生沼スミエ

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生沼スミエ
Sumie Oinuma
Volleyball (indoor) pictogram.svg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1946-10-08) 1946年10月8日(70歳)
出身地 東京都
ラテン文字 Sumie Oinuma
身長 171cm
体重 60kg
選手情報
ポジション セッター、センター
ブロック  
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オリンピック
女子 バレーボール
1968 バレーボール
1972 バレーボール

生沼スミエ(おいぬますみえ、1946年10月8日 - )は、東京都出身のバレーボール選手・指導者である。

来歴[編集]

中学でバレーを始め、都立三鷹高に進学し[1]山田重雄監督の下でセッターとして活躍し、1963年には全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会で優勝した。

卒業後の1965年日立製作所に入社。日立武蔵第1期黄金時代の中心選手として、引き続き山田監督の指導を受けて活躍した。バレーボール全日本女子チームでも、1967年世界選手権の優勝に貢献した。

1968年メキシコシティ五輪では、高山鈴江とのツーセッターで銀メダルを獲得した。

1972年ミュンヘン五輪で2つ目の銀メダルを獲得した後に、現役を引退。その後は「日立バレーボール教室」の主任指導員として、1978年まで全国を巡回指導。

1982年、第9回アジア大会で日本女子代表監督に就任。全日本バレーでは初の女性監督となった[2]

また、フジテレビのバレーボール中継ではメイン解説者を務めた。現在もバレーボール教室の指導者として、日本全国の自治体で活動を続けている。

2016年に生沼に次いで全日本女子2人目となる女性監督に就任した中田久美は、現役時代に生沼から指導を受けたことがあり、支えられたことがたくさんあった、と指導者に転じた後に語っている[3][4]

球歴・受賞歴[編集]

  • 所属チーム履歴
都立三鷹高日立武蔵(1965-1972年)
  • 全日本代表としての主な国際大会出場歴
オリンピック - 1968年、1972年
世界選手権 - 1967年

CM出演[編集]

  • 全国牛乳普及協会(1986年)

著書[編集]

  • 『バレーボール個人技法 ―この方法以外は上達しない』(青春出版社 プレイブックス189)1978年

脚注[編集]

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