 第96回日本選手権 優勝 72m85
  • 2013年
    • 第97回日本選手権 優勝 76m42
  • 2014年
    • 第98回日本選手権 優勝 73m93(同大会の20連覇を達成)

年次ベスト[編集]

所属 7.26kg 6.35kg 備考
1990年 成田高1 57m82
1991年 成田高2 61m76 68m22 高校最高記録(当時)・高校記録(当時)
1992年 成田高3 66m30 73m52 高校最高記録・高校記録
1993年 中京大1 68m00 日本学生記録(当時)
1994年 中京大2 69m54 日本学生記録(当時)
1995年 中京大3 72m32 日本学生記録(当時)
1996年 中京大4 73m52 日本学生記録
1997年 ミズノトラッククラブ 75m72
1998年 78m17 日本記録(当時)
1999年 78m57 日本記録(当時)
2000年 81m08 日本記録(当時)
2001年 83m47 世界歴代7位(当時)・アジア記録(当時)・日本記録(当時)
2002年 83m33
2003年 84m86 世界歴代3位(当時)・アジア記録・日本記録
2004年 83m15
2005年 76m47
2006年 82m01
2007年 82m62
2008年 81m87
2009年 78m36
2010年 80m99
2011年 81m24
2012年 78m71
2013年 78m03
2014年 73m93
  • 高校入学後の4月に行われた人生初の試合では、2回転投げで44m26(6.35kg)を記録している[16]
  • 高校3年生時(1992年)にはやり投でも全国大会に出場しており、宮崎インターハイでは64m56を投げて6位、べにばな国体では千葉県高校記録となる68m16を投げて2位という結果を残している[27]円盤投では1996年に44m64を記録している。

選手としての特徴[編集]

父・重信が現役時代晩年に会得した“倒れ込み”(回転ごとに次の回転軸に向けて背中を中心に後方へ倒れ込む)という技術を受け継いでいる[28]

ハンマー投を始めた時点では身長183cmに対して体重65kgと線が細く[15]、父・重信は「あまりに細すぎてハンマーには向いていないと思っていましたから、まさかあそこまで来るとは思いませんでした。」と振り返っている[15]。一方で「(体力的な素質として)スピードとジャンプ力があります。短距離選手に負けないようなスピードがあり、ジャンプでは立ち幅跳びで3メートル60ほどいっていました。」「その並外れたスピードとジャンプ力が、軽量ながらハンマーを飛ばせているんだと思いました。」と評している[15]

人物・エピソード[編集]

最も影響を与えられた人物として男子やり投日本記録保持者の溝口和洋を挙げており[29][30]、指導を受けていた大学時代に当時の自分の10倍以上の練習内容をこなす溝口から「限界を作っているようでは世界では戦えない。限界を超える練習をこなしてこそ、世界と戦える。」という考え方を教えられたという[31]

2006年には「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2006」[32]、2007年には「第2回さわやかヘアスタイル大賞(メンズ部門)」[33]を受賞している。

落合博満中日ドラゴンズ元監督とは親交があり、中日スポーツ誌上で対談したり、打撃指導を受けたことがある[34]。 タレントの照英とは高校時代から陸上競技の同期として親交があり[35]2002年放送の『スポーツマンNo.1決定戦』では共演している。

2015年7月から村田諒太にフィジカル面の指導などのサポートを施している[36]

成田真由美と共に、2020年夏季オリンピックエンブレムデザイン審査(別途審査委員は8人)のオブザーバーを務めた。

身体能力[編集]

身体能力について、成田高校で指導していた小山裕三は「広治の素質は飛びぬけていて、全身がバネの塊のようだった。」「走り幅跳びや三段跳び、ハードルなど、長距離以外はどの競技をやらせても才能が感じられ、専門の先生方が高校に訪れては『走り幅跳びがいい』、『いや、ハードルだ』と口々に言い合っていたほどだった。」「畑違いの柔道の先生からも、その姿勢や歩き方を見てオリンピック級の選手になれると太鼓判を押された。」と語っており[37]、同校の体力テストでは立ち幅跳び3m45cm、ハンドボール投げ65m以上を記録している[38][39]

1996年、東京ボブスレー・リュージュ連盟長野オリンピックの選手選考会として行ったトライアウトに参加。全種目(60m走、20m走、立ち五段跳び、ベンチプレススクワット)で満点を出して[40]日本代表候補に選出されるも、「考えた末に、ハンマー投げに集中することを決めた」として出場を断念している[41][42]

始球式には三度登板しており[43]、2005年4月5日のプロ野球横浜-巨人戦では131km/hのストライクをマークしている[43]

ハンドグリッパーのCOC/No.3をクラッシュしたことがある(クラッシュに必要な握力は280 lb = 約127kg)[44]。発売元のアイアンマインド社ではNo.3以上のクラッシュを対象に認定を行っているが、本人が申請していないため非公式となっている[44]

スポーツマンNo.1決定戦[編集]

1995年の第1回アマチュアスポーツマン大会に初出場、MONSTER BOXで17段を記録。1996年の第3回にも出場し、BEACH FLAGSとPOWER FORCEの2種目でNo.1となった。SHOT-GUN-TOUCHでは11m80cmを記録。

2002年の第8回プロスポーツマン大会では総合No.1に輝いている。

競技 順位 ポイント 備考
WORK OUT GUYS 3位 60 記録 50秒08
BEACH FLAGS No.1 100 -
MONSTER BOX 4位 80 記録 18段
POWER FORCE No.1 100 -
THIRTY 5位 25 2回戦敗退
TAIL IMPOSSIBLE 9位 10 第2レース敗退
THE TUG-OF-WAR No.1 100 -
SHOT-GUN-TOUCH 2位 90 記録 12m90cm

スペシャルバトルのTHE GALLON THROW World Championship(樽投げ世界一決定戦)では、2005年の第3回に歴代最高記録である8m25cmを記録している。

放送日 順位 記録
第1回 2002年1月1日 2位 7m50cm
第2回 2004年1月1日 No.1 8m00cm
第3回 2005年1月1日 No.1 8m25cm

不祥事[編集]

2012年8月、当時開催されていたロンドンオリンピックに出場していた室伏は、国際オリンピック委員会の選手委員に立候補したが、オリンピック会場の選手村でドーピング禁止のキャンペーンキャラクターとして自己の写真を使ったポスターの掲示や同様のステッカーを配布したことが選挙に関する複数の規定に違反したとされ、国際オリンピック委員会から失格の処分を受けた。これに伴い、本来であれば1位で選手委員への当選を果たしていた室伏は委員に就任できなくなった[45]

CM出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 評議員会を開催 組織委員会新理事を選任 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
  2. ^ 「ロンドンで完全勝利を目指す鉄人が本当に超えたもの。~室伏広治・著『超える力』を読む~」、[Number]、2012年07月31日[1]
  3. ^ ハンマー投げ室伏広治が入籍”. デイリースポーツ online (2015年5月12日). 2015年5月12日閲覧。
  4. ^ 博士論文のテーマは「ハンマー頭部の加速についてのバイオメカニクス的考察」。この論文の基礎となったフルペーパーが公式サイトに掲載されている。
    Koji Murofushi; Koji Umegaki, kazutoshi Kobayashi (March 2005). "Development of a System to Measure Radius of Curvature and Speed of Hammer Head during Turns in Hammer Throw" (PDF). International Journal of Sport and Health Science 3 (2005): 116–128. Retrieved 2012年8月13日. 
  5. ^ 中京大学広報 第168号 (PDF) (2011年6月27日、7ページ)
  6. ^ 12年度の強化指定選手
  7. ^ 陸連強化規定見直し ゴールドに室伏指定nikkansports.com 2014年11月30日閲覧。
  8. ^ 多様な文化、認め合う五輪に=室伏広治20年東京五輪SD時事ドットコム 2014年11月30日閲覧。
  9. ^ 中京大学公式発表(2014年7月16日)
  10. ^ 日本陸連:室伏広治を新理事に内定毎日新聞 2015年3月12日
  11. ^ 室伏の20連覇に父・重信さん絶賛「誰もできないのでは」/陸上 サンスポ.com 2014年6月8日
  12. ^ 『月刊陸上競技』2004年11月号、講談社、雑誌09385-11 45頁
  13. ^ a b c 孤高の競技者・室伏広治の告白ーー。ロンドンとハンマー、そして人生。 Number Web 2012年6月29日
  14. ^ 『月刊陸上競技』2004年11月号、講談社、雑誌09385-11 46頁
  15. ^ a b c d スポーツ 歴史の検証 第20回 室伏重信 笹川スポーツ財団
  16. ^ a b c Koji Murofushi Official Web PROFILE
  17. ^ a b TBS|世界陸上大阪大会「選手紹介」 TBS 2007年8月30日
  18. ^ 室伏が繰り上げ金、日本の金16個は最多タイ サンスポ.com 2004年8月29日
  19. ^ 室伏、銅メダルに繰り上げ 北京五輪男子ハンマー投げ 共同通信社 2008年12月12日
  20. ^ 室伏の繰り上げは消滅=ベラルーシ選手の不服申し立て認める―CAS Yahoo!JAPANニュース  2010年6月11日
  21. ^ 金メダリスト室伏の強さの秘密とテグを戦った日本チームの可能性 TBS番組表 2011年9月08日
  22. ^ 【トピックス】日本陸連 アスレティック・アワード2011開催しました! JAAF
  23. ^ 日本陸連 アスレティック・アワード2012開催 JAAF
  24. ^ 室伏広治、20連覇…日本選手権ハンマー投げ 読売新聞 2014年6月7日
  25. ^ 「日本陸連アスレティック・アワード2014」を開催。今年、最も活躍した選手を発表しました! JAAF
  26. ^ 室伏、日本選手権を欠場=20連覇で「役割果たした」―男子ハンマー Yahoo!JAPANニュース2015年6月15日
  27. ^ 陸上競技 千葉県記録(PDF) 2007年10月30日
  28. ^ “世界の鉄人”室伏広治が迎えているハンマー投げ人生の“最終局面” TBS番組表 2011年8月22日
  29. ^ 第27回オリンピック競技大会(2000/シドニー) プロフィール 日本オリンピック委員会 2000年9月13日
  30. ^ 上原善広「異形の日本人」 新潮社 77頁 ISBN 978-4-10-610387-2
  31. ^ 室伏広治『超える力』、文藝春秋、143頁、ISBN 978-4-16-375360-7
  32. ^ 「北京でも笑顔を」と室伏 「ベストスマイル賞」に 47NEWS 2006年11月8日
  33. ^ 室伏広治が「さわやかヘアスタイル大賞」を受賞 ライブドアニュース 2007年1月25日
  34. ^ お似合い度金メダル級 ハンマー投げ室伏「落合教室」に入門 中日スポーツ 2007年1月19日
  35. ^ 室伏選手が一般女性と結婚 祝福とともに「人類最強の遺伝子ベビー誕生」が消え、残念がる声も Yahoo!JAPANニュース 2015年5月13日
  36. ^ 村田諒太が室伏広治から「鉄人理論」受ける 日刊スポーツ 2015年7月28日
  37. ^ 室伏広治『超える力』、文藝春秋、2012年6月27日、p.129
  38. ^ 『月刊陸上競技』2004年11月号、講談社、雑誌09385-11 49頁
  39. ^ 成田にOB唐川も経験“室伏トレ”定着 日刊スポーツ 2008年7月2日
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  41. ^ ハンマー投げの室伏 ボブスレーに本格挑戦 21日から合宿参加』 信濃毎日新聞掲載・共同 1996年12月14日
  42. ^ 長野五輪 ボブスレー、室伏が出場を断念』 信濃毎日新聞掲載・共同 1997年4月19日
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  44. ^ a b 『MILO: A Journal For Serious Strength Athletes』2008年6月号 アイアンマインド社
  45. ^ 2012年8月12日 朝日新聞デジタル

関連項目[編集]

外部リンク[編集]