山縣亮太

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山縣 亮太 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム やまがた りょうた
ラテン文字 Ryota Yamagata
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 短距離走
所属 セイコーホールディングス
生年月日 (1992-06-10) 1992年6月10日(25歳)
出身地 広島県広島市西区
身長 177cm[1]
体重 73kg
成績
オリンピック 100m 準決勝11位 (2016年)
4x100mR 2位 (2016年)
世界選手権 100m 予選22位 (2013年)
地域大会決勝 アジア大会
100m 6位 (2014年)
4x100mR 2位 (2014年)
国内大会決勝 日本選手権
100m 優勝 (2013年)
200m 6位 (2011年)
自己ベスト
100m 10秒00(+0.2)
200m 20秒41(-0.5)
 
獲得メダル
男子 陸上競技
オリンピック
2016 リオデジャネイロ 4×100m
世界ユース陸上競技選手権大会
2009 ブレッサノーネ メドレーリレー
ユニバーシアード
2013 カザン 100m
2013 カザン 4×100m
アジア競技大会
2014 仁川 4×100m
東アジア競技大会
2013 天津 4×100m
2013 天津 100m
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山縣 亮太(やまがた りょうた、1992年6月10日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。「縣」が旧字体のため、「山県亮太」の表記もみられる。

広島県広島市西区出身[2][3]修道中学校・修道高等学校慶應義塾大学総合政策学部卒業。セイコーホールディングス所属。

経歴[編集]

中学生まで[編集]

1992年6月10日広島県広島市西区で生まれた。子供の頃からスポーツ少年であり、小学生の時はサッカーと野球と陸上を掛け持ちでやっていたが、小学4年から為末大が所属していた陸上クラブで本格的に陸上を始める。5年生からは陸上に専念し、この年の全国大会では100mで8位に入賞している[4]

修道中時代は100mと400メートルリレーで全日中に出場。

高校時代[編集]

修道高校1年時は大分国体少年B100mで優勝。

修道高校2年時の2009年世界ユース陸上競技選手権大会では100mで4位入賞し、メドレーリレーでは銅メダルを獲得した。

インターハイ終了後に「慶應競走部の自由な競技環境だったら自分のやりたいことができる」と感じて慶應義塾大学を志願し、総合政策学部のAO入試(後期)を経て、慶應義塾大学総合政策学部に入学。

大学時代[編集]

2011年[編集]

慶大1年時の2011年山口国体男子100mにおいて10秒23(+1.8)の日本ジュニア記録(当時)を樹立して3位入賞。

2012年[編集]

慶大2年時の2012年織田記念陸上男子100m予選にて10秒08(+2.0)をマークし同年のロンドン五輪A標準記録を突破。

6月、ロンドンオリンピック短距離日本代表に選出された。大会の男子100m走では、8月4日の予選で自己記録を更新する10秒07(+1.3)の6組2位で、北京オリンピックの塚原直貴に続く準決勝進出を果たした[5][6]。8月5日の準決勝では10秒10の3組6位で、決勝進出を逃した。

なお、男子4×100mリレーでは日本チーム(山縣亮太-江里口匡史高平慎士飯塚翔太)の第1走を務め、予選を38秒07の全体4番目の記録で通過。決勝では38秒35で4位入賞(USA失格、5位→4位に順位繰上げ)を果たした。

2013年[編集]

4月7日に東京六大学対抗に出場。昨年9月の日本インカレ・男子100m準決勝で右ハムストリングスを肉離れした影響により、100m予選が約7ヶ月ぶりのレースとなった。しかし、予選で10秒82(-6.4)、決勝では10秒47(-4.0)をマーク。風速が公認範囲内の強い追い風なら9秒台が出た可能性もあるタイムで復活をアピールした[7][8]

4月29日の織田記念・男子100mでは、予選でモスクワ世界選手権の参加B標準記録(10秒21)突破となる10秒17(+0.1)をマーク。決勝では追い風参考記録ながら自己ベスト(10秒07)を上回る10秒04(+2.7)をマークするも、予選で日本歴代2位の記録となる10秒01をマークした桐生祥秀に0秒01差で敗れ2位に終わった[9]

5月に関東インカレに出場すると、19日の男子100m決勝を10秒30(-1.4)で制して関東インカレ初タイトルを獲得。26日の男子200m決勝では日本歴代10位(当時)およびモスクワ世界選手権の参加A標準記録(20秒52)突破となる20秒41(-0.5)をマークし、100mとの2冠を達成した[10]

6月の日本選手権では、7日の男子100m予選で10秒14(+0.3)、8日の決勝で10秒11(+0.7)をマークし、2レース続けてモスクワ世界選手権の参加A標準記録(10秒15)を突破。織田記念では競り負けた桐生祥秀を0秒14差で破り、日本選手権初優勝を成し遂げるとともに、モスクワ世界選手権の代表入りを決めた[11]

7月にカザンで開催されたユニバーシアードの男子100mでは10秒21で2位になった。また、男子4×100mリレーでは日本チーム(山縣亮太-原洋介-与那国塁-飯塚翔太)の第1走を務め、決勝では39秒12で2位になった。

8月にモスクワで開催された世界選手権に初出場。10日の男子100m予選では組3着までに入れば着順で準決勝に進出できたが、結果は10秒21(-0.4)の組4着に終わり、組3着とは0秒02差、タイムで拾われた最後の枠の選手とは0秒01差で惜しくも準決勝進出を逃した[12]。また、このレース中に左ハムストリングスの肉離れを起こし、出場予定だった男子4×100mリレーには出場せずに大会を後にしたが、重症ではなかったので帰国後は1週間休みを取ってから練習を再開した[13]

9月7日に日本インカレの男子200m予選と4×100mリレー決勝を走った翌朝、ベッドから起きられないほどの腰痛が発生した。痛みはなかなか引かず、前屈すると痛みが激しかったため、スターティングブロックを蹴れるか不安だった[14]

10月に天津で開催された東アジア大会に出場すると、8日の男子100m決勝では地元中国の蘇炳添に同タイム着差あり(0秒002差)で敗れ、10秒31(-0.8)の銀メダルに終わった。しかし、9日の男子4×100mリレー決勝では日本チーム(山縣亮太-飯塚翔太-ケンブリッジ飛鳥大瀬戸一馬)の1走を務め、日本学生混成記録および大会記録となる38秒44をマークしての金メダル獲得に貢献した[13]

2014年[編集]

2014年シーズン前半は腰痛で出遅れ、4月29日の織田記念・男子100mは10秒26で4位、5月開催のワールドリレーズは関東インカレと日程が重なることなどから派遣は見送られた[15]。6月8日の日本選手権・男子100m決勝では10秒27の2位に終わり、桐生祥秀に0秒05差で敗れ連覇を逃した。

9月の日本インカレに出場すると、5日の男子100m準決勝でシーズンベストとなる10秒14(+0.1)、6日の100m決勝で10秒20(-0.4)をマーク。桐生祥秀は100mを回避して不在だったものの、日本インカレ初優勝を成し遂げた[16]。7日の男子4×400mリレー決勝では2走を務めると、非公式ながら44秒9(慶応義塾大学の計測)のラップを刻み、この種目では61年ぶりとなる慶應義塾大学の優勝に貢献した(優勝タイムは3分04秒58)[17]

年9-10月に仁川で開催されたアジア大会に出場。9月28日の男子100m準決勝を全体3位タイとなる10秒17(+1.2)で突破するも、レース中に左股関節を痛めてしまう。約2時間後の決勝ではスタートで出遅れ(リアクションタイムは決勝8人の中で1番悪い0秒219)、10秒26(+0.4)の6位に終わった[18]。10月2日の男子4×100mリレー決勝では日本チーム(山縣亮太-飯塚翔太高平慎士高瀬慧)の1走を務めて38秒49をマークするも、アジア記録(当時)となる37秒99をマークして優勝した中国に敗れ銀メダルに終わった[19]

アジア大会で負った左股関節の怪我は練習を2週間休んだら治り、10月19日の国体・成年男子100m決勝では10秒17(0.0)をマーク。アジア大会では先着を許した高瀬慧を0秒01差で抑え、4年ぶりとなる国体のタイトルを獲得した[20][21]。また、この優勝タイムは後に発表された北京世界選手権の参加標準記録(10秒16)に迫るものだった。

社会人時代[編集]

2015年[編集]

4月1日にセイコーホールディングス入社[22]。同社に陸上競技部はないが、アスリート支援に乗り出した同社にとって第1号選手となった[23]。なお、偶然にも山縣の誕生日の6月10日は時の記念日である。

2015年シーズン前半も腰痛に苦しみ、4月18-19日の織田記念(男子100mと200mに出場予定だった)は状態が上向かなかったので欠場[24]。6月27日の日本選手権・男子100m予選は10秒60(+0.7)で突破するも、腰痛が悪化したため翌日の準決勝を棄権し、2大会連続の世界選手権出場を逃した[25]

2016年[編集]

3月13日の日本ジュニア室内陸上大阪では男子60mにオープン参加。第1レースで6秒68、第2レースで6秒62の自己ベストをマーク。

4月2日の東京六大学対校にオープン参加。男子100mでは10秒40(+1.9)、男子200mでは20秒88(+1.7)をマーク。しかし男子100mに関しては、レースでトラブルがあり仕切り直しがされたが、それに気付かず50m付近まで全力疾走した直後の再レースだったため、疲労困憊でのレースとなった。

4月29日の織田記念・男子100m決勝で10秒27(-2.5)をマークし、桐生祥秀は不在ながら、前回大会優勝者のケンブリッジ飛鳥(10秒35)らを抑えて優勝した。また、優勝タイムの10秒27は向かい風1.5以上の条件の下での日本歴代最速タイムであり、公認範囲内の強い追い風なら9秒台が出ていた可能性もあるタイムだった[26]

5月8日にゴールデングランプリ川崎・男子100mに出場すると、スタート直後にバランスを崩すアクシデントがありながらも10秒21(-0.4)をマークして2位に入り、桐生祥秀サニブラウン・アブデル・ハキームの初の直接対決で注目が集まる中、日本勢トップの成績を収めた(優勝者は10秒02のジャスティン・ガトリン)[27]

5月21日に東日本実業団選手権・男子100m準決勝で10秒08(+2.0)、決勝で10秒12(-0.6)をマークし、2レース続けてリオデジャネイロオリンピックの参加標準記録(10秒16)を突破。準決勝でマークした10秒08は自身4年ぶりの10秒0台で、自己ベスト(10秒07)に迫るタイムだった[28]

6月5日に行われた布勢スプリントに出場。1レース目は10秒23(-0.6)で2位となったが、2レース目では自己ベストを更新する10秒06(-0.5)をマークして優勝。この記録は日本歴代5位、向かい風の条件における日本歴代最高記録である[29]

第100回日本選手権・男子100mでは6月24日の予選で10秒49(-1.4)、準決勝で10秒26(-1.4)をマーク。25日の決勝では10秒17(-0.3)をマークして2位、ケンブリッジ飛鳥に100分の1秒差で敗れた。27日にはケンブリッジ飛鳥桐生祥秀とともにリオデジャネイロオリンピック男子100m日本代表に選出された。

リオデジャネイロオリンピック男子100mでは、予選で10秒20(-1.3)をマーク、8組2着となり準決勝に進出。準決勝では自己ベストを更新する10秒05(+0.2)をマーク、2組5着となり、0秒04差まで迫る[30]も決勝進出を逃した[31]男子4×100mリレーでは日本チーム(山縣亮太-飯塚翔太桐生祥秀ケンブリッジ飛鳥)の一走を務め、予選で37秒68のアジア新記録をマーク、全体2位で決勝へ進出した。決勝では予選のアジア記録を更新する37秒60で2位となり、銀メダルを獲得した。

9月25日の全日本実業団男子100mでは、決勝で今シーズン三度目の自己ベスト更新となる10秒03(+0.5)をマークして優勝。

2017年[編集]

3月11日にオーストラリアキャンベラで行われた競技会に参加。1レース目で10秒06(+1.3)、2レース目で10秒08(-0.1)をマーク。8月に行われる世界陸上ロンドン大会の参加標準記録10秒12を突破した。1日に2度の10秒0台は日本人では初めてで、8度目の達成も、並んでいた桐生を抜いて日本人最多となった[32]

右足首の違和感の影響で、エントリーしていた4月29日の織田記念、5月21日のゴールデングランプリ川崎、6月4日の布勢スプリントを欠場。復帰戦となった日本選手権は10秒39(+0.6)で6位に終わり、世界陸上ロンドン大会出場を逃した。

9月24日の全日本実業団では、自己ベストと自身が出した大会記録を更新する10秒00(+0.2)をマーク、二連覇を達成した。

10月6日から始まる愛媛国体の成年男子100mにエントリーしていたが、右太もも裏の肉離れにより欠場。

人物・エピソード[編集]

人物[編集]

  • 山縣家は祖父の代まで広島市中島町の現在の原爆資料館広島平和記念公園)そばにあり、1945年8月6日の原子爆弾投下で曾祖父は即死したという[33]。祖父は宮島に疎開していたため難を逃れたが、直後に広島市内に入って被爆した[33]。このため亮太は被爆3世である。
  • 大学ではスポーツビジネスのゼミに所属し、卒業論文は「日本人の短距離選手が米国で良好な競技環境を得るための考察」[34]
  • 地元球団である広島東洋カープの大ファン[35][36]。山縣自身も少年野球の経験があり、打順は1番、ポジションはショートだった[36]。2016年10月14日の広島-DeNA戦では始球式を務め、球速114km/hを出したが外角にワンバウンドとなり「こんな大事な一戦で投げられてうれしい。でもプレッシャーに負けた」と苦笑いした[37]
  • 趣味は海釣りである。家では本を読んで過ごすことが多いという。

エピソード[編集]

  • 小学3年生の時、2つ上の兄が広島市のスポーツ交歓大会100mで入賞してもらってきた賞状の大きさを羨ましく思い、陸上を意識するようになったという。4年生になった翌年、同大会に出場すると、走る姿が「広島ジュニアオリンピアクラブ」の指導者の目に止まり、スカウトされた[36]
  • 陸上クラブに誘われて練習に通うようになってからも、しばらくは野球との掛け持ちだったが、陸上のチームメイトに「野球に行っていて、土曜日の練習に来ないじゃん。そういう奴に負けるのは嫌だ。」と言われたり、100mの競走で、スパイクをはいたクラブの子にランニングシューズで勝ち、「走ることは自分の天職だ」と考えるようになり、陸上一本に絞るようになったという[36]
  • 2011年に国体100m決勝で10秒23のジュニア日本記録(当時)を樹立したが、これは自分でもなぜ出たのか分からない、まぐれだった。同じように走った次の日本ジュニア選手権では10秒5台に終わり、かなり落ち込んだ[38][39]
  • 2012年3月に行われた日本陸上競技連盟の合宿で朝原宣治と土江寛裕から技術的なアドバイスを貰い、飛躍のきっかけとなった。それまでの山縣は「スタートが命」と考えていた選手で、朝原宣治も当時の山縣のことを「スタートが特徴的な選手で、後半失速するタイプ」と振り返っている。しかし、この合宿で「スタートが全てではないよ」と言われ、100mには中間疾走があることを教えてもらった[38][39]
  • 2012年4月の織田記念100m予選で10秒08をマークした時は自分でも驚いたが、8月のロンドンオリンピック100m予選で10秒07をマークした時は、自分でもなぜその記録が出たのか分析できていた。そのため、「9秒台もそのうちいけるだろう」「どんどん(9秒台と)言ってくれ」という気持ちで、周囲の高まる9秒台の声も苦ではなかった[34]
  • 2012年以降は一人前の結果を求めるあまり、自分にも他人にも厳しくなり、3年生の頃は大学の練習中にしっかりやっていない同期などにきつく言うこともあった。しかし、2013年モスクワ世界選手権100mで予選敗退に終わり、怪我まで負ったレース後、周りから責められると思っていた山縣を待っていたのは伊東浩司をはじめコーチからの優しい言葉だった。これがとても嬉しく、「人に厳しく接し続けるのはちょっと違うな」と思った[34][38]
  • 2013年モスクワ世界選手権では怪我のため4×100mリレーに出場せずに帰国したが、チームを離れる前にメンバー全員とスタッフに充てた手紙をコーチの伊東浩司に預けたという[40]

自己ベスト[編集]

主な戦歴[編集]

主要国際大会[編集]

大会 場所 種目 結果 記録 備考
2009 世界ユース選手権 ブレッサノーネ 100m走 4位 10.80 (-1.2)
1000mR 3位 1:52.82 (2走)
2012 オリンピック ロンドン 100m走 準決勝13位 10.10 (+1.7) 3組5着
予選の10.07 (+1.3)は元オリンピック日本最高記録[41]・日本歴代4位タイ(当時)
4x100mR 4位 38.35 (1走) アメリカ失格による順位繰り上げ
2013 ユニバーシアード カザン 100m走 2位 10.12 (-0.5)
4x100mR 2位 39.12 (1走)
世界選手権 モスクワ 100m走 予選22位 10.21 (-0.4) 7組4着
東アジア大会 天津 100m走 2位 10.31 (-0.8)
4x100mR 優勝 38.44 (1走) 大会新記録
2014 アジア大会 仁川 100m走 6位 10.26 (+0.4)
4x100mR 2位 38.49 (1走)
2016 オリンピック リオデジャネイロ 100m走 準決勝11位 10.05 (+0.2) 2組5着
日本歴代5位(当時)
オリンピック日本最高記録
4x100mR 2位 37.60 (1走) 日本新記録
アジア新記録

その他の大会[編集]

  • 2007年(中3)
  • 2008年(高1)
  • 2009年(高2)
    • 広島県高校総体100m優勝(2連覇)
    • 中国高校総体100m優勝
    • 全国高校総体100m予選
  • 2010年(高3)
    • 広島県高校総体100m優勝(3連覇)・200m優勝(リレー2種目も含め短距離4冠)
    • 中国高校総体100m優勝・200m優勝(リレー2種目も含め短距離4冠)
    • 全国高校総体100m3位・200m準優勝
    • 国体少年A100m優勝
    • 日本ジュニア選手権100m優勝・200m優勝
  • 2011年(大1)
  • 2012年(大2)
  • 2013年(大3)

年次記録[編集]

太字は自己ベスト

100m 備考 200m 備考
2004年
(小学6年)
12秒96
2005年
(中学1年)
12秒39
2006年
(中学2年)
11秒69(+1.8)
2007年
(中学3年)
11秒24(+1.8) 23秒30
2008年
(高校1年)
10秒65(+0.9)
2009年
(高校2年)
10秒56(+1.9) 21秒59(+0.9)
2010年
(高校3年)
10秒30(+1.6) 高校歴代7位タイ 20秒81(+1.1) 高校歴代7位タイ
2011年
(大学1年)
10秒23(+1.8) 日本ジュニア歴代2位タイ 20秒62(+0.0) 日本ジュニア歴代5位
2012年
(大学2年)
10秒07(+1.3) 日本歴代5位タイ 20秒66(-0.3)
2013年
(大学3年)
10秒11(+0.7) 20秒41(-0.5)
2014年
(大学4年)
10秒14(+0.1) 20秒62(+0.0)
2015年 10秒36(-1.1) 20秒89(-0.5)
2016年 10秒03(+0.5) 日本歴代4位タイ 20秒88(+1.7)
2017年 10秒00(+0.2) 日本歴代2位タイ 20秒89(+1.4)

括弧内は風速(m/s)。+は追い風、-は向かい風。記録は当時。

脚注[編集]

  1. ^ 「Special Interview 山縣亮太」、『月刊陸上競技』第50巻第13号、講談社、2016年12月号、 38頁。
  2. ^ 中国新聞2012年6月12日2、19面
  3. ^ ガンバレ!鈴が峰の星 - 広島市ホームページ
  4. ^ 有名人スポーツワンポイント講座 山縣亮太選手
  5. ^ nikkansports.com. “村上や福士 陸上五輪代表を発表”. 2012年6月11日閲覧。
  6. ^ 山県自己ベスト10秒07(+1.3)で準決進出 日刊スポーツ 2012年8月4日閲覧
  7. ^ 「シーズン開幕Close-up(1) 山縣亮太」、『月刊陸上競技』第47巻第6号、講談社、2013年5月号、 10-12頁。
  8. ^ 山県亮太に9秒台の期待/織田記念展望”. 日刊スポーツ (2013年4月26日). 2016年5月24日閲覧。
  9. ^ 「4.29「男子100m」ドキュメント」、『月刊陸上競技』第47巻第7号、講談社、2013年6月号、 8-11頁。
  10. ^ 「第92回関東インカレ 男子1部」、『月刊陸上競技』第47巻第8号、講談社、2013年7月号、 174頁。
  11. ^ 「速報 日本選手権」、『月刊陸上競技』第47巻第8号、講談社、2013年7月号、 6-7頁。
  12. ^ 第14回世界選手権男子100m予選サマリー”. 国際陸上競技連盟. 2016年5月24日閲覧。
  13. ^ a b 【陸上】桐生祥秀ら若き男子短距離陣、好材料を残し来シーズンへ”. Sportiva (2013年10月11日). 2016年5月24日閲覧。
  14. ^ 腰の痛みのその先へ 山県亮太の“長い冬”(上)”. 産経ニュース (2014年5月31日). 2016年5月24日閲覧。
  15. ^ 世界リレー選手権 桐生ら12人代表”. 日刊スポーツ (2014年5月8日). 2016年5月24日閲覧。
  16. ^ 山県 男子100初制覇、10秒20に不満「桐生もっと速い」”. スポーツニッポン (2014年9月6日). 2016年5月24日閲覧。
  17. ^ 「日本インカレ Days3」、『月刊陸上競技』第48巻第11号、講談社、2014年10月号、 67頁。
  18. ^ 山県亮太が失意の夜に考えたこと”. 産経ニュース (2015年2月2日). 2016年5月24日閲覧。
  19. ^ 日本男子400リレー銀も中国37秒台で金”. 日刊スポーツ (2014年10月2日). 2016年5月24日閲覧。
  20. ^ 「長崎国体」、『月刊陸上競技』第48巻第13号、講談社、2014年12月号、 143頁。
  21. ^ 山県 10秒17で国体V!腰痛に苦しむも「自分ではよくやった」”. スポーツニッポン (2014年10月20日). 2016年5月24日閲覧。
  22. ^ 山県 セイコー入社式で「9秒99出す」銀座の時計台で決意”. スポーツニッポン (2015年4月3日). 2016年5月24日閲覧。
  23. ^ 「春に飛び立つアスリート 山縣亮太」、『月刊陸上競技』第49巻第6号、講談社、2015年5月号、 40-41頁。
  24. ^ 山県が腰痛で織田記念欠場 状態上向かず大事取る”. 日刊スポーツ (2015年4月17日). 2016年5月24日閲覧。
  25. ^ 「高瀬 意地の初優勝」、『月刊陸上競技』第49巻第9号、講談社、2015年8月号、 14頁。
  26. ^ 追い風なら9秒台? 山県亮太が復活走”. デイリースポーツ (2016年4月29日). 2016年5月24日閲覧。
  27. ^ セイコー・ゴールデングランプリ 山県100メートル10秒21 日本人トップ”. 毎日新聞 (2016年5月9日). 2016年5月24日閲覧。
  28. ^ 山県、準決勝で10秒08…東日本実業団選手権”. 毎日新聞 (2016年5月21日). 2016年5月24日閲覧。
  29. ^ 陸上100m 山縣は10秒06 桐生は10秒09”. NHK NEWS WEB (2016年6月5日). 2016年6月5日閲覧。
  30. ^ 陸上男子100メートルトリオ/下 具体的に描ける「感覚」 山県亮太(24)=セイコーホールディングス”. 毎日新聞 (2017年4月13日). 2017年4月27日閲覧。
  31. ^ 山県とケンブリッジ、準決勝敗退 陸上男子100(日本経済新聞、2016年8月15日)
  32. ^ 日本人初の9秒台? 予感漂った山県・桐生シーズン初戦”. 朝日新聞DIGITAL (2017年3月12日). 2017年3月12日閲覧。
  33. ^ a b “8.6式典と同時に開会式 平和かみしめ大舞台 祖父が被爆 山縣選手”. 中国新聞 (中国新聞社): p. 30. (2016年8月7日) 
  34. ^ a b c 「2015 SPECIAL FEATURES 山縣亮太」、『月刊陸上競技』第49巻第4号、講談社、2015年3月号、 6-9頁。
  35. ^ 【陸上】400Mリレー銀の山県、広島カープ始球式に名乗り!「オファー来てほしい」”. スポーツ報知 (2016年8月31日). 2016年11月5日閲覧。
  36. ^ a b c d 宝田将志「四継 2016リオ五輪、彼らの真実 (Sports graphic Number books)」 文藝春秋 92、93頁 ISBN 978-4-16-390700-0
  37. ^ リレー銀の山県、ワンバン始球式で苦笑い「プレッシャーに負けた」/陸上”. SANSPO.com (2016年10月14日). 2016年11月5日閲覧。
  38. ^ a b c 「「未開の地」へ新たなる挑戦 山縣亮太」、『陸上競技マガジン』第65巻第9号、ベースボール・マガジン社、2015年5月号、 20-25頁。
  39. ^ a b 「ダッシュ博士のスプリント教室 「山縣選手と朝原さんのスペシャル対談」」、『陸上競技マガジン』第65巻第11号、ベースボール・マガジン社、2015年6月号、 58-59頁。
  40. ^ 「男子4継「入賞」を死守」、『月刊陸上競技』第47巻第11号、講談社、2013年10月号、 26-28頁。
  41. ^ リオデジャネイロオリンピックの準決勝にて自身が10.05 (+0.2)を記録したため更新された

関連項目[編集]

外部リンク[編集]