日本映画大学
日本映画大学 | |
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大学設置 | 2011年 |
創立 | 1975年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人神奈川映像学園 |
本部所在地 | 神奈川県川崎市麻生区万福寺一丁目16-30 |
キャンパス |
新百合ヶ丘(川崎市麻生区) 白山(川崎市麻生区) |
学部 | 映画学部 |
ウェブサイト | https://www.eiga.ac.jp/index.html |
日本映画大学(にほんえいがだいがく、英語: Japan Institute of the Moving Image)は、神奈川県川崎市麻生区万福寺一丁目16-30に本部を置く日本の私立大学である。2011年に設置された。
概観[編集]
今村昌平の理念を受け継ぎ、学校法人神奈川映像学園が運営する日本映画学校を発展改組する形で2011年に開学した。日本では初となる映画学部のみの単科大学である。
理念には、今村昌平が遺した言葉が使用されている[1]。
沿革[編集]
- 1975年(昭和50年)4月 - 今村昌平が横浜駅東口のスカイビル(初代)内に、横浜放送映画専門学院(2年制・各種学校)を開校
- 1984年(昭和59年)4月 - 留学生の募集を開始
- 1985年(昭和60年)11月 - 学校法人神奈川映像学園設立。横浜放送映画専門学院を日本映画学校(3年制・専門学校)に改称・改組(神奈川県知事より認可)
- 1986年(昭和61年)4月 - 川崎市麻生区へ移転。今村昌平が学校法人神奈川映像学園理事長・日本映画学校校長となる。映像科・俳優科を設置
- 1992年(平成4年)4月 - 日本映画学校校長に石堂淑朗が就任
- 1996年(平成8年)4月 - 日本映画学校校長に佐藤忠男が就任
- 2004年(平成16年)11月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐藤忠男が就任(日本映画学校校長と兼任となる)
- 2007年(平成19年)10月 - 学校法人神奈川映像学園理事長に佐々木史朗が就任
- 2010年(平成22年)10月 - 文部科学省より日本映画大学設置認可
- 2011年(平成23年)4月 - 日本映画大学開学(映画学部映画学科)
- 2012年(平成24年)3月 - 日本映画学校の俳優科を廃止
- 2013年(平成25年)3月 - 日本映画学校の映像科を廃止
基礎データ[編集]
所在地[編集]
教育および研究[編集]
学部[編集]
- 映画学部
- 映画学科(以下2018年度からの新カリキュラムに基づく「系」と「コース」)
- 演出系
- 演出コース
- 身体表現・俳優コース
- ドキュメンタリーコース
- 技術系
- 撮影照明コース
- 録音コース
- 編集コース
- 文章系
- 脚本コース
- 文芸コース
- 演出系
- 映画学科(以下2018年度からの新カリキュラムに基づく「系」と「コース」)
かつての組織
- 映画学部
- 映画学科(特記のない限り、開学時からのカリキュラムに基づいた「系」と「コース」)
- 創作系
- 脚本演出コース
- 撮影照明コース
- 録音コース
- 編集コース
- ドキュメンタリーコース
- 理論系
- 理論系Aコース(2011年度入学者)
- 理論系Bコース(2011年度入学者)
- 理論コース(2012年度入学者。上記の2コースを統合した)
- 映画・映像文化コース(2013年度入学者より受け入れ)
- 身体表現・俳優コース(2016年度入学生より受け入れ/開設前は「身体表現(俳優)コース」と告知された)
- 創作系
- 映画学科(特記のない限り、開学時からのカリキュラムに基づいた「系」と「コース」)
なお、日本映画大学では、2年次前半までは全員同一のカリキュラムとなり、以降は6コースに分かれて履修する。
大学関係者一覧[編集]
学長[編集]
学部長[編集]
- 石坂健治(2代学科長を経て3代学部長)
学科長[編集]
- 緒方明(3代学科長)
教授[編集]
※50音順
准教授[編集]
※50音順
講師[編集]
助手[編集]
特任・客員教授[編集]
関係機関等[編集]
麻生区6大学公学協働ネットワーク[編集]
学術交流協定締結校[編集]
包括的連携協定[編集]
- 昭和音楽大学
地方自治体等[編集]
- 一般社団法人白山まちづくり協議会
日本映画学校[編集]
概要[編集]
理念に、「日本映画学校は、人間の尊厳、公平、自由と個性を尊重する。個々の人間に相対し、人間とはかくも汚濁にまみれているものか、人間とはかくもピュアなるものか、何とうさんくさいものか、何と助平なものか、何と優しいものか、何と弱々しいものか、人間とは何と滑稽なものなのかを、真剣に問い、総じて人間とは何と面白いものかを知って欲しい。 そしてこれを問う己は一体何なのかと反問して欲しい。個々の人間観察をなし遂げる為にこの学校はある。」とあるように、一貫して人間探求のカリキュラムを組み、映画監督、脚本家、俳優を始めとして映画スタッフが数多く輩出していた。特徴的なカリキュラムとして、3年制である映像科は理念を反映させた「人間研究」という科目を1年次に配し、2年制である俳優科はカリキュラムに「漫才」が取り入れられていたことが挙げられる。漫才の講師は内海桂子・好江が担当していたことから、お笑いタレントも数多く輩出している(内海桂子・好江が所属しているマセキ芸能社に所属する人が多い)。
沿革[編集]
- 1975年4月:今村昌平が学院長として横浜スカイビルに「横浜放送映画専門学院」を開校。この頃は「今平学校」と呼ばれる。
- 1984年:留学生の募集を開始する。
- 1985年:学校法人神奈川映像学園が設立され、3年制の専門学校として神奈川県より設置認可を受ける。名称を「日本映画学校」と改称。
- 1986年:川崎市、小田急電鉄、映画各社等の協力により、新百合ヶ丘駅北口に新校舎を設置し、移転。今村昌平が理事長・学校長に就任。
- 1992年:今村昌平は理事長に専念することとなり、学校長が石堂淑朗となる。
- 1995年:卒業制作映画を外部劇場で上映するようになる。
- 1996年:映画評論家の佐藤忠男が学校長に就任。
- 2004年:理事長・学校長が佐藤忠男となる。
- 2007年:理事長が佐々木史朗となる。
- 2011年:日本映画大学が発足。新入生の受け入れ停止。
- 2013年:日本映画大学への全面移行により閉校。[1]
学科[編集]
- 映像科(3年制)
- 2年次より下記のコースに分かれていた。また、他コースとの合同授業やゼミナール形式で開講される科目もあった。
- 映画演出コース
- 脚本演出コース
- 映像ジャーナルコース
- 撮影・照明コース
- 映像編集コース
- 音響クリエイターコース
- 俳優科(2年制)
所在地[編集]
新百合ヶ丘校舎(日本映画大学新百合ヶ丘キャンパス)
講師陣[編集]
- 映像科1年
- 担任
- 講師
ほか
- 映像科2・3年
卒業者[編集]
横浜スカイビルに所在していた時(横浜放送映画専門学院)の卒業生は横浜○期、日本映画学校の卒業生は映画学校○期と呼称している。
監督・演出[編集]
- 川口浩史(映画学校5期)
- 正岡裕之(映画学校5期)
- 小沼雄一(映画学校7期)
- 黒川竹春(映画学校8期)
- 窪田将治(映画学校9期)
- 菱沼康介(映画学校9期)
- 草野陽花(映画学校11期)
- 林田賢太(映画学校11期)
- 松江哲明(映画学校11期)
- 李相日(映画学校11期)
- 島田伊智郎(映画学校13期)
- ジョン・ヒジリ(映画学校13期)
- 今田哲史(映画学校15期)
- 木村茂之(映画学校16期)
- 寺田明人(映画学校16期)
- 福田陽平(映画学校16期)
- 松林要樹(映画学校16期)
- 橘理恵(映画学校16期)
- 小野さやか(映画学校17期)
- 藤村享平(映画学校17期)
- 中井邦彦(映画学校18期)
- 岩永洋(映画学校19期)
- 石田秀範
- 市野龍一
脚本家・作家[編集]
プロデューサー[編集]
撮影・照明[編集]
録音・音響[編集]
編集[編集]
スクリプター[編集]
美術・大道具・塗装[編集]
VFX[編集]
俳優[編集]
お笑いタレント[編集]
- ピックルス(横浜6期)
- 象さんのポット(横浜7期)
- ウッチャンナンチャン…内村光良・南原清隆(横浜9期)
- 出川哲朗(横浜9期)
- バカリズム(映画学校9期)
- ファンキーモンキークリニック(映画学校7期)
- 古坂大魔王(映画学校7期※中退)
- 狩野英孝
- こばやしけん太
- JJポリマー
- 磁石
- ニッチェ
- ホーム・チーム
- 渡辺ラオウ
- 平子祐希(アルコ&ピース)
- 与座よしあき
- 池田直人(レインボー)(大学2期)
- 桐野安生
その他[編集]
- 田辺千明(キャスティングディレクター)(横浜1期)
- 馮智英(歌手)(横浜1期)
- 平田弘次(漫画原作者)(横浜4期)
- 太田聡史(科学者)(横浜10期)
- 栗山静代(ジャーナリスト)(横浜10期)
- 小島康史(大学教授)(日本映画学校1期)
- 出町光識(陶芸家・美術家)(映画学校1期)
- びびこ(祈祷師)(映画学校1期)
- 菅原敬太(漫画家)(映画学校5期)
- 橋本ポンセ(イラストレーター)(映画学校6期)
- あんどうともこ(絵本作家)(映画学校12期)
- 成瀬慧(グラフィックデザイナー)(映画学校15期)
- いっこく堂(腹話術師)
- 宇賀神光佑(アニメーション技術)
- 榎本俊二(漫画家)
- 向井ちはる(歌人・アクセサリー作家)
- 山内麻里子(ミュージシャン)
- 山辺健史(ノンフィクションライター)
- 三沢伸(アニメーション監督・アニメーション演出家)
- 梅澤淳稔(アニメーション監督・アニメーションプロデューサー)
- 芝田浩樹(アニメーション監督)
- 柳家やなぎ(落語家)
- 軸原ヨウスケ(グラフィックデザイナー)
劇場公開された卒業制作作品[編集]
- バナナシュート裁判(1989年 佐藤闘介監督)
- らせんの素描(1991年 小島康史監督)
- 妻はフィリピーナ(1993年 寺田靖範監督)
- ファザーレス 父なき時代(1998年 茂野良弥監督)
- 青〜chong〜(1999年 李相日監督)
- あんにょんキムチ(1999年 松江哲明監督)
- home(2001年 小林貴裕監督)
- 熊笹の遺言(2002年 今田哲史監督)
- 私をみつめて(2004年 木村茂之監督)
- アヒルの子(2005年 小野さやか監督)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
学校法人神奈川映像学園
学校法人神奈川映像学園[編集]
学校法人神奈川映像学園は神奈川県川崎市麻生区に事務所を置く学校法人である[3]。
沿革[編集]
設置する学校[編集]
- 日本映画学校 2013年3月まで
- 日本映画大学 2011年4月から
脚注[編集]
- ^ 日本映画大学・建学の理念と精神
- ^ a b “「日本映画学校OB牧場」今村ワールドの仲間たち”. 株式会社シネマネストJAPAN 【第14回・平田弘次】. 2014年4月30日閲覧。
- ^ “学校法人神奈川映像学園(仮称)日本映画大学のインターンシップ制度の支援について (PDF)” (2010年2月18日). 2016年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月23日閲覧。
関連項目[編集]
公式サイト[編集]
座標: 北緯35度36分18.0秒 東経139度30分27.1秒 / 北緯35.605000度 東経139.507528度