バカリズム

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バカリズム
本名 升野 英知
生年月日 1975年11月28日(40歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県田川市
血液型 A型
身長 165cm
最終学歴 日本映画学校俳優科
師匠 いとうせいこう(事実上の師弟関係)
出身 日本映画学校
コンビ名 バカリズム(現在はピン)
相方 松下敏宏(コンビ時代)
芸風 コントフリップ芸
事務所 マセキ芸能社
活動時期 1995年 -
同期 北陽
品川庄司
ゆってぃ
おぎやはぎほか
現在の代表番組 ビットワールド
有吉反省会
いらこん
バズリズム
そんなバカなマン
もう!バカリズムさんのドH!
ウレロ☆シリーズ
アイキャラ
ワイドナショーなど
過去の代表番組 虎の門
アイドリング!!!
バカリズムマン対怪人ボーズ
シルシルミシル
日曜×芸人
オモクリ監督 〜O-Creator's TV show〜
伝えてピカッチ
など
他の活動 ナレーター、俳優、脚本家、作家
公式サイト マセキ芸能社によるプロフィール
受賞歴
1999年 第14回OWARAIゴールドラッシュII優勝
2009年 IPPON グランプリ〜開幕戦inお台場〜 優勝
2010年 IPPON グランプリ〜秋の陣〜 優勝
2011年 IPPON グランプリ〜第5回〜 優勝

バカリズムは、日本お笑い芸人升野 英知(ますの ひでとも)によるお笑いユニット。ナレーター俳優脚本家作詞家[補足 1]としても活動。マセキ芸能社所属。バカリズム升野と自称及び他称される事も多い。

1995年から2005年までは升野と松下敏宏によるお笑いコンビであり、コンビ解消後に升野がコンビ名を単独の芸名として引き継ぐ。なお、俳優として活動する際は本名を使うことが多い。

メンバー[編集]

福岡県田川市出身。同市のゆるキャラ「石田川炭夫(いしたがわ すみお)」のデザインを手掛け、2012年3月21日に発表した[2]

旧メンバー[編集]

  • 松下 敏宏(まつした としひろ)
2005年11月30日を以て脱退。

略歴[編集]

コンビ時代[編集]

1995年日本映画学校在学中、升野・松下によってコンビ「きくらげ」(命名は松下)を結成。当初は年上であった松下がネタなどの主導権を握っていたが、のちに敬語をやめようとお互いで決めたのをきっかけにネタの主導権が升野に移る。さらにその後松下がとある現場で遅刻をしてしまい、それを升野が注意したついでに「『きくらげ』もどうかと思う」と発言したのをきっかけにコンビ名が「バカリズム」となった。

1990年代後半から2000年代半ばにかけて『バクマリヤ』(1999年、フジテレビ)、『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』(テレビ朝日)、『笑いの金メダル』(テレビ朝日)、『笑う犬』(フジテレビ)『エンタの神様』(日本テレビ)、『桂芸能社ポンッ!』(TBSテレビ)、『エレバカ!』(BS日テレ)などの番組に出演。2005年11月末をもって松下がバカリズムを脱退。解散の話を切り出したのは松下からだった。ある仕事の帰り、松下が升野に「話があるから喫茶店に入ろう」と言い出した。しかし、升野にはその後友達との食事の約束があり、ここで喫茶店に入るとコーヒーなどではなく、カフェラテやカフェモカなどの少しお腹に溜まるものを注文してしまい、後の食事に支障が出そうという理由で、升野は駅の切符売り場の近くにて立ち話の状態で松下からの話を聞いた。

「芸人をやめたい」という松下に対して、『自分に話す前にも色々と考えた結果だと思うから、これはもう相談ではなく報告。今更無理してとめる必要はない』と考えた升野はあっさりと話を受け入れた。

内村光良はバカリズム解散を振り返り、「解散というときに、握手して『元気でな。頑張ってな』と声をかける事ぐらいしかできなくてね、 で、あれから別々の道に歩んでいくんですけど、升野は頑張りましたよね。こっちの道で続けていって。で、彼(松下)も別の道で成功していると思います」と語っている。[3]

升野単独[編集]

松下の脱退後、升野は単独でバカリズム名義で活動。コンビ解散2ヶ月後に単独ライブ開催、更にその翌月にはピン芸コンクールR-1ぐらんぷり 2006』に初出場で決勝進出。以降5年連続で出場し、そのうち4回決勝進出を果たした。「バカリズム」をそのまま自身の芸名とした理由は、ピン芸人に移行する際、芸名を変更すると芸歴がリセットされ、お笑いライブに新人扱いでオーディションから改めて参加しなければならず、それを避けるためとのこと[4]。フリップネタ「トツギーノ」を披露し、結果は4位。R-1決勝後に仕事が急増し、ネタ番組では「トツギーノ」を披露することが多くなり、「トツギーノ」でCMにも出演。一方、「このままではバカリズムではなく、トツギーノの人になってしまう」と内心では不安に思っていたとしている。そしてトツギーノを捨てるために、「ある日、結婚式の営業でトツギーノを披露した後にネタで使用するフリップを客席に配り、トツギーノが二度とできない状況をバカリ自身で作った」と、豊本明長東京03)が後に話している。

その後、『虎の門』、『アイドリング!!![補足 2](2006年 - 2015年)、『シルシルミシル』『シルシルミシルさんデー』(2008年 - 2014年)、『バカリズムマン対怪人ボーズ』(2009年)、『日曜×芸人』(2012年 - 2014年)、『伝えてピカッチ』(2013年 - 2015年)、『オモクリ監督 〜O-Creator's TV show〜』(2014年 - 2015年)を始めとした多数の番組にレギュラー出演[1]

脚本家として[編集]

2012年4月に発売されたRAM RIDERのアルバム『AUDIO GALAXY-RAM RIDER vs STARS!!!-』収録の「HELLO starring ORANGE RANGE」のミュージック・ビデオの脚本・監督を担当。また、同アルバム収録曲「放課後★サスペンス」に作詞で参加[補足 3]。同年5月26日、“ほぼ”監督・脚本・主演を務めたオムニバス映画『バカリズム THE MOVIE』が公開。シネマート六本木にて全4日間の単館上映され、同年夏より全国劇場公開。10月6日、オムニバステレビドラマ世にも奇妙な物語 2012年 秋の特別編』の「来世不動産」において原作・脚本・出演の3役[補足 4]を担当。

2014年10月より放送開始のドラマ『素敵な選TAXI』で連続ドラマの脚本を初めて担当し、役者としても出演。2015年6月23日に火曜22時枠で放送された単発ドラマ『かもしれない女優たち』の脚本を務め、バカリズム役として出演もした[5]

受賞歴[編集]

お笑い
  • ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!! 72時間不眠不休』- 優勝(1998年、テレビ朝日)
  • 高田文夫のラジオビバリー昼ズ お笑いゴールドラッシュII』 - 優勝(1999年、ニッポン放送
  • 『第1回爆笑オンエアバトル チャンピオン大会 』 - 予選第5位(1999年、NHK総合
  • 『赤坂お笑いDOJO』 - 免許皆伝取得(2000年、TBSラジオ
  • 『第1回お笑いホープ大賞 』 - 決勝進出(2003年、フジテレビ
  • 虎の門 伊集院光プロデュース「オールナイト虎の門」』- 優勝(2004年、テレビ朝日)
  • R-1ぐらんぷり2006』 - 決勝第4位(2006年2月19日、フジテレビ・関西テレビ
  • 『R-1ぐらんぷり2007』 - 決勝第3位(2007年2月18日、フジテレビ・関西テレビ)
  • 爆笑レッドカーペット』 - レッドカーペット賞(2008年5月14日放送、フジテレビ)
    披露したネタは「贈るほどでもない言葉」[補足 5]
  • 『R-1ぐらんぷり2009』 - 決勝第3位(2009年2月17日、フジテレビ・関西テレビ)
  • IPPON グランプリ 09-10開幕戦』 - 優勝[補足 6](2009年12月28日放送、フジテレビ)
  • 『爆笑レッドカーペット』 - レッドカーペット賞(2010年1月23日放送、フジテレビ)
    披露したネタは「日本要するに昔話」。
  • 『R-1ぐらんぷり2010』 - 決勝第7位(2010年2月23日、フジテレビ・関西テレビ)
  • 『IPPON グランプリ 秋の陣』 - 優勝(2010年10月5日放送、フジテレビ)
  • 『IPPON グランプリ 2011開幕戦』 - 準優勝(2011年1月4日放送、フジテレビ)
  • 『IPPON グランプリ 第5回』 - 優勝(2011年6月11日放送、フジテレビ)
  • 『IPPON グランプリ 第7回』 - 準優勝(2012年4月7日放送、フジテレビ)
  • 「2012年ヒット商品ベスト30」 - 2012年大活躍した人(2012年11月1日発表、日経トレンディ
  • 『IPPON グランプリ 第12回』 - 準優勝(2014年11月8日放送、フジテレビ)
  • パーソン・オブ・ザ・イヤー2014(Quick Japanvol.118、太田出版)
  • 人志松本のすべらない話 第27弾』 - MVS(2015年1月10日放送、フジテレビ)
    披露した話は「テレビ局の警備員」。
脚本家
アンケート
  • 「最も面白いと思う“ピン芸人”2010」 - 1位[6](2010年4月、ORICON STYLE
  • 「最も面白いと思う"ピン芸人"2011」 - 2位[7](2011年2月、ORICON STYLE)
  • 「男が選ぶ『同僚にしたい男』ランキング」 - 1位[8](2015年4月10日、SPA!
    福山雅治との同率1位
  • 「一番好きなお笑い芸人ランキング」 - 5位[補足 7][9](2015年5月、日経エンタテインメント!

人物[編集]

身長165cm[1]、体重60kg[1]、血液型はA型[1][10]。両利き。喫煙者。実家はお弁当屋を営んでいた。下戸であり、酒が全く飲めない。飯塚高等学校日本映画学校(現・日本映画大学)俳優科卒業[1]。子供の頃の夢は漫画家。高校受験で一度失敗しておりそのことについて日曜×芸人内で「鈴木奈々より馬鹿」呼ばわりされている。(尚、鈴木は高校に一発合格である)。中学・高校野球部に所属。中学1年まで身長140cmないぐらいだったが中学3年間で20cm以上身長が伸びた。成長とともに野球・バンド・柔道など様々なものに興味を示したがどれもモノにならないと気づき、お笑いの世界へ進む[11]

芸人になる前は売れっ子の芸能人は「女性タレントと毎晩食事に行く」という華やかなイメージを想像していたが、いざ芸人になってある程度の成功を手にしても自身の境遇が地味であるということを実感している。しかし芸能界全体に「パーティがどこかで開かれている」気配はするらしく、早く誘われて「ちやほやされたい」という願望を持っている[11]

日本映画学校出身であり映画監督デビューも果たしているが、映画は「年に1回観ればいいほう」というほど興味がない[12]。升野英知名義の短編小説「来世不動産」(小学館『東と西2』収録)で小説家デビューを飾っているが、「文字を文字として認識できなくて、ただの図形にしか見えない」という理由で、ほとんど本を読まない[13]

定期的にライブを開催する事に力を注いでおり、Quick Japanのインタビューでは「ネタ作りをやめてしまうと僕は終わってしまう気がする」と語っている。 また、ブレイクした今もなおテレビに対して苦手意識を持っており、「僕は大喜利ネタの筋肉はあるが、ひな壇の筋肉はブヨブヨ」「今まで一度も良い仕事をしたと思ったことがない」と語っている[14]

2014年、『素敵な選TAXI』の脚本執筆や『OV監督』の映像製作、ライブ準備などが重なったのを機に「事務所の会議室のWi-fiが遅いから」という理由で仕事用の作業場を借り始めた。

若いころに様々なスポーツを嗜んでおり、身体能力は高く、「ウレロシリーズ」(テレビ東京)では身体を張ったアクションが多い。

芸風[編集]

一人コント、フリップネタ、映像ネタなど、様々な形で笑いを取るスタイル。「お笑い四次元ポケット[補足 8]」の異名を持ち、同業者である芸人からの評価も高い。

「トツギーノ」や「地理バカ先生」などのフリップネタを披露することが多いが、本人は「誰がやってもいいっていうところがある」という理由で元々フリップネタが好きではないとしている。「トツギーノ」も当初は単独ライブで箸休め的なネタとして作ったのがきっかけであった[15]

過去には「架空升野日記」という架空のOLの日常をブログで綴っていた[補足 9]。2008年に「架空升野日記」として書籍化され、さらに2013年には「架空OL日記」として1・2巻に分けられて文庫化もされた。このコンセプトはその後、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組の「架空○○日記」コーナーに受け継がれている。

コンビ時代もコントを主体として活動していたが、升野単独の芸風と比べるとシュールで難解なネタが多かった。その結果、番組初期から出場していた「爆笑オンエアバトル」でも苦戦を強いられることが多く、最終的な記録は10勝13敗と負け数が勝ち数を上回っていた。また、同番組では100KB台-500KB台までの全てのKB(キロバトル)を経験しており、さらに1位から10位までの全ての順位を経験している。同番組内で芸人がこのように両方の記録を達成することは極めて稀なことである[補足 10]

実際に文字を立体に見立てた「100円玉が取りにくそうな漢字ベスト5」「投げたら戻ってきそうなひらがなベスト5」などの持ちネタが存在する。

親交[編集]

先輩であるバナナマンとは約20年近く親交があり、「ヒデ」と呼ばれている[16]。また、かつて日村勇紀と同居していた[16]。日村と仲の良いケンドーコバヤシも升野がヒデと呼ばれてる事を知り、ヒデと呼び始めた。他にも同年代の芸人である東京03エレキコミックオードリー劇団ひとりおぎやはぎラーメンズふかわりょうなどともコンビ時代から交流がある[補足 11]

千原ジュニアからは「リズムちゃん」、次長課長からは「おます」と呼ばれている。またバナナマンの他にゆってぃ柴田英嗣アンタッチャブル)も「ヒデ」と呼んでいる。

いとうせいこうはコンビ時代から升野に惹かれるものがあったとして、ピンになってからは自身のレギュラー番組(『虎の門』、『ビットワールド』など)や舞台に呼ぶようになる。升野もいとうのことを師匠としている[17]。構成作家のオークラは「バカリズムは19、20歳の時点でもう完成された『システムの笑い』をやっていた」と語っており、なかなか芽が出ず苦労したコンビ時代を経て、ブレイクし始めた2007年頃からのバカリズムを「バケモノ」と評している[18]

お笑い芸人以外の著名人とも仲が良く、夢眠ねむ小出祐介土岐麻子ハマ・オカモト福岡晃子とは、夢眠の誕生日で集まった際に意気投合し、以来「升野軍団」を結成している[19]。小出は升野のオリジナル曲「AVを見た本数は経験人数に入れてもいい」(CD未発売)の作曲を担当(作詞は升野)している[20]。また、RAM RIDERは升野の単独ライブの楽曲を数多く担当しており、公私ともに交流がある[補足 12]。他にはTOWA TEIスチャダラパーBOSEなどとも仲が良い[補足 13]。一方で、長年に渡り『アイドリング!!!』のMCを務めているが、アイドリング!!!メンバーには「みんなを平等に扱いたい」という理由で連絡先を教えていない[21]

「バカリズムというユニットを今は1人でやっている」としているため、バカリズムに新メンバーが加入する可能性は否定しておらず[要出典]、『ビットワールド』の共演者である中田あすみを「バカリズム2期生」と紹介することもある[22]。『ウレロ』シリーズの共演者・早見あかりとは、「あかリズム」と称して番組やDVDの特典映像内でユニットコントを披露している。

R-1ぐらんぷり初出場からR-1卒業まで[編集]

2006年 決勝8組中4位

松下が脱退しピン芸人として再スタートしてから約3ヶ月後、初出場にして決勝に進出。披露したネタは「トツギーノ」。結果は4位。

2007年 決勝8組中3位

2年連続で決勝進出。一人コントネタ「イニシャル教師(NHSNJG)」を披露。結果は3位。

2008年 準決勝敗退

準決勝で「総合医者」というネタを披露するも、結果は準決勝敗退。

2009年 決勝10組中3位

2年ぶりに決勝進出。「都道府県を持つ」というフリップネタ「1年D組 地理バカ先生」を披露。審査員の清水ミチコは100点満点[補足 14]をつけ、その時点での最高得点を獲得するも、バカリズムの次にネタを披露したエハラマサヒロに最高得点を出され敗退する。司会の雨上がり決死隊に敗者コメントを求められた際には、「え?もう終わりすか?...」「(先ほどやったネタにあわせて)500万円をどうやって持とうかな~とか考えていたんですけど...」とコメントした。

2010年 決勝9組中7位

前年に引き続き2年連続通算4回目の決勝進出。準決勝では「バカリズム案」で披露された「いろいろな順位」というフリップネタで決勝へと駒を進めた。決勝では「正義感」というネタを披露。結果は自身過去最低順位となる7位という結果に終わった。

R-1卒業

R-1ぐらんぷり2010終了後、升野は自身の公式Twitter上にて今回の結果に際し「赤いマフラーがあまりなびかなかったことが敗因」と釈明すると同時に、「2本目は『イケなくて』をやる予定でした」「R-1は今年で最後です。もともと決めていました」とツイートし、この年の出場をもってR-1を卒業することを表明した。また、「僕は毎回、自分で面白いと思ってやっていますし、そこだけは全く揺るぎませんが、審査員さんの採点には納得しています」と本音を明かしていた[23]

現在の出演番組[編集]

レギュラー
準レギュラー
過去のレギュラー
* ホメられてノビるくん(フジテレビ、2010年10月 - 2011年3月)
特番出演・不定期出演
ラジオ

単発出演・ドラマ・映画・舞台・ラジオ[編集]

テレビ[編集]

過去の出演

※時系列が不明確なものから先に掲載。

ドラマ[編集]

映画[編集]

2012年5月12日公開のアニメ映画。声優初挑戦。
  • バカリズム THE MOVIE
2012年5月26日公開。監督・脚本・主演のオムニバスコメディ映画。全5編構成。同名のテレビ番組でメイキングドキュメントを放送。
2012年9月28日日本公開。日本語吹き替え初挑戦[26]
2013年6月28日公開
2014年3月29日公開。
2014年5月16日公開。

舞台[編集]

ラジオ[編集]

コンビ時代[編集]

CM・連載・ネット番組[編集]

DVD・書籍・脚本・ライブ[編集]