浅越ゴエ

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浅越 ゴエ
本名 浅越 浩志(あさごえ ひろし)
生年月日 (1973-12-20) 1973年12月20日(43歳)
出身地 日本の旗 日本岡山県岡山市南区
血液型 B型
身長 178cm
方言 関西弁
最終学歴 立命館大学法学部卒業
出身 吉本総合芸能学院大阪校16期生
トリオ名 ザ・プラン9(2001年 - )
相方 お〜い!久馬ヤナギブソン
芸風 コント漫談
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1996年 -
配偶者  既婚
受賞歴
2002年 ABCお笑い新人グランプリ新人賞
2002年 E-1グランプリ準グランプリ
2003年 上方お笑い大賞新人賞
2004年(2003年度) R-1ぐらんぷり優勝
2004年 NHK上方漫才コンテスト優秀賞

浅越 ゴエ(あさごえ ゴエ、1973年12月20日 - )は、日本お笑いタレント漫談家であり、お笑いユニットザ・プラン9のメンバーの1人である。本名、浅越 浩志(あさごえ ひろし)。

来歴[編集]

岡山県岡山市南区出身。吉本興業・大阪本社所属。吉本総合芸能学院(NSC)・大阪校の第16期生。岡山市立妹尾中学校[注 1]岡山県立岡山芳泉高等学校を経て、立命館大学法学部を卒業。身長:178cm、体重:75kg。血液型はB型。劇場などにピンとして登場する場合の出囃子ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションの「WE'RE GONNA HAVE A REAL GOOD TIME TOGETHER」。

芸風[編集]

ザ・プラン9以外でのネタはニュースキャスターの格好で、架空のニュースを読み上げるというネタ「しっくりこないニュース」を披露している(頻繁にマリオシリーズ関連のネタが登場する)。また、ピン芸人としては、2003年度の『第2回R-1ぐらんぷり』において優勝している。なお、原稿を読む際、浅越はアナウンサー顔負けの滑舌のよさが特徴であるが、その理由として、過去にアナウンサー試験を受けたことがあることが、2006年の第4回R-1ぐらんぷりにおいて本人の口から語られた。自己紹介をする時「浅越…ゴエでございます、よろしくお願いします」と、約1秒の間を置く。

以後の主な活動は下記の通り。

(表彰式、及び記者会見は10月24日(日曜日)、Ustreamにて生配信された)

R-1ぐらんぷり優勝者であるものの、自身が優勝した第2回はテレビ中継が関西ローカル、優勝賞金が100万円であった。そのため翌年の第3回から全国放送、さらに優勝賞金が500万円とグレードアップしたことには納得がいかず、優勝経験者ながら第4回(2006年)大会にも「参戦する」と異例の表明をし、決勝まで進んだが3位に終わった。第8回(2010年)大会にも参戦したものの、準決勝敗退。

S-1バトル4月期の優勝では、賞金1000万円とグランドチャンピオン大会への進出権を獲得し、最終的にはファイナル3位となった。なおグランドチャンピオン大会で披露された「しっくり〜」は『NNN Newsリアルタイム』で実際に使用されている本物のニューススタジオを借りて収録された。本人曰く「ネタ中に本物のニュース速報が流れたらどうしようかと思っていた」。

2010年、大会概要、ルール改正のされたS-1バトルで、5週連続1位の座を守り、ラウンド3での殿堂入り、及び賞金1000万円、また2011年に行われるグランドチャンピオン大会への出場権を獲得した。

人物[編集]

伊達眼鏡である。ちなみに「デモしかし」時代は、公の場でもメガネをかけていなかった。現在もプライベートではメガネを外している。

几帳面な性格。マンスリーよしもと2007年4月号の特集「ビバひとり暮らし」では、登場した芸人が部屋の間取りを公開していたが、ほとんどの芸人がフリーハンドで描いていたのに対し、彼は定規などを使って丁寧に間取りを描いていたほど。ただし本人曰く、実際は結構適当な性格らしい[要出典]

高校3年生の時、友人2人と『第11回 全国高等学校クイズ選手権』に出場。岡山県代表として全国大会に進出するも、1回戦で敗退。

大学在学中に宅地建物取引士資格試験に合格。不動産販売店勤務の経歴もある[1]

4回生当時の1995年10月、NSC・大阪校に入学。「イン☆パルス」結成・解散を経て、大学卒業後の1996年4月、同期の高山和也と共にお笑いコンビ「デモしかし」を結成。その高山はロックンロールコント集団「超新塾」元メンバーのDRAGONタカヤマである。

「デモしかし」時代に『オールザッツ漫才』にて、のちのザ・プラン9メンバーで、当時スミス夫人時代のなだぎ武と対戦。

「デモしかし」時代の末期には衣装をスーツにし、芸名も「アサゴエヒロ志」と表記していた[1]

1999年9月17日「デモしかし」解散後、いったんは住友不動産販売へ就職し、1年ほど勤務するも、シェイクダウン(当時)の久馬の強い誘い(その誘いは月に1回はあり、誘いを受けようと本人が決心するまでに、3ヶ月かかったとされる。@ライトトーククラブヤナギブソン談/読売テレビ祇園笑者』でも言及)によって、2001年4月、お〜い!久馬、鈴木つかさ(元シンドバット)、浅越ゴエのコメディーユニット「ザ・プラン9」が旗揚げとなる。

かなりのラーメン通で[2]「東京のラーメンは全部うまい」と色々な所で熱弁している[要出典]

お笑い芸人が結成したパンクバンド「盆地で一位」の名付け親でもある。

2007年12月5日、体の不調を訴え大阪市内の病院で検査を受け入院。検査の結果急性肝炎であることが判明した。この年の『M-1グランプリ』では準決勝まで進出していたが、浅越の体調不良により準決勝および敗者復活戦は棄権した。また、当時予定されていた本公演『仇男』の大阪公演は翌年2月に延期になった。

2008年2月には肝炎に続き胆石の検査で入院。同年3月上旬には胆石の除去手術で再び1週間ほど入院した。

2009年1月上旬に血尿が出て1週間ほど入院した。

太ももが太い。太ももが太くなったのは、高校時代に家から相当離れた所にあった学校に毎日自転車通学していたため[1]

学生時代に、4社のアナウンサー試験を受けた。アナウンサーを志望したきっかけはテレビで観たプロレス中継の実況で、いつかは実況をしたいという夢を抱えアナウンサー試験を受けた[3]。何も準備をしないまま試験を受けたが、渡された原稿を読んだ際に「君の(原稿を)読む声はどうも嘘っぽい」との理由で不採用となった。しかし、情報番組の中継リポーターや新吉本プロレスハッスルの実況などを担当する時もある。近年では、そのうちの1社である毎日放送がナイターオフ期間に編成する生放送のラジオ番組で、同局の現役アナウンサーと実況バトルを展開。2007年の『MBSどっと!アナ オオツキムラの時間』で大月勇を破ったのを皮切りに、2008年には井上雅雄、2009年には近藤亨との勝負を制した(いずれも『INO-KONボンバイエ』での特別企画として放送)。

コーナー出演の『さてはトコトン菊水丸』→『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』(いずれもMBSラジオ)では、自己紹介で「浅越・・・・あ、ゴエでございます」とタメを入れることが、毎回のお約束になっている。

2009年3月までCBCテレビで放送されていた『晴れ・どきドキ晴れ』では、「街のゴエ」のコーナーなどを担当。

R-1ぐらんぷり2007年では、同じザ・プラン9のなだぎを会場の客席で応援していた。このシーンは、2007年R-1DVDの特典映像に収録されている。

2009年11月18日にFBC福井放送の『リアルタイムふくい』に生出演し、「浅越ゴエのしっくりこないニュース」と称して、実際のニューススタジオで「ばいきんまんさんの訃報」など嘘のニュースを約2分間読み上げた。この日は、11月29日に福井市で開催される「よしもとゴールデンシアターin福井」の宣伝に来福。また、同放送局の昼のラジオ番組にも出演した。

2010年5月15日の毎日放送テレビの『せやねん!』で、千鳥のノブが声帯ポリープ手術のため喋ることができなかったため、ノブのサポート役として出演した。

吉本新喜劇のベテラン女優末成由美に可愛がられていて、『制作会社プラン9』(2007年9月27日にテレビ大阪で放送されたプラン9の特別番組)で末成との「公開デート」を実現するなど、出演番組で末成との親密な交際ぶりが永らく話題になっていた[4]。実際には、13歳年下の一般女性と5年ほど交際したうえで、2013年10月に結婚した[5]

出演中の番組[編集]

2009年10月より金曜日に移動(お悩み解決!どないしよっ!)
2010年10月より木曜日に移動(アナタの味方!お役に立ちます!)
準レギュラー、【ちびっ子ミシュラン】コーナー担当

終了した番組[編集]

2009年4月-9月までは、小籔千豊と交代で隔週水曜日を担当。10月より毎週水曜日を担当する。
最終回は2010年3月24日。2010年3月29日より新番組(『す・またん!』)の開始により、この時間帯の【ズーム!】の関西での放送は休止。それに伴う“卒業”。
5upよしもとメンバーに指令を与えるMr.レッド役と番組ナレーション担当
2012年4月より「ゆる。(ゆるまる)」にリニューアル。

DVD[編集]

(以上全てYOSHIMOTO WORKSより)

注釈[編集]

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  1. ^ 大森うたえもんは浅越の先輩にあたる。

脚注[編集]

外部リンク[編集]