第23回NHK紅白歌合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
第23回NHK紅白歌合戦
Tokyo Takarazuka Theater in Taisho and Pre-war Showa eras.JPG
会場の東京宝塚劇場(写真は太平洋戦争以前)
ジャンル 大型音楽番組
放送期間 1972年12月31日(NHK紅白歌合戦第23回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 NHK
外部リンク NHK紅白歌合戦公式サイト
テンプレートを表示
第23回NHK紅白歌合戦
ジャンル 大型音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1972年12月31日
放送時間 1972年12月31日
放送局 NHKラジオ第1
公式サイト 公式サイト
テンプレートを表示

第23回NHK紅白歌合戦』(だい23かいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1972年12月31日東京宝塚劇場で行われた、通算23回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHK生放送された。

概要[編集]

  • 放送用ビデオテープはこの当時(録画設備を含めて)非常に高価であったが、NHKは今回から制度的な紅白の収録並びにVTR保存を開始。今回を含めて、以後は全て鮮明なカラーのビデオ映像の完全版VTRが残っている。今回はそのカラーのビデオ映像の完全版で、後年に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。
  • この年5月15日米国施政権下にあった沖縄が27年ぶりに沖縄県として本土に復帰。これにより、沖縄放送協会から継承した「新生」NHK沖縄放送局総合テレビラジオ第1放送での同時放送を開始(ただし、先島諸島ではラジオ第1放送のみ同時で、テレビは翌元日に時差ネットで放送された)。
  • 両軍司会は佐良直美宮田輝(3年連続)が担当。
  • 紅組司会は実際選出の佐良(佐良の起用は前回も取り沙汰されたほか、前回では紅組司会兼任の水前寺の歌手出番の曲紹介を和田と共に担当した)、前回担当者の水前寺清子(翌年の第24回で佐良に替わって紅組司会に2年ぶりに復帰。なお同回における水前寺の歌手出番の曲紹介を佐良が行った)、和田アキ子で争いとなった[1]
  • 直前の『第14回日本レコード大賞』でちあきなおみは「喝采」で日本レコード大賞を受賞。
  • 同じく『第14回日本レコード大賞』で和田アキ子は「あの鐘を鳴らすのはあなた」で最優秀歌唱賞を受賞していたが、同曲はベトナム戦争反戦歌の疑いが強く、別の「孤独」が選曲された。
  • 白組トップバッターおよび先行トップバッターは前回まで3年連続で白組トリを務めた森進一が務めた。前年のトリ担当者がトップバッターを務めるのはこの事例が初めて。
  • バックダンサー「スクールメイツ」から誕生した3人組ユニット「キャンディーズ」がデビューした(デビューはこの年春にNHKでスタートした『歌謡グランドショー』のマスコットガールとして、担当のプロデューサーが命名した。歌手デビューは翌1973年9月あなたに夢中」、歌手としての紅白初出場は3年後の第26回1975年))。
  • 絶大な人気を誇り初出場を果たした天地真理が紅組トップバッターの大役を務めたが、歌唱後に美空ひばりが駆け寄り「あなた、堂々として良かったわよ」と声をかけてくれ驚いたと後に語っている。このひばりの言葉は台本にはなかったという。
  • 本田路津子はこの年の連続テレビ小説藍より青く』の主題歌「耳をすましてごらん」を歌唱。
  • 初出場の上條恒彦は熱唱のあまり、かけていた眼鏡が床へ飛んでしまうハプニングがあったがレンズは割れずに済んだ。そのバックには小室等がギターで、そして、上條を輩出した『ステージ101』のレギュラー「ヤング101」がコーラスで参加した。この「ヤング101」のメンバーの中に、後にソロデビューした田中星児一城みゆ希太田裕美谷山浩子らが混ざっている。
  • 橋幸夫の歌唱曲「子連れ狼」はレコードでは若草児童合唱団がバックコーラスを担当しているが、放送時刻の関係で紅白ではスクールメイツとキャンディーズが担当した。
  • 佐良が歌手として出演する際の曲紹介は佐良自らが行った。
  • この年デビュー10周年を迎え、10年連続出場を果たした北島三郎が初めて白組トリを務めた。
  • 美空ひばりは史上初の10年連続紅組トリ(6年連続大トリ)担当。4年連続でのトリ(大トリ)担当は第61回2010年) - 第64回2013年)のSMAPまで途絶えることとなった(紅組ではひばりのみとなっている)。トリ13回は北島、五木ひろしに並び最多(紅組に限れば単独で最多)、大トリ11回は北島と並び最多(同じく紅組に限れば単独で最多)、10年連続トリおよび6年連続大トリは連続トリ・大トリ担当の最長記録である。
  • また、今回のひばりを最後に紅組歌手の3年連続の大トリ担当は途絶えている。
  • 今回の曲順の結果から北島と森は史上初のトップバッターとトリの双方経験者となった。
  • NHKの放送会館内の特設スタジオに電話オペレーターを置き、全国数ヶ所の一般審査員制を導入したのは今回から(この方式は第26回1975年)から復活し第31回1980年)まで行われた)。
  • 優勝は紅組。
  • 平均視聴率80.6%関東地区ビデオリサーチ社調べ)で、紅白史上第2位(関東地区の歴代視聴率2位)の視聴率を記録した。
  • 東京宝塚劇場での開催は今回が最後となった。翌年の第24回からは会場をNHKホールに移した。

司会者[編集]

演奏[編集]

審査員[編集]

東京宝塚劇場[編集]

地方審査員[編集]

北海道函館市福島県福島市愛知県名古屋市東区大阪府大阪市阿倍野区広島県広島市(現・広島市中区)/愛媛県松山市福岡県福岡市南区沖縄県那覇市 以上全国8地区より10名ずつ計80名

出場歌手[編集]

紅組 白組
歌手 歌手
天地真理(初) ひとりじゃないの 森進一(5) 放浪船
和田アキ子(3) 孤独 フォーリーブス(3) 夏のふれあい
朱里エイコ(初) 北国行きで 堺正章(2) 運がよければいいことあるさ
渚ゆう子(2) 風の日のバラード にしきのあきら(3) 嵐の夜
奥村チヨ(3) 終着駅 鶴岡雅義と東京ロマンチカ(5) くちづけ
由紀さおり(4) 故郷 石橋正次(初) 夜明けの停車場
佐良直美(6) オー・シャンゼリゼ 村田英雄(12) ここで一番
山本リンダ(2) どうにもとまらない 尾崎紀世彦(2) ゴッドファーザー~愛のテーマ
いしだあゆみ(4) 生まれかわれるものならば 青い三角定規(初) 太陽がくれた季節
南沙織(2) 純潔 野口五郎(初) めぐり逢う青春
ザ・ピーナッツ(14) さよならは突然に ビリー・バンバン(初) さよならをするために
本田路津子(2) 耳をすましてごらん 西郷輝彦(9) 愛したいなら今
森山良子(3) 美しい星 菅原洋一(6) 知りたくないの
藤圭子(3) 京都から博多まで 美川憲一(5) 銀座・おんな・雨
欧陽菲菲(初) 恋の追跡(ラブ・チェイス) 上條恒彦(初) 出発の歌-失われた時を求めて-
小柳ルミ子(2) 瀬戸の花嫁 三波春夫(15) あゝ松の廊下
平田隆夫とセルスターズ(初) ハチのムサシは死んだのさ 水原弘(9) お嫁に行くんだね
島倉千代子(16) すみだ川 フランク永井(16) 君恋し
都はるみ(8) おんなの海峡 橋幸夫(13) 子連れ狼
ちあきなおみ(3) 喝采 沢田研二(初) 許されない愛
青江三奈(6) 日本列島・みなと町 五木ひろし(2) 待っている女
水前寺清子(8) 昭和放浪記 布施明(6) MY WAY
美空ひばり(17) ある女の詩 北島三郎(10) 冬の宿

選考を巡って[編集]

  • 今回まで10年連続でトリを務めた美空ひばりは、翌年に実弟・かとう哲也が暴力団に関わっていた廉で逮捕されたことがもとでアンケート支持が低下する。翌年の第24回は落選となったため、同回が正式出場歌手としては最後の紅白出場となった(第30回1979年)は特別ゲストとしての出演)。
  • 男女混成3人組グループ・青い三角定規が初出場。合唱編成ではあるが、メインボーカル的存在が女性メンバーの西口久美子であるものの、白組出場であった。
  • 長髪(=不良のイメージがあった)が理由で紅白出場が認められなかったザ・タイガースの人気ヴォーカリストの沢田研二が、ソロ歌手としてこの年に念願の初出場を果たした。
  • 坂本九がアンケート支持が落ちたことを理由に落選した[2]
  • よしだたくろう(現:吉田拓郎)は年末、旅行に出かけることを理由に出場を辞退した[2]

ゲスト出演者[編集]

演奏ゲスト[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』
  2. ^ a b 読売新聞』1972年11月27日付朝刊、13頁。

参考文献・出典[編集]

  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]